フランス

GHQ焚書

坪谷善四郎 著『北清観戦記』を読む~~GHQが焚書処分した明治期の著作1

GHQが焚書処分したのは昭和時代に刊行された本が大半だが、たまに明治時代に刊行されたものが没収廃棄されている。GHQが没収したのは一般の書店で流通している本やパンフレットであり、古書まではその対象としていなかったのだが、明治期に刊行された戦...
義和団の乱から日露戦争

義和団の乱鎮圧に貢献し軍紀の厳正さにおいても世界から評価された日本軍

明治33年6月に北京の各国公使館区域が20万人を超えるという義和団に包囲され、さらに清軍が加わって列国に対して宣戦布告するに至った。公使館区域に残る約4千人を救出するため、各国が増援軍を派遣したが、約2万人の総兵力の半数が日本兵であった。8月14日に各国軍は北京に入城し籠城者を救出したが、日本軍の活躍とその軍紀の厳正さを世界が称賛した。他国軍は掠奪、暴行などの悪事が記録されている。
義和団の乱から日露戦争

義和団の暴徒に囲まれた北京の各国公使館区域全滅の危機

日清戦争に大敗した清国に対し、列強諸国が利権獲得に動き出した。自国の中を外国人勢力が跋扈するようになると、1899年に山東省に起こった義和団は「扶清滅洋」を唱えて排外活動を始め、それが瞬く間に清国全土に拡がっていった。攘夷主義者の西太后は、義和団に北京の公使館区域を襲わせたため、区域に住む約四千人が孤立無援の状態になってしまった。
朝鮮半島情勢と日清戦争

三国干渉に激昂した人々と尾崎行雄らの政府弾劾決議案

露独仏の三国干渉により、下関条約で獲得した遼東半島を清国に返還することを余儀なくされた。世論を鎮静させるために、明治天皇が「遼東還付の詔勅」を発されたが、国民の怒りは収まらず、議会では政府の失政を糾弾する動きがあり、政府は言論を弾圧した。明治29年の第9回帝国議会で尾崎行雄が登壇し、内閣を弾劾する上奏案が提出された。その後、政府も軍備増強の急務を認識した。
朝鮮半島情勢と日清戦争

三国干渉に直面したわが国と主要国の動き

三国干渉を主導したロシア  日清戦争でわが国は世界の予想を裏切って清に圧勝し、講和談判が下関で行われて、明治二十八年(1895年)四月十七日に講和条約(下関条約)が調印された。  この条約によって清国はわが国に①朝鮮の独立②遼東半島・台湾・...
明治初年の外国人殺傷事件

神戸事件責任者処刑の六日後に起きた、土佐藩兵によるフランス兵殺傷事件~~堺事件

神戸事件が解決後、今度は堺で土佐藩兵に11名の若いフランス人が殺害される事件(堺事件)が起きている。堺の治安回復を任された土佐藩は内地旅行の免状がなければ外国人を堺に入れない方針をとり、堺港から上陸しようとしたフランス人を土佐藩兵が撃ちまくった。フランス公使は激怒し、新政府と交戦することを辞さない姿勢であった。
最後の将軍・慶喜の時代

フランスの指導により軍隊改造に取り組んだ幕府が倒幕派に勝てなかった事情

慶応二年六月より始まった第二次長州征伐の前に、長州藩は英国の武器商人グラバーより大量の最新鋭武器を入手している。この銃の銃身にはライフリングが施され、椎の実型の銃弾を用いるもので、射程距離は従来の銃の数倍あり命中精度も高かった。幕府軍は人数では長州軍を圧倒したが連戦連敗し、将軍慶喜はフランスの指導による軍制改革を決意したが、倒幕の機運の高まりを抑えきれなかった。
欧米の植民地統治

GHQが焚書処分したフランス、フランス植民地に関する本~~田沢丈夫『仏印事情』

GHQ焚書のリストからフランスに関する本を探していると、没収廃棄されて戦後の日本人に読めなくされている本は、フランス本国に関する本よりもフランスの植民地に関する本が圧倒的に多い。  今のベトナム・ラオス・カンボジアは戦前はフランスの植民地で...
幕末と英仏の動き

薩長を支援したイギリスと、幕府に接近し助言し続けたフランス

フランス公使のロッシュは就任早々幕府と親交を深め、幕府からの要請を受けて製鉄所・造船所建築の為の技師や、軍事顧問団を派遣し、パリ万博に参加を推薦したり、イギリスの動きをいち早く幕府に伝えその対応策まで伝授している。徳川慶喜が兵庫港開港を決断したのもロッシュの献策による。イギリス外交官のサトウは、兵庫開港が実現すると革命のチャンスを失うと西郷にけしかけている。