和歌山

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高野山は戦国時代の危機を如何に乗り越えたか

織田信長の高野山攻め 戦国時代に多くの寺社が武将の攻撃を受けているのだが高野山も例外ではなく、最初に織田信長の攻撃を受けている。織田信長 天正六年(1578年)に信長に突如反旗を翻した荒木村重は有岡城に篭城し、織田軍に対し一年間徹底抗戦した...
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高野山金剛峯寺から徳川家霊台、女人堂、奥の院、金剛三昧院へ

高野山真言宗総本山の金剛峯寺を拝観したのち徳川家霊台と女人堂を見学。続いて奥の院に向かう。御廟の前にある燈籠堂では毎日六回の読経供養が行われている。最後に金剛三昧院を拝観した。ここには高野山に現存する最古の建物である国宝の多宝塔があり、経蔵や千手観音像など国の重要文化財を多数見ることが出来る。
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高野山壇上伽藍に奇しくも残された神仏習合の風景

壇上は高野山開山時から中心とされていた地域で、奥の院とともに高野山の二大聖地である。そこに高野山の鎮守とされる丹生明神と高野明神などをまつる御社(みやしろ)がある。このような施設は、明治政府の神仏分離令により寺から撤去することを命じられたのだが、なぜ高野山の壇上伽藍に残されているのか。調べると高野山はこの施設を残すのに大変な努力をしている。
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世界遺産の高野参詣道を行く~~慈尊院、丹生都比売神社

高野山の参詣道は七つあるが、最もよく使われたのが町石道である。その始点にあるのが慈尊院で、かつては丹生官省符神社と一体であった。慈尊院から丹生官省符神社に向かう石段の途中に最初の町石である百八十町石がある。丹生都比売神社は、昔は多宝塔など多くの仏教的施設があったのだが、明治初期の神仏分離によりすべて撤去されてしまった。
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種子島に伝来した鉄砲一挺を持ち帰った根来寺のこと

種子島に伝来した2挺の鉄砲のうち1挺を、根来寺の「杉ノ坊某」が持ち帰ったことが『鉄炮記』に記されているが、種子島だけでなく根来でもそれぞれ同様な時期に鉄砲の複製品の製作に成功し、その後大量生産を開始している。根来寺では根来衆の鉄砲隊が組織されたが、秀吉の紀州攻めで敗れ、根来寺も滅亡した。