日本に向かう船の中で、偶像崇拝をする船長に苦しんだザビエル
前回の記事で、ザビエルは日本での布教の成功に強い自信をもっていたにも関わらず、鹿児島での成果が乏しかったことを書いた。鹿児島で失敗したのは、領主の島津貴久が途中で布教を禁じるようになったことが大きいのだが、島津がキリシタン布教を許さなかった理由はどこにあるのだろうか。
島津貴久が、ポルトガル貿易が出来ることを期待していたにもかかわらず、ポルトガル船が鹿児島ではなく長崎の平戸に到着して松浦氏との間に交易が始まったことに激怒した点もあるだろうが、貿易上の問題が主たる理由であると判断するには、厳しすぎる対応をとっている。島津貴久は、仏教僧の話を聴いてキリスト教の教義の危険性を察知したのではないかと考えるのだが、その点については後述する。
岩波文庫のザビエル書翰を読み進むと、ザビエルが異教徒の信仰のどのような点を嫌悪していたかが良くわかる部分があるので紹介したい。
ザビエル一行は鹿児島に向かうシナのジャンク船に乗っていたのだが、航海の間に彼は船長の所作にずっと苦しんだと書いている。
船に積み込まれた偶像を、船長が水夫らとともに、尊崇することひとかたならず、絶えず行われる偶像崇拝の所作を、見ていなければならないことは、実に私たちを苦しめた。私たちはどうすることもならず、これを傍観しているほかはなかった。彼らは何よりも、始終籤を引き、私たちが日本に達しうるかどうか、風は今後も順調なりや否やなどを、偶像に尋ねるのであって、籤は、彼らが信じて私たちに与える数々の宣言に見ても解るごとく、今良いかと思うと、次には悪いのである。
(岩波文庫『聖フランシスコ・デ・ザビエル書翰抄(下)p.19~20)
そしてザビエルらを乗せた船が嵐と波に翻弄されて、仲間のマヌエルが倒れて大怪我をした。
見よ、私たちの生命が、いったい何に左右されているかを。悪魔の如き籤の専横と、偶像の下僕や番頭などの掌中にある。もし神が悪魔に力を与え、その思いの儘に私たちを害せしめ給うならば、私たちは果たしてどうなったであろうか。不信者たちが偶像を礼拝して、公然と神を侮辱するのを見ていながら、私たちはそれを止めることができなかったのだから、此の嵐の始まる前に、しばしば神に一つの恵を願った。即ち、御自身にかたどられた被造物が、誤りを犯すことを、お許しにならないこと、あるいは、もしお許しにならなるのならば、悪魔が船長に籤を引かせる毎に、悪魔は神として礼拝されるのであるから、その罰として、悪魔の地獄における苦しみと罰とを、増加せしめ給わんことを、願ったのである。
(同上書 p.22)
仏教徒なら仏像に祈ることは普通の行為なのだが、ザビエルは偶像に祈る行為を「神に対する侮辱」と書いている点は重要である。ザビエルがジャンク船の船長の所作に苦しめられたのは、彼がキリスト教の教義に忠実であったためなのである。
偶像崇拝をタブーとするキリスト教
今ではキリスト教会の中にイエス像やマリア像があることが多いので、普通の日本人にはなかなか理解しづらいところだが、昔のキリスト教においては、今よりもはるかに厳しく偶像崇拝が禁じられていたのである。
『聖書』においては、偶像を崇拝してはならないことが繰り返し何度も明記されている。
有名な、神が預言者モーセに十戒を授ける有名な場面では、神の言葉として次のように記されている。
あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。
(『旧約聖書』出エジプト記第二十章四節~五節)
日本聖書協会のホームページで「聖書本文検索」ができるページがあるので、「新共同訳」で『偶像』というキーワードで検索すると、聖書の言葉が多数ヒットする。
一部を紹介すると、『旧約聖書』には
あなたたちは偶像を造ってはならない。彫像、石柱、あるいは石像を国内に建てて、それを拝んではならない。わたしはあなたたちの神、主だからである。
レビ記/ 26章 01節
あなたのなすべきことは、彼らの祭壇を倒し、石柱を砕き、アシェラの像を粉々にし、偶像を火で焼き払うことである。
申命記/ 07章 05節
『新約聖書』には
いや、わたしが言おうとしているのは、偶像に献げる供え物は、神ではなく悪霊に献げている、という点なのです。わたしは、あなたがたに悪霊の仲間になってほしくありません。
コリントの信徒への手紙一/ 10章 20節
すべてみだらな者、汚れた者、また貪欲な者、つまり、偶像礼拝者は、キリストと神との国を受け継ぐことはできません。このことをよくわきまえなさい。
エフェソの信徒への手紙/ 05章 05節
しかし、おくびょうな者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、みだらな行いをする者、魔術を使う者、偶像を拝む者、すべてうそを言う者、このような者たちに対する報いは、火と硫黄の燃える池である。それが、第二の死である。
ヨハネの黙示録/ 21章 08節
このようにキリスト教においては、信者が偶像を崇拝することは固く禁じられていることがわかるのである。
ではなぜキリスト教は偶像崇拝を禁止するのだろうか。
「モーセの十戒」の最初に「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」という言葉があるが、平たく言うと「唯一絶対神以外を崇めてはならない」という意味である。
そこで、もし信徒がそれぞれ別々の偶像を持って崇拝したとすると、その像がいくら素晴らしい像であったとしても神そのものではないのだから、モーセの最初の戒律に違反してしまうことになる。したがって、「唯一絶対神以外を崇めてはならない」という戒律を突き詰めていくと、 モーセの 二番目の戒律である偶像崇拝禁止に行き着くことになるのである 。
このような偶像崇拝禁止の考えは、同じく一神教であるイスラム教やユダヤ教においても基本的に同様である 。
ザビエルの目から見た、偶像崇拝の国・日本
このような聖書の教義を絶対のものとしてきたザビエルが、わが国の寺院で多くの仏像が礼拝されているのを見てどのような記録を残しているのか気になるところである。
例えばザビエルは1549年11月5日付の書翰で、わが国で布教することの意味について、こう記している。
神は私達を、この不信仰の国にお導きになることによって、偉大な、そして貴重な恩寵を下さった。それは、私たちが自己について、注意を怠らないことである。何となれば、この国は、偶像崇拝と、キリスト教の敵の土地だからであって、私達には、神の外に、信頼あるいは希望することのできるようなものが、何一つないからである。というのは、ここには親戚も友人も知己もないし、またキリスト教的観念もなく、唯凡てはこれ天地を造らせ給うた御者の敵だからである。これがため、私達は、すべての信仰、希望、信頼を、周囲の被造物にではなくて、我が主キリストに寄せる外はない。何となれば、彼らは、すべてその不信仰によって、神の敵だからである。
(同上書 p.43~44)
偶像崇拝をタブーとする宗教が、偶像崇拝を認める宗教と共存できるとは思えない。仏教の伝統あるわが国ではあちこちに仏像が存在し、ザビエルは1552年1月29日の書翰でこれらの仏像を「悪魔」とも記している。
二つの悪魔であるこの釈迦と阿弥陀とをはじめ、その他の多数の悪魔に対して、勝利を得なければならないのだから、この手紙を読む人は、我等の主なる神の愛の故に、切に祈って下さることをお願いする。
(同上書 p.113)
ザビエルの言う「勝利」とは、日本人をキリスト教に改宗させることを意味している。もしザビエルの期待通りの布教の成果が実現した場合は、わが国の「偶像」は存在することが許されなくなると理解して良いだろう。
ザビエルは日本での布教で街頭で何を訴えたのか
では、ザビエルはわが国で、具体的にどのような方法で布教をはじめたのであろうか。ルイス・フロイスの『日本史』には、ザビエルが鹿児島を離れて山口の街頭ではじめて説教をしたことについてこう記されている。
彼らは、人の集まりがより多い街路や道の四つ辻に立って、修道士がまず翻訳した書物から世界の創造に関する箇条を読んだ。そして彼はそれを読み終えると、ついで人々に向かい、日本人はことに三つの点で何という大きい悪事を行っていることかと大声で説いた。
第一は、日本人は、自分たちを創造し、かつ維持し給う全能のデウスを忘れ、デウスの大敵である悪魔が祀られている木石、その他無感覚な物質を礼拝していることである。
第二は、日本人が男色という忌まわしい罪に耽っていることである。…
第三は、婦人は子供を産むと、養育しなくてよいように殺してしまったり、胎児をおろすために薬を用いること。…
(中公文庫『完訳フロイス日本史6』p.47~48)
島津貴久がキリスト教の布教に協力しなかった理由
日本人が内容を知らない『聖書』を根拠にして、仏像に礼拝することを悪であると決めつけた説教の反応が芳しくなかったことは当然だと思うのだが、ザビエルが鹿児島の布教で良い結果が出なかったのは、キリスト教の教義が極めて排他的なものであり、仏教や神道と両立できないことに鹿児島の僧侶たちが気付き、キリスト教が広がることに危機感を抱いたことがザビエルの書翰から窺うことが出来る。
鹿児島の僧侶たちがキリスト教の布教に反対した理由についてザビエルは次のように記している。文中のパウロは前回記事で書いた日本人のヤジロウ(鹿児島出身)である。
私達は、…まずパウロの故郷に着いた。この国は鹿児島という。パウロが同胞の人々に熱心に語り聞かせたお陰で、ほとんど百名にも及ぶ日本人が洗礼を受けた。もし坊さんが邪魔をしなかったら、他のすべての住民も、信者になったに違いないのである。私達は一年以上もこの地方にいた。この国の領主(島津貴久)は、広大な土地を領有する大名であるが、坊さんはこの領主に迫り、若し領民が神の教に服することを許されるならば。領主は神社仏閣や、それに所属する土地や山林を、みな失うようになるだろうと言った。何故かと言えば、神の教は、彼らの教とは正反対であるし、領民が信者となると古来から祖師に捧げられてきた尊敬が、消失するからだという。こうして遂に坊さんは、領主の説得に成功し、その領内に於て、キリスト教に帰依する者は、死罪に処すという規定を作らせた。また領主は、その通りに、誰も信者になってはならぬと命令した。
( 岩波文庫『聖フランシスコ・デ・ザビエル書翰抄(下) p.100~101)
わが国の仏教も神道も礼拝の対象となる仏像や御神体が存在しており、キリスト教がタブーとしている偶像崇拝を日々行っている。
もし偶像崇拝を否定するキリスト教の布教が領主によって認められて広がっていけば、その結果として仏教も神道も否定されることになり、寺も神社も存在できなくなることになってしまう。その危機感を鹿児島の僧侶が抱くようになり、領主の島津貴久もその危険性を認めたという理解ができるのである。
ポルトガル船が鹿児島に来ることを期待して布教を認めたのにもかかわらず、ポルトガル船の多くが平戸に停泊して、領主の松浦隆信に鉄砲が贈られたことに島津貴久が激怒したことは事実であったとしても、それならばザビエルにポルトガル船の鹿児島来航を要求すれば済む話である。
その後島津藩がザビエルの布教活動に協力せず、「キリスト教に帰依する者は、死罪に処す」という江戸幕府の禁教令と同様の極めて厳しい規定を作ったのは、キリスト教の危険性を島津貴久が途中から認識するようになったということではなかったか。
一方、キリスト教の布教が許された地方では、その後さまざまな問題が起こっていったのだが、その点については次回以降に書くことといたしたい。
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ブログ活動10年目の節目に当たり、前ブログ(『しばやんの日々』)で書き溜めてきたテーマをもとに、今年の4月に初めての著書である『大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』を出版しています。
通説ではほとんど無視されていますが、キリスト教伝来以降ポルトガルやスペインがわが国を植民地にする意志を持っていたことは当時の記録を読めば明らかです。キリスト教が広められるとともに多くの寺や神社が破壊され、多くの日本人が海外に奴隷に売られ、長崎などの日本の領土がイエズス会などに奪われていったのですが、当時の為政者たちはいかにして西洋の侵略からわが国を守ろうとしたのかという視点で、鉄砲伝来から鎖国に至るまでの約100年の歴史をまとめた内容になっています。
読んで頂ければ通説が何を隠そうとしているのかがお分かりになると思います。興味のある方は是非ご一読ください。
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内容の詳細や書評などは次の記事をご参照ください。
コメント
しばやんさん、こんにちは。ブログ、楽しく拝見させていただきました。
中公文庫『完訳フロイス日本史6』
第二は、日本人が男色という忌まわしい罪に耽っていることである。…
第三は、婦人は子供を産むと、養育しなくてよいように殺してしまったり、胎児をおろすために薬を用いること。
→余りにも現在の日本人の感覚とずれています。その信憑性はどうなのでしょうか…。
GHQによる7000冊余りの焚書とともに、ユダヤ問題を研究する国際政経学会の存在が抹殺されています。『猶太と世界戦争』という愛宕北山氏の著書は、昭和18年に出されたもので彼の昭和13年から昭和17年までの論文が収められたものです。この中でユダヤ人が、旧約聖書も新約聖書も出版を手掛けており、版が変わるたびにユダヤ人が都合よく改ざんしている旨が書かれています。また、無自覚のまま彼らユダヤ人に協力するものを人為的ユダヤ人と述べています。この『完訳フロイス日本史6』もそういった類の訳者ではないでしょうか。
イエズス会は、1534年にできたものであり、ザビエルは改宗ユダヤ人でした。昭和12年に来日した米国人は、国際政経学会に招かれて講演を行っています。この講演録『米国を動かす猶太の勢力』は、国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能です。この中で、「宗教改革の裏面はあまり知られていないが、あれはユダヤ人がカトリック教会を支配するようになってきたのに反してマルチン・ルターが反対したところの運動であった。スペインで迫害されて彼らユダヤ人は皆カトリック教に吸収されクリスチャンを 装って秘密にはユダヤ教を守っておった。そうしてカトリック教会に入ってその要職に就いておった。要するに宗教改革というものは、ユダヤ人のカトリック教会侵食に対する反抗に過ぎないのであるが、多くの人はこの裏の事実を知らないようである。ユダヤ人はユダヤ教から絶対に離れるものではない。」と語っています。
『猶太と世界戦争』の中では、戦前において日本にいる外国人はシナ人と白系ロシア人を除けば8割がユダヤ人であると書かれています。この本が珠玉なのは、昭和13年の論文で日米決戦を1941年と予測し、ドイツのソ連侵攻の段階で「少数の憂国の士が叫び続けたものが、ついに来た。世界の秘密力の計画通りに、予定の世界大戦が進みつつある。この世界戦争の激烈さは、おそらく有史以来のものとなり、人間の想像を超えるものになると考える。 」と絶叫に近い叫びを上げています。昭和17年の論文では、「現在の日ソ条約は、ユダヤにとって好都合なので維持されているだけで、今次大戦は日ソの衝突となるのは必至である。」として、ソ連の対日参戦も正確に予測しています。そして、ユダヤ富豪の実業家で、ワイマール共和国外相のラーテナウは、「ユダヤの世界支配の過程のみが世界史には意義がある。」と記述しています。
様々な考え方があって当然ですが、戦後において日本は勿論のこと世界でもこのユダヤ人禍を論じれば、社会的に抹殺される状況に恐怖すら覚えます。表現の自由も学問の自由ま全くありません。神戸大学附属図書館と国会図書館には、ユダヤについての貴重な資料が残っています。しばやんさんを参考に、これらに首っ引きの状態です。(3月から半年弱かけて『猶太と世界戦争』 の動画を作成しました。その結果、3か月ほど鬱になりました。ユダヤ問題は恐ろしいです。)
シドニー学院さん、コメントありがとうございます。とても励みになります。
第二次大戦に至る原因となった様々な出来事に多くのユダヤ人が関与していたことは承知していますが、正直まだまだ不勉強なので、気の利いたコメントを返すことが出来ないので申し訳ありません。
御教示いただいた『米国を動かす猶太の勢力』『猶太と世界戦争』には面白そうなことが書かれていそうですね。未読なので読んでみます。特に聖書が何度も改ざんされている話や宗教改革の話、「戦前において日本にいる外国人はシナ人と白系ロシア人を除けば8割がユダヤ人である」という話は興味があります。
シドニー学院さん制作のYouTube『ユダヤと世界戦争①』を視聴させていただきましたが、なかなかの労作ですね。私は今年からフリーとなりましたが、仕事をされながら日々大変な努力をされているのに頭が下がります。いずれ⑦まで後日勉強させていただきます。
ネットが普及して、これまで発言する機会がなかった市井の研究者が様々な情報を発信し、一方でマスコミの信用度と影響力が急速に低下しています。これからは、無名の研究者であっても、事実をしっかり押さえて通説よりも説得力があれば、受け入れられて広がっていく可能性を感じています。学者の世界は窮屈であることを知人からいろいろ聞いていますが、ネット上では表現の自由も学問の自由もあります。これからも、正しいと思ったことは躊躇せず、研究成果を発信していきましょう。