石丸藤太(いしまる とうだ)は明治四十三年に海軍砲術学校教官となり、大正四年に少佐となって予備役になると、評論活動に入り多くの著作を残したのだが、GHQは彼の13点もの彼の著作を焚書処分している。
今回は昭和11年に刊行された『大英国民に与う』という本の一部を紹介したい。
巧妙な英外交
日支事変中「三分間四十五ドル」の高い無電料を払ってまで、連盟を指導したアメリカの前国務長官スチムソンが、
「九国条約、不戦条約に違反してできた満州国は承認しない!!」
と、啖呵を切ると、
「何を小癪な!!」
とばかりに、アメリカに対して反感の焔を燃やしたわが国民も、連盟とアメリカの背後の楽屋には英国という巧妙な俳優が控えて、袖を引いていたことは、余りにもご存じなかったようである。
「英国は七分通り連盟を動かしつつある」
「十三対一の芸当をやらした当の張本人は英国だ」
「英国は最後の場合になって、日本に背負い投げを食らわした。日本が連盟を脱退せねばならぬようになったのは、主として英国の策動である。」
そういう真相がジュネーブの日本代表部にわかってきたのは、ずっと後のことで、それがわかって来た時には時期既に遅かった。ことほど左様に英国の外交は巧妙であった。
由来ジョンブルの外交は、自国の重大なる利害関係に直接の影響がないときには、たとえ列国と協議して相手国に当たる場合でも、努めて他国を矢面に立たせ、自分は涼しそうな顔をして犠牲を払うことを避ける。しかるに一度自国の利害関係に直接な影響を受けると見れば、猛然起ち上って自ら相手をする、これが英国のやり方である。日支事件中の英国の外交も正にこの通りであった。このこつを看破することができなかったところに、日本の連盟外交の失敗がある。
英国と日支事件
しからば日支紛争事件において、英国の狙うところは何であったか?これは次の三つに帰納することができる。
一 国際連盟規約、ワシントン条約、不戦条約の擁護。
二 支那の領土保全。
三 支那における政治上及び経済上の優越を保持すること。
右の中(上記のうち)第一は、主として欧州の平和を維持し、世界に誇るインタレストを保護する上から必要であり、第二と第三は、従来支那において勝ち得た優越な地位を失わざらんが為である。
日本の行動にしてこの三原則に反せざる限り、英国は黙認の態度をとるも、いやしくもこれに反するにおいては、他国を動かして之に反対させるか、又は直接の利害関係が自国にとり重大なりと考えるにおいては、自ら陣頭に立ちて、他国を指導しつつ日本に反対した。日支事件における英国の行動を知らんとする者は、まずこの点を知ることが肝要である。
(石丸藤太 著『大英国民に与ふ』春秋社 昭和11年刊 p.59~61)
英国は日本軍の満州における行動を、連盟規約、不戦条約、九か国条約に違反するものとして国際連盟で日本を追い詰めたのだが、そもそも中国に排日運動を焚きつけたのは英国なのである。先日このブログで長野朗の『支那三十年』という本を紹介したが、その本に英国が中国に排日の種をまいて日中の対立を生みだし、た経緯が詳しく書かれている。
英国は、かつては対中貿易が最も多い国であったのだが、わが国が長年努力して中国の市場を開拓し、わが国が対中貿易の首位の地位を獲得するに至った。しかしながら英国は、中国人に日本商品を排除する運動を起こさせた上で中国に接近し、わが国が開拓した市場を奪い取ることでシェアの回復を図ろうとしたのである。そのような史実は、戦前の書物には詳しく書かれているのだが、こういうことが書かれている本の多くが戦後の日本人に読めないようにされているのだ。
英国が支那に政治上経済上の特殊のインタレストを有することは、今改めて説くまでもない。しかるに支那の国権回復に基づく猛烈なる運動は、近年じりじりと英国の塁に迫り、政治上の地盤をも奪取しつつある。この政治上の地盤の喪失とともに、英国が対支貿易上の首位をも奪われ、しかもそれが日米両国のためにとって代わられつつあるのは注意に値する。
例えば1907年における英国の対支貿易は12,107,645両、1913年に96,910,944両、1929年に119,148,969両であるが、日本の方は、1907年に39,347,476両、1913年に119,346,662両、1929年に323,141,626両という驚くべき増加率を見せ、日英貿易の比率は三対一となっているのである。この趨勢は満州事変の少し前まで続き、満州事変のために日英その位置を転倒した。かかる趨勢を見たマンチェスター・ガーディアン紙―英国貿易業者の機関紙―が、満州事変以来、徹頭徹尾反日的毒筆を振るいつつあるのも、誰かこれを不思議と言おう。
事実日支間の関係が緊張して、支那側が排日・排日貨を以て、消極的抵抗を試みれば試みるほど、それは英国にとっては、失われた商圏を回復する絶好の機会であり、乗ずべき時期であった。かつては排英排英貨が持上がれば持上がる程、日本商品の進出には好都合であったが、満州事変直前からの日支関係の緊張は、反対に英国の商品をして、対支活躍を自由ならしむる進軍ラッパの吹奏となった。
そういう関係から、満州事件以後における英国の態度は、常に対支貿易の躍進に眼目をおき、日本を怒らせない程度において支那を懐柔した。事変発生以来、ランプソン駐支公使が南京政府や張学良に近づき、揚子江流域は勿論、北支那方面においても、対支貿易の挽回に全力を尽くしたのは、今は隠れもない事実である。
この英国の対支貿易の躍進運動は、本質上多少潜航式であるが、これに反して支那における自国の貿易や利権が、他国のために傷つけらるると信ずるにおいては、英国は猛然と立って表面上からこれに反対するを常とする。例えば上海事件が起こり、英国の貿易と利権が傷つけらるると見るや、列国を誘うて日本に抗議したのも英国であれば、日本に対して峻烈なアピールを突き付け、連盟総会を開いて決議案を我に突き付けさせた主導者もまた英国であった。日本軍が平津方面へと進出し、北支における英国の利権が傷つけらるると見るや、急に態度を豹変して、日本に対する連盟の最後通牒的勧告を突き付けさせた主導者もまた英国であった。
支那の領土保全
今日英国の対支貿易は全支那に広がり、ひとり揚子江方面と言わず、広東方面でも北支那方面でも、英国の貿易は進出しているのである。この広範なる対支貿易を保持増進するには、支那の領土保全はその要件であり、支那の分割や分解作用はこれに反する。そこでここに支那の領土保全ということが、英国の対支政策の重要なる眼目となるのである。
そういう理由もあるから、英国が第三回目に日英同盟を改訂する際には、満州に対する日本の活動をどの程度まで黙認するかが英国外務省での重要な問題となり、熟議の結果、満州に対する日本の平和的進出、即ち経済的の進出だけは、これを黙認するに吝(やぶさ)かではないが、政治上の独占権はこれを認めないということに決定し、その旨日本政府に非公式に通告されたといわれている。
しかるに満州事変が起こると、日本は武力を以て広大なる地域を占領し、日本政府とジュネーブにおけるその代表者の言明を裏切りて、占領の地域が拡大したのと、日本では軍部が政府を指導し、軍国主義的気分を以て、支那を侵略しつつありとの風雪が外国に伝わったのと、満州国の承認は、日本が満州を併合せんとする前提である等々、と見て取った英国では、日本の行動は明確に支那の領土保全を破るものと考えた。
(石丸藤太 著『大英国民に与ふ』春秋社 p73~76)
戦前、戦中のわが国の政治や外交は、戦後の書物をいくら読んでも理解しづらいものがある。当時の日本人が世界情勢をどう捉えていたかを知ることが不可欠なのだが、その当時によく読まれていた論客の本を読めば理解が深まるのである。
以下のリストは、GHQ焚書のリストの中から石丸藤太が著したものを集めたものだが、全13点のうち8点が「国立国会図書館デジタルコレクション」でネット公開されている。
タイトル | 著者 | 出版社 | 国会図書館デジタルコレクションURL | 出版年 | 備考(復刊情報など) |
欧州戦争をどうする | 石丸藤太 | 国民新聞社 | |||
是れでも世界平和か 華府会議後の世界と日本 | 石丸藤太 | 東京寳文館 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/942010 | 大正14 | |
支那を屈するには | 石丸藤太 | 偕成社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1453952 | 昭和12 | |
戦雲動く太平洋 | 石丸藤太 | 春秋社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1465583 | 昭和8 | |
大英国民に與う | 石丸藤太 | 春秋社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1441312 | 昭11 | |
第二次世界大戦の勝敗 第一部欧州大戦の巻 | 石丸藤太 | 刀江書店 | |||
太平洋攻防世界第二大戦 | 石丸藤太 | 万里閣書房 | |||
太平洋戦争 | 石丸藤太 | 春秋社 | |||
太平洋殲滅戦 | 石丸藤太 | 聖紀書房 | |||
次の世界戦争 | 石丸藤太 | 春秋社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1457577 | 昭和12 | |
日英必戦論 | 石丸藤太 | 春秋社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1466276 | 昭和8 | |
日米果して戦ふか | 石丸藤太 | 春秋社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1269266 | 昭和6 | |
覆面の軍縮会議 日本は如何に欺されたか | 石丸藤太 | 松柏館書店 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1452504 | 昭和9 |
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