GHQが没収・廃棄し、戦後の日本人が読めないようにされた著作の中には、国内外の政治家が著した本が多数存在する。ヒトラーの『我が闘争』もその一つだが、日本人の著作では池崎忠孝(いけざき ただよし)の著作が最も多く処分されている。この人物は東京帝大入学後夏目漱石門下に入り赤木桁平(あかぎ こうへい)というペンネームで文芸評論で名を馳せたが、大学卒業後、『萬朝報』に入社し、論説部員を務めている。しかし、女優とのゴシップを起こしたことをきっかけに退職し家業をついだが、その後関西財界に食い込みむようになり、時局講演会にも登壇するようになった。昭和四年(1929年)に米国との戦争は避けられないことを主張した講演会の速記録『米国怖るゝに足らず』を本名の池崎忠孝で出版したところベストセラーとなる。
評論家としての知名度から昭和十一年(1936年)の衆議院選挙に当選し、第一次近衛内閣では文部参与官を務め、通算三期衆議院議員を務めたが、戦後A級戦犯に指定されて巣鴨プリズンに収監され、のちに病気のために釈放されたものの公職追放処分を受け、昭和二十四年(1949年)に不遇のまま死去したという。Wikipediaには池崎忠孝名で発刊した著書26点が出ているが、12点もGHQが焚書処分しているのは、彼の著書を余程気に入らなかったのであろう。
今回は昭和八年に出版された、池崎忠孝 著『太平洋戦略論』の一節を紹介しよう。
平和はかつて太平洋の理想なりき。しかも今に於いて那辺(なへん:どのへん)にか平和ありや。東より来たる英国は、シンガポールを金城湯池として太平洋のジブラルタルたらしめんとし、西より来たる米国は、ハワイを難攻不落の險塞として太平洋のマルタたらしめんとし、この二大勢力の挟撃に驚きたる日本は、戦々恐々として自ら守るに寧日なきにあらずや。新たに眼覚めたるシナは、一世紀に於いて喪いたるところを一日にして回復せんがために狂燥なる妄動を続け、奪われたるインドとフィリピンとは、事故の自由を拘束する鉄鎖を断たんがために、絶えず無益の努力を試みつつあり。果たしていずれの地に於いてか、歓語と親和の美しき情景を見るべき。永遠の平和は、単なる巧言令色によって将来され得るものにあらず。百の条約を結び、千の協定を作るも、それが真に世界に厳存する不正正義を匡正する何等の力なきに於いては、終に一片の空文にだに如かざるなり。一方には世界永遠の平和を願い一方には目を瞑って世界に厳存する不正正義を視ざらんとするがごときは、要するに得手勝手なる利己主義のみ。かかる利己主義にして絶滅せざる限り、世界はなお多くの是正を必要とし、なお多くの流血を必要とする。
世界の人類十七億、その三分の二を占めるいわゆる有色人種の大部分が、いわゆる白色人種の鉄鞭によって駆役せられ、永遠の桎梏の下にあって暗黒なる運命に呻吟する限り、その深怨いずれの日に於いてか必ず爆発すべきは明らかなり。最高の文化と、最高の経済組織とを有する民族は、世界の他の民族に対して屈従を強いる絶対権を有すとの謬想は、世界の平和を将来する上に、最大の障碍なることを知らざるべからず。世界を挙げて奈落の業火に投ずべき人種戦争の惨禍を避けんと欲すれば、白色人種は直ちに有色人種に対する冷酷なる統御と苛竦なる搾取とを中止し、彼らが独占する国土のすべてを開放して、全人類の共益のために提供する覚悟なかるべからず。何の特権あってか、彼らは世界の大部分を独占せる。猫額の土地に噞喁(けんぐう:激しく抗議すること)して耕すに土地なく、食うに食物なきを悲しめるもののある時、彼らは豊富なる土地資源を占有し、その多くをなお原始のままに放擲するに拘わらず、進んでこれを開発せんとするものあらば、常に辞を構えて排斥をこととす。専恣(せんし:わがまま)にあらずして何ぞや。
殊に、甚だしきものはアングロ・サクソン民族の跋扈なり。彼らは総人口僅か二億に過ぎざるに、世界の総面積の約三分の一を占めるのみならず、その強大なる海軍力によって海洋の殆んど全部を私し、大西洋は勿論、北海、地中海、インド洋のごとき、今や一として彼らの領海化せられざるものなし。…
(池崎忠孝 著『太平洋戦略論』新光社 p.4~6)
もう一冊、『日本の行く道』という本を紹介しよう。著者の安藤正純は大正九年(1920年)に東京朝日新聞取締役編集局長から政界に出て、以後通算11回の当選を果たし、戦後第一次鳩山内閣の文部大臣、第五次吉田内閣の国務大臣となった人物である。安藤はこの時期においてコミンテルン(国際共産主義運動の指導組織)の動きを警戒しているのだが、当時のコミンテルンの動きについては戦後の一般的な歴史叙述では無視されていると言ってよい。
国民政府は開戦後間もなく、ソ支不可侵条約を締結した。その背後には一種の密約さえありと言われている。しかして国民政府は改組せられて、西南派も共産派も、挙国一致の懸声の下に要路に立ち、朱徳、周恩来をはじめ、幾多の共産派領袖は入て実力を占めるに至り、完全に国共合作を実現するに至った。しかのみならず南京陥落して国都を重慶に移し、かつ重慶政務を漢口、長沙に分散するや、共産派の躍動は益々辛辣となり、支那将来の政権を自党に握るの計画さえ立てられている。しかしてソ連邦との連絡はますます緊密となり、ソ支要路に往来して、相互利用の謀を講じつつある。したがってソ連邦の支那に対する援助は、日を逐って積極化しつつある状態である。
今やコミンテルンの魔手は、世界に伸びつつある。彼はその共産主義の直線的主張が、世界の警戒するところとなりて、容易に目的を達成する能わざるを憂い、1935年7月下旬より約1ヶ月にわたり、モスクワに於いて開会せる第七次コミンテルン大会に於いて、今後は反右翼のすべての主義を包容して人民戦線を結成し、コミンテルンは人民戦線の中心となって巧みに指導し、以て漸次各国を赤化すべき決議をなした。言うまでもなく、コミンテルンに於いては、従来自由主義、温和社会主義等を敵視し、これを攻撃してきたが、今後はこの方針を変改し、逆にこれを包容して、統一戦線を結成せんとするのである。
人民戦線は、まずフランスに起こり、次いでスペインに及び、ともに人民戦線内閣ができた。その結成には、モスクワのコミンテルンの魔手が盛んに躍動していることは言うまでもない。前記1935年のコミンテルンの新方針決議は、これらの情勢を具体化したので、爾来コミンテルンはこの方針を、各国の支部並びに連絡者に指令している。わが国にも近来人民戦線が成立して暗躍を続けていたが、過般の大検挙に依りてその姿を潜めた形である。
この戦法によって禍せらるる国は決して尠少(せんしょう:極めて少ない)ではない。その甚大の国禍を蒙りつつあるもの、現在、西にヨーロッパの旧国たるスペインに、骨肉相食むの動乱が継続し、東に四千年の東洋文化を誇る支那に、国を危うせんとする国際的策謀が行われつつある。我等今に於いて黙視すべきであろうか。速やかに防共の計を講じ、先ず東亜をして、赤禍の危害より脱出せしめ、世界平和の一部門を担当して、文化と福祉との増進に邁往するは、現代の世界に対して、アジアに国するわが日本の使命であらねばならぬ。
(安藤正純 著『日本の行く道』望鴨閣 昭和13年 p.57~60)
わが国はその後、軍部も政界もマスコミもコミンテルンの工作に巻き込まれ、終戦の頃の軍部は相当に汚染されていたのだが、そういう史実は戦後の歴史叙述ではタブーとされている。旧ブログにこんな記事を書いたので、興味のある方は覗いていただきたい。
2点以上焚書処分された政治家ををランキング形式で表にまとめてみたが、15人中の5人は外国人で、日本人も軍人ばかりではなく、米英開戦に反対した賀屋興宣の名前もある。
著者 | 略歴 | 没収点数 |
池崎忠孝 | 衆議院議員。第一次近衛内閣で文部参与官。 | 12 |
アドルフ・ヒットラー | ドイツ首相。ナチス指導者。 | 11 |
荒木貞夫 | 陸軍軍人。平沼内閣の文部大臣等。 | 9 |
ムッソリーニ | イタリア首相。国家ファシスト党統領。 | 8 |
松岡洋右 | 第2次近衛内閣の外務大臣。 | 8 |
中野正剛 | 衆議院議員。大蔵参与官等を歴任。 | 7 |
ラス・ビハリ・ボース | インド独立運動家。 | 5 |
末次信正 | 海軍軍人。第一次近衛内閣の内務大臣。 | 5 |
有馬頼寧 | 第一次近衛内閣の農林大臣 | 4 |
汪兆銘 | 行政院長・中国国民党副総裁。 | 3 |
チャンドラ・ボース | インド独立運動家。 | 2 |
芦田均 | 外交官。法学博士。第47代総理大臣。 | 2 |
賀屋興宣 | 大蔵官僚。東条内閣の大蔵大臣等。 | 2 |
伍堂卓雄 | 海軍出身。阿部内閣の商工大臣兼農林大臣等。 | 2 |
林銑十郎 | 陸軍軍人。第33代内閣総理大臣。 | 2 |
久原房之助 | 久原財閥総帥。逓信大臣、立憲政友会総裁等。 | 2 |
永井柳太郎 | 阿部内閣の鉄道大臣兼逓信大臣等。 | 2 |
山道襄一 | 加藤高明内閣・第1次若槻内閣の文部参与官等。 | 2 |
以下のリストは、焚書処分された国内外政治家の89点の著作で、日本人、外国人別に点数の多い順に並べてみた。URLの記載がある本は『国立国会図書館デジタルコレクション』でネット公開されている。
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ブログ活動10年目の節目に当たり、前ブログ(『しばやんの日々』)で書き溜めてきたテーマをもとに、2019年4月に初めての著書である『大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』を出版しています。
通説ではほとんど無視されていますが、キリスト教伝来以降ポルトガルやスペインがわが国を植民地にする意志を持っていたことは当時の記録を読めば明らかです。キリスト教が広められるとともに多くの寺や神社が破壊され、多くの日本人が海外に奴隷に売られ、長崎などの日本の領土がイエズス会などに奪われていったのですが、当時の為政者たちはいかにして西洋の侵略からわが国を守ろうとしたのかという視点で、鉄砲伝来から鎖国に至るまでの約100年の歴史をまとめた内容になっています。
読んで頂ければ通説が何を隠そうとしているのかがお分かりになると思います。興味のある方は是非ご一読ください。
無名の著者ゆえ一般の書店で店頭にはあまり置かれていませんが、お取り寄せは全国どこの店舗でも可能です。もちろんネットでも購入ができます。
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