前回に引き続き、GHQに焚書処分された永松浅造の著作を紹介したい。今回紹介する本は昭和十七年に発刊された『くろがねの父』という本で、帝国海軍を育てた勝海舟、伊東祐亨 、山本権兵衛、東郷平八郎、加藤寛治の海軍人生を詳述した本であるが、GHQは時代を問わず、外国勢力と戦って国を守った人々が活躍した話を好まないようである。
日本の軍艦で渡米することにこだわった海舟
江戸幕府が海軍創設のためにオランダから咸臨丸を購入し、製鉄所の工事も進捗していた。長崎海軍伝習所軍艦操練所教授方頭取の勝海舟は嬉しいことが続いていたのだが、ある日問題が起きた。
安政五年六月に江戸で調印された日米修好条約第十四条によって、その批准書は日本から特使を派遣し米国のワシントンで交換されることになっていたので、幕府はいよいよ近くその遣米使節を送ることになったが、その使節をアメリカの軍艦で送るということであった。
(何のために日本で海軍を興したのか。いやしくも日本の使節を送るという歴史的盛事にあたって、アメリカの軍艦に乗せてやるという法はない。これはアメリカ人から侮辱さるるばかりでなく、自ら日本の海軍を侮辱するものだ。)
海舟は、地団駄ふんで憤慨した。
(こうして居れない。これからすぐ江戸へ行って幕府の当路者に談判しなくてはならぬ。)こう決心した海舟は、幕府に向かって帰府を乞うた。…許可が下り、安政六年正月五日、軍艦朝陽に乗って長崎を出帆した。…中略…
帰航中、瀬戸内海の塩飽諸島の広島に寄港した。
ここには、長崎海軍伝習所で、洋式軍艦の水夫として教育した人々が帰っている。水夫たちは
「勝先生が、わざわざ我々ごとき者をお訪ね下さった。」
と言ってよろこびながら、諸島に散在する水夫たちが駆けつけ、漁村で出来るだけの御馳走を拵えて、もてなした。けれども海舟は、ただ漫然と旧門弟たちを訪ねたのでなかった。
永松浅造 著『くろがねの父』東水社 昭和17 p.45~48
「海軍の水夫として教育されたお前たちに、いよいよ働いてもらう時が来たのだ。」
海舟は、始めて意中を漏らした。
「と申されますのは?」
「実は、こんど日本の軍艦がアメリカに使節を送っていくことになるかも知れぬ。いや、きっとそうさせる。その時はお前たちにその腕前を示してもらいたいのじゃ。」
「へぇ、アメリカへ…。」
びっくりした眼を開いたまま海舟を見詰めている者もある。
「塩飽島の浜の水は、アメリカの港へ続いているぞ。」
海舟は、驚く者をたしなめるように言った。
「そうです。瀬戸内と海つづきです。」
と、青木浦の源之助が毅然たる決意を示した。
「アメリカが何です。塩飽の私たちの先祖は、小さな帆前船で安南、カンボジヤ、ジャガタラ、印度と平気で往来しました。それに比べるとこんどは軍艦で行くのですから、本当に大船で大海を渡るわけです。どうぞ私達も行けるようにお取り計らいをお願いいたします。」
と、さすがは八幡船の子孫らしい気概を示したのは佐柳島の源蔵である。
「俺だって行けるさ。」
最初に驚きの眼を見張った男も勇気を出した。
「やはり、わしの眼には狂いはなかった。たのもしいぞ。」
海舟は、非常に満足して、
「では、迎えの船が来たらすぐ江戸へ来てもらいたい。」
と約束して塩飽島を引き上げた。
「八幡船(ばはんせん)」は、戦後の教科書などでは「倭寇」という言葉で統一され、海賊船のように理解されてしまっているのだが、主たる業務は海外貿易にあった。明国が海禁政策をとり「私貿易」を厳禁したのだが、当時すでに日本に送られる支那の貿易品には生活必需品がかなり含まれていたので根強いニーズがあり、日本はだまって支那の「海禁」に応ずるわけにはいかなかった。当然の結果として、わが国の「私貿易」は盛んとなっていったのだが、塩飽島の人々はその業務に携わってきた歴史がある。
海舟は日本の軍艦で渡米することを実現するために江戸に向かい、紆余曲折があったが海舟の要望通りに、万延元年に遣米艦が出帆することになったのである。そして、歴史上はじめて用いられる国旗としての日章旗が咸臨丸のマストに翻ったのである。
西南戦争で西郷に殉じようとしたが、西郷に翻意させられた山本権兵衛
次に、海軍大将、内閣総理大臣などを歴任した山本権兵衛の話を紹介したい。山本は西南戦争に西郷隆盛に殉じようとしたのだが、西郷から、海軍を目指していたお前が鹿児島に帰ってその目的を達せられるのかと説得される場面である。
南洲は、言葉を改めて厳かに言った。
「日本が、こんにち欧米諸国に立ち遅れているのは、徳川幕府による長い鎖国で、海軍が発達しなかったためである。しかるに、欧米諸国は日本に海軍力のないことに乗じて、この頃さかんにわが国の辺境を窺い、あるいは政府に向かって無理な難題を持ち込んでいる。清国や韓国までが日本を軽視している。この結果、どうしても将来欧米や清国と一戦を交えなくてはならぬと思うが、その時海軍がなかったらどうなるか。
幸い、日本の陸軍は相当の実力を備えてきたが、海軍はまだお話にならぬほど幼稚なものであることは、諸君も承知のはずだ。四面環海の日本は、攻めるにも守るにも、やはり海によらねばならぬ。そのためにはまず強力な海軍を建設することが最大緊要である。諸君はそのために、こんにち勉強しているのだ。その勉強を棄てて郷里に引きあげることは、決して訓告に忠なるものではない。」南洲はなお海軍力の旺盛な国家は栄え、これが衰微した国家が滅亡した実例をあげ、あるいは世界の大勢を説き、諄々として有為なる青年は須らく海に志すべきであることを述べて、速やかに東京の兵学寮へ帰ることをすすめた。
世上、この会見について、南洲はただ頭ごなしに二人の青年をしかりつけて追い返したやうに伝えられているが、確実な史料によると、南洲はこの前途有為な青年、なかんづく山本のために切々と説いて、帰校を促したというのが事実である。
南洲は、それだけ山本の将来について望みをかけていた訳だ。山本は、大南洲の説示に翻然として覚り、海軍のため全身全霊を打ち込む決心を固め、「将来必ず帝国海軍のために粉骨砕身する」ことを誓って、直ちに東京へ帰った。
同上書 p.191~192
永松浅造の戦前・戦中の著作リスト
永松浅造の戦前戦中の著作をリスト化してみた。タイトルに*印があり太字表記しているのはGHQ焚書処分された作品である。
タイトル | 著者 | 出版社 | 国会図書館デジタルコレクションURL | 出版年 |
嵐の跡 : 社会実話 | 永松浅造 | 不明 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1112539 | 昭和10 |
池田成彬伝 | 永松浅造 | 今日の問題社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1095729 | 昭和11 |
*印度独立と日本 | 永松浅造 | 大理書房 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1042563 | 昭和17 |
*エチオピア皇帝とムッソリーニ | 永松浅造 | 森田書房 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1099478 | 昭和10 |
*海軍機関学校物語 舞鶴 | 永松浅造 | 啓明出版社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1439704 | 昭和19 |
*海軍航空隊 | 永松浅造 | 東水社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1460389 | 昭和17 |
海軍の父山本権兵衛 | 永松浅造 | 潮文閣 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1058239 | 昭和19 |
*くろがねの父 | 永松浅造 | 東水社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1460208 | 昭和17 |
*軍神西住戦車長 | 永松浅造 | 東海出版社 | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和14 |
*激発する大和魂 | 永松浅造 | 立誠社 | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和18 |
*皇国海戦史 : 海ゆかば | 永松浅造 | 大果書房 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1460406 | 昭和17 |
近衛内閣・閣僚の全貌 | 永松浅造 | 森田書房 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1270641 | 昭和12 |
実説五・一五事件 | 永松浅造 | 平凡社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1224306 | 昭和9 |
昭和大暗殺秘史 : 浜口事件より 5・15事件までの真相 | 久保田鉄蔵, 永松浅造 | 芳山房 | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和7 |
新中華民国 | 永松浅造 | 東華書房 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1270035 | 昭和17 |
新日本の巨人を語る : 人間・広田弘毅(他三編) | 永松浅造 | 森田書房 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1022727 | 昭和11 |
*陣頭精神 | 永松浅造 | 輝文堂書房 | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和18 |
*壮烈海国魂 | 永松浅造 | 忠文館書店 | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和17 |
*祖国の魂 | 永松浅造 | 鮎書房 | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和18 |
大東亜戦争勝利の記録 | 永松浅造 | 明正堂 | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和17 |
超非常時を背負つて立つ人々 | 永松浅造 | 森田書房 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1274341 | 昭和11 |
東洋の花伊東ハンニ | 永松浅造 | 学芸社 | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和9 |
中島知久平健闘録 | 永松浅造 | 八紘書院 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1222233 | 昭和13 |
七十議会はなぜ解散されたか | 永松浅造 | 新ジヤーナリズム社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1274319 | 昭和12 |
日本航空の驚異 | 永松浅造 北尾亀男 | 時代社 | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和16 |
北辺の防人 | 永松浅造 | 電通出版部 | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和18 |
*舞鶴 : 海軍機関学校物語 | 永松浅造 | 啓明出版社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1439704 | 昭和19 |
*満州建国誌 | 永松浅造 | 学友館 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1270064 | 昭和17 |
満洲国皇帝を語る : 満洲国皇帝陛下御来訪記念 | 永松浅造 | 今日の問題社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1097336 | 昭和10 |
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