支那排日

支那の排日運動はどのように変化していったか 支那排日4

大正八年(1919年)の排日運動  前回の歴史ノートで西安事件で蒋介石が張学良に拉致されたあと第二次国共合作が成立したことを書いたが、今回はそれまでの排日運動で実際にどのようなことが起こっていたかについて、当時の記録を紹介しながらまとめるこ...
テーマ別焚書リスト

外交・条約に関するGHQ焚書

GHQ焚書リストの中から外交に関する書籍を読んでみると、戦後出版された書物やマスコミ等では触れられていない話題が満載である。少年少女を対象に刊行された本も読んでみるとなかなか面白い。 古代における帰化人の活躍 帰化人 秦河勝 『前賢故実』よ...
支那排日

日貨排斥から抗日戦へ 支那排日3 

前回の「歴史ノート」で支那の排日運動が始まって以降日貨排斥が行われることになり、そのやり方が次第に過激になっていったことを述べたが、昭和十年(1935年)以降になると排日運動は次第に局面が変わっていくことになる。 北支問題を契機に抗日運動が...
テーマ別焚書リスト

経済及び財政・金融に関するGHQ焚書リスト

「経済」とは、社会に於いて財・サービスの生産・流通・消費活動を調整するシステムを言い、その調整は貨幣を通じて行われるものである。戦後平和な時代が長く続いたわが国では、「経済」や「財政」・「金融」に関する本が数多く出版されてベストセラーになる...
兵庫

赤穂の寺社と坂越の街並みと秦氏の足跡を巡る旅 赤穂旅行2

伊和都比売神社ときらきら坂 赤穂旅行の二日目の早朝に旅館のすぐ近くの伊和都比売いわつひめ神社(赤穂市御崎1)を訪ねる。 伊和都比売神社 拝殿  この神社は平安時代の延喜式神名帳で赤穂郡三座の筆頭に記されている古社で、御祭神は伊和都比売大神で...
兵庫

塩で栄えた城下町赤穂  赤穂旅行1

兵庫県赤穂市は三十年ほど前に友人の家族と一緒に旅行して赤穂城跡を訪ねたこと以外はあまり覚えていないのだが、赤穂周辺で行きたい場所がいくつかあったので、旅程を組んで行ってきた。 赤穂城跡と大石神社  最初に赤穂城跡(赤穂市上仮屋1424-1)...
支那排日

支那の排日運動の主役が共産勢力に変わった 支那排日2

前回の「歴史ノート」で支那の排日運動が始まったのは大正八年(1919年)で、当時北京の支那人の家に下宿した長野朗の『支那三十年』(GHQ焚書)によると、初期における支那の排日運動の背後には英米が動いていたことなどを紹介させていただいた。 次...
テーマ別焚書リスト

政治関連のGHQ焚書リスト

竹田安次 著 『政党の罪悪と議会制度の刷新』  GHQ焚書リストの中から政治に関する書籍やパンフレットを検索していくと、全部で236点見つけることが出来た。その中から、今回は『政党の罪悪と議会制度の刷新』という本の一部を紹介したい。著者の竹...
支那排日

支那の排日運動は英米が仕掛けて広がった 支那排日1

五四運動から支那の排日運動が始まった  支那の排日運動が本格化したのは大正八年(1919年)からなのだが、中国研究者の長野朗が昭和十七年に著した『支那三十年』に、支那で排日運動が起こった事情が記されている。長野は当時北京の中国人の家に一人で...
テーマ別焚書リスト

タイトルに「世界」「国際」を含むGHQ焚書

GHQ焚書の中に世界全体を俯瞰的に論じている本が少なからず存在するので、焚書リストから「世界」「国際」をキーワードにして抽出することを試みたのだが、世界情勢を論じている本から世界観や世界の軍事・戦争・政治・経済・文化等を論じている本、あるい...
満州事変から国際連盟脱退

わが国が国際連盟を脱退した経緯⑧ その後の張学良・蒋介石の動き

総会決議前後の張学良の動き  前回の記事で一九三三年二月二十四日に国際連盟総会において松岡洋右が最後の演説を行い、そのあとで満州問題に関する報告書草案の採決が行われ、賛成四十二票、反対一票で可決されたことを書いた。草案には、国際連盟は満州の...
テーマ別焚書リスト

太平洋とその周辺に存在する国々に関するGHQ焚書リスト

「太平洋」、「南洋」、「南方」の周辺諸国  「太平洋」はユーラシア、オーストラリア、南極、南北アメリカの各大陸に囲まれる世界最大の海洋を言うが、この太平洋の周辺部や海洋に点在する島々に関するGHQ焚書はかなり多い。 戦後に刊行されたタイトル...
満州事変から国際連盟脱退

わが国が国際連盟を脱退した経緯⑦ 最後の松岡演説と連盟脱退

前回に引き続き、一九三三年二月二十四日に開かれた国際連盟特別総会に於ける、報告書草案採決直前の松岡の最後の演説の紹介を続けることしたい。 国際連盟の満州認識について  松岡はリットン報告書における満州理解の誤りについて以下のように述べている...
テーマ別焚書リスト

東洋、アジア関連のGHQ焚書リスト

「東洋」「アジア」「(大)東亜」の違い  「東洋」は「西洋」の対概念であるが、指し示す地域は本によって異なり、トルコから東のアジア全域を含むケースもあれば中東を除くケースなど様々であるが、一般的には東アジア、東南アジア、南アジアの地域を指す...
満州事変から国際連盟脱退

わが国が国際連盟を脱退した経緯⑥ 総会を意識した張学良の動きと最後の松岡演説前半

運命の国連総会の日が決まる  前回の「歴史ノート」で、昭和八年の正月以降の支那やアメリカ、国連事務局等の動きを書いたが、アメリカが圧力をかけたことで国際連盟の委員会の流れが一気に変わり、満州国を承認しない方向に傾いていったことを書いた。 「...
テーマ別焚書リスト

「西洋」「欧米」「欧州」に関するGHQ焚書

戦前・戦中期の「第一次世界大戦」の呼称  GHQ焚書のリストの中には、本のタイトルに国名ではなく「欧州(ヨーロッパ)」「欧米」「西洋」という言葉を用いて、ヨーロッパ全体や西洋全体の歴史や政治情勢などを俯瞰して論じている本が少なからず存在する...
満州事変から国際連盟脱退

わが国が国際連盟を脱退した経緯⑤ 山海関事件とアメリカの干渉で流れが変わった

山海関事件 「神戸大学新聞記事文庫」外交122-3  前回の「歴史ノート」で、一九三二年十二月八日の国際連盟総会における松岡洋右の演説とその直後の支那の動きを書いたのだが、一九三三年の正月早々に万里の長城の東端の山海関さんかいかんにある日本...
テーマ別焚書リスト

「大東亜共栄圏」関連のGHQ焚書リスト

「大東亜共栄圏」の範囲は定まっていなかった  昭和六年(1931年)の満州事変以降英米との関係が悪化して、「南進」がその後の国策の有力な選択肢の一つとなり、「大東亜共栄圏」という言葉が良く用いられるようになっていく。「南進」とは、わが国が重...
満州事変から国際連盟脱退

わが国が国際連盟を脱退した経緯④ 論戦では松岡が圧倒したが多数派工作が始まった

11/23国際連盟理事会における松岡演説  前回、前々回の歴史ノートで昭和七年(1932年)十一月二十一日の国際連盟理事会における松岡洋右の演説のポイントを纏めてみたが、その日に中国代表の顧維鈞こいきんも演説を行っている。そして十一月二十三...
テーマ別焚書リスト

第二次世界大戦時日本領であった国々に関するGHQ焚書リスト

第二次世界大戦時の日本領  教科書などにはほとんど書かれていないのだが、わが国は第二次世界大戦に参戦後、わずか半年でアメリカ、イギリス、フランス、オランダの植民地であった東南アジアや太平洋の多くの島々を占領した。この地域でわが国がいかなる統...
満州事変から国際連盟脱退

わが国が国際連盟を脱退した経緯③ 我々は侵略者ではない

前回の「歴史ノート」で国際連盟理事会でわが国の全権松岡洋右が昭和七年十一月二一日に演説をした内容の前半部分のポイント部分を紹介させていただいたが、今回はその後半部分について書くこととしたい。 満州事変は不戦条約違反ではない  リットン報告書...
テーマ別焚書リスト

第二次世界大戦で枢軸国であった国(日、独を除く)に関するGHQ焚書

枢軸国は全部で八か国  第二次世界大戦でわが国はドイツ、イタリアとともにイギリス、アメリカ、中華民国などの連合国と戦ったのだが、前回の記事で連合国に関するGHQ焚書についてまとめたので、今回は枢軸国に関するGHQ焚書をまとめておこう。  1...
満州事変から国際連盟脱退

わが国が国際連盟を脱退した経緯② 支那の内乱と排日運動の実態

「リットン報告書」に批判的な海外論調が少なくなかった  前回の記事で、一九三二年十月一日に「リットン報告書」が国際連盟に提出され、わが国はその内容を不服として意見書を提出したのだが、満州事変以降の日支紛争について国連総会が開かれることが決定...
テーマ別焚書リスト

第二次世界大戦で連合国であった国(英米支ソを除く)に関するGHQ焚書

第二次世界大戦でわが国はイギリス、アメリカ、中華民国、ソ連などと戦ったのだが、わが国が同盟を組んだドイツ、イタリア等を枢軸国と呼び、日本、ドイツ、イタリア等と敵対した国々を連合国と呼んでいた。 第二次世界大戦で「連合国」であった国々と、連合...
満州事変から国際連盟脱退

わが国が国際連盟を脱退した経緯① 満州国独立承認と「リットン報告書」に反論

前回の歴史ノートで、「リットン報告書」はその調査姿勢にそもそも問題があり、予想されていた通り報告書は支那に有利な内容となったのだが、世界の論調はこの報告書に批判的なものが少なくなかったことを紹介させていただいた。今回は、わが国と国連との間で...
テーマ別焚書リスト

イギリスの旧植民地に関するGHQ焚書リスト

第二次世界大戦の始まる前は世界の大半の国が欧米列強の植民地であり、最も多くの植民地を従属させ所有していたのがイギリスである。下の画像は1921年の頃のイギリスの版図を示しているが、インドもオーストラリアもニュージーランドもカナダもイギリスの...
兵庫

淡路鬼瓦工場と有名社寺を訪ねて 淡路島旅行③

兵庫県指定伝統工芸品の淡路鬼瓦  淡路島の特産品と言えば海産物や農産物がまず頭に浮かぶのだが、瓦の生産地としても淡路島は昔から有名である。  『日本書紀』には崇峻天皇元年(588年)に百済から瓦製造技術が伝来したことが書かれているが、兵庫県...
兵庫

淡路人形浄瑠璃の歴史と淡路人形座 淡路島旅行②

淡路人形浄瑠璃の歴史  浄瑠璃と三味線と人形操りが結びついて生まれた人形浄瑠璃は日本各地に残っていて、淡路人形浄瑠璃は、徳島などの人形浄瑠璃とともに、国の重要無形民族文化財に指定されている。 人形浄瑠璃は文禄・慶長年間(1592~1615年...
兵庫

淡路島三原平野の史跡と文化財を訪ねて 淡路島旅行①

淡路島は何度か旅行をしているのだが、淡路島の南部にある三原平野は、古代から中世にかけて淡路国の政庁がおかれていたことから多くの史跡が存在し、また人形浄瑠璃の発祥の地であることに興味を覚えて、先日旅程を組んで淡路島各地を巡って来た。今回は三原...
テーマ別焚書リスト

ドイツ及びナチス関連のGHQ焚書リスト

今回はドイツ関連のGHQ焚書に関する記事をリスト化してみたが、ドイツに関する書物はアメリカやイギリスよりも多くの書物やパンフレットが焚書処分されている。 これまでこのブログで採り上げたドイツ・ナチス関連のGHQ焚書  今までドイツやナチスに...
満州事変から国際連盟脱退

リットン調査団は満州でトラブル続きだった

前回の「歴史ノート」で、「リットン報告書」の内容はどのようなものであったかについて書いたのだが、調査団が決して公平中立的な立場で情報収集していなかったことは、当時の新聞にもしっかりと報じられている。戦前の日本人なら誰しも憤慨したであろう重要...
テーマ別焚書リスト

中国関連のGHQ焚書リスト

これまでこのブログで採り上げた中国関連のGHQ焚書  これまで中国に関するGHQ焚書について記事をいくつか書いてきたが、中国に関するGHQ焚書は五百点をはるかに超え、国別のGHQ焚書点数を調べると英米などをはるかに上回り、ぶっちぎりの第一位...
満州事変から国際連盟脱退

「リットン報告書」には何が書かれていたか

リットン調査団の派遣  一九三一年昭和六年九月十八日に満州事変の発端となった柳条湖事件が起きたのだが、その三日後に支那政府は紛争の拡大防止を国際連盟に提訴している。それを受けて国際連盟理事会が開かれたのは九月三十日のことで、この時には支那の...
テーマ別焚書リスト

ソ連、ロシア関連のGHQ焚書リスト

これまで英国関連、米国関連、満州関連の焚書リストを紹介させていただいたが、今回はソ連、ロシア関連のGHQ焚書リストを公開させていただく。これまでこのブログの記事でロシア及びソ連についていろいろ書いてきたが、これまで採り上げさせていただいたG...
満州事変から国際連盟脱退

中国が満州国を「偽満州国」「傀儡国」と呼んだ事情

満州はいつから漢民族が支配するようになったのか  紀元前三世紀に中国を統一した秦の始皇帝は、遊牧民が生活していた満州・蒙古を統一することが出来ず、彼らによる北方からの侵入を防ぐために万里の長城を建設している。このことは二千年前において満州・...
テーマ別焚書リスト

満州関連GHQ焚書リスト

これまで英国関連、米国関連の焚書リストを紹介させていただいたが、満州関連のGHQ焚書リストの点数が、英国と米国のGHQ焚書点数を合計した点数したよりも多いというのは、私にとっても意外であった。 GHQが戦後の日本人に読まれないように処分した...
満州事変から国際連盟脱退

満州各地で独立運動が起きたのはなぜか

張学良軍が総崩れとなった理由  一九三一年九月十八日、奉天から北東に八キロ程の柳条湖で、南満州鉄道の線路が何者かによって爆破された。この付近の警備に当たっていた関東軍守備隊は大隊本部と特殊機関に報告をし、関東軍はこれを張学良率いる東北軍の仕...
テーマ別焚書リスト

米国関連のGHQ焚書リスト

これまでこのブログで採り上げた米国関連のGHQ焚書 『敵国アメリカの戦争宣伝』(GHQ焚書)を読む3より  これまでアメリカに関するGHQ焚書について記事をいろいろ書いてきたが、これまで採り上げた本の記事をブログカード化してみた。今後新たに...
満州事変から国際連盟脱退

米国外交官が記した柳条湖事件の真実

柳条湖事件が起きるまでに満鉄施設が何度支那人に襲われたか  このブログで何度か昭和六年(1931年)に満州事変の発端となった柳条湖事件のことを書いてきた。 繰り返しになって申し訳ないが、満州事変に関するわが国の戦後の歴史叙述では、昭和三十一...
テーマ別焚書リスト

英国関連のGHQ焚書リスト

これまでこのブログで採り上げた英国関連のGHQ焚書  二年前にこのブログの記事で、英国関連のGHQ焚書リストを掲載させていただいたが、その後「国立国会図書館デジタルコレクション」が大幅にリニューアルされて、GHQが焚書処分した本のほとんどが...
兵庫

明石と周辺の古社寺等と魚の棚を訪ねて

柿本神社と月照寺  明石市の人丸山の頂上に柿本神社(明石市人丸町1-26)と月照寺(明石市人丸町1-29)がある。明治四年(1871年)の神仏分離令により寺と神社が分離されてしまったのだが、以前は神仏習合で一体であった。  上の画像は柿本神...
兵庫

明石の古社寺と明石城跡を訪ねて 

明石市を観光で訪れる人はあまり多くないと思うのだが、色々調べると結構面白そうな寺や神社などがあるので、先日散策して来た。 御厨神社  最初に訪れたのは明石市二見町東二見1323にある御厨神社(みくりやじんじゃ)。この神社の由緒は火災で記録を...
匪賊関連

支那の匪賊についての新聞記事を読む その3

満州における匪賊・共匪との戦い  前回記事で昭和10年ごろに支那共産党が匪賊を取り込んで北支(現在の華北で、河北省、山西省、山東省、河南省)に移動させたことで北支の共産化が進み、一方ソ連も満州の匪賊を取り込んでいて、日本軍が駐留していた満洲...
匪賊関連

支那の匪賊についての新聞記事を読む その2

満州馬賊の頭領  前回記事の最後に昭和8年(1933年)3月19日から連載された満州日報の武装苦力の話の一部を紹介させていただいたが、支那で匪賊の討伐軍を起こし匪賊の根拠地に向かわせたところ、討伐軍が「匪賊平定」を声明したので確認すると、匪...
匪賊関連

支那の匪賊についての新聞記事を読む その1

琿春(こんしゅん)事件  前回の歴史ノートで支那や満州における匪賊(土匪ともいう)について書いたが、多くの日本人が匪賊によって殺害されたことが最初に新聞に報じられたのは、大正九年(1920年)の琿春事件(間島(かんとう)事件ともいう)であろ...
満州事変から国際連盟脱退

満州民族の故地・満州の人口の九割が漢民族となった経緯

前回記事で、満州は満州族の故地で漢民族はかつてわずかしか居住していなかったのだが、清末以降に大量の漢民族が満州に移り住むようになって、一九三八年頃には満州の人口の九割が漢民族となったことを書いた。今回はこの点についてもう少し詳しく書くことと...
満州事変から国際連盟脱退

わが国が開拓した満州を狙っていた国々

わが国が「満州」の開拓を始めた歴史的経緯  「満州」という言葉は「州」の字が付くことから、地名と誤解されることが多いのだが、中国語では土地の名前ではなく民族名、即ち満州民族を意味している。しかしながら、清国を支配した満州族の居住地域を、英語...
満州事変から国際連盟脱退

戦後「満州」「満州国」に関する多くの真実が封印されてきた

戦前のわが国や世界で、満州についてどのように論じられていたか  現在の中国東北三省(遼寧省、吉林省、黒竜江省)、及び内蒙古、熱河省を領土として一九三二年(昭和7年)に「満州国」という国が成立したのだが、戦後のわが国においてマスコミや書物など...
白柳秀湖

上海と明治維新  白柳秀湖『日本外交の血路』を読む6

引き続き白柳秀湖の『日本外交の血路』(GHQ焚書)を読み進んでいく。前回は、昭和七年三月に開かれた徳富蘇峰の古稀記念講演会の中で、白柳が「上海と明治維新」という演題で講演した内容の前半で、英仏米の三国が上海に共同租界を建設して支那経略の足掛...
白柳秀湖

幕末期における英米仏三国の動き  白柳秀湖『日本外交の血路』を読む5

引き続き白柳秀湖の『日本外交の血路』(GHQ焚書)の内容の一部を紹介させていただく。この本は白柳が雑誌などで発表して来た時局に関する論説を収録したものだが、昭和七年三月に開かれた徳富蘇峰の古稀記念講演会で彼が「上海と明治維新」という演題で講...