田沼時代と天明の大飢饉 江戸時代
田沼時代と天明の大飢饉
王政復古の大号令 幕末の「ええじゃないか」騒動を考える
開国前後 攘夷から倒幕に突き進んだ薩長の志士たちの活動資金はどこから出たのか
開国前後 江戸幕末期に存在した武士身分の相場
王政復古の大号令 王政復古の大号令が発せられた直後の情勢
王政復古の大号令 周到に準備された王政復古の大号令
王政復古の大号令 大政奉還から王政復古の大号令までの公議政体派と討幕派の動き
最後の将軍・慶喜の時代 徳川慶喜は大政奉還後も主導権を握ることができると考えていた
最後の将軍・慶喜の時代 倒幕派とイギリス、及び大政奉還の建白書を提出した土佐藩の動き
最後の将軍・慶喜の時代 フランスの指導により軍隊改造に取り組んだ幕府が倒幕派に勝てなかった事情
最後の将軍・慶喜の時代 英国公使が幕府支持に傾いた理由と倒幕を急ごうとした在京の薩摩藩士
最後の将軍・慶喜の時代 孝明天皇は病死したのか、あるいは毒殺されたのか
幕末と英仏の動き 薩長を支援したイギリスと、幕府に接近し助言し続けたフランス
幕末と英仏の動き 1867年パリ万国博覧会に薩摩藩は独立国として参加した
幕末と英仏の動き 薩長に接近したイギリスは討幕に関与したのか、しなかったのか
攘夷の実行と諸外国の動き 兵庫開港と条約勅許等を求めて軍艦九隻を大阪湾に送り込んだ四ヵ国連合~~下関戦争3
攘夷の実行と諸外国の動き 英米仏蘭四ヵ国艦隊による下関砲撃と三百万ドルの賠償金支払要求~~下関戦争2
攘夷の実行と諸外国の動き 攘夷を続ける長州藩の攻撃を決意し四カ国艦隊を下関に向かわせた英公使~~下関戦争1
攘夷の実行と諸外国の動き 英国艦隊に多大の損傷を与え上陸を許さなかった薩摩が、英国との和解交渉を進めた理由~~薩英戦争3
攘夷の実行と諸外国の動き 薩摩軍の砲撃で多くの戦艦に損傷を受け、上陸せずに退却した英艦隊~~薩英戦争2
攘夷の実行と諸外国の動き 薩摩藩は七隻のイギリス艦船を奪い取り、代理公使を捕虜にしようとした~~薩英戦争1
攘夷の実行と諸外国の動き 生麦事件の償金を得るための英国の砲艦外交と、攘夷実行を迫られていた幕府の対応
攘夷の実行と諸外国の動き 外国人襲撃事件が頻発する中で起きた生麦事件と英国人らの反応
公武合体と尊皇攘夷 尊皇攘夷派の武士が増加した背景と坂下門外の変
公武合体と尊皇攘夷 皇女和宮を将軍徳川家茂に降嫁させたことが幕府の権威失墜を招いた
安政の大獄から桜田門外の変 桜田門外の変と、その後の薩摩藩、彦根藩、幕府の動き
安政の大獄から桜田門外の変 水戸藩・薩摩藩が井伊大老の暗殺を計画した経緯
安政の大獄から桜田門外の変 無勅許で安政五カ国条約を締結したことと安政の大獄
開国前後 将軍継嗣問題の対立が深まるなかで、相次いで無勅許で結ばれた安政五カ国条約
開国前後 『日米通商修好条約』が無勅許で調印された経緯
開国前後 ハリスが下田に来航後、なかなか通商条約談判を行うことが出来なかった経緯
開国前後 ロシアと交戦していた英国との条約交渉と、わが国に海軍創設を提案したオランダ
開国前後 『日露和親条約』締結後閣老から出された無理難題と、ロシア使節の帰国問題
開国前後 プチャーチンの交渉スタンスが変わり『日露和親条約』が調印されるに至った事情
開国前後 吉田松陰がペリーの乗るボーハタン号に向かったのは何のためであったのか
開国前後 幕府に鉄道模型や電信機などを贈ったペリーとその後の幕府との交渉の行方
開国前後 日米和親条約の締結とその和文・英文の重大な相違点
開国前後 二度目のペリー来航が、約束していた時期より随分早まった経緯
開国前後 久里浜会見の後ペリーはどう動き、幕府は開国の問題をどう解決しようとしたか
開国前後 嘉永六年(1853年)のペリー浦賀来航
開国前後 オランダはペリー来航前に日本・米国に対してどう動いたのか
開国前後 ペリーには日本が抵抗すれば武力行使を行う権限が与えられていた
開国前後 船上で暴動を起こし石垣島に上陸した中国人苦力(奴隷)の話~~1852年ロバート・バウン号事件
開国前後 わが国が中国やインドのようにアヘンに毒されなかったのはなぜなのか
「鎖国」前後のアジア諸国 台湾からオランダを追い出した、日本人を母に持つ台湾の英雄
「鎖国」前後のアジア諸国