福井県

明治初期の暗殺事件

明治二年正月の横井小楠暗殺を追う

前回の記事で奇兵隊が明治二年(1869年)に政府に反旗を翻したことを書いたが、明治の初期には政府の要人が相次いで暗殺されている。同じ明治二年の一月に参与の横井小楠(よこい しょうなん)が暗殺され、九月には兵部大輔の大村益次郎、明治四年(18...
版籍奉還から廃藩置県、府県統合

大久保利通暗殺事件と石川県の三分割 ~~北陸3

明治11年5月に、石川県の不平士族らが大久保利通を襲い殺害する事件が起き、その二か月後に町村編制法・府県会規則・地方税規則(「三新法」)が公布され、府県会の選挙が行われることとなった。その後各地で分県に関する議論に火が付き、14年に石川県から福井県が分離することが決まり、16年には富山県が分離することが決定した。
版籍奉還から廃藩置県、府県統合

石川県が明治九年に日本最大の県となった事情~~北陸2

明治九年に全国規模で大規模な府県統合が二度にわたり行われ、石川県は四月に新川県(現在の富山県)を併合し、八月には敦賀県(現在の福井県)の一部を合併して、旧石高二百二十万石の日本最大の県となっている。旧石川県のみならず、新川県(富山県)も敦賀県もいろいろ問題の多い県であり、それまでに大きな文化破壊が行われ、後には暴動が起きて多くの者が処刑された歴史がある。
廃仏毀釈・神仏分離

明治六年に軍の派遣を要請し、ようやく鎮圧された越前護法大一揆

明治政府は浄土真宗の強い地域では、寺院の統廃合は難しいことを悟り、明治五年に神祇省を廃し教部省を設置し、僧侶を教導職に起用して組織的な国民教化を推進しようとしたが、敦賀県に送り込んだ教部省の役人の発した言葉が僧侶・門徒を刺激し、大規模な一揆が発生している。