明治六年政変

兵庫

丹波古刹の「もみじめぐり」と名工を生んだ土地柄

十一年前に兵庫県丹波市内の紅葉名所を観光して旧ブログで記事を書いたのだが、その当時丹波市は『丹波もみじめぐり』と題して、市内の紅葉名所九ヵ所を紹介するパンフレットを作成していたので、それを参考にして五ヶ寺を選んで旅程を組んだ。  久しぶりに...
征韓論から士族の反乱

赤坂喰違の変で岩倉具視はいかにして難を逃れたか

明治六年の政変で士族たちが絶大な信頼を置いていた西郷らが下野したことで、政府に対する不平不満は烈しいものとなり、各地で士族の不満が爆発しそうな不穏な情勢となっていた。 翌年の一月に岩倉具視を乗せた馬車が赤坂喰違坂で九名の高知県士族に襲われたのだが、いかにして難を逃れたか。
征韓論から士族の反乱

征韓論が生まれた背景と明治六年の政変

江戸時代に於ける李氏朝鮮との交渉は対馬国守の宗氏が窓口となり、釜山浦草梁に倭館が置かれて貿易などが行われていたのだが、明治維新後は新政府を交渉の窓口とすべく何度か使節を送ったのだが、当時の同国は大院君による極端な排外主義的政策がとられていて、わが国の使節は侮辱され、国書も斥けられる始末であった。わが国では征韓論が起こり、西郷隆盛は自らが丸腰で交渉に行くことを主張した。