GHQが焚書処分したイギリスのインド統治に関する本には何が書かれていたのか

英領インド

『インドの叫び』

 戦後GHQが、七千点以上の書籍を没収して日本人に読めないようにしたが、その中には外国人の著作が少なからずあった。

 外国人が書いた本で一番多く焚書処分されたのは、アドルフ・ヒットラーの著作だが、その次に多くの処分を受けたのはインドの独立運動家のラス・ビハリ・ボースの著作である。この本には戦後の日本人に知らされることのなかった、イギリスのインド統治の実態が記されている。

ラス・ビハリ・ボース (Wikipediaより)

 GHQ焚書処分を受けた『インドの叫び』の中で、ボースはアメリカの宗教家の言葉を引用しながらこう記している。

「過去百五十年間英国は、国民教育において何等の措置を講ぜず、今日のインドにおいて読み書きし得る者は、英国侵入当時におけるよりも少ない。また英国侵入前の方がインド人は富み栄えていたのである。然るに今日九割すなわち三億二千万が文盲であって、過去百五十年間読み書きなし得たものの総数は二千に百六十万に過ぎない。かかる英国が果たしてインドを統治するに適するであろうか。」(チャールス・ラッセル)

…<中略>…

世界大戦にアメリカを引き入れた英国の功名なる宣伝機関は、世界に対し、インド人は英国の侵入前より文盲であり、今日も人口の9%が読み書きし得るにすぎないからインドは自治に適せぬと称している。

 この宣伝は一時は世人を誤魔化し得るかも知れぬが、史家は将来必ず英国の虚構なる宣伝の罪を指摘するであろう。英国は過去二世紀間にインド人の読み書きし得る者の率を60%より9%に低下せしめた。日本は七十年間に被教育者率を99%に引き上げ、ロシア、トルコは十年間に著しき効果を挙げたが、英国はインドにおいてマイナス52%の効果をあげたのである。しかも英国は厚顔にもインドに文明の初歩を教えつつありと説く

 ケア・ハーディKeir Hardy 曰く、「マックス・ミュラーの調査によれば英国の侵入前勉ゴールに八千の小学校があり、全インドにわたり子供の読み書きを教えるところがあった。しかるに今それらは何処へ行ったのであろうか。」

(ラス・ビハリ・ボース『インドの叫び』p.114~115 三教書院 昭和13年刊)
インドの叫び - 国立国会図書館デジタルコレクション
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 ボースは、イギリスがインドを統治して以降、学校は少なくなり識字率は九%にまで低下したと書いている。イギリスの悪政は教育だけにとどまらない。経済政策はもっと劣悪で、インド人は貧しく、飢饉が何度も発生したという。

 インドは昔から幾たびとなく外国の侵略を受けたが、最近二世紀間の英国の侵略ほどインド経済を破壊したものはなかった。…<中略>…

 インドに二十年以上居住したデグビー氏は言う。

一、英国のインド統治始まって以来、インド人の一人当たり収入は次第に減じつつある。1850年一人あたり一日の収入は二片であったが、1880年一片半となり、1900年四分の三片となった

二、収入の減少に引きかえ税金は増加し、1900年において英本国の四倍以上に達している。

三、1900年全インド人収入の34日5分の1分が英本国に課金として送金されたが、かかる貢納金を強要した例は史上にその比を見ないのである。

四、英国の統治以来飢饉は増加した。即ち十九世紀の最初の二十五ヶ年間の飢饉数は地方的なるものであったが、最後の二十五ヶ年間には全国的なるもの二十二の勃発を見た。インドのような大国が奴隷状態に置かれ搾取を受けながら英国の不正は全く外界に伝わらないのである。」

(同上書 p.119-120)

 インド人の一人当たりの収入は五十年間で八分の三まで低下し、その上重税を課して飢饉が毎年のように起こるようになったのだが、このような悪政はその後改善されたのであろうか。ボースは1919年のイギリスのインド統治についてこのように記している。

 インドにおける大虐殺の当の責任者であるダイア将軍Dyerは…全然無辜の男女及び子供らに無制限の射撃を命じた人である。フランスの戦場では交戦者双方とも武器弾薬を有していたが、パンジャブの戦場では、身に寸鉄を帯びざる男女が、完全に武装せる英国兵の射弾を受けなければならなかった。

 しかし、ダイアは英国に決して珍しい人物ではない。

 英国にとって武器なき人民の虐殺、児童射撃は決して事新しきことではなかった。英帝国主義者の中にはかかる事実を関知せずと称するものもあるが、歴史は英国の不法、非人道、弾圧、圧迫、迫害の明々白々たる証拠を提示している。

 東インド会社時代より今日に至るまで、会社職員、藍または胡椒栽培主、茶栽培主、或いは英国人知事、兵士、官吏が同様の残忍な行為を行ってきたのである

(同上書 p.129~130)

アムリトサールの大虐殺事件

 このようなとんでもない統治が百年前のインドで行われていたのだが、この記録には誇張もあるのではないかと思って他の本を探していると、ドイツ人のラインハルト・フランクの著した本でGHQ焚書処分を受けた『虐げられし印度』に、一九一九年の虐殺事件が詳しく記されていることがわかった。

 1919年4月12日にインド人はアムリトサール(インドの西北、パンジャブ州のシーク教徒の聖地にして、商業の中心地)において、一つの集会を催した。それは何ら治安を紊す目的のもとに行われたのではなく、普通の、平和なる会合に過ぎなかった。ところが民衆がまさに祈祷をはじめようとした刹那、英駐屯軍司令官ダイヤー将軍は、突如民衆に向かって――全く無警告で――発砲を命じた。驚愕した民衆は総立ちになって、我れ先に逃げ出そうとひしめき合ったが、あらゆる出口は、既に英兵の銃火によって遮断されたので、場内は阿鼻叫喚の修羅場となり、見る見るうちに数百名の婦人や小児が即死を遂げたほか、数千名の重軽傷者を出し、ために海上一帯は血の海と化した

( ラインハルト・フランク 『虐げられし印度』 p.11 高山書院 )
虐げられし印度 - 国立国会図書館デジタルコレクション
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 どのような経緯で集会が開かれたのかを調べると、Wikipediaに詳しく書かれている。

 イギリスは第一次大戦後にインド自治を漸進的に実現すると約束したが、形式だけの自治を認めただけで、1919年3月には破壊活動容疑者に対する令状なしの逮捕、裁判なしの投獄を認めるローラット法を発布した。

 4月に入ると、アムリットサル市を中心としてパンジャーブ州(過激派テロ組織「ガダル党」の根拠地でもある)では大暴動が発生し、銀行、駅、電話局、教会などが暴徒に襲われ、十数人のイギリス人が殺害されたため、治安部隊が投入され、集会の禁止が通達された。集会の禁止が通達されたものの、4月13日には2人の民族指導者の逮捕に抗議する非武装1万2千人の集会がアムリットサル市で行われた。

 女性や子供も参加し、非武装で暴力的行為も無かったこの集会の参加者に対してイギリス人のレジナルド・ダイヤー准将率いるグルカ兵からなるイギリス領インド帝国軍一個小隊が乗り込み、いきなり参加者に対する発砲を始めた。さらに避難する人々の背中に向けて10分から15分に渡って弾丸が尽きるまで銃撃を続け、1,500名以上の死傷者を出した。この後、戒厳令が発令され、暴動は一気に収束したが、この弾圧によってインドの反英運動は激化することになった。

アムリットサル事件 - Wikipedia

 このダイヤー准将軍の行動はイギリス政府からも非難されて大佐に降格の上罷免されたのだそうだが、訴追されることはなかったという。

 そしてこの事件を機に、マハトマ・ガンディーによって始められていた非暴力抵抗運動が、インド全土に大きく広がっていくことになるのである。

マハトマ・ガンディー (Wikipediaより)

穀物が充分にありながらなぜ飢饉が起こったのか

 『虐げられし印度』を読み進むと、英国側の統計によるとインドに起こった飢饉は、18世紀後半に四回、19世紀前半に12回、19世紀後半に35回で、1891年から1900年の10年間で、飢饉によって19百万の死者を出したという。ラインハルト・フランクはこう解説している。

 元来インドには、食糧はいつも十分に産出している。だが悲しいことには、人民には金がなければそれを手に入れる手段を持たなかった。そして全く嘘のような話であるがどんな飢饉のときにも、インドの穀倉には穀物が溢れていたのである

 労働党出身の英国前首相ラムゼー・マグドナルドは、その在野党領袖時代に『印度の覚醒』なる一書を著し…、インドの飢饉に関して次のような事実を暴露した。

 1900年のクザラト飢饉は最も惨状を極め、アーメダバッドに於いては、日毎に多数の死者を出したが、インド官憲の報告によれば、該地方の穀物商の手には、優に二か年を支えるに足る穀物が貯蔵されていた。…

 かかるがゆえに、インドの飢饉は断じて穀物の欠乏に原因したものではない。失業と低賃金とに悩める上にも、物価は高騰し、ために人民は、物資の豊富なる最中にあって餓死したのである

(同上書 p.108~109)
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未だに戦勝国に忖度するわが国の歴史教科書

 以上のような史実は、戦後の日本人には封印されていたのだから知らないことはやむを得ないのだが、教科書にはイギリスのインド統治についてどのように記しているのだろうか。

 『もう一度読む山川世界史』では、1757年のプラッシーの戦いで、イギリス東インド会社がベンガル地方政権とフランスの連合軍に勝利して、インド侵略の足場を固めた。当時はムガル帝国の衰退期で、イギリスは内陸部に容易に進出できたことに続けてこう書いている。

 イギリスの支配は、インド社会を大きく変えた。安い機械織り綿布の輸入によってインドの古くからの木綿工業は大打撃をうけ、また綿花・藍・アヘン・ジュートなどの輸出用作物の栽培、商品経済の浸透、あたらしい地税制度の採用などにより、伝統的な村落社会が崩れた。一方、植民地支配を行うため資源開発や交通網・通信網の整備がなされ、イギリス流の司法・教育制度が導入された。思想面では、カースト制の否定や女性地位改善などのヒンドゥー教近代化運動がおこった。

  1857年、東インド会社のインド人傭兵(シパーヒー<セポイ>)が待遇などへの不満から反乱を起こし、デリーを占拠してムガル皇帝を擁立した。反乱には旧王族とその家臣、地主や農民など、イギリスにそれまでの諸権利がうばわれた様々な階層のインド人が参加し、イギリスは2年間その鎮圧に苦しんだ。…これまでインドを統治していた東インド会社が解散され(1858年)インドはイギリス政府の直轄下におかれることになった。1877年にはヴィクトリア女王がインド皇帝をかね、ここに直轄領と藩王国からなるインド帝国(1877~1947年)が完成した 。

  イギリスは統治制度を整備しつつ、インド人の間に対立が起きるようにする巧妙な「分割統治」を行った 。

(『もう一度読む山川世界史』p.187-188)

 この教科書では、誰もがイギリスが酷いことをしたようには読めず、強引ではあったが近代化を推進し、文明社会をインドに齎したかのような印象を受ける。「あたらしい地税制度の採用」などという記述を読んで、地租が倍以上に跳ね上がった事実を想像する人は皆無だと思うし、 また「イギリス流の教育制度が導入され」たという記述で、文字が読める人口の比率が60%から9%に激減し、大多数のインド人が文盲のままで放置されていた事実を誰が読み取れようか 。

 以前このブログでGHQの検閲に関するレポートをしたが、今の教科書も戦勝国に忖度する姿勢は変わっていないのである。書かれていることは綺麗ごとばかりで、これでは本当に何があったかが見えて来ない。

 このブログの「デジタル図書館」の「GHQ焚書」のメニューに、イギリスとインドに関する著作でGHQより焚書処分を受けた65点のリストを昨日に載せておいたので、興味のある方は除いたいただくとありがたい。これらの書籍のうち復刊されたものは現状では一点もなく、著作権保護期間が満了すればインターネット公開されるルールなのだが、『国立国会図書館デジタルコレクション』でネット公開されているのは現状では20点だけだと思われる。

 このような内容に関して、有名な検索サイトで検索してもなかなか引っかからないのは、何らかの対策がされているのであろう。私のブログ記事もBingでは上位に表示されても、他の有名な検索サイトではひっかからないことが多いのである。良い方法があればご教示いただくとありがたい。

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 ブログ活動10年目の節目に当たり、前ブログ(『しばやんの日々』)で書き溜めてきたテーマをもとに、昨年(2019年)の4月に初めての著書である『大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』を出版しています。
 通説ではほとんど無視されていますが、キリスト教伝来以降ポルトガルやスペインがわが国を植民地にする意志を持っていたことは当時の記録を読めば明らかです。キリスト教が広められるとともに多くの寺や神社が破壊され、多くの日本人が海外に奴隷に売られ、長崎などの日本の領土がイエズス会などに奪われていったのですが、当時の為政者たちはいかにして西洋の侵略からわが国を守ろうとしたのかという視点で、鉄砲伝来から鎖国に至るまでの約100年の歴史をまとめた内容になっています。
 読んで頂ければ通説が何を隠そうとしているのかがお分かりになると思います。興味のある方は是非ご一読ください。

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