文明開化

廃仏毀釈・神仏分離

文明開化と廃仏毀釈

明治四年に政府内で平田派が失脚したのだが、同年に実施された廃藩置県でそれまで知藩事として藩の行政を担当した旧藩主は失職し、新政府から県令が派遣され、彼らが新政府の意向を受けて開明的な諸政策を実施し、寺の仏像や仏具は無用の長物と見なして寺を学校にしたり、仏像などを売却して学校の設立資金に充てたりした。
廃仏毀釈・神仏分離

廃仏毀釈と、架け替えられた京都四条大橋

「文明開化」で国を挙げて洋風化に取り組んでいた時期に、京都の四条大橋が鉄橋に架け替えられたのだが、この時に金属製の仏具類がその材料に用いられたとの記録が残されている。神仏分離令の後の廃仏毀釈もひどかったが、文明開化期にも文化財の多くが失われた。