満州事変から国際連盟脱退 リットン調査団は満州でトラブル続きだった 前回の「歴史ノート」で、「リットン報告書」の内容はどのようなものであったかについて書いたのだが、調査団が決して公平中立的な立場で情報収集していなかったことは、当時の新聞にもしっかりと報じられている。戦前の日本人なら誰しも憤慨したであろう重要... 2024.07.07 2024.07.19 満州事変から国際連盟脱退
満州事変から国際連盟脱退 「リットン報告書」には何が書かれていたか リットン調査団の派遣 一九三一年昭和六年九月十八日に満州事変の発端となった柳条湖事件が起きたのだが、その三日後に支那政府は紛争の拡大防止を国際連盟に提訴している。それを受けて国際連盟理事会が開かれたのは九月三十日のことで、この時には支那の... 2024.06.30 2024.07.19 満州事変から国際連盟脱退
満州事変から国際連盟脱退 中国が満州国を「偽満州国」「傀儡国」と呼んだ事情 満州はいつから漢民族が支配するようになったのか 紀元前三世紀に中国を統一した秦の始皇帝は、遊牧民が生活していた満州・蒙古を統一することが出来ず、彼らによる北方からの侵入を防ぐために万里の長城を建設している。このことは二千年前において満州・... 2024.06.23 満州事変から国際連盟脱退
満州事変から国際連盟脱退 満州各地で独立運動が起きたのはなぜか 張学良軍が総崩れとなった理由 一九三一年九月十八日、奉天から北東に八キロ程の柳条湖で、南満州鉄道の線路が何者かによって爆破された。この付近の警備に当たっていた関東軍守備隊は大隊本部と特殊機関に報告をし、関東軍はこれを張学良率いる東北軍の仕... 2024.06.16 2024.06.19 満州事変から国際連盟脱退
満州事変から国際連盟脱退 米国外交官が記した柳条湖事件の真実 柳条湖事件が起きるまでに満鉄施設が何度支那人に襲われたか このブログで何度か昭和六年(1931年)に満州事変の発端となった柳条湖事件のことを書いてきた。 繰り返しになって申し訳ないが、満州事変に関するわが国の戦後の歴史叙述では、昭和三十一... 2024.06.09 満州事変から国際連盟脱退
満州事変から国際連盟脱退 満州民族の故地・満州の人口の九割が漢民族となった経緯 前回記事で、満州は満州族の故地で漢民族はかつてわずかしか居住していなかったのだが、清末以降に大量の漢民族が満州に移り住むようになって、一九三八年頃には満州の人口の九割が漢民族となったことを書いた。今回はこの点についてもう少し詳しく書くことと... 2024.05.13 満州事変から国際連盟脱退
満州事変から国際連盟脱退 わが国が開拓した満州を狙っていた国々 わが国が「満州」の開拓を始めた歴史的経緯 「満州」という言葉は「州」の字が付くことから、地名と誤解されることが多いのだが、中国語では土地の名前ではなく民族名、即ち満州民族を意味している。しかしながら、清国を支配した満州族の居住地域を、英語... 2024.05.09 満州事変から国際連盟脱退
満州事変から国際連盟脱退 戦後「満州」「満州国」に関する多くの真実が封印されてきた 戦前のわが国や世界で、満州についてどのように論じられていたか 現在の中国東北三省(遼寧省、吉林省、黒竜江省)、及び内蒙古、熱河省を領土として一九三二年(昭和7年)に「満州国」という国が成立したのだが、戦後のわが国においてマスコミや書物など... 2024.05.05 2024.06.02 満州事変から国際連盟脱退