散策ノート

京都

笠置寺の修行場を巡りながらその歴史を学ぶ

笠置寺(かさぎでら)は京都府の南東部にある標高二百八十九メートルの笠置山の山上にある寺で、この寺の境内の修行場をめぐるのが面白いと聞いていたので、先日チャレンジして来た。結構楽しかったので、今回は笠置寺の歴史を交えながら修業場のレポートをす...
奈良

月ケ瀬梅林から柳生の里と近隣の寺社を巡る旅

月ケ瀬梅林  そろそろ梅の花が見ごろを迎えたので、二月二十八日に月ケ瀬梅林から柳生の里を散策し、その後柳生街道沿いの寺社を訪ねてきた。 月ケ瀬梅林入り口  月ケ瀬梅林は奈良県の北東の端にあり、京都府や三重県の県境に近い場所なのだが、平成十七...
兵庫

丹波古刹の「もみじめぐり」と名工を生んだ土地柄

十一年前に兵庫県丹波市内の紅葉名所を観光して旧ブログで記事を書いたのだが、その当時丹波市は『丹波もみじめぐり』と題して、市内の紅葉名所九ヵ所を紹介するパンフレットを作成していたので、それを参考にして五ヶ寺を選んで旅程を組んだ。  久しぶりに...
京都

京都西山三山(楊谷寺、光明寺、善峯寺)と十輪寺を訪ねて

「西山」とは  三方を山に囲まれた盆地である京都では、市街地北側に連なる山々を北山、東側に連なる山々を東山、西側に連なる山々を西山と呼び、「西山連峰」の一番北側に位置するのが愛宕山系の山々で、高尾山には神護寺や西明寺、高山寺などがあり、その...
兵庫

文化財の宝庫である神戸市北区山田町を訪ねて

下谷上農村歌舞伎舞台  神戸市北区山田町は南は六甲山系、北は帝釈・丹生山系に挟まれた谷筋を流れる山田川流域に開けた地域で、神戸市内とは言っても都会のイメージとは程遠いのだが、古き良き伝統行事や文化財などが多数残されているのに興味を覚えて、訪...
兵庫

清和源氏のルーツを訪ねて~~多田神社と満願寺

七月に緊急入院した後小腸の病変部を切除し八月に退院して、その後は検査や治療のために三週に一度程度の通院が続いている。ようやく秋らしい季節になって来たので、久しぶりにトライブして寺社を巡りたいのだが、何度も抗がん剤の治療を受けたことから造血機...
大阪

能勢の古社寺を訪ねて~~岐尼神社、月峰寺、久佐々神社、湧泉寺、倉垣天満宮

岐尼神社 昼食休憩を終えて岐尼神社(きねじんじゃ:能勢町今西103-3)に向かう。 岐尼神社 鳥居  能勢町には古い神社がいくつかあるが、この神社も「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)」に名前の出ている由緒ある神社である。「延喜式神...
大阪

紅葉の季節に能勢の古社寺を訪ねて~~妙見堂、今養寺、真如寺等

紅葉の季節に能勢町を巡って来た。能勢町には小規模ながら由緒ある社寺が少なくなく、明治の廃仏毀釈の影響も比較的小さくて、古い仏像や昔ながらの風景がそのまま残されているところが魅力である。第1回目は能勢妙見堂とその本寺である真如寺などをレポートしたい。
大阪

紫陽花の季節に北摂の久安寺、勝尾寺を訪ねて

「あじさい寺」で有名な北摂の寺院を参拝してきた。池田市の久宝寺は、本坊の門前にある具足池に「あじさいうかべ」が行われている時期が見頃である。「勝ちダルマ」で有名な箕面市の勝尾寺も、境内に三千六百株のあじさいが植えられていて、見頃を迎えている。
京都

京都府久美浜町の歴史と文化にふれる旅

久美浜町湊宮の五軒家と天明の大飢饉  京都府京丹後市にある久美浜湾は、東から佐濃谷川、川上谷川、久美谷川の三河川が注いでおり、北は小天橋(しょうてんきょう)と呼ばれる砂洲によって大部分が日本海と隔てられ、淡水と海水が混ざり合う、波穏やかな潟...
兵庫

紅葉の季節に西脇の歴史・文化を訪ねて

毎年紅葉の季節に地方の古刹などを観光するのだが、今年は兵庫県西脇市を訪ねてきた。(11/18訪問、撮影) 西林寺  最初に訪れたのは紅葉で知られる西林寺(西脇市坂本455)。高野山真言宗の寺院である。 西林寺 仁王門  寺伝によるとこの寺は...
滋賀

比叡山門前町として栄えた坂本と穴太衆

石垣施工の技術集団・穴太衆  滋賀県大津市の比叡山山麓に寺や城郭などの石垣施工を行った穴太衆(あのうしゅう)と呼ばれる技術者集団がいて、織豊時代以降その高い技術が買われ、安土城、彦根城、金沢城の石垣をはじめ、多くの城郭の石垣建築に携わったと...
京都

紅葉の盛りに洛東山科の名所を巡って~~毘沙門堂、随心院、勧修寺、将軍塚青龍殿

以前から紅葉の時期に訪れたかった京都市山科区の寺を巡って来た。天台宗京都五門跡の一つとして栄えた毘沙門堂門跡、小野小町ゆかりの寺として知られる随心院門跡、皇室と藤原氏にゆかりのある勧修寺、平成26年に大護摩堂が完成した将軍塚青龍殿の四つである。
京都

京丹波町から綾部市の古い寺社と紅葉名所を訪ねて

南丹市の北西にある京丹波町と綾部市の文化財や紅葉の名所を訪ねてきた。京丹波町では玉雲寺と琴瀧、九手神社、大福光寺、綾部市では岩王寺、大本梅松苑と木の花庵を巡って来た。今年はいずれも11月下旬が見頃になると思われる。
京都

紅葉の季節に南丹市の古い寺社を訪ねて

京都府中部の丹波地方の南に位置している南丹市には、寺や神社に貴重な文化財も多数残されているのだが、観光地としてはあまり知られていない。隠れた紅葉の名所である西光寺、龍穏寺、日本最古の天満宮の生身天満宮、国重要文化財の大門を持つ九品寺、丹波佐吉作の狛犬がある摩気神社を訪ねてきた。
和歌山

高野山は戦国時代の危機を如何に乗り越えたか

織田信長の高野山攻め  戦国時代に多くの寺社が武将の攻撃を受けているのだが高野山も例外ではなく、最初に織田信長の攻撃を受けている。 織田信長  天正六年(1578年)に信長に突如反旗を翻した荒木村重は有岡城に篭城し、織田軍に対し一年間徹底抗...
和歌山

高野山金剛峯寺から徳川家霊台、女人堂、奥の院、金剛三昧院へ

高野山真言宗総本山の金剛峯寺を拝観したのち徳川家霊台と女人堂を見学。続いて奥の院に向かう。御廟の前にある燈籠堂では毎日六回の読経供養が行われている。最後に金剛三昧院を拝観した。ここには高野山に現存する最古の建物である国宝の多宝塔があり、経蔵や千手観音像など国の重要文化財を多数見ることが出来る。
和歌山

高野山壇上伽藍に奇しくも残された神仏習合の風景

壇上は高野山開山時から中心とされていた地域で、奥の院とともに高野山の二大聖地である。そこに高野山の鎮守とされる丹生明神と高野明神などをまつる御社(みやしろ)がある。このような施設は、明治政府の神仏分離令により寺から撤去することを命じられたのだが、なぜ高野山の壇上伽藍に残されているのか。調べると高野山はこの施設を残すのに大変な努力をしている。
和歌山

世界遺産の高野参詣道を行く~~慈尊院、丹生都比売神社

高野山の参詣道は七つあるが、最もよく使われたのが町石道である。その始点にあるのが慈尊院で、かつては丹生官省符神社と一体であった。慈尊院から丹生官省符神社に向かう石段の途中に最初の町石である百八十町石がある。丹生都比売神社は、昔は多宝塔など多くの仏教的施設があったのだが、明治初期の神仏分離によりすべて撤去されてしまった。
京都

伏見稲荷大社近辺の古刹を訪ねて~~宝塔寺と石峰寺

伏見稲荷大社の南に宝塔寺という古刹がある。この寺はかつては極楽寺といい、源氏物語にも名前が出てきて、四脚門、本堂、多宝塔は国の重要文化財に指定されている。その北には石峰寺があり、江戸時代の画家・伊藤若冲がここで晩年を過ごし、五百羅漢の石像を製作している。
京都

藤森神社の祭りの神輿が伏見稲荷神社の境内に入る歴史的経緯

伏見稲荷大社の大鳥居から参道を左に折れると藤尾社という末社がある。昔は稲荷社(現在の伏見稲荷大社)は稲荷山の山頂周辺に祠があったが、永享10年に後花園天皇の勅命で、それまで山麓にあった神社を藤森神社に遷し、その跡地に稲荷社の社殿を建て、境内にこの末社が残された。藤森神社の祭りでは神輿が伏見稲荷大社の参道に入り、この末社に宮入りする。かつては駈馬神事も伏見稲荷の参道で行われたとの記録がある。
京都

伏見稲荷大社と稲荷山の山巡り

伏見稲荷大社の本殿参拝ののち千本鳥居を抜けて奥社奉拝所で参拝を済ませたのち稲荷山の山巡りにチャレンジしてきた。稲荷山は決して高い山ではないが、一周して本殿に戻るのに約二時間かかる。楼門の南に国学者の荷田春満旧宅がある。この人物は赤穂浪士に吉良邸の見取図や茶会の情報を教えたことが伝えられている。
滋賀

見ごたえある湖南三山の文化財と美しい紅葉

「湖南三山」というのは、湖南市に位置する天台宗の古刹でである「善水寺」「長寿寺」「常楽寺」の総称で、いずれも創建は奈良時代に遡るとされており、国宝や重要文化財の本堂・仏像などが多数見学できるばかりでなく、紅葉の名所でもある。特に善水寺の本堂の内陣に安置されている仏像はすごい迫力で、これだけ貴重な仏像が間近に鑑賞できる寺は少ない。
滋賀

湖東三山と教林坊、永源寺の紅葉を楽しんで

滋賀県の琵琶湖の東側、鈴鹿山脈の西の山腹に湖東三山と呼ばれる三つの天台宗寺院がある。北から西明寺、金剛輪寺、百済寺と並ぶのだが、いずれも滋賀県の紅葉名所である。湖東地区には外にも永源寺や近江八幡市にある教林坊など紅葉で有名な古刹があり、一日で巡ることができる。
京都

大原寂光院から八瀬童子の里八瀬へ、そして紅葉名所・蓮華寺へ

建礼門院徳子は平清盛の娘で、高倉天皇の中宮となり安徳天皇の生母となるが、壇ノ浦の戦いで平家一族は滅亡し、徳子は京へ送還されたのち出家して寂光院に移り住んだ。大原の南に八瀬がある。この地の人々は代々朝廷の駕輿丁を勤め租税も免じられていて、明治天皇・大正天皇の葬送で棺を載せた輿を担いだ。近くに紅葉の名所蓮華寺がある。
京都

紅葉の盛りに京都大原の古刹を尋ねて

江戸時代の『都名所図会』に大原三千院の名前がない。調べるとこの寺は、明治四年に京都御所周辺の寺町広小路から大原に移り、三千院と改称していることがわかった。今の三千院の場所には天台宗が大原の寺を統括する施設があったという。昔の大原は天台声明(しょうみょう)が盛んで、来迎院や勝林院がその中心地であった。
京都

福知山市にある元伊勢三社から紅葉で名高い古刹・天寧寺、長安寺を訪ねて

伊勢神宮内宮の御祭神である天照大御神は、崇神天皇六年から約九十年ほど鎮座地を求めて各地を転々とし、そのあいだ一時的にせよ内宮あるいは外宮が祀られていたという伝承を持つ神社のことを「元伊勢」と呼ぶ。福知山には元伊勢三社と呼ばれる神社があり、それぞれを巡ったのち、紅葉で有名な天寧寺、長安寺を訪れた。
京都

紅葉の季節に京都府北部の古刹を訪ねて

京都府の北部地方の国宝や重要文化財を訪ねて、4つの古刹を拝観してきました。 綾部市の安国寺は紅葉の名所で、足利尊氏ゆかりの寺です。そのあと、京都北部にある唯一の国宝建築物がある光明寺を訪ね、舞鶴市の松尾寺と金剛院を巡ってきました。紅葉を楽しめただけでなく、貴重な文化財を多数拝見することが出来ました。
大阪

国史跡日根荘に残された国宝慈眼院多宝塔から七宝瀧寺などを訪ねて~~泉南の神社仏閣その2

国史跡の日根野に慈眼院と日根神社があり、伝承によるといずれも秀吉の紀州攻めで焼かれたとされている。更に山に入ると火走神社があり、さらに進むと七宝瀧寺がある。この寺も秀吉の紀州攻めで焼かれたと伝わっている。なぜこんな山奥の寺までが焼かれたのだろうかと誰でも疑問に思うところだ。
大阪

秀吉の紀州攻めで焼かれたとされる古寺を訪ねて~~泉南の神社仏閣その1

泉南地区の大威徳寺、神於寺、孝恩寺、水間寺を巡って来たが、いずれも秀吉の紀州攻めの際に焼かれた伝承が残されている古刹である。しかしながら、根来衆の防衛ラインの最も東にあった千石堀城の戦いでは城内の根来衆は全滅している。防衛ラインよりも東や北側の寺が焼かれているはなぜなのか。イエズス会のフロイスの記録に着目したい。
和歌山

種子島に伝来した鉄砲一挺を持ち帰った根来寺のこと

種子島に伝来した2挺の鉄砲のうち1挺を、根来寺の「杉ノ坊某」が持ち帰ったことが『鉄炮記』に記されているが、種子島だけでなく根来でもそれぞれ同様な時期に鉄砲の複製品の製作に成功し、その後大量生産を開始している。根来寺では根来衆の鉄砲隊が組織されたが、秀吉の紀州攻めで敗れ、根来寺も滅亡した。
京都

桂離宮周辺の名所を巡る~~~松尾大社、月読神社、華厳寺(鈴虫寺)、地蔵院(竹の寺)

せっかく桂離宮に来たので、近くの寺を巡って来た。平安時代に製作された神像(国重文)がある松尾大社、松尾大社の摂社であるが松尾大社より古い歴史を持つ月読神社、「鈴虫寺」の名で親しまれていて「鈴虫説法」で評判の華厳寺、「竹の寺」とも呼ばれていて美しい景観の地蔵院。
京都

新緑の季節に桂離宮を参観して

桂離宮は八条宮初代智仁親王が別荘として造営を始められ、二代智忠親王が中書院、新御殿、松琴亭などを新増築され、庭園にも手を加えられて、ほぼ今日に見るような山荘の姿が整えられた。宮内庁のHPから申込み、参観許可通知の入手が必要。参観は有料だが無料の駐車場がある。
京都

修学院離宮近辺のお薦めしたい名所

せっかく修学院離宮の参観をされるのなら、近くにお薦めしたい名所がある。早めに着かれて近くの名所を訪れるのならば比叡山延暦寺の塔頭寺院の一つである赤山禅院。また、多くの文化財を保有し、天台宗五箇室門跡の一つである曼殊院、後水尾上皇から社地を賜わった鷺森神社がある。
京都

修学院離宮を訪ねて

修学院離宮は明暦元年から二年にかけて、後水尾上皇によって造営工事が起こされ、万治二年頃に完成した山荘で、宮内庁のホームページから簡単に参観の申し込みが出来る。修学院離宮は上・中・下の三つの離宮からなり、総面積は54万5千㎡を超える雄大なものである。
京都

廃仏毀釈で景観が一変した石清水八幡宮とその近辺散策

石清水八幡宮は、幕末までは神仏混交の宮寺で、山中から山裾にかけて多くの僧坊が建ち並び、僧侶による神前読経が行われていたのだが、明治元年の神仏分離令により残っていた二十三の僧坊が廃絶されてしまい、山内の景観は一変して多くの文化財が入札にかけられた。。参道沿いには多くの僧坊の跡が残されている。
京都

満開の背割桜とその歴史

先日背割桜を鑑賞してきた。明治時代まで木津川は淀付近で宇治川と合流していたのだが、水害が相次いだため改良工事が行われ、明治43年に現在の場所で合流するようになり、大正6年の洪水の後でこの背割堤が築かれ、後に桜が植えられた。1.4kmも続く満開の桜並木は見応え十分である。
京都

北野天満宮界隈を歩く~~上七軒、千本釈迦堂(大報恩寺)、北野経王堂願成就寺

北野天満宮の東側に京都最古の花街である上七軒があり、その北に千本釈迦堂として知られる大報恩寺があり、その本堂は現存する京都最古の建物で国宝に指定されており、新霊宝殿には快慶の木造十大弟子像など貴重な仏像を鑑賞できる。また境内には北野経王堂がある。
京都

梅の咲く季節に北野天満宮を訪ねてその歴史と明治期の神仏分離を振り返る

北野天満宮の「梅花祭」に行ってきた。境内に植えられた約1500本の梅が見頃を迎えていて、平日とはいえ想像していた以上の人出だった。 明治初期の神仏分離以前は多宝塔や鐘楼や毘沙門堂、経蔵などが存在し、本殿には懸仏が掛けられ、天台宗の勤行がなされていた。