戦後の長きにわたりタブー視されてきた「地政学」
「地政学(geopoliics)」という学問は、民族や国家の特質を、主として風土・環境などの地理的空間や条件から説明しようとする学問であるが、小牧実繁は戦前・戦中においてこの分野で活躍した代表的地政学者で、『地政学上より見たる大東亜』を著した昭和十七年当時は京都帝国大学文学部の教授であった。
しかし終戦直後に小牧のほか国内の地政学者の多くが公職追放処分を受け、小牧の著書も七点がGHQにより焚書処分されてしまっている。小牧は昭和二十六年に追放解除となり翌年に滋賀大学教授に就任し、後に滋賀大学長に就任しているが、戦後の著作は『近江国見聞録 : 伝承を訪ねて五十年』のほかは、『人文地理学』や『城南宮史』『新大津市史』を編纂した程度で、戦後は地政学に関する著作を一冊も残さなかった。このことは、GHQ地政学者を大量に公職追放し、以降長きにわたり「地政学」が侵略戦争を理論的に下支えした学問だ批判され、「地政学」について学問的検討や批判をすることがはばかられる時代が続いたことと無関係ではないだろう。
今回紹介させて頂く『地政学上より見たる大東亜』は昭和十七年にラジオで放送された彼の講演の草稿で、非常に読みやすい本である。冒頭の「概観」の文章を紹介したい。
コロンブスがヨーロッパ人のいわゆる新大陸、アメリカ――それもヨーロッパ人の仮称するところであるが――に第一歩を印した時、そこは果たして無人の新大陸だったであろうか。そこにはアメリカの原住民、ヨーロッパ人がほしいままにアメリカ・インディアンと呼称する民族がいたのではなかったか。そしてそれが要するにアジアの民族にほかならないことは欧米の学会自身においてすら承認せられているところではないか。ヨーロッパ人のいわゆる新大陸アメリカは、元来が亜細亜民族の生命圏なのである。いわゆるアメリカはアジアにほかならない。…中略…(われわれは)仮にこれを「東アジア大陸」と呼んでも毫も差し支えないと思う。
アジアの南、南極の北、そこに一つの大陸がある。ヨーロッパでは古くこれを南方大陸と呼んだ。そして近くはオーストラリアと呼んできた。しかしそれも要するにアジアに他ならないのである。ヨーロッパ人がこれを占拠したのは漸く近世になってのことである。もし今そこに僅かに五万二千余人の原住民しか残存しないとすれば、それは植民当初の英国人によって虐殺せられ、あるいはその民族離間の奸策に乗せられ、部族相互の殺戮を見たためにほかならない。英国人植民の当初には約百万人の原住民がいたことは、英国人宣教師グリブル自身の報告によっても明らかである。而して当時百万人に達したこの原住民が、要するにアジアの民族にほかならないことは、すでに人類学、民俗学などの証明するところである。ヨーロッパ人自身が、彼らのいわゆるオーストラリアとニュージーランド等の諸島嶼とを総括してオーストララジアと称するのは…要するに南アジアということにほかならない。…われわれは公然オーストラリア大陸を「南アジア大陸」と呼んでいいのである。
ヨーロッパの南、インド洋の西に位する大陸はアフリカであるが、それもまたアジアにほかならない。古代ギリシャにおいては、アフリカはアジアと一体と考えられていた。アラビア海はアジアとアフリカの内海と考えられていた。インダス川をナイル川の上流とする、それがギリシャのアレクサンダー大王の考えであった。この考え方からすれば、アフリカもまたアジアなのではないか。地中海の北、黒海の西をヨーロッパ、地中海の南、黒海の東をアジアとするのが古代ヨーロッパの伝統的地理思想であった。即ちアフリカは本来アジアだったのである。…われわれは公然これを「西南アジア大陸」と呼んで差支えはないのである。…中略…
あるいは太平洋と言い、あるいはインド洋と言い、あるいは大西洋と言い、あるいは極洋と言い、しかもそれを各々別個の海と概念せしめたもの、それは要するにヨーロッパの謀略である。太平洋もインド洋も大西洋も極洋もいずれもアジアの海でないものはない。七つの海などがあるのではない。すべての海は続いている。世界の海は一体である。
小牧実繁 著『地政学上より見たる大東亜』日本放送出版協会 昭和17年刊 p.3~7
いわゆる大航海時代以前は、アメリカ大陸も、アフリカ大陸も、またヨーロッパを除くユーラシア大陸も、もともと有色人種しか住んでいなかったという当たり前のことを書いているのだが、これ等の大陸を白人国が侵略し原住民を奴隷にして民族の生活と文化を破壊してきた史実が書かれた本は、よほど戦勝国にとって都合が悪かったのだろう。
インドは、インドシナ、東インド諸島、支那、日本等の諸地域とともにアジア特有の季節風に属し、明らかにアジア太平洋文化圏のなかに生きるべきなのである。しかるにそれは近世以降、インド・大西洋的連携を強制せられてきていたのではなかったか。
濠洲もまたそうである。大東亜海地域の延長として、濠洲は必然的に東亜に結合せらるべきなのである。しかるにこれを截然としてアジアより切断し、いわゆる白人濠洲たらしめたのが英国だったのである。
太平洋にしてもやはりそうである。かつてはアジアの海として一大海洋文化を開花せしめたのが太平洋であった。しかるにそれもまた近世以後欧米によって、きれぎれに切断せられたのである。否、大東亜戦争開戦直前に於いては、太平洋を東経百八十度の経線を以て東西に両分し、これを日米両国間に分割すべしなどとの、欧米的覇道主義に基づく軽率な俗論が、日本の国内においてすら唱道せられ、しかも、それがいわゆる識者ともいわれるべきものによって、広く撒布せられるにまで立ち至っていたのである。
要するに近世世界のアジア諸大陸はすべてこれヨーロッパに臣属せしめられ、すべてその領土と化し、自らの正当な主体性を認められることなくして、ただヨーロッパの搾取の対象たるにのみとどまったのであった。
同上書 p.12~13
しかしながらヨーロッパによるアジア侵略はその目的を完全に達成することはできなかった。その理由について小牧は次のように記しているのだが、この文章はGHQにとっては許しがたいものであったろう。
それは神国日本を中心とするアジアが、本来世界史展開の根軸たるべき歴史的地理的性格を具有するがゆえにほかならない。近年独伊らの諸国が皇国日本と固き盟約を結ぶに至ったのも、また実に彼らがかかる世界史的意義を洞察し、その統率者日本の支援なくしてはヨーロッパ新秩序の建設成り難きを炯眼早くも自覚したからに他ならない。世界最大の廣袤(こうぼう:面積)と、世界最多の人口とを有し、豊穣な沃土を展げ、富裕な資源を蔵し、古代以来高度の文化を発展せしめ来ったこのアジアが世界史展開の原動力なること、しかしてその統率者日本が真に世界の根軸たるべきことは、今やこのことをもってしても瞭(あき)らかなのである。
同上書 p.14
小牧は「アジア」を「大東亜」とほぼ同義で用いているが、要するに「アジア」は西洋の支配から脱して、わが国が中心となって共存共栄すべきであることを述べているのである。
ヨーロッパがアジアより優位に立っていった経緯
「世界の四大文明」と言われる、メソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明、中国文明は、いずれも「アジア」の有色人種によるもので、ヨーロッパより「アジア」の方が豊かである時代が長く続いていたのだが、どういう経緯で白人種のヨーロッパが「アジア」に対して優位に立つことになったのであろうか。
ヨーロッパは地形上アジア大陸の一半島部に過ぎないのであるから、ヨーロッパの繁栄は古来アジアに依存するところが多かった。西洋文明の源泉となったギリシャ・ローマの文化は、古代東方諸国の文化の受容によって成立している。従って地中海から東方、インド、支那への交通の確保は、その繁栄を持続する上に不可欠の要件であったのである。アレクサンダー大王のインド遠征、ローマの皇帝マルクス・アウレリウス・アントニウスの使節派遣の如き、全くかかる目的によったのである。かくして絹を初めアジアの産物が、広くヨーロッパに輸入されたのである。
ヨーロッパにとって、かくも重要な意義を有したアジアとの交通の阻害は、必然的にヨーロッパの没落を意味した。西ローマ帝国の没落はかくして来った。アジアの根底から切断せられた西欧は、貧弱なる中世的、孤立的経済に後退するのほかなかったのである。地理的にアジアと比較的密接な関係を有した東ローマ帝国が、なおその命脈を持続することができたのは全くそのためであった。しかしてアラビア半島に勃興したサラセン人は、インド洋を航行して東アジアと交易したために、富強をいたしたのみならず、その余恵をヨーロッパに与えることができたのであった。
すなわち聖地回復に名を借りた十字軍の遠征は、久しく立たれていた西欧と東方との交通を回復し、これより東方の文物は滔々としてヨーロッパに入り、かくして東方との交通の要衝にあたったヴェニス、ゼノア、フローレンス等イタリアの諸都市がまず起こり、貿易による利潤の蓄積が資本主義の先駆となり、これを土台してかのルネッサンスの文運も開けたのである。
オスマントルコの勃興によりアジアへの交通を遮断せられたヨーロッパは、その道の打開のために必死の努力を傾注した。即ち東洋より伝来した羅針盤、火薬等を利用してアフリカ廻航の新航路、大西洋横断のアジアへの道を開いたのである。ヨーロッパがアジアに求めるところ如何に大なるものがあるかは、このことからも知り得るのである。
この道によりまずアジアに侵攻し来ったのが、ポルトガルとスペインである。ついでアジアの侵略に登場したのがオランダ、フランス、英国である。しかして最後にアジアに最も富裕な植民地を獲得することにより、世界支配の覇権を掌握したのが英国であったのである。
「イギリスの王冠にちりばめられた最も光輝ある宝石」と称せられるインドは、実に英国をして今日有らしめた宝庫であった。ヨーロッパの近海においてスペイン貿易船の掠奪を事とした当時のイギリスは、ようやくヨーロッパの二流国に過ぎなかったのであるが、インド洋に進出し、敵手フランスを駆逐してインド貿易を独占するや、イギリスはモスリン、キャラコ等のインド綿布及び絹布を初めその他のインドの特産を一手にヨーロッパ市場に供給し、資本の蓄積に成功したのである。しかしてこれがやがて産業資本として転用され、英国における産業革命、産業資本主義の発達を導き、しかして結局その金融資本主義による世界制覇が招来せられたのである。
人口においてまた資源において、インドに優るとも劣らざる支那は、欧米侵略国の垂涎措く能わざるところであった。英国はまず茶および絹を多量に支那から輸入したのであるが、その支那に要する銀を獲得するために物色したのがインドのアヘンであった。かくしてアヘンは滔々として支那に入り、支那は逆に正貨の流出に苦しんだのみならず、アヘンはついに支那民衆の心身を破壊するに至ったのである。清朝がこれを禁ぜんとしたのは当然であった。しかも英国は容易にこれに従わず、清朝がついにやむを得ず英国商人のアヘンを没収するや、暴戻英国はついに武力を以てかかる非人道的なる貿易を擁護せんとしたのである。これが即ちアヘン戦争であり、しかしてアヘン戦争こそ英国の香港割取、上海、広東等五港を開かしめることの契機となり、これがシナ侵略の基地となり、爾来、百年にわたる支那の経済的搾取に油を注ぐこととなったのである。
アジアの侵略戦に遅れて登場したのが米国であった。しかも第一次欧州大戦後、英国に代りアジアを金融的に支配せんとしたのが米国だったのである。
しかもこのことこそ、欧米がアジアに求めるところ如何に大なるものあるかを示すものに他ならないのである。換言すれば、米英がアジアに依存するところ如何に多いかを示すものに他ならないのである。アジアの宝庫がアジアに奪回された暁における米英の困窮は、蓋し察するに余りありと言うべく、英国の如き、もはや自滅のほかなきこと火を見るよりも明らかである。
しかして盟邦独伊によるヨーロッパの新秩序も、アジアの経済的擁護なくしては成立しえないことは、かかる世界史の趨勢が明証するところである。われわれはアジア経済の復古維新、その正しい確立こそ、世界新秩序の基礎となることを悟らねばならない。
同上書 p.46~50
つまるところ、欧米の「アジア」侵略なくしてヨーロッパの繁栄はなかったのだが、なぜアジアはさしたる抵抗をしないまま、欧米に取り込まれていったのであろうか。
欧米列強の「アジア」支配から脱するために
小牧は「アジア」住民の職業構成に注目している。
大東亜の住民の職業構成を見るに、わが国の五〇%を最低として、支那は七〇~八〇%、その他の地方では九〇%以上のものが農業に従事しているのである。しかも風土の関係よりして、その大部分は水田農業を営んでいるのである。即ち米作がアジア経済の基本をなしているのである。
水田稲作は灌漑、排水、除草等に細心の注意を要し、家族的労働及び村落的協働によらなければその経営は困難である。アジアの社会が家族制度を基盤とし、家族を単位とする隣保の自給自足的経済を長く維持し来った所以はそこにある。
しかるに欧米資本主義経済の浸潤はここに貨幣経済を導入し、自らの工業生産品を高価に売り付ける代償として、アジアの農産物を安価に提供せしめ、農民、おおみたからをして次第に困窮に呻吟せしめるに至ったのである。かくして現在アジアの農民、おおみたからの大部分は狭小なる耕地をしか有しない貧弱なる自作農たるか、寄生的地主の下に隷属する零細なる小作農たるかの境涯に沈淪しているのである。…中略…
アジアの各地における国内商業者の現状を見るとき、それは彼らが欧米資本の農村搾取への代行者たるの役割を務めて来ていたというべきものである。殊に南洋華僑にその典型が見られた。日本は今や速やかにアジアの配給機構としての商業組織の新編成を成就し、華僑をもこの組織の中に再編成して、アジアの商業をして、アジアの諸民族の共存共栄のために十全の機能を発揮せしめるの要がある。…中略…
アジアの資源のうち、鉱物資源は全く地質によって決定せられるのであるが、有機的資源すなわち農、林、牧、水産等の資源は、結局気候、土壌その他の自然条件に規定せられているのである。しかるにアジアの自然は前述の如く複雑多様であるが故に、アジアの資源は自ずからその種類に富み、加えるにその地域の広大のゆえにその生産量は莫大である。しかもこの豊かなる天恵に浴することを得ずしてアジア十億の民が久しく飢餓線上に呻吟し来ったのは何故だったであろうか。それは欧米の搾取によるのではなかったか。…中略…
アジアを侵略者欧米の手より奪回し、これを正しい本然の秩序にかえさなければならないのである。これを経済についていえば、アジアの経済をアジアの基調たる農業にかえらしめるとともに、これが近代化、否、現代化をはかるという方向に進まなければならない。しかしてその各地域における過剰人口は、あるいは濠洲の開拓に、あるいは将来は、アフリカあるいはアメリカ熱帯県の開発に進出せしめる。即ち、東アジア大陸、南アジア大陸、西南アジア大陸のすべてのアジアを本来のアジアにかえすために挺身せしめる如く考量しなくてはならないのである。新たなる経済、新たなる国土の啓開、それこそ現代神話の国生みにほかならない。世界の万邦をして各々その所を得せしめ、兆民をして一人の飢えるものなからしむ、これこそ八紘一宇の大精神にほかならないのである。
しかして被服資源を初め、その他一般工業原料資源についても、適地適業の原則に基づき、全アジア、否世界の一体に大規模なる国土計画を立てる。これが神ながらの、自然の大道に従う日本の使命なのである。しかしてこの際鉱山の開発、、農地の開拓、工業生産力の充実等、あらゆる経済の部面において、個人資本ではなく国家資本による強力な統制、計画が行われ、民族的ないしは階級的搾取関係の生ぜざるよう万全の注意が払われ、すべてのものが天皇に帰一し奉り、各々その所を得て生を遂げるようにならなくてはならないのである。
同上書 p.51~57
小牧は、わが国がアジアを支援し、欧米のような搾取関係を生じさせないことに万全の注意を払って、ともに独立国家として繁栄することを理想とすることを述べているが、第二次世界大戦中にわが国が統治した国に親日国が多いのは、欧米勢力を追い出したあと欧米の植民地支配とは全く異なるやり方で「アジア」の国々と接していなければありえないことである。一部反日国も存在するが、それはソ連が組織的に大規模な赤化工作を行った国に限られるのではないだろうか。
GHQが焚書処分した小牧実繁の著作リスト
小牧の著作でGHQ焚書処分を受けた七点の内六点が地政学に関するものである。
タイトル | 著者 | 出版社 | 国会図書館デジタルコレクションURL | 出版年 |
世界新秩序建設と地政学 | 小牧実繁 | 旺文社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1275970 | 昭和19 |
大東亜地政学新論 | 小牧実繁 | 星野書店 | 国立国会図書館/図書館・個人送信限定 | 昭和18 |
大南方地政論 大南方研究講座 | 小牧実繁 室賀信夫 | 太平洋書館 | 国立国会図書館/図書館・個人送信限定 | 昭和20 |
地政学上より見たる大東亜 | 小牧実繁 | 日本放送出版協会 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1272668 | 昭和17 |
日本地政学覚書 | 小牧実繁 | 秋田屋 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1272716 | 昭和19 |
日本地勢学 | 小牧実繁 | 大日本雄弁会講談社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1275962 | 昭和17 |
北極と南極 世界地理政治大系第15 | 小牧実繁 川上喜代四 | 白揚社 | 国立国会図書館/図書館・個人送信限定 | 昭和14 |
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コメント
誤字がありました。モリスン、キャラコ等のインド綿布→モスリン、キャラコ。
語源はメソポタミア(イラク)のモスル(Mosul)から muslin らしい。
地政学やユダヤ問題など戦前のほうがはるかにレベルが高かったことがわかりますね。
S_MIURAさん、ご指摘ありがとうございます。早速訂正させていただきましたが助かります。一人で書いているとチェックが甘いようですね。
自然科学はともかくとして、人文社会など文系の学問は、戦前の書物のほうがレベルが高く、読んでみて面白いと思う本が少なからずあります。