近衛内閣が日独伊三国同盟を締結したのは昭和十五年(1940年)九月のことなのだが、この時すでに第二次世界大戦は始まっていて、ドイツは1939年9月、イタリアは1940年6月に参戦していたのである。当時イタリアはヨーロッパで孤立化しており、それに対抗すべく1940年5月には独伊軍事同盟条約に調印していた。ムッソリーニはこの時点ではすぐに第二次大戦が勃発するとは考えていなかったが、開戦後優勢であったドイツを見て枢軸側での参戦に傾いていったという。
イタリアが参戦に踏み切った事情を、地政学の観点から論じた本がGHQによって焚書処分されている。景山哲夫 著『地政学上より見たる伊太利問題と地中海』によると、イタリアの人口はフランスと同水準であるにもかかわらず農業地はフランスの半分しかなく、主要な原料が自給できず輸入に頼らざるを得ないところもわが国によく似ていた。イタリアの主要原料の平時自給率の数字を見ると、銑鉄及び原銅54%、銅0.6%、石炭17%、石油0.5%、綿花22%、羊毛35%などと、輸入できなければ国民経済が回らないことは明らかである。イタリアは海軍力を有していたが、石油がなければその力を発揮することは困難だ。外貨を稼ぐために移民を試みたのだが、イタリア移民は英米などでひどい差別待遇を受けていたという。同上書には、イタリアがドイツに接近した事情が次のように記されている。
この他、南方物資たる麻、「ゴム」、錫、その他も全く海路によらなければならない。イタリアが海軍の拡充を考え、海運界が比較的に発達していたのは、その経済的生命が全く海上輸送に依存していたが故である。これだけからみても、イタリアが経済戦に耐えるには少なくとも、地中海の制海権を確保しなければならない。地中海の制海権を確保するには、絶対的に「リビア」を確保していなければならないことが言えるのである。…
以上によって明らかなるごとく、イタリアは経済的には戦争に参加する資格を全然持っていなかった。ムッソリーニの言によれば、地中海はイタリアにとって「通路であるのみならず、生命である」
イタリアの政治家たちはその論説において、イタリアはもはや「地中海の囚人」たることを欲しないと常に論じていた。蓋し、ジブラルタルとスエズ運河とが軍事的に大英帝国によりて支配され、地中海の重要な根拠地たるマルタ、サイプライス、ハイファ、ポートサイド、アレキサンドリアが地中海領域における英国の権力地位を保証している限り、イタリアは自らを捕虜と感ぜざるを得ないのである。イタリアがアビシニア獲得戦を開始し、国際連盟がこれに対して経済封鎖を断交したとき、イタリアは苦難な「経済戦略的」地位に置かれた。英国はイタリアとの武力衝突を避けようとして、正規の軍事的封鎖の実行を断念した。しかし、当時の国際連盟としては、もしやろうと思えば、地中海に通ずる三つの海峡、即ち、ジブラルタル、ダーダネルス、スエズ運河を監視することによってイタリアの商品調達の大部分を――外国から輸入される商品に限り――簡単に遮断することができたのである。イタリアはこの脅迫を肝に銘じている。
大英帝国は自己の海軍の優越性を盲信して、今次の戦争が勃発すると直ちに地中海における貿易統制を強化してイタリアを極度に圧迫するという誤謬を犯した。 …中略…イタリアは高度に海上交通に依存する国柄である。ミラノの「イル・ソレ」紙の報告によれば、1938年には、イタリア全輸入中の80%までが、ジブラルタル海峡を通過していたものであった。スエズ運河とダーダネルス海峡を通ってイタリアに輸入されるものは海路による輸入の中の各々5%であった。残りの10%が地中海諸地方からの輸入であった。英国の取った封鎖政策によって運送が途絶し、石炭の輸送が完全に陸路に切り替えられるまでは、イタリアの石炭輸入はほとんど全部、即ち98.9%までが海路によって行われていた。石油の輸入もやはりその大部分がジブラルタル海峡を通過していた。海路によって輸入される石油のわずかに8%がスエズ運河を通じ、さらに14%が黒海より供給されていたのである。
経済封鎖の廃止後、イタリアは、今後英国の経済的攻撃を受けた場合に、これに対し十分に対抗しうるような外国貿易体制を作り上げようと懸命に努力した。イタリア植民地の中、地中海領域にあるものはリビアとドデカネス諸島だけであり、これらの植民地との貿易はイタリアの武力によってある程度確保し得る状態にあった。したがってイタリアはドイツ並びに東南ヨーロッパ諸国との貿易に特に注意を払った。…中略…エチオピア戦争はドイツ・イタリア間の貿易取引高を倍化せしめるための序曲であった。ハンガリーもまた同様、イタリアとの貿易高の著しい増加を長期にわたって維持することができた。なお国際連盟から圧迫されて経済制裁に参加しなければならなかった東南ヨーロッパ諸国も1937年以降はイタリア貿易を急激に増大し始めた。…中略…
なお東南ヨーロッパ諸国に対するイタリア貿易の進出が、同地方におけるドイツの貿易上の利益を侵害するであろうというようなことは、今日においても、将来においてもあり得ないことである。イタリア工業の特殊な製品は、ドイツ商品市場とほとんど無関係な販路を東南ヨーロッパにおいて求めていたのである。何となれば東南ヨーロッパ向けドイツの輸出は、周知の如く、全く別な攻勢を持っているが為である。東南ヨーロッパ諸国がかくの如くにして分岐せる外国貿易によっていよいよその生産の刺激を受けるならば、それはドイツ自身にとっても利益であった。東南ヨーロッパ諸国の購買力はかくのごとき貿易関係を通して益々高まるわけである。
(景山哲夫『地政学上より見たる伊太利問題と地中海』牧書房 昭和19年刊 p.74~80)
イタリアはイギリスに地中海貿易を圧迫された経験から、ドイツや東南ヨーロッパとの関係を強化していくのだが、イタリアにおいてもドイツと同様に、ユダヤの民族主義に反発する動きが強まっていったことは興味深い。彼らは国境を破壊し、ユダヤ帝国建設のために、時と場合によっては暴力も辞さず、工作活動により社会を混乱させると認識されていた。
GHQ焚書の東又清 著『イタリヤの文化政策』には、こう記されている。
…ともかく、彼等(ユダヤ人)は常套手段である捏造と虚偽とを以て、罪を他方に被せるという甚だ狡猾な団体である。つまり正義と神を口にする彼らの正体は、あながち贅語を要するまでもない事だが、以下はファシスタ文化から解釈して彼らに与えた民族的素質の批判で、正しく大胆な刻印を推したものと見て差し支えない。
「彼らユダヤ人はヨーロッパは勿論、世界のいたるところのアーリア民族とは有史以来数千年を通じても容易に同化し得なかったものである。そればかりで無く彼らは如何なる国家の革命にもその指揮者として活躍し、その健全なる文化を破壊し、その国際財力の支配を狙って、あらゆる国民を奴隷化しようとするものだ」
この実例としては、イタリアではシオニズム*と姉妹関係にあるマッソネリア**が最もその魔手をほしいままにしたのは、1870年以来のことであったが、当時イタリアに打ち続いたデモクラシー政府の無力を利用して、彼らはその勢力を官僚間に、行政機構内に、教育界に、さては軍隊内にまで浸食させたのであるが、これが禍となって内閣の瓦解から一時はイタリア国民の生命力でさえ支配したのであった。…中略…
*シオニズム:ユダヤ民族国家をパレスチナに樹立することを目指した運動
**マッソネリア=フリーメーソン:秘密結社としてヨーロッパ各地の革命や政治運動を画策したとする説もあるが詳細は不明。かように、彼らは真善美の理想郷としての社会国家の改善を口にしたのであるが、他方ヨーロッパ大陸では皮肉にも、これとは反対に神を認めない極端な反宗教的運動をなすものとなって現われ、実例として、イタリアではローマ法王庁とのはげしい闘争を惹き起こしたこともあった。
(東又清 著『イタリヤの文化政策』文松堂 昭和18年刊 p.75~76)
あたかも、1864年、イタリアが更生運動の真只中にラッタッツィによって新しく内閣が組織された頃、法王領内にはある種の秘密結社が反乱企図を抱いたのであるが、この結社はマッソネリアとの関係をもったことは言を俟たない…、ローマでは同年10月22日、モンティ及びトニェッティの2名のマッソネリア党員がセッリスト兵営の爆破を試み、他にも数百のマッソネリアの別動隊は、ポルタ・サン・パオロを占領した事実がある。
その後もマッソネリアによる騒乱が相次ぐのだが、彼らは帝王や国家の権力を認めず、民族的社会的文化や伝統を否定し、自由社義、民主主義の中心思想となった。ヨーロッパ諸国では治安維持観点からマッソネリアの結社を禁止し、イタリアにおいても反ユダヤの声が強まっていったという。1924年9月1日には、ムッソリーニは外国人たるユダヤ人の地位に関して緊急勅令案を提出しているが、結構ユダヤ人に厳しい内容になっている。
その要諦は、大体次のとおりである。
(同上書 p.88~89)
(1)イタリア及びその領土内に居住する外国籍のユダヤ人は6か月以内に国外に追放させること。…
(4)ユダヤ人にして国公立又は後任の大学教授及び学校職員の地位にある者はその職責を停止し、かつ、ユダヤ人にして大学教授資格試験合格証所有者もその資格を取り消す事。
(5)ユダヤ人にはいかなる種類の学校へも入学を許可せず、また、在学中の者はこれを退校せしめること。
(6)イタリア学士院、科学、文学及び美術に関する境界または団体の会員たるユダヤ人は1938年10月16日限りその資格を取り消す。
(7)本勅令によって定めるユダヤ人とは、両親ともにユダヤ人たる者より出生したる者を指し、たとえ、その信奉する宗教がユダヤ教いがいのものたる場合もまた同じ。
その後10月には、ユダヤ人の申請による新規店舗の開業および一般公衆を相手とする営業の禁止令を出し、加えて営業免許の移譲を禁じ、さらにヴェネチヤ宮において第一回ファシズム大評議会が開かれ、ユダヤ人排斥の宣言が採択されている。イタリアがここまでユダヤ人を排斥していたことはこの本を読むまでは知らなかった。
以下のリストは、GHQ焚書リストの中から、本のタイトルに「イタリア」、「ムッソリーニ」、「ファシスタ」、「ファシズム」を含む書籍をリストアップしたものだが、全部で34点がヒットした。内14点が「国立国会図書館デジタルコレクション」でネット公開されている。
タイトル | 者 | 出版社 | URL | 出版年 |
伊エ問題とエチオピア事情 | エチオピア問題 懇談会編 | 黒龍会出版部 | ||
イタリア国民厚生運動 : 「勤労の後」国民運動 | 青木治朗 | 安土書房 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1275903 | 昭和18 |
イタリヤの文化政策 | 東又清 | 文松堂 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1438878 | 昭和18 |
イタリア三国同盟一周年記念特輯 | 石川 昌 編 | イタリアの友の会 | ||
イタリーの決意 | 片倉藤次郎 | 朝日書房 | ||
英伊蘇、終に滅亡か | 近藤源吉 | 日本精神社 | ||
エチオピア皇帝とムッソリーニ | 永松浅造 | 森田書房 | ||
最近の伊太利政治 : ムッソリーニの国策 | 田畑為彦 | 言海書房 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1279430 | 昭和10 |
世界大戦を孕む 英伊エチオピヤの危機 | 小林虎治 | 那須書房 | ||
大戦外交読本 ③伊参戦より三国条約成立 | 情報局第三部 編 | 博文館 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1440136 | 昭和15 |
地政学上より見たる 伊太利問題と地中海 | 景山哲夫 | 牧書房 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1450353 | 昭和19 |
ドイツ、イタリーの統制経済 | 国政一新会 訳 | 国政一新会 | ||
独伊に使して | 児玉璋六 編 | 日本新聞協会 | ||
独伊の完勝と其の後のアメリカ | 関根郡平 | 東亜建設協会 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1282241 | 昭和15 |
独伊の世界政策 | 小島威彦 | ヨーロッパ問題研究所 | ||
独伊より帰りて日本国民に訴ふ | 中野正剛 | 銀座書房 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1282222 | 昭和13 |
独仏、伊仏休戦協約全貌 | 片倉藤次郎 訳 | 朝日書房 | ||
日伊協会会報. 第1号 | 日伊協会 編 | 日伊協会 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1142144 | 昭和16-18 |
日伊文化協定 | 国際文化振興会編 | 国際文化振興会 | ||
日英米仏伊軍艦集. 1935年版 | 海軍研究社 編 | 海軍研究社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1109500 | 昭和10 |
日独伊三国同盟と日本の進路 | 城北隠士 | 亜細亜出版社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1098086 | 昭和15 |
日独伊枢軸論 | 白鳥敏夫 | アルス | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10278572 | 昭和15 |
日独伊協定の真目的 | 馬奈木敬信 奥村喜和男 | 生活社 | ||
日独伊同盟と日本の将来 | 野依秀市 | 秀文閣書房 | ||
日本とイタリヤ | カルロ・フォルミキ | 日伊協会 | ||
人間ムッソリーニ | 不明 | 人生社 | ||
驀進日本 : 日独伊同盟と再建世界 | 小林知治 | 国防攻究会 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1457163 | 昭和15 |
ファシスタ教本 : イタリア生活記 | 米谷隆三 | 実業之日本社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1275945 | 昭和16 |
ファシズム教育 | 渡辺 誠 | 世界創造社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1462807 | 昭和14 |
ムッソリーニ | 松平道夫 | 金の星社 | ||
ムッソリーニ全集 第8巻 世界新秩序への胎動 | 下位春吉 訳 | 改造社 | ||
ムッソリーニ全集 第9巻 | 下位春吉 訳 | 改造社 | ||
ムッソリーニ全集 第10巻 | 木村 毅 訳 | 改造社 | ||
ムッソリーニ、ルーズヴェルト | 塩津誠作、松本梧朗訳 | 春陽堂 |
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