松岡洋右

初期の米国排日

鉄道王ハリマンの夢を打ち砕いた小村寿太郎

米国の鉄道王と呼ばれたハリマンが、ポーツマス会議の最中に訪日している。その目的は、彼の描いた世界一周通路の中の一つである南満州鉄道を日米共同で経営することを日本政府に提案するためであった。桂首相や井上馨はその提案に賛成し、桂は覚書に署名したが、ポーツマス会議から帰国した小村は反対した。
国会図書館デジタルコレクション

松岡洋右が若い世代に語った講演集『少年に語る』、『青年よ起て』

松岡洋右は明治十三年(1880年)に廻船問屋の四男として山口県に生まれたが、十一歳の時に父親が事業に失敗して破産してしまい、十四歳の時にアメリカに渡り、働きながら学校に通った。彼は著書に「アメリカでルンペンをやりました」と書いているが、早朝...
GHQ焚書

GHQが焚書処分したA級戦犯の著書~~松岡洋右 『東亜全局の動揺 』

昭和二十年(1945年)八月十四日にわが国は「ポツダム宣言」の受諾を連合各国に通告し、翌日の玉音放送により日本の降伏が国民に公表されたのだが、「ポツダム宣言」の第六条および第十条にはこう記されていた。 六 われらは、無責任な軍国主義が世界よ...