張学良

満洲事変から国際連盟脱退、満洲国関連

満洲の民衆が関東軍を敵視しなかったのはなぜか

兵士数で圧倒していた張学良軍の敗因 昭和六年(1931年)九月十八日の柳条湖事件から始まった満洲事変で、兵士数三十万とも四十万とも言われていた張学良軍は、およそ一万の関東軍によって...
支那排日

我が国の国際連盟脱退までの米国及び支那の動き 支那排日9

張学良はなぜ山海関事件を起こしたか 前回の「歴史ノート」で、一九三二年十一月二十一日から開催された満州問題に関する国際連盟理事会において日本全権松岡洋右との論戦に勝てず、英仏が日本...
満洲事変から国際連盟脱退、満洲国関連

わが国が国際連盟を脱退した経緯⑧ その後の張学良・蒋介石の動き

総会決議前後の張学良の動き 前回の記事で一九三三年二月二十四日に国際連盟総会において松岡洋右が最後の演説を行い、そのあとで満州問題に関する報告書草案の採決が行われ、賛成四十二票、反...
満洲事変から国際連盟脱退、満洲国関連

わが国が国際連盟を脱退した経緯⑥ 総会を意識した張学良の動きと最後の松岡演説前半

運命の国連総会の日が決まる 前回の「歴史ノート」で、昭和八年の正月以降の支那やアメリカ、国連事務局等の動きを書いたが、アメリカが圧力をかけたことで国際連盟の委員会の流れが一気に変わ...