飢餓と戦争

飢餓と戦争

戦場で拉致されて売られていった人々

戦国時代に戦場となった各地で乱取りが行われ、食料や家財道具などが奪われたり身代金目的で村人が拉致されることも少なくなかった。本州や四国で奴隷として売られた場合は、生きていれば家族と再会できる可能性があったのだが、九州の場合はそうとは限らず、多くの日本人が海外に売られていった。このことに激怒した秀吉は伴天連追放令を出すのだが、この間の事情は戦後の歴史では封印されてきた。
飢餓と戦争

大名の争いから村を守る村人の戦い

飢餓の村の収穫期を襲った北条早雲の記録  前回の「歴史ノート」で、戦国時代に凶作のために各地で飢饉が何度か発生し、食糧の絶対量不足から、食糧などを奪い合う争いが各地で起きたことを書いた。戦国大名が侵略戦争を繰り返したのは慢性的な食糧不足があ...
飢餓と戦争

戦国大名は何度も起きた飢饉をいかにして乗り越えようとしたか

「シュペーラー極小期」と名付けられた小氷河期に、に全国各地で農産物の不足のために飢饉が起こり、土一揆が頻発し、応仁の乱以降食糧などを奪い合う争いが各地で起こり、身代金目当てで村人までもが狙われた。戦いに参加した雑兵たちにとって、飢えに見舞われる冬から夏への端境期の戦場は、たった一つのせつない稼ぎ場であったのだ。