歴史ノート

フィリピン

アメリカはいかにしてフィリピンを手に入れたか

「太平洋の鍵」を支配する 米国海軍大佐であったA.T.マハンが一八九〇年に『海上権力史論』という本を著し、欧米史においてシーパワーがいかに重要であったかを論証したが、その本の中でパ...
田沼時代と天明の大飢饉

田沼意次の長男・意知の暗殺を仕掛けたのは誰か

田沼意知おきとも暗殺事件 天明四年(1784)三月二十四日、田沼意次の長男である田沼意知が江戸城内において、新番組の佐野政言さの まさことに斬りつけられ、その八日後に死亡している。...
田沼時代と天明の大飢饉

田沼意次を「賄賂政治家」として貶めた政敵は誰なのか

田沼時代の再評価 学生時代に田沼意次たぬま おきつぐは「賄賂政治」を行ったと学んだので、以後長いあいだこの人物については悪いイメージを持っていたのだが、近年この人物が再評価されてい...
支那事変(日中戦争)

蒋介石が黄河の堤防を爆破させ、多くの民衆が溺死しさらに大飢饉が発生したこと

黄河決壊事件 一九三七年(昭和十二年)盧溝橋事件から支那事変がはじまり、南京陥落後日本軍は中国中心部に軍を進め、翌年六月には河南省の中心地である開封かいほうを占領。次いで鄭州ていし...
ハワイ

GHQが焚書した『真珠湾』を読む2 真珠湾攻撃とロバーツ委員会報告

真珠湾攻撃 アメリカ人のブレーク・クラークが書いた『真珠湾』の続きだが、前回は日本軍が真珠湾の周囲にある飛行場や海兵隊基地を空爆した場面を紹介させていただいた。発艦直前の翔鶴の飛行...
ハワイ

GHQが焚書処分した米国側の真珠湾空襲の記録1

『真珠湾』という本がなぜ翻訳出版されたのか 昭和十六年(1941年)十二月八日に日本軍がハワイの真珠湾に碇泊していた多数の戦艦を撃沈し、ホノルルの飛行場を爆撃したのだが、この攻撃に...
ハワイ

GHQ焚書で読むアメリカのハワイ併合と日本の抗議

前回は、カラカウア王が国際親善訪問から帰国後、王権の強化を図るとともにハワイの伝統・文化を復活させようとしたことがアメリカを強く刺激することとなり、アメリカの圧力により憲法を押し付...
ハワイ

GHQ焚書で読むハワイと日本の交流史

GHQが焚書処分した本の中に、ハワイに関する本が全部で十一点存在する。その中で、戦後の日本人にはほとんど知られていない話が多く記されているので、いくつかを紹介させていただくこととし...
王政復古の大号令

幕末の「ええじゃないか」騒動を考える

「ええじゃないか」騒動が起こるまで 学生時代に教科書や参考書をいくら読んでもピンとこない叙述がいくつかあったが、江戸時代末期の「ええじゃないか」は変な出来事だとは思いながら、「一般...
開国前後

攘夷から倒幕に突き進んだ薩長の志士たちの活動資金はどこから出たのか

むかし幕末から明治維新までの歴史を学んだ際に、若い世代が国事に没頭して徳川幕府を倒したことに驚き、彼らの活動資金がどこからでていたのかについて疑問を感じた人は少なくないだろう。昔は...
開国前後

江戸幕末期に存在した武士身分の相場

旗本の貧困生活菊池寛の『大衆維新史読本』の復刻版が電子書籍の響林社文庫から出ていて、Amazonで購入しKindleで読むことが出来る。この本には江戸幕末から明治維新期に関する興味...
徴兵令と士族の没落

徴兵制を軌道に乗せるまで苦労の連続であった明治政府

廃藩置県と徴兵制 教科書などでは、明治四年(1871年)の「廃藩置県」について、明治政府は薩長土三藩から御親兵を募り中央集権を固めたうえで、藩を廃して県と呼び、知藩事(旧藩主)を失...
明治経済史

大倉喜八郎がいかにして大財閥を築き上げ、稼いだ金を何に使ったか 

前回の「歴史ノート」で大倉喜八郎は江戸幕府の動きや黒船を観て、これからわが国で内乱が起きることを直感し、乾物商をやめて武器商に鞍替えして大稼ぎしたことを書いたが、戊辰戦争が終わると...
明治経済史

鰹節屋の小僧から独立した大倉財閥の祖・大倉喜八郎

明治期に大倉財閥を築き上げた大倉喜八郎は、天保八年(1837年)越後国新発田の質屋の五人兄弟の四番目の子として生まれ、幼名を鶴吉といった。生家は商家とはいえ、帯刀が許され殿様に拝謁...
明治経済史

薩長対立の中を生き抜いた藤田伝三郎と藤田コレクション

前回の「歴史ノート」で、藤田伝三郎の経営する藤田組が西南戦争を機に大儲けしたあと、同社が請け負って危険な戦地に送られた人夫たちが、西南戦争が終わった後に解雇されたことで彼らの不満が...
明治経済史

奇兵隊に参加し失明した藤田伝三郎が大富豪となった経緯

以前このブログで旧長州藩の奇兵隊が明治三年(1870年)頃に新政府に反旗を翻し、騒動に関与したメンバーが百人以上斬首されたことを書いた。どういう経緯でこのような事件が起きたかについ...
明治経済史

貧家に生まれた岩崎弥太郎がいかにして財を成したか 三菱の原点を考える

岩崎弥太郎 第二次大戦後にGHQが財閥解体を行うまでは、三井財閥・三菱財閥・住友財閥を三大財閥と呼んでいた。三井、住友についてはそれぞれ三百年以上の歴史ある豪商がルーツであるのだが...
織田信長

秀吉の「中国大返し」を考える~~本能寺の変5

「中国大返し」の疑問 天正十年(1582年)六月、備中高松城を水攻めにして毛利軍と戦っていた羽柴秀吉が、本能寺で主君織田信長の死んだことを知り、毛利側の安国寺恵瓊あんこくじ えけい...
織田信長

家康の生涯最大の危機とされる「神君伊賀越え」を考える  本能寺の変4

本能寺の変の日の家康の動き (通説) 天正十年(1582年)五月に徳川家康は重臣とともに安土城で饗応を受けた後、信長の命により京都や堺を見学し、本能寺の変が起きた六月二日の早朝には...
織田信長

明智光秀が信長を裏切ったのは何故か 本能寺の変3

光秀が謀反を起こした理由については定説がない 本能寺の変について当時の記録を読むと、真実が相当歪められて後世に伝えられていることが見えてくることを、前回の『歴史ノート』で書いた。歴...
織田信長

信長は本能寺で家康の殺害を狙っていたのではなかったか 本能寺の変2

明智軍の兵士たちは家康を討ちにいくのではないかと考えていた 前回の「歴史ノート」で、イエズス会のルイス・フロイスが書いた本能寺の変に関する記述の一部を紹介させていただいた。 その引...
織田信長

本能寺の変で信長の遺体は見つからなかった 本能寺の変1

信長の時代に本能寺は何処にあったのか日文研データベース 『都名所図会』 本能寺 上の図は安永九年(1780)に刊行された『都名所図会』に描かれた本能寺だが、秀吉に移転を命じられ天正...
織田信長

安土城を絶賛したイエズス会宣教師ルイス・フロイスの記録を読む

天守が完成して三年で焼失した安土城 安土城は天正四年(1576年)に織田信長によって琵琶湖東岸の安土山に築城された山城で、わが国で最初に大型の天守閣を持った城なのだが、天守が完成し...
支那事変(日中戦争)

蒋介石と唐生智は何を狙って南京を脱出したのか 南京戦を考える4

南京から逃亡した最高指揮官の唐生智は処刑されずに栄転した唐生智 Wikipediaより そもそも南京防衛戦の最高指揮官でありながら無責任にも南京から逃亡した唐生智は、多くの兵士を死...
支那事変(日中戦争)

蒋介石と唐生智は日本軍と戦う前に南京を脱出していた  南京戦を考える3

昭和十二年(1937年)八月に発生した第二次上海事変で日本軍は苦戦を続けていたが、相次ぐ増派により攻勢に転じ、ようやく十一月九日に上海全域を占領している。しかしながら上海線における...
支那事変(日中戦争)

大量の中国兵の死体の山が残されたのはなぜか 南京戦を考える2

挹江門ゆうこうもん事件に関するニューヨーク・タイムズの記事 前回の「歴史ノート」で台湾の「佛網電子商城」というサイトに「南京唯一の脱出路であった下関シャーカン付近では、日本軍が南京...
支那事変(日中戦争)

日中戦争における中国兵の戦い方 南京戦を考える1

中国兵の書いた日中戦争体験記 『敗走千里』 GHQ焚書処分された本の中に、中国人の陳登元が日中戦争の戦争体験を綴った手記を『敗走千里』という本がある。この本は昭和十三年に刊行されて...
支那事変(日中戦争)

蒋介石が招聘したドイツ軍事顧問団は対日戦を求めていた

前回の「歴史ノート」第二次上海事件にドイツ軍事顧問団が関わっていたことを書いた。 蒋介石は顧問団の進言を受けて、この戦いで一般市民の犠牲を出すことも厭わず、嘘のプロパガンダで日本軍...
支那事変(日中戦争)

蒋介石が日本軍と上海で戦いたかった理由~~第二次上海事件

前回の歴史ノートで、一九三七年七月七日の盧溝橋事件からわずか三週間の間に多くの日本人が虐殺されたことを書いた。とりわけ七月二十九日の通州事件では通州の在留日本人・朝鮮人三百八十人の...
支那事変(日中戦争)

盧溝橋事件の後の和平交渉がうまく行かなかったのはなぜか

教科書における盧溝橋事件の解説 昭和十二年(1937年)七月七日深夜に起こった盧溝橋ろこうきょう事件を発端としてわが国と中国との間の武力衝突が拡大していったのだが、たとえば『もうい...
戦争と共産主義

ゾルゲ諜報組織はアメリカまで伸びていた

チャールズ・ウィロビー少将はダグラス・マッカーサー大将の情報参謀で、戦後はGHQ参謀第2部 (G2) 部長として対日謀略や検閲を担当したが、わが国で共産主義勢力を増長させようと動い...
戦争と共産主義

昭和七年以降日本共産党でリンチ事件が頻発した事情

前回の「歴史ノート」記事の最後に、昭和八年(1933年)の十二月に日本共産党の宮本顕治・袴田里見らが仲間をリンチにかけて殺害した「日本共産党スパイ査問事件」のことを書いた。この事件...
戦争と共産主義

特高警察の取調べの際に用いられた暴力はどの程度のものであったのか

このブログで宮下弘の『特高の回想』の文章を何度か引用させていただいたのだが、この本を読むまでは「特高(特別高等警察)」という存在は悪いイメージしかもっていなかった。その理由は、「日...
戦争と共産主義

中国共産党に繋がる諜報ルートが解明できなかった事情

前回の「歴史ノート」で多くの共産主義者からの転向組が陸軍に入り込んだことを書いた。そしてその前の記事で、ゾルゲ諜報団が一斉に逮捕されたことを書いたのだが、特高は併行して中国共産党に...
戦争と共産主義

陸軍に共産主義からの転向者が入り込んだ影響

前回の「歴史ノート」で『近衛上奏文』の内容について紹介させていただいたのだが、近衛内閣のブレーンには多くの共産主義者がいたのは近衛の人脈に問題があり、近衛自身が重要人物を政治の中枢...
戦争と共産主義

軍部や官僚に共産主義者が多数いることを昭和天皇に上奏した近衛文麿

以前このブログでソ連のスパイであった尾崎秀実が獄中で書いた手記のことを書いたが、今回はこの尾崎を重用していた近衛文麿が、昭和二十年二月に天皇陛下に上奏した『近衛上奏文』についてその...
戦争と共産主義

ゾルゲ諜報団の一斉検挙と戦後日本の言語空間

前回の記事で、北林トモの供述に基づき宮城与徳が逮捕されたのち、宮城は仲間のこと等について固く口を閉ざしていたことを書いた。では何がきっかけで、宮城が供述を始めることになったのか。宮...
戦争と共産主義

ゾルゲ、尾崎秀実らが一斉検挙に至った経緯について

前回の歴史ノートでソ連のスパイ活動をしていた尾崎秀実が獄中で記した手記の一部を紹介した。この尾崎秀実を自白させたのは特高第一課係長であった宮下弘という人物だが、特高はその前に、アメ...
戦争と共産主義

コミンテルンのスパイ・尾崎秀実にとっての第二次世界大戦

今回はゾルゲ事件の首謀者の一人として昭和十六年(1941年)に逮捕され昭和十九年(1944年)に死刑に処された尾崎秀実おざき ほつみが、昭和十七年(1942年)三月か四月頃に獄中で...
戦争と共産主義

関東軍はコミンテルンの工作活動の重要な対象であった

張作霖爆殺事件 以前このブログで、昭和三年(1928年)六月四日に起きた「張作霖爆殺事件」について三回に分けて書いた。 通説では日本軍(関東軍)が張作霖を暗殺したとされているのだが...
戦争と共産主義

二・二六事件と中国の西安事件でわが国が戦争に引き込まれる準備が整った

昭和十年(1935年)七月から八月にかけて第七回コミンテルン大会が開催されたが、この大会の後でわが国と支那で起こった事件を調べてみると、不可解な事件や重大な出来事が相次いでいること...
戦争と共産主義

昭和天皇が二・二六事件の叛乱軍討伐を命じられた

前回の「歴史ノート」で、竹山道雄が『昭和の精神史』で昭和天皇が二度だけ例外的に御親政を行われたと書いていることを紹介した。その「二度」というのは、「二・二六事件の際と終戦の際」だと...
戦争と共産主義

なぜわが国軍隊の暴走を止められなかったのか

これまで、昭和時代の初期に学生や兵士等に赤化工作が行われ、若い世代を中心に共産主義思想が拡がっていったことを書いてきた。このことと日本軍の暴走したことと関係があるのではないだろうか...
戦争と共産主義

コミンテルンは全世界に共産主義を拡散させようとした

これまで、ソ連・コミンテルンがわが国の教育機関や軍隊に対して盛んに赤化工作を行ってきたことを書いてきたが、同様な工作を全世界レベルで行っていた。今回は彼らの世界の赤化工作について書...
戦争と共産主義

コミンテルンによる日本軍への赤化工作を考える

コミンテルン第六回大会の決議内容 「コミンテルン」は「第三インターナショナル」あるいは「国際共産党」とも呼ばれ、世界の共産主義国化のために一九一九年にモスクワで結成された共産主義運...
戦争と共産主義

満州事変後に共産主義者が大量に愛国陣営に流れたのはなぜか

前回記事で、昭和初期のわが国で多くの若者が左翼思想に共鳴し、全国の学校だけでなく軍隊にも赤化工作が行われていたことを書いた。当時は私利私欲で動く政治家が政争を繰り返し、庶民は貧困に...
戦争と共産主義

昭和初期に多くの若者が左翼思想に共鳴したのはなぜか

前回記事で、小学校から大学まで多くの赤化教員が潜り込んで生徒に左翼思想が拡げられたことなどを書いた。 では、コミンテルンが日本共産党に指令した赤化工作が、実際のところ当時の生徒たち...
戦争と共産主義

ソ連・コミンテルンによる教育機関の日本赤化工作

前回は一九二八年(昭和三年)の七月から九月にかけてモスクワで第六回コミンテルン大会が開催され、七月には長春、奉天、鉄嶺、安東の日本軍に対して赤化宣伝文書が大量配布されたことが国民新...
戦争と共産主義

ソ連・コミンテルンによる初期の日本赤化工作

「赤化せっか」という言葉は今ではほとんど死語になってしまったが、共産主義的な思想や機構を広めていくことを意味している。戦後に出版された本やマスコミの解説などで触れられることはほとん...
文明開化とその裏面

わが国で最初に石油を製造した石坂周造

わが国の石油消費量のほとんどは中東などから輸入されているが、わずかながらわが国でも秋田県や新潟県を中心に石油の生産が行われており、国内生産量は2022年で41万キロリットルで国内消...