金子堅太郎

義和団の乱から日露戦争

ロシアを確実に揺さぶった明石元二郎の謀略工作活動

日露戦争開戦のすぐ後に金子堅太郎が渡米した際に、旧友のヘンリー・アダムスから「1年もすればロシアに内乱が起こるので、その煽動をすれば勝てる」との提案を受けた。ロシアには明石元二郎が明治35年から諜報活動に携わっていたが、反政府活動分子と接触し本格的な謀略活動を開始するのは日露開戦後のことである。
義和団の乱から日露戦争

講和会議の交渉がわが国にとって厳しいものになることは当初からわかっていた ~~日露講和会議1

日本海海戦で日本海軍がバルチック艦隊を撃破すると、セオドア・ルーズベルト米大統領もそろそろ講和談判を開始した方が良いと考え、両国に講和談判を呼び掛け、ポーツマスで講和会議が開かれることとなったが、ロシアは当初から賠償金や領土割譲には応じないスタンスを崩さず、わが国は何度も譲歩を繰り返した。
義和団の乱から日露戦争

なぜ米大統領は金子堅太郎に日露開戦当初から日本が勝つと明言したのか

金子堅太郎が渡米して大統領の口から「今度の戦いは日本が勝つ」との発言が出たのに金子は驚いた。後日金子は旧友のヘンリー・アダムス宅の晩餐会に招かれ、アダムスよりアメリカの考えを詳しく聞く機会を得た。軍事力を比較するとロシアの方が優勢であったが、一年日本が頑張ればロシアで内乱が起きてもおかしくなく、どうすれば勝てるという秘策まで授かっている。
義和団の乱から日露戦争

日露開戦を決定した直後に戦争を終わらせる準備を怠らなかった伊藤博文

明治37年2月4日の御前会議で対露断交と開戦を決定した夕刻に、伊藤博文は金子堅太郎を呼び、すぐに渡米してほしいと告げた。伊藤はこれから戦争が何年続くかわからないが、もし勝敗が決しなければ両国の間に立って調停する国が必要となる。頼むところはアメリカしかない。君は大統領のルーズベルトと懇意の仲であり、直ちにそのことを依頼してほしいと告げた。
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菊池寛の名著『大衆明治史』(GHQ焚書)で日露戦争の舞台裏を読む

菊池寛といえば小説家であり劇作家でありジャーナリストであり、実業家としても文芸春秋社を創設した著明な人物だが、歴史書にもいい本をいくつか出している。戦後は歴史家が登場人物を生きた人間として描くことがほとんどなくなってしまったのだが、菊池寛は...