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新着記事

朝鮮半島情勢と日清戦争

朝鮮半島を狙ったロシア・イギリスと李氏朝鮮の国情

甲申事件の後明治十八年に日清間で締結された天津条約によって日清両軍は朝鮮より撤兵したが、今度はロシアや英国が朝鮮半島に進出しようとし、英国は巨文島を占領した。朝鮮国の近代化を図ろうとした朝鮮独立党の金玉均は甲申事変ののち日本に亡命したが、のちに上海に呼び出されて暗殺された。この暗殺に清国政府が関わっていたことは明らかであり、日本国内で暴支膺懲の声が高まった。
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GHQ焚書

イギリスこそが世界最大の侵略国だった~~「戦争文化叢書」を読む2

 前回はに引き続き、GHQが大半の書籍を焚書処分した世界創造社の「戦争文化叢書」の中から、今回は『英国の世界統治策』(GHQ焚書)という本を紹介させて頂きたい。 イギリスは如何にして植民地を獲得したのか  この本の第一...
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朝鮮半島情勢と日清戦争

開国後の朝鮮国をめぐる日本・清国の対立

日朝修好通商条規締結後の朝鮮は、金弘集の進言により積極的開国に転じるようになった。しかし1882年に旧軍兵が政権に不満を抱く下層市民を巻きこむ大暴動(壬午事変)が起き、この鎮圧を清国軍に頼ったことからその後ソウルに清国軍が駐留し、清国は軍事力を背景に宗主権の強化再編に乗り出した。金玉均らが清国に阿る守旧派一掃を企てて甲申事変を起こすが失敗した。
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GHQ焚書

支那事変でわが国が「敵国」と認識していたのはイギリスだった~~「戦争文化叢書」を読む1

大半がGHQに焚書処分された『戦争文化叢書』  昭和十四年(1939年)から十六年(1941年)にかけて、世界創造社という出版社から『戦争文化叢書』というシリーズ本が出版されている。全部で三十五冊の本が刊行されているのだが、そのうち...
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朝鮮半島情勢と日清戦争

江華島事件と李氏朝鮮の開国

明治八年に朝鮮国を開国させようとする交渉が難航したため、威嚇することを目的に五月に軍艦雲揚を釜山に向かわせた。その後九月に再び雲揚が情報収集で朝鮮半島に向かうと、江華島沖で朝鮮軍からの砲撃を受けた。日本軍は応戦し永宗島を陥れた。この事件を機に政府は黒田清隆を全権として条約締結に持ち込もうとした。
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神戸大学新聞記事文庫

神戸大学「新聞記事文庫」で古い記事の探し方と利用方法

 前回の記事で「国立国会図書館デジタルコレクション」で本の探し方について書いたが、新聞記事についてもネット検索で多くの情報を入手することが可能である。大手の新聞社のなかには、過去記事を有料会員になることで入手できるところもあるようだが、私...
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国会図書館デジタルコレクション

「国立国会図書館デジタルコレクション」で古い本の探し方

 先日友人から「どうやって古い本の記事や古い新聞記事を見つけてくるのか」と聞かれたが、以前にも同じ質問をある方から聞かれたことがある。「図書館通いしておられるのか」と尋ねられたこともよくあるのだが、私の場合は殆んど自室に閉じこもって、専ら...
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ご連絡など

2022年新年のご挨拶

 新年 あけましておめでとうございます。  旧年中は拙い私のブログにお付き合いいただき、まことにありがとうございました。  何度も訪問して頂いた方や、私の記事にリンクして頂いた方、ランキングの応援をして頂いた方、コメント欄やメ...
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歴史ノート

朝鮮半島情勢と日清戦争

朝鮮半島を狙ったロシア・イギリスと李氏朝鮮の国情

甲申事件の後明治十八年に日清間で締結された天津条約によって日清両軍は朝鮮より撤兵したが、今度はロシアや英国が朝鮮半島に進出しようとし、英国は巨文島を占領した。朝鮮国の近代化を図ろうとした朝鮮独立党の金玉均は甲申事変ののち日本に亡命したが、のちに上海に呼び出されて暗殺された。この暗殺に清国政府が関わっていたことは明らかであり、日本国内で暴支膺懲の声が高まった。
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朝鮮半島情勢と日清戦争

開国後の朝鮮国をめぐる日本・清国の対立

日朝修好通商条規締結後の朝鮮は、金弘集の進言により積極的開国に転じるようになった。しかし1882年に旧軍兵が政権に不満を抱く下層市民を巻きこむ大暴動(壬午事変)が起き、この鎮圧を清国軍に頼ったことからその後ソウルに清国軍が駐留し、清国は軍事力を背景に宗主権の強化再編に乗り出した。金玉均らが清国に阿る守旧派一掃を企てて甲申事変を起こすが失敗した。
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朝鮮半島情勢と日清戦争

江華島事件と李氏朝鮮の開国

明治八年に朝鮮国を開国させようとする交渉が難航したため、威嚇することを目的に五月に軍艦雲揚を釜山に向かわせた。その後九月に再び雲揚が情報収集で朝鮮半島に向かうと、江華島沖で朝鮮軍からの砲撃を受けた。日本軍は応戦し永宗島を陥れた。この事件を機に政府は黒田清隆を全権として条約締結に持ち込もうとした。
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征韓論から士族の反乱

石川県の不平士族らによる大久保利通暗殺(紀尾井坂の変)

石川県の士族たちの明治政府に対する不満は大きく、島田一良らは西南戦争の際に西郷等に呼応して現政権を倒そうと考えたが、メンバーの説得に失敗し挙兵のタイミングを失してしまった。そこで彼等は要人の暗殺に方針を変更し、明治11年5月に大久保利通の暗殺に成功している。彼らの斬奸状には「有司専制の弊害を改め、速やかに民会を興し」とあるが、事件の二か月後に三新法が公布され、府県会の選挙が行われることとなった。
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征韓論から士族の反乱

赤坂喰違の変で岩倉具視はいかにして難を逃れたか

明治六年の政変で士族たちが絶大な信頼を置いていた西郷らが下野したことで、政府に対する不平不満は烈しいものとなり、各地で士族の不満が爆発しそうな不穏な情勢となっていた。 翌年の一月に岩倉具視を乗せた馬車が赤坂喰違坂で九名の高知県士族に襲われたのだが、いかにして難を逃れたか。
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征韓論から士族の反乱

西南戦争がはじまると高知県でも政府転覆に動く計画が動き出した

西南戦争が始まると高知県でも政府転覆に起ち上ろうとする動きがあった。元高知県令の林有造は、多くの兵士が西南戦争に集められてわずかの留守番兵が残っている大阪鎮台を乗っ取ろうと考え、帰郷して多くの兵士を集め、大江卓らは木戸孝允の暗殺を計画した。
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征韓論から士族の反乱

西郷隆盛は何のために起ち上がったのか~~西南戦争2

西郷軍は2月15日に鹿児島を発って最初に熊本城を目指したが、鎮台兵は西郷軍が想定していた以上に強く、最大の激戦地となった田原坂で西郷軍は敗色濃厚となる。西郷は官軍の包囲から脱出するため可愛岳突破し、鹿児島に向かった。しかし鹿児島到着後総勢7万の官軍の兵士が372人の西郷軍を取り囲み、西郷は最後の決戦を挑んでいる。
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征韓論から士族の反乱

西南戦争が起こる前の鹿児島県は如何なる状況であったのか~~西南戦争1

明治六年政変で西郷隆盛が下野した以降の鹿児島は、一種の独立国のようになった。西郷は私学校を創設し、県令の大山綱吉は西郷が戻ってからは新政府に租税を納めていなかった。 大久保利通は、薩摩を政府の統制下に据えるためな役人の異動を行おうとし、スパイを鹿児島に送り込んだのだが、激昂した私学校党の青年たちは火薬庫を襲撃し武器を奪い取った。西郷は政府と闘う肚を固めた。
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征韓論から士族の反乱

大久保利通が台湾出兵を決断し、自ら清国との談判に臨み賠償金を獲得したこと

明治4年に宮古島の船が台湾に漂着して、船員の衣類が略奪され54名が虐殺される事件があった。その後も同様の事件が続き、台湾を膺懲せよとの世論が高まって行った。大久保利通は明治六年に征韓論に反対し、西郷隆盛らが下野する原因を作った人物だが、その4か月後に、木戸孝允の反対を押し切って征台論を主張し、台湾出兵を実行した。
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征韓論から士族の反乱

前原一誠と萩の乱

福岡の秋月の乱の翌日に山口で前原一誠らが起ちあがった。前原は維新後参議を務めた人物だが、「国民皆兵」の徴兵制路線や奇兵隊の処分を主張した木戸孝允と意見が対立し、明治三年九月に官を辞して萩に帰郷していた。前原は明治九年十月に、熊本で神風連、福岡で秋月の乱が起きた情報が入ると、二十七日に萩の不平士族たちを明倫館の講堂に招集し決起することを決定した。
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征韓論から士族の反乱

神風連の乱の三日後に起きた秋月の乱

熊本の神風連が蹶起すると聞き、福岡の秋月も挙兵を決めた。秋月で集まったのは百五十人程度であったが、挙兵に加わる約束をしていた旧黒田藩に裏切られて何とか危地を脱したものの、食糧も乏しくなり、多くの者が脱落していった。今村百太郎がわずか十七名で最後の決戦を試みた。
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征韓論から士族の反乱

廃刀令が出た半年後に起きた熊本神風連の乱

明治維新後士族を取り巻く環境が激変し収入も激減していたのだが、明治九年の廃刀令で不平士族の不満が爆発した。熊本では神風連の党員約170名が新政府施政の過ちを正そうと起ちあがり、熊本鎮台司令官宅、熊本県令宅、熊本鎮台などを襲撃した。翌日鎮圧されたが、この事件に呼応して、秋月の乱、萩の乱が起きている。
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デジタル図書館

GHQ焚書

イギリスこそが世界最大の侵略国だった~~「戦争文化叢書」を読む2

 前回はに引き続き、GHQが大半の書籍を焚書処分した世界創造社の「戦争文化叢書」の中から、今回は『英国の世界統治策』(GHQ焚書)という本を紹介させて頂きたい。 イギリスは如何にして植民地を獲得したのか  この本の第一...
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GHQ焚書

支那事変でわが国が「敵国」と認識していたのはイギリスだった~~「戦争文化叢書」を読む1

大半がGHQに焚書処分された『戦争文化叢書』  昭和十四年(1939年)から十六年(1941年)にかけて、世界創造社という出版社から『戦争文化叢書』というシリーズ本が出版されている。全部で三十五冊の本が刊行されているのだが、そのうち...
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神戸大学新聞記事文庫

神戸大学「新聞記事文庫」で古い記事の探し方と利用方法

 前回の記事で「国立国会図書館デジタルコレクション」で本の探し方について書いたが、新聞記事についてもネット検索で多くの情報を入手することが可能である。大手の新聞社のなかには、過去記事を有料会員になることで入手できるところもあるようだが、私...
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国会図書館デジタルコレクション

「国立国会図書館デジタルコレクション」で古い本の探し方

 先日友人から「どうやって古い本の記事や古い新聞記事を見つけてくるのか」と聞かれたが、以前にも同じ質問をある方から聞かれたことがある。「図書館通いしておられるのか」と尋ねられたこともよくあるのだが、私の場合は殆んど自室に閉じこもって、専ら...
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GHQ焚書

戦前の日本人は主要国の外交政策をどう捉えていたか~~『少年満洲事変と上海事変』(GHQ焚書)を読む5

 今まで4回に分けて山県信敬 著『少年満洲事変と上海事変』(昭和11年刊)の内容を紹介してきたが、今回はその最終回で、著者が当時の主要国の外交姿勢について述べている部分を紹介したい。この本は青少年を対象に書かれている本であり非常に読みやす...
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GHQ焚書

満州国を攪乱したソ連と支那共産党~~『少年満州事変と上海事変』(GHQ焚書)を読む4

  ソヴィエト連邦の極東政策  今回も『少年満洲事変と上海事変』の文章を紹介したい。満州国が建国されたのち、極東の情勢がどのように変わったかについて、戦後出版された教科書などにはあまり記されていないのだが、昭和11年に青少年向...
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GHQ焚書

第一次上海事変はなぜ起きたのか~~『少年満州事変と上海事変』(GHQ焚書)を読む3

戦後の教科書ではなぜか触れることが少ない第一次上海事変  前回の記事で、昭和11年に出版された『少年満州事変と上海事変』に、満州事変勃発から満州国の成立についてどう記されているかを紹介した。今回は引き続き第一次上海事変についての解説...
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GHQ焚書

戦前の日本人の満州事変の理解を知る~~『少年満洲事変と上海事変』(GHQ焚書)を読む 2

柳条溝鉄道爆破事件  前回の記事で山県信敬 著『少年満洲事変と上海事変』で、満州事変の発端となった昭和六年(1931年)九月十八日の柳条溝事件が起きるまでの支那の国情について書いた。今回はその続きである。  萬寶山事件 に次...
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GHQ焚書

満州事変の前に何が起こっていたのか~~『少年満洲事変と上海事変』(GHQ焚書)を読む 1

満州事変についてのGHQ焚書の9割はネット公開されていない  本のタイトルから判断して満州事変に関する本は30点がGHQによって焚書処分されているのだが、そのうち「国立国会図書館デジタルコレクション」でネット公開されているのは3点の...
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GHQ焚書

GHQが焚書処分したナチス研究書4~~水野正次 著『総力戦と宣伝戦:ナチス思想謀略の研究』

著者:水野正次について  前回まではアルス社の「ナチス叢書」の本を3点紹介させて頂いたが、今回は新民書房から昭和十六年七月に刊行された『総力戦と宣伝戦:ナチス思想謀略の研究』という本を紹介したい。  著者の水野正次がど...
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GHQ焚書

GHQが焚書処分したナチス研究書3~~八条隆孟 著『ナチス政治論』

 前回に引き続き、GHQによってシリーズの大半が焚書処分された株式会社アルスの『ナチス叢書』のなかから、今回は八条隆孟 著『ナチス政治論』(昭和十六年五月刊)という本を紹介したい。 ドイツ革命とその後の混乱  以前こ...
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GHQ焚書

GHQが焚書処分したナチス研究書2~~末次信正著『日本とナチス独逸』

日独伊三国同盟はなぜ結ばれたのか  前回のこのコーナーで株式会社アルスが出版した『ナチス叢書』の大半が焚書処分されていることを書いたが、今回も『ナチス叢書』のなかから末次信正 著『日本とナチス独逸』(昭和十五年十一月刊)の一部を紹介...
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散策ノート

京都

京都府久美浜町の歴史と文化にふれる旅

久美浜町湊宮の五軒家と天明の大飢饉  京都府京丹後市にある久美浜湾は、東から佐濃谷川、川上谷川、久美谷川の三河川が注いでおり、北は小天橋(しょうてんきょう)と呼ばれる砂洲によって大部分が日本海と隔てられ、淡水と海水が混ざり合...
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兵庫

紅葉の季節に西脇の歴史・文化を訪ねて

 毎年紅葉の季節に地方の古刹などを観光するのだが、今年は兵庫県西脇市を訪ねてきた。(11/18訪問、撮影) 西林寺  最初に訪れたのは紅葉で知られる西林寺(西脇市坂本455)。高野山真言宗の寺院である。 西林寺 仁王門 ...
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滋賀

比叡山門前町として栄えた坂本と穴太衆

石垣施工の技術集団・穴太衆  滋賀県大津市の比叡山山麓に寺や城郭などの石垣施工を行った穴太衆(あのうしゅう)と呼ばれる技術者集団がいて、織豊時代以降その高い技術が買われ、安土城、彦根城、金沢城の石垣をはじめ、多くの城郭の石垣建築に携...
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京都

紅葉の盛りに洛東山科の名所を巡って~~毘沙門堂、随心院、勧修寺、将軍塚青龍殿

以前から紅葉の時期に訪れたかった京都市山科区の寺を巡って来た。天台宗京都五門跡の一つとして栄えた毘沙門堂門跡、小野小町ゆかりの寺として知られる随心院門跡、皇室と藤原氏にゆかりのある勧修寺、平成26年に大護摩堂が完成した将軍塚青龍殿の四つである。
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京都

京丹波町から綾部市の古い寺社と紅葉名所を訪ねて

南丹市の北西にある京丹波町と綾部市の文化財や紅葉の名所を訪ねてきた。京丹波町では玉雲寺と琴瀧、九手神社、大福光寺、綾部市では岩王寺、大本梅松苑と木の花庵を巡って来た。今年はいずれも11月下旬が見頃になると思われる。
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京都

紅葉の季節に南丹市の古い寺社を訪ねて

京都府中部の丹波地方の南に位置している南丹市には、寺や神社に貴重な文化財も多数残されているのだが、観光地としてはあまり知られていない。隠れた紅葉の名所である西光寺、龍穏寺、日本最古の天満宮の生身天満宮、国重要文化財の大門を持つ九品寺、丹波佐吉作の狛犬がある摩気神社を訪ねてきた。
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和歌山

高野山は戦国時代の危機を如何に乗り越えたか

織田信長の高野山攻め  戦国時代に多くの寺社が武将の攻撃を受けているのだが高野山も例外ではなく、最初に織田信長の攻撃を受けている。  天正六年(1578年)に信長に突如反旗を翻した荒木村重は有岡城に篭城し、織田軍に対し...
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和歌山

高野山金剛峯寺から徳川家霊台、女人堂、奥の院、金剛三昧院へ

高野山真言宗総本山の金剛峯寺を拝観したのち徳川家霊台と女人堂を見学。続いて奥の院に向かう。御廟の前にある燈籠堂では毎日六回の読経供養が行われている。最後に金剛三昧院を拝観した。ここには高野山に現存する最古の建物である国宝の多宝塔があり、経蔵や千手観音像など国の重要文化財を多数見ることが出来る。
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和歌山

高野山壇上伽藍に奇しくも残された神仏習合の風景

壇上は高野山開山時から中心とされていた地域で、奥の院とともに高野山の二大聖地である。そこに高野山の鎮守とされる丹生明神と高野明神などをまつる御社(みやしろ)がある。このような施設は、明治政府の神仏分離令により寺から撤去することを命じられたのだが、なぜ高野山の壇上伽藍に残されているのか。調べると高野山はこの施設を残すのに大変な努力をしている。
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和歌山

世界遺産の高野参詣道を行く~~慈尊院、丹生都比売神社

高野山の参詣道は七つあるが、最もよく使われたのが町石道である。その始点にあるのが慈尊院で、かつては丹生官省符神社と一体であった。慈尊院から丹生官省符神社に向かう石段の途中に最初の町石である百八十町石がある。紀ノ國一之宮の丹生都比売神社は、昔は多宝塔、護摩堂、不動堂など多くの仏教的施設があったのだが、明治初期の神仏分離によりすべて撤去されてしまった。
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京都

伏見稲荷大社近辺の古刹を訪ねて~~宝塔寺と石峰寺

伏見稲荷大社の南に宝塔寺という古刹がある。この寺はかつては極楽寺といい、源氏物語にも名前が出てきて、四脚門、本堂、多宝塔は国の重要文化財に指定されている。その北には石峰寺があり、江戸時代の画家・伊藤若冲がここで晩年を過ごし、五百羅漢の石像を製作している。
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京都

藤森神社の祭りの神輿が伏見稲荷神社の境内に入る歴史的経緯

伏見稲荷大社の大鳥居から参道を左に折れると藤尾社という末社がある。昔は稲荷社(現在の伏見稲荷大社)は稲荷山の山頂周辺に祠があったが、永享10年に後花園天皇の勅命で、それまで山麓にあった神社を藤森神社に遷し、その跡地に稲荷社の社殿を建て、境内にこの末社が残された。藤森神社の祭りでは神輿が伏見稲荷大社の参道に入り、この末社に宮入りする。かつては駈馬神事も伏見稲荷の参道で行われたとの記録がある。
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