伊藤博文を撃ったのは安重根だったのか~~~伊藤博文暗殺その2

伊藤博文暗殺

暗殺時に最も伊藤の近くにいた室田義文の証言

 わが国の初代首相であった伊藤博文は、明治四十二年(1909年)十月二十六日にハルビン駅頭で、韓国の独立運動を進めていた安重根によって暗殺されたというのが定説になっている。

安重根(Wikipediaより)

 韓国では、安重根は抗日戦争の英雄と評価され、一九七〇年にはソウルに「安重根義士記念館」が建設されるなど、まるで韓国の国民的英雄扱いだ。

 しかし、伊藤博文を暗殺した犯人は安重根でないという説が古くから存在する。

 『歴史通(2010/7号)』で若狭和朋氏が「伊藤博文暗殺 安重根は犯人ではない」という論文を書いておられるが、その論文に、重要な指摘がある。

 …奇妙な事実がある。外務省外交史料館に残された『裁判資料』の目次に、『室田義文の証言』とありながら、『証言』の本文が欠落している

『歴史通(2010/7号)』p.83
室田義文 外交官の頃

 室田義文(むろた よしあや)は外交官から実業界に転進した人物で、この事件で伊藤博文の随行員として現場にいて自らも五発の銃弾を受けたものの運よく軽傷で済み、その後も実業家として昭和初期まで活躍した男である。この人物の証言が『裁判資料』のファイルから、どういうわけか抜き取られてしまっているというのである。そこにはどういう内容が書かれていたのだろうか。

当時のハルビン駅

 室田の伝記としてまとめられた『室田義文翁譚』(昭和十三年十二月刊)という本があり、この本の中で室田が伊藤博文の暗殺事件を詳しく述べている箇所がある。外務省外交史料館の『裁判資料』から欠落している室田の証言内容に近い内容である可能性が高いと考えるのだが、この本の中で室田は、伊藤らがハルビン駅を降り立ち、待ち構えていた人々に挨拶をしながら歩を進めていた時に銃声がした時のことについて、次のように述べている。

ハルビン駅で下車した伊藤博文 幕末・明治・大正回顧八十年史. 第14輯より

 その時義文は伊藤のすぐ後二間(けん:一間=1.82m)あまりのところを歩いていたが、瞬間、ピチピチという音、それから爆竹用のもの音を聞いた。そこで歓迎のためだなと思っていると、つづいて、

 バン! バン!

と音がした

 ハッとして気がついてみると、堵列した儀仗兵の間から、小さな男が恰度大きな露兵の股の間をくぐるような格好をしながらピストルを突き出している

 『おや?』

 と思って、ふと伊藤の方を見ると、伊藤も義文の顔をチラッと顧みた。そして途端に、何ものかへ寄っかかりたい様子でヨロヨロと義文の方へよろけて来たので、義文は瞬間、

 『やられたな!』

 と思い、咄嗟(とっさ)にかけ寄って伊藤を支えた。伊藤は、義文の手をしっかりと握って、

 『室田、やられた。』

と一言いった。

 その時例の小男はすでに兵隊の手で取り押さえられていたが、真実伊藤を撃ったのは、この小男ではなかった。駅の二階の食堂から、斜め下へ向けてフランスの騎馬銃で撃ったものがある。それが即ち伊藤暗殺の真犯人である。というのは、伊藤の受けた弾丸は、いずれもフランスの騎馬銃の弾丸で、三発であったが、その第一弾は肩から胸部乳下にとどまり、第二弾は右腕関節を突き抜け臍の側を縫うて臍下へ止まっている。そして第三弾は、右手臍の側を縫い、腹部の皮をすうっと切って外部へそれてしまっている。が何にもせよ、右肩から斜め下に撃つには、如何なる方法によるも二階を除いて不可能である。そこは格子になっていて、斜め下に狙うには絶好であった。つまり伊藤の負傷は三段とも、階上から斜め下へ向けて発射した傷であって、断じて露兵の股間から拳銃を突き出して撃ったものではない。殊に、小男のは短銃であり、伊藤の方はフランスの騎馬銃でやったものであった。

『室田義文翁譚』常陽明治記念会 昭和14年刊p.270~272
ハルビン駅で儀仗兵閲兵中の伊藤博文 その後遭難 幕末・明治・大正回顧八十年史. 第14輯
伊藤公遭難当時の見取図 (明治42年11月4日付の報知新聞掲載)Wikipediaより

 撃たれた伊藤は貴賓車内に運び込まれすぐに応急措置が取られたのだが、狙撃されてから約三十分後に絶命したという。

ロシアが犯人を安重根と断定した

 室田は、伊藤の没後すぐに弔問に訪れたロシア蔵相ココーフツオフに犯人について訊ねている。この時点では、伊藤の受けた弾丸の種類についてはわかっていない。

 ココーフツオフは、
『犯人は、安重根という朝鮮人です。すぐ事件発生と同時に捕らえて護送いたししました。昨夜も、騎馬銃を持った怪しげな朝鮮人が三人、隣のステーションの付近を徘徊しておりましたので、捕らえるようすぐ返電いたしましたが逃がしてしまったというので、殊更厳重に警戒を加えたのですが、たぶん、その一味であろうと思います。』

 この時義文の脳裡をサッとかすめたものがあった。それは、安重根という犯人に擬された男は、あの儀仗兵の間からピストルを突き出していた小さな朝鮮人のことだろうか、ということであった。もしそうだとすると、重大なる疑点が生じて来る。というのは、伊藤が受けた右肩から斜め下への傷である

 義文は、咄嗟にそう思った。
『犯人は安重根ではない。』

 しかし、犯人が安重根でないとすると、いったい誰か。義文は悲境の想いやるかたなく、きっと唇を噛みしめた。この義文の「犯人が安重根でない」という説は、外交上にも由々しき問題となるので、結局否定されてしまったけれど、しかしそれは真実のことであった。それは後に法廷に於いて、安重根が取調べの法官に対して答えたことが、如実に物語っている。そして尚それを裏付けるものは、伊藤が受けた弾痕である。それは決して安重根の持っていたピストルの弾丸ではなく、フランスの騎馬銃の弾丸であった。…中略…

 ともあれ安重根は、法官の
『お前は伊藤博文公の顔を知っているか。』
という問いに対して、
『知りません。ただ背の高い、口髭をはやした人だと聞いて居ります。』
と答えている。つまり、安重根は、義文を、伊藤と間違えていたのである。

『室田義文翁譚』p.278~280

 事件発生と同時にロシア兵に捕まえられたのは、室田が目撃した小さな朝鮮人だった。その男が犯人だとするロシア蔵相の説明は、室田は咄嗟に嘘だと直感した。伊藤の銃痕は上から撃たれたことを示しており、「小さな男が恰度大きな露兵の股の間をくぐるような格好をしながらピストルを突き出して」「右肩から斜め下」への銃痕を残せるはずがないのだ。

 その後、伊藤の撃たれた弾が安重根の銃のものと異なることを知り、さらに法廷で安重根の証言した内容を知って、室田は「犯人は安重根でない」ということを確信したわけだが、安重根が伊藤の顔を知らなかったという話は決して作り話ではない。安重根自身が著した『安重根自伝』には、「我…伊藤の面貌を知らざればなり。…日人団体中偉容最も重き前面の先行者に向かって…連射すること三発」(『安重根自伝』p.74)と書いていることで確認できる。

 伊藤の顔を知らない安重根は、背が高く口髭を生やしていた室田を伊藤だとして狙った可能性が高く、伊藤よりも背が高い室田は、安重根の証言を知って、安は伊藤と間違えて自分を撃ったと認識していたことを知るべきである。

伊藤および随行員の被弾の状況

 ところで、この時に被弾したのは伊藤だけではなかった。

 伊藤と同時に負傷したものには、森宮内大臣秘書官、川上総領事、田中満鉄理事の三人があったが、いずれも軽傷で川上は入院、森と田中は同じ汽車でひきかえすこととなった。遭難の際義文、中村満鉄総裁も洋服のズボンに各々弾丸を受けていた。

『室田義文翁譚』 p.277

 若狭和朋の前掲の論文に、室田義文の証言として被弾の状況がまとめられている。

伊藤博文  三個(盲管二、貫通一)  (注・盲管:体内に弾が止まっていること)
室田義文  五個(小指の擦過傷一、衣服貫通痕四)
中村是公  二個(衣服貫通痕二)
森泰二郎  一個(衣服貫通痕一)
川上俊彦  一個(盲管一)
田中清二郎  一個(足首貫通・靴に弾が止まっていた)
合計十三個である。複数のロシア兵に取り押さえられた人物(安重根)は七連発式のブローニング拳銃で狙撃したのだが、六発を装弾し一弾を残していた。…つまり安重根が撃ったのは五発。弾頭には殺傷力を高めるために十字の刻み痕をほどこしていた。

『歴史通(二〇一〇/七号)』p.80
FN社製 ブローニング拳銃

 上の画像がブローニング拳銃だが、そもそも安重根の七連発のブローニング拳銃一挺で合計十三発被弾した状況は説明不可能だ。

一九世紀のフランス製カービン銃

 また、前述した通り、伊藤博文の体内に残っていた弾丸は、後の調べで二発のフランス騎馬銃の弾丸であった。騎馬銃とは、けん銃より長く小銃よりは短い、カービン銃のことで、この弾をブローニング拳銃で撃つことはできない。したがって、伊藤を撃ったのは安重根ではなく別の人物であることは明らかである

韓国統監曾禰荒助の桂首相あて電報

 ところで、外務省外交史料館にも、真犯人は安重根でないとする資料が残されているという。

曾禰荒助(Wikipediaより)

 前掲の若狭論文によると、『伊藤公爵満州視察一件』というファイルのなかに、問題の『曾禰荒助韓国統監が桂首相に宛てた電報』があるという。しばらくこの論文を引用する。

 核心部分は次の通りである(現代表記に直した)。

『…真の凶行担当者は、安重根の成功とともに逃亡したるものならんか。今、浦塩(うらじお)方面の消息に通じたる者の言うところに照らし凶行主謀者および凶行の任に当たりたる疑いある者を挙げれば左の数人なるべきか』

として二十五名を記している。安重根の名もこのなかにある。浦塩(ウラジオストック)には多数の韓国人が居住していて、「韓民団」という組織はロシアの「特務機関」の影響下にあった
浦塩方面の消息に通じたる者とは、朝鮮憲兵司令官明石元二郎*だろうかと、私(若狭氏)は推測している。
要するに、日本政府は本件を安重根の凶行として幕にしたのである。
*明石元二郎:陸軍軍人。ロシアの反政府分子を支援する調略で日露戦争の勝利に貢献した。

『歴史通(2010/7号)』p.83

 この電報の引用部分を読めば、第二代韓国統監・曾禰荒助も伊藤博文を撃った犯人は別安重根でないと認識していたことが明らかである。そしてこの電報は、統監という立場で桂首相に宛てたものである。いい加減な調査に基づくものであるはずがないのだ。

 若狭論文によると、この電報に記されていた二十五名はすべて「韓民団」のメンバーだったようだ。事件直後にロシア軍と警察が、事件現場で拳銃を所持していた挙動不審者を安重根以外に三名の韓国人を検束していたが、彼らも全員が「韓民団」のメンバーだったようである。

 ロシア側では「一味」とされた三十余名を拘束し事情を調べたが、裁判管轄権が日本側であると決定すると、犯行と関係がないと判断した者たちを釈放し、その他の容疑者は旅順に送られて収監されたという。

 明治四十三年(1910年)二月十四日、関東都督府地方法院は安重根以下四名の判決を言い渡した。
 安重根は死刑とされ、懲役三年が一名、懲役一年六月が二名だった。
 伊藤博文が暗殺されてから五か月後の三月二十六日に安重根の死刑が執行され、それからほぼ五か月後の八月二十二日に、日韓併合により大韓帝国は消滅した

 伊藤博文暗殺事件を追っていくと、日本政府が徹底的に犯行グループを追究する姿勢が弱かったことがなんとなく見えてくる。

 若狭氏が書いているように、日本政府は、安重根の犯行ということで幕引きを図ろうとして、真の暗殺者につながる資料を封印することにしたのであろう。
では、なぜわが国政府は、真の犯人を追究することをあきらめたのか
この点については次回のテーマで書くこととしたい。

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