近代戦における航空部隊の重要性~~永松浅造 『海軍航空隊』を読む

GHQ焚書

 著者の永松浅造の経歴についてはネットでは調べてもよくわからないのだが、戦中は毎日新聞の記者であったらしい。戦後も『ゾルゲ事件』など多くの作品を残しているが、戦前・戦中に彼が書き残した12点がGHQに焚書処分されている。
 国立国会図書館デジタルコレクションで収録されている戦前・戦中の永松の著書は全部で28点で、43%もの作品が焚書されているのはかなり多いといえる。今回は彼の著作の中から『海軍航空隊』(GHQ焚書)という本の一部を紹介したい。

 海軍航空隊が創設されたのは世界列強よりもかなり遅れ、最初の海軍飛行機が横須賀に飛んだ大正元年十一月には、すでに列強の軍用機は第一次大戦に参加して実用の域に達していた。しかるに、海軍航空隊は後発ながら三十年で世界一と評価される水準に達したのである。本書は、海軍航空隊の三十年史でもあり、創設以来の出来事を具体的に記録されていて海軍の歴史を知る上でお勧めしたい一冊である。

近代戦は速力戦である

 三十年の歴史に入る前に、永松は近代戦における航空部隊の重要さについて述べている。
 近代戦はつまるところ速力戦であり、同じ軍艦でも速力の違いが勝敗に大きく影響した事例として、日露戦争の日本海海戦を挙げておられる部分を引用しよう。

 日本海海戦において、バルチック艦隊が、かくも悲惨な大敗を招いたのは、彼我の戦術、戦闘意識などに大きな落差があったことは勿論であるが、一面また彼我の軍艦の速力に著しい開きがあったことを見逃してはならぬ

 即ちバルチック艦隊は、本国を出発して以来、その艦腹に付着した夥しい富士貝を取り除く機会がなく、そのため艦の速力は驚くべき低下を来たしていた
 これに反して東郷司令官麾下のわが艦隊は、すでに旅順艦隊を覆滅して、朝鮮半島の要衝に待機し、その間、訓練と休養をなすと同時に、専ら艦隊の手入れに努め、なかんづく艦腹に付着した富士貝の取り除けに力を注いで、その本来の速力維持を図った

 果たして開戦となるや、バルチック艦隊はその速力ははるかに帝国艦隊に劣り、その行動意のごとくならず、虎口を遁れようとしても、速力の早いわが艦隊のために捕捉殲滅されたのである。また、支那事変や、大東亜戦におけるマレー陸戦等のわが快速部隊や、今次欧州大戦におけるドイツ快速部隊の輝かしい戦果は、何れもその優れた速力を活用したことに因る。

永松浅造 著『海軍航空隊』東水社 昭和17年刊 p.2~3

 富士貝の付着の話は初めて知ったが、こういう話は結構重要なことである。
 陸戦にせよ海戦にせよ、勝利するためには「速さ」が重要な要素であったわけだが、軍用機の出現は戦争のやりかたを根本的に変貌させてしまった。

Bitly

空軍は勝利への嚮導者

1941年12月7日(現地時間)、発艦準備を行う空母翔鶴の搭載機。(Wikipediaより)

 子供のころに戦争経験のある方から日本の戦闘機は強かった話を聞いたことがあるが、戦後のマスコミなどではそのようなことは一切報じることがなかった。本書には日本の航空部隊が強かったことについてこう記している。

 軍用機による航空部隊は、その速力が早く、攻撃力が勁烈であるばかりでなく、陸戦、海戦の及ばない遠い敵地に突入して、その軍事施設を破壊し、あるいは国民をして、戦争の恐怖と、戦争忌避の念を起こさせ、遂に戦意を喪失させるという神経戦を行う上に、偉大な効果を挙げる

 もっとも、昭和十七年四月十八日、日本本土に飛来した、アメリカ航空隊のごときは、何時軍事施設に対して攻撃を加えることなく、徒に見当はずれの盲爆を行って、かえって一段と我が国民の戦意を激発し、同時にその低劣な航空技術に対する嘲笑を受けたに過ぎなかったが、敗戦に次ぐ敗戦のために死にもの狂いとなった敵国は、焦燥のあまり、いかなる手段に出るかも分らぬから、決して油断はできない。

 世界各国を通じ寝わが航空部隊は最強、最大であると断言して良い。
 これは、決して身びいきでもなければ、誇大妄想でもない。事実が明らかにこれを証明しているのだ。

 支那事変の緒戦において、我が空軍が一挙にして支那空軍を殲滅したことは言うまでもなく、ノモンハン戦闘において、自ら世界的優秀を誇るソ連空軍一千余機を忽ちにして撃墜したるが如き、大東亜戦争の緒戦において、大挙ハワイを攻撃して、一瞬にして大東亜戦争の勝敗を決定的ならしむる大戦果を挙げた海軍航空部隊の如き、あるいはマレー沖海戦に於いて、イギリスがその戦歴に徴し、自ら不沈戦艦として世界に誇っていた戦艦プリンス・オブ・ウェールズ及びレパルスを撃沈して、イギリス東洋艦隊の主力を撃滅した海軍航空部隊の如き、あるいはまたバタビア沖、ジャバ沖、印度洋、珊瑚海、ミッドウェー、ソロモン海などにおける世界を驚倒せしむる大戦果を挙げた海軍航海部隊の如き、さらにフィリピン、マレー、ビルマ、支那各地などにおいて地上でタイと協力して、敵軍を撃破した陸海軍航空部隊の素晴らしい大戦果の如き、数え来れば枚挙にいとまがないが、しかもこれらの先頭には、いつも米、英、蘭、濠、蒋等の空軍が手向かっている。そしてその戦闘技術において、闘志において、とうてい我の比ではなかった。機体は敢えてわが航空部隊のそれに比べて著しく遜色あるという訳ではなかったが――

 殊に、我が空軍の飛行機が、わずかに二、三機である場合、敵機がこれに数倍する量をもって向かってきても、痛快にこれを撃破していることは、世界戦史にその例を見ないところであって、我が空軍の力量というものは、むしろ常識の圏外にある神秘的なものとさえ思われる。
 即ちわれらが、声を大にしてわが航空部隊はまさに世界最強最大であると唱えるゆえんである。

 現代の戦争は、もはや空軍なくしては勝利を得ることは不可能であるが、しかも我が空軍が、かくのごとく世界に冠絶せる優秀な実力をもっていることは、なんという心強さであろう。

同上書 p.4~7

 確かに日本軍は戦争の前半戦は順調に勝ち進み勢力圏を拡大していったのだが、ミッドウェー海戦では空母4隻と重巡洋艦を失い、ソロモン海戦では小型空母と戦艦2隻を失った。この本が刊行された昭和17年12月頃には、戦況が正確に伝えられなくなっていたようである。
 アメリカは対日作戦を練りなおしていた。

 確かなる情報によれば、敵国アメリカはその頽勢を挽回すべく、全力を挙げて飛行機及び艦艇の大量生産に努め、同時にその要員の要請にも大童となり、機の熟すを待って大挙日本本土を襲撃せんとする作戦をめぐらしているということである。もとよりこれを過大評価して恐れる必要はないが、さりとて侮ることは早計である。

 海洋よりする敵は、海洋によって防ぎ、かつ殲滅せねばならぬ。即ちわれらがますます我が海軍航空部隊の強大化を希むとともに、一層これに協力すべきを高調するゆえんである。

同上書 p.10

 

西南戦争時に発案された軽気球

 海軍航空隊の三十年史の冒頭に、その前史として面白い話が紹介されている。

 帝国海軍が航空機の研究に着手したのは、これよりも遥かに古く、すでに明治十年には立派な軽気球を製作している。

 どうして、この軽気球を製作することになったかというと、その年、西郷南洲をめぐる西南の変が起こり、薩軍は一挙に北上して熊本城を包囲した。
 熊本籠城は、明治十年二月十日から始まって、早くも二月、三月とすぎ、すでにしがつにかかった。
 この間、熊本城からは農夫に変装した伍長谷村計介が、巧みに薩軍の包囲網を突破して、初めて高瀬の官軍へ連絡を取ったが、それだけでは今後の連絡に甚だ心細かった。

 そこで官軍は、熊本城の天守閣から見える場所に軽気球を掲げて、籠城の官軍と連絡をとることになった。
 ところが、その頃陸軍の方では軽気球を製作する人も工場もなかったので、当時すでに気球の研究をしていた海軍に、その製作方を依頼した。これが四月の初めであった。
 海軍では、直ちに麻生武平、馬場新八、村垣正通の三人に命じて、軽気球の制作にあたらせた。…三人は、昼夜兼行でその完成を急いだ。

 かくて、軽気球は約一ヶ月半を要して、五月中旬に竣工し、築地の海軍兵学寮(海軍兵学校の前身)で昇騰試験を行った。
 ゴンドラに人を乗せた気球が、するすると大空高く昇っていくのを見た人々、わけても苦心惨憺その製作に当たった人々は、嬉しさに胸が詰まって、感激の涙がぽろぽろと零れ落ちた。

同上書 p.11~13

 結局この軽気球が完成する前に官軍が熊本城包囲の薩軍を破り、熊本籠城も解けていたので、西南戦争ではすでに軽気球の必要はなくなっていたという。

 しかしながら、その後日露戦争の際に軽気球が兵器として試用されることとなり、旅順港内の敵艦隊の動静観測にもちいられ、作戦上有用な偵察報告をもたらしたのだそうだ。

支那事変における南郷隊

 海軍航空隊三十年史の一部を紹介しよう。ワシントン会議やロンドン会議による軍縮の結果、それを補うために、ただ一つ残された無制限の航空兵力の増強のため、もう訓練を繰り返し、その強さは世界の水準を遥かに凌ぐものであったという。
これから紹介させていただくのは、これまで空中戦で敵機百数機を撃墜し「撃墜王」と呼ばれた南郷大尉が戦死する場面である。

 それでも敵機は、窮鼠猫を噛む形でわが南郷隊に刃向かってきた。
 これは、南郷隊にとっては願ったり叶ったりである。なぜならば、その快速力にまかせて逃げだしたのでは、これを撃破するのにふべんであるが、うろうろとわが射撃圏内ををさまよっていれば、かえって撃破するのに便利であるからだ。

 まず、南郷指揮官の放った第一弾は、ただ一発のもとに敵の戦闘機一機を撃墜した。敵機はその急所を撃たれたのだ。
 僚機たちも、われ遅れじと勇戦奮闘する。見る見るうちに、二機、三機、四機と火達磨になって落ちてゆく。

 松本、渡辺両隊は、南郷隊の掩護のもとに、低空飛行をしながら、思う存分の活躍をしている。
(愉快な戦闘だな)
 南郷隊の勇士たちの唇頭には、ひとりでに会心の微笑が浮かぶ。
 南郷大尉は、折から真近に現れた戦闘機に向かって襲い掛かると、敵は急に下降して逃げまわる。逃がしてなるものかと追いかけると、こんどは驚くべき速度で急上昇を始めた。
 妙技神に達する大尉の狙いに狂いがある筈がなく、急所を撃たれた敵機は、不軌の運動をなしつつ、加速度に墜落してくる。
 その下方にあった南郷機は、大空をよろめきながら落ちてくる敵機を避けるため旋回しようとした瞬間、
「アッ!」
 という間に、加速度に落ちくる敵機は南郷機の左翼に、猛烈な勢いで触衝した。その刹那、南郷機は一瞬にして空中分解を起こしてバラバラとなり、南郷大尉らは壮烈な戦死を遂げた

 空の至宝と称され、敵機は「南郷機来たる」と聞けば、恐怖狼狽して戦わずして逃げるという状態であったが、不可抗力の災難とはいえ、こうした思いがけない戦死をとげたことは、返す返すもおしいことである。
 なお、南郷隊はこの戦闘で、見事敵機八機を撃墜した。

同上書 p.213~215

GHQに焚書処分された永松浅造の著作リスト

以下がGHQ焚書処分された永松浅造の著作である。

タイトル著者出版社国会図書館デジタルコレクションURL出版
印度独立日本永松浅造 書房https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1042563昭和17
エチオピア皇帝とムッソリーニ永松浅造 森田書房https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1099478昭和10
海軍機関学校物語 
舞鶴
永松浅造 啓明出版社https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1439704昭和19
海軍航空隊永松浅造 東水社https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1460389昭和17
くろがねの父永松浅造 東水社https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1460208昭和17
軍神西住戦車永松浅造 東海出版社デジタル化されているがネット非公開昭和19
激発する大和永松浅造 デジタル化されているがネット非公開昭和18
皇国海戦史
: 海ゆかば 
永松浅造 大果書房https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1460406昭和17
陣頭精神永松浅造書房デジタル化されているがネット非公開昭和18
壮烈永松浅造忠文書店デジタル化されているがネット非公開昭和17
祖国永松浅造書房デジタル化されているがネット非公開昭和18
満州建国永松https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1270064昭和17
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