歴史ノート

豊臣秀吉

秀吉の伴天連追放令と朝鮮出兵の背景を考える~~GHQ焚書とされた秀吉の伝記を読む1

GHQ焚書の『豊臣秀吉』は戦前に書かれた秀吉の伝記だが、この本には戦後の日本人には知らされていない史実が書かれている。当時の宣教師がポルトガル・スペインの侵略の先兵であり、多くの寺社が破壊され、土地が奪われ、日本人が奴隷として海外に売られ、それらの問題に秀吉がどう向き合ったかという視点に立つ本は今も少ない。
豊臣秀吉

秀吉の紀州攻めで水攻めにされた太田城と紀南の国人衆の抵抗~~紀州攻め3

秀吉軍の紀州攻めで粉河寺は全山全焼したが、高野山は秀吉の提示した条件を全面的に受け入れて焼かれずに済んだ。一方雑賀衆の残党は太田城に集結し籠城して秀吉軍と戦おうとしたが、秀吉は紀ノ川から水を引いて、太田城を水攻めにして雑賀衆を全滅させた。その後秀吉軍は紀南の国人衆と戦い勝利したが、地侍はその後何度も蜂起した。
豊臣秀吉

秀吉の紀州攻めで根来寺の大伝法堂・大門が焼けずに残り、解体されたのはなぜか~~紀州攻め2

秀吉の紀州攻めによって多くの寺や神社が焼かれたのだが、戦う意思のなかった寺社にも火が放たれた。そのことは、秀吉の紀州攻めのメンバーにキリシタンが多数いたことと関係があるのではないか。不思議なことに根来寺の重要な施設は焼け残り、高山右近はその建物を伴天連に欲しいと秀吉に求めている。
豊臣秀吉

秀吉の紀州攻めで多くの寺社が焼かれた理由~~紀州攻め1

天正十二年の小牧・長久手の戦いで秀吉は織田・徳川連合軍と戦ったが、根来・雑賀衆は織田・徳川方につく一方、秀吉の留守を狙って堺や大坂に攻め入り、建築中の大坂城等を破壊した。秀吉は小牧・長久手の戦いを終結させ、根来・雑賀衆を滅ぼすために紀州攻めを決行。その際に多くの寺社が焼かれている。
ロシア・ソ連

レーニンが創設したチェーカーに付与された怖ろしき権限

ロシア革命以降チェーカーが設立され、裁判所の決定無しに即座に容疑者を逮捕、投獄、処刑を行う権限が与えられたのだが、この組織がロシア人の大量虐殺に関与した。ブルジョアジーや教会は財産が没収され、多くが処刑されたのだが、このような共産主義国の負の側面はわが国では殆んど伝えられていない。
ロシア・ソ連

ロシア革命の活動資金を誰が支援し、レーニンら革命政府の指導者は最初に何を実行したのか

ロシア革命の活動資金はジェイコブ・シフ等のユダヤ人が出していた。ロシア人口に占めるユダヤ人は全体の6%程度であったが、革命政府の要職に就いたのはほとんどがユダヤ人であり、革命直後に政府が実行したのは、富豪・貴族・僧侶らの虐殺であり、「ロシア革命はユダヤ革命」と広く認識されていた。
ロシア・ソ連

第一次世界大戦の最中にロシア帝国が崩壊した背景を考える

ロシア政府はユダヤ人を厳格に取締り、弾圧を強めていった。第一次大戦がはじまると、バルト海沿岸地方のユダヤ人全員を県内から追放し、ドイツ軍が接近すると全住民の撤退命令が出て、工場の操業が止まった。また移住先で人々は物価騰貴と大量の失業者に悩まされ、革命直前の経済的破壊の原因を作った。
ロシア・ソ連

日露戦争で日本の外債発行を助けたジェイコブ・シフはロシア革命勢力を支援した

ジェイコブ・シフが日露戦争で日本を支援した理由は、ユダヤ人を迫害していたロシアの変革を期待した点にある。シフはポーツマス講和会議の時にユダヤ人の代表としてロシア全権のウィッテと会いユダヤ人の境遇改善を訴えたが物別れとなり、アメリカに圧力をかけて米露通商条約を廃棄させた。
神社合祀

日露戦争後に神社合祀が推進された理由と南方熊楠の戦い~~神社合祀5

日露戦争後のわが国は大幅な増税を余儀なくされ、神社合祀政策も歳入増加の為に強行されたものと考えられる。知事の任免権を持つ内務省の方針にいくつかの知事が応じて、神社の破壊が推進されたのだが、南方熊楠が戦って神島などの自然が護られた。白浜には熊楠を愛した昭和天皇の歌碑が建っている。
神社合祀

中村啓次郎が衆議院で神社合祀問題を再び採り上げ、伐採を免れた引作の大クスノキ~~神社合祀4

中村啓次郎代議士が衆議院で神社合祀問題を再び採り上げ、内務省が昨年改善を約束したにもかかわらず、神社合祀による破壊が行われている地域が少なくないことを指摘した。その後三重県の引作神社にあった大クスノキは地元の人々や南方熊楠や柳田国男の力で残されたのである。
神社合祀

神社合祀による破壊活動が簡単に止められなかった事情~~神社合祀3

南方熊楠の「神社合祀に関する意見」には、官吏らが強引に神社合祀を推進し、神社の社殿や社叢を破壊していったことが書かれている。衆議院の中村啓次郎代議士はこの問題を採り上げ、平田東助内務大臣は改善を約したが、訓示を出しても神社の破壊はすぐには止まらなかった。
神社合祀

明治政府の神社合祀施策と和歌山県の神社破壊の状況~~神社合祀2

三重県、和歌山県、大阪府の神社合祀は特に激しく、一町村一社の考えが優先されて、由緒ある神社の多くが破壊され、和歌山では熊野沿道の諸古社が軒並み破壊された。南方熊楠は官公吏が私腹を肥やす目的で神社を破壊し、神職も神社合祀に協力したことを指摘している。
神社合祀

明治末期に政府が推進した神社合祀と鎮守の森の大量破壊~~神社合祀1

明治の末期に多くの神社が神社合祀政策により破壊され、全国の神社の約3分の1が失われた。特にひどかったのが三重県、和歌山県、愛媛県で、三重県では約9割の神社が無くなった。なぜ多くの神社が失われたかを調べていくと、合祀推進者が私腹を肥やした可能性が指摘されている。
廃仏毀釈・神仏分離

石清水八幡宮の神仏分離を追う

石清水八幡宮は、幕末までは神仏混交の宮寺で、山中から山裾にかけて多くの僧坊が建ち並び、僧侶による神前読経が行われていたのだが、明治元年の神仏分離令により残っていた二十三の僧坊が廃絶されてしまい、山内の景観は一変して多くの文化財が入札にかけられた。。参道沿いには多くの僧坊の跡が残されている。
廃仏毀釈・神仏分離

宮門跡の一つであった照高院が明治初期に失われたこと

男性皇族が出家して住職として居住する寺院を宮門跡というが、全国で十三あった宮門跡の寺院の一つであり伏見城の建物が移築されていた照高院は、明治の初期に取り壊されてしまった。跡地には石垣のみが残され、「照高院址」の石碑はなぜか別の場所に建てられている。
廃仏毀釈・神仏分離

廃仏毀釈と、架け替えられた京都四条大橋

「文明開化」で国を挙げて洋風化に取り組んでいた時期に、京都の四条大橋が鉄橋に架け替えられたのだが、この時に金属製の仏具類がその材料に用いられたとの記録が残されている。神仏分離令の後の廃仏毀釈もひどかったが、文明開化期にも文化財の多くが失われた。
隠れキリシタン(茨木)

禁教の時代を乗り越えて信仰を繋いできた最後のキリシタン~~隠れキリシタンの里3

茨木市の千提寺地区には、江戸幕府が禁教令を出した以降三百年以上にわたり、秘密を守りながらキリスト教信仰を繋いでいた家があった。聖ザビエル像が発見された大正八年には4軒が存在し、大正15年にローマ教皇庁使節が最期の隠れキリシタンを訪ねた時は、中谷イトさんは「アヴェ・マリアのオラショ(祈り)」を披露したという。
隠れキリシタン(茨木)

聖ザビエル像が山奥で発見されたのち、売却された経緯~~隠れキリシタンの里2

聖フランシスコ・ザビエル像(国重要文化財)は大正九年(1920)に茨木市で発見されたのだが、なぜ山奥の民家でこのような貴重なものが出てきたのだろうか。またザビエル像は今は神戸市立博物館の所蔵品となっているが、どういう経緯で売却されたのであろうか。
隠れキリシタン(茨木)

聖フランシスコ・ザビエル像が北摂の山奥に残された経緯~~隠れキリシタンの里1

今から100年程前に、茨木市千提寺で聖フランシスコ・ザビエル像など貴重なキリシタン遺物が相次いで発見されている。このあたりはかつてキリシタン大名・高山右近が治めた地域なのだが、そののちキリスト教は禁教とされた。山深い地域で貴重な遺物が出てきた経緯を考えてみたい。
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