神社合祀

大阪

能勢の古社寺を訪ねて~~岐尼神社、月峰寺、久佐々神社、湧泉寺、倉垣天満宮

岐尼神社 昼食休憩を終えて岐尼神社(きねじんじゃ:能勢町今西103-3)に向かう。 岐尼神社 鳥居  能勢町には古い神社がいくつかあるが、この神社も「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)」に名前の出ている由緒ある神社である。「延喜式神...
大阪

紅葉の季節に能勢の古社寺を訪ねて~~妙見堂、今養寺、真如寺等

紅葉の季節に能勢町を巡って来た。能勢町には小規模ながら由緒ある社寺が少なくなく、明治の廃仏毀釈の影響も比較的小さくて、古い仏像や昔ながらの風景がそのまま残されているところが魅力である。第1回目は能勢妙見堂とその本寺である真如寺などをレポートしたい。
義和団の乱から日露戦争

日露戦争の戦費調達で総額十三億円もの外債発行を成功に導いた高橋是清

第一回の外債発行が成功すると、政府からは二度目の募集の催促が来て、高橋是清は11月に第二回債の起債を成功させて帰国した。しかしその後も戦費調達のため、高橋は口説かれて再び米国に向かった。高橋はその後も起債の交渉を続け、総計13億円の資金調達を成功させている。
和歌山

高野山壇上伽藍に奇しくも残された神仏習合の風景

壇上は高野山開山時から中心とされていた地域で、奥の院とともに高野山の二大聖地である。そこに高野山の鎮守とされる丹生明神と高野明神などをまつる御社(みやしろ)がある。このような施設は、明治政府の神仏分離令により寺から撤去することを命じられたのだが、なぜ高野山の壇上伽藍に残されているのか。調べると高野山はこの施設を残すのに大変な努力をしている。
神社合祀

日露戦争後に神社合祀が推進された理由と南方熊楠の戦い~~神社合祀5

日露戦争後のわが国は大幅な増税を余儀なくされ、神社合祀政策も歳入増加の為に強行されたものと考えられる。知事の任免権を持つ内務省の方針にいくつかの知事が応じて、神社の破壊が推進されたのだが、南方熊楠が戦って神島などの自然が護られた。白浜には熊楠を愛した昭和天皇の歌碑が建っている。
神社合祀

中村啓次郎が衆議院で神社合祀問題を再び採り上げ、伐採を免れた引作の大クスノキ~~神社合祀4

中村啓次郎代議士が衆議院で神社合祀問題を再び採り上げ、内務省が昨年改善を約束したにもかかわらず、神社合祀による破壊が行われている地域が少なくないことを指摘した。その後三重県の引作神社にあった大クスノキは地元の人々や南方熊楠や柳田国男の力で残されたのである。
神社合祀

神社合祀による破壊活動が簡単に止められなかった事情~~神社合祀3

南方熊楠の「神社合祀に関する意見」には、官吏らが強引に神社合祀を推進し、神社の社殿や社叢を破壊していったことが書かれている。衆議院の中村啓次郎代議士はこの問題を採り上げ、平田東助内務大臣は改善を約したが、訓示を出しても神社の破壊はすぐには止まらなかった。
神社合祀

明治政府の神社合祀施策と和歌山県の神社破壊の状況~~神社合祀2

三重県、和歌山県、大阪府の神社合祀は特に激しく、一町村一社の考えが優先されて、由緒ある神社の多くが破壊され、和歌山では熊野沿道の諸古社が軒並み破壊された。南方熊楠は官公吏が私腹を肥やす目的で神社を破壊し、神職も神社合祀に協力したことを指摘している。
神社合祀

明治末期に政府が推進した神社合祀と鎮守の森の大量破壊~~神社合祀1

明治の末期に多くの神社が神社合祀政策により破壊され、全国の神社の約3分の1が失われた。特にひどかったのが三重県、和歌山県、愛媛県で、三重県では約9割の神社が無くなった。なぜ多くの神社が失われたかを調べていくと、合祀推進者が私腹を肥やした可能性が指摘されている。