GHQが焚書にしたタイ国や山田長政について書いた書籍~~『タイ国通史』『泰国風物詩』

GHQ焚書

 GHQが焚書にした本の中には、タイ国関連の書籍がいくつかある。タイ国はかつて「シャム(暹羅)」という国名が定着していたが、1939年にピブーン首相が国名をタイに変更し、1945年にセー二―内閣が再びシャムに戻したが、1949年に政権に返り咲いたピブーンが再びタイに戻したという経緯にある。
 「シャム」の首都アユタヤに、天正の末頃から文禄、慶長にかけて多くの日本人が住み着いて日本人町が形成されたことが知られているが、この当時のことがGHQ焚書の『タイ国通史』という本に、次のように解説されている。

 ウッド氏の「暹羅史」によれば、エカトート・サロット王(1605~1610年)の治世に多数の日本人が大国に定住し国王に厚遇されて、その近衛兵となったと述べているが、それ以前の日タイ交通に関しては何等言及していない。

 さらに同史によれば、エカトート・サロット王の治世はわずか五年に過ぎなかったが、その晩年、王は長子スタット親王を副王に任じた。
 ところがプラヤー・ナイ・ワイと称する者が、親王は王位を覬覦(きゆ:うかがい狙うこと)していると讒言したために、親王は長くその職に在ることが出来なかった。王はこの時、多少精神に異状を呈したものとみえ、親王を処刑してしまった。その後、王はこのことを大いに悔い、それが因で1610年の末頃遂に薨じた。

 ここにおいて、エカトート王の下級の王妃に生まれたインタラーチャー親王が王位を継承した。王は元僧籍にあり、ブラ・ウイモン・タムと称したが、即位後はソンタム王と呼ばれた。
 ソンタム王は即位するや、スタット親王の死去が、全くプラヤー・ナイ・ワイの陰謀によるものであると為し、直ちに彼を死刑に処した。当時、国王の禁衛隊に二百八十人の日本人がいたが、かねてプラヤーナイ・ワイの恩顧を被っていたので、国王の処置に憤慨して遂に反乱を企てた。
 彼らは各々商人に扮装して王城に進入し、新王を捕え、非常に苛酷な約束を迫り、王をして血判せしめた。その条件を見るのに「日本人に好意を寄せざる余人の高官を日本人に引き渡すこと」、「日本人に対し各種の居住及び商業に関する特権を与えること」、「王の約束を保証するために、数人の高僧を人質とすること」等で、引き渡された四人の高官は終に虐殺された。
 ついで、これ等の日本人は王都アユタヤを封鎖し、金銀、財宝を掠奪して、バンコックの西南、マレー半島の東北隅ペチャプリーに走り自立を計った
 かかる混乱のうちに、タイ国はまたルアン・プラバーンの王ブラ・ウォンサの侵略を受けた。ルアン・プラバーン軍はアユタヤの付近ロブリーまで侵入し来り、日本軍を撃退するのを出兵の名目とした。
 ソンタム王は、勿論かかる口実を信ずることなく、軍を集めてまずペチャブリーを襲うて日本軍を破り、次いで1612年4月5日には、ルアン・プラバーン群を撃滅した。

 この事件の首領が山田長政であると誤伝されているが、郡司氏は「17世紀における日暹関係」中に、右首領は木谷弥左衛門ならんと考証されている。
 この時アユタヤに在留していた邦人が悉く、この反乱に加わったとも考えられない。平和的な職業に従事していた者も、この外に多少はあったに違いない。すると、その頃の在タイ日本人は、すでに少なくとも三百人を数えるほどになっていたと思われる。
 さてソンタム王は、かかる戦勝の後も、敢えて日本人との屈辱条約を破らなかったと言われる。そして日本人は一人も、タイ国から放逐された者はなく、彼らは後に近衛兵として採用され、その首領を隊長に任命し、後世に至っては、山田長政は非常に王の寵遇を受け、遂にオヤ・セーナー・ピモック(現今の最高冠位で、前衛長の意)なる官位を得た。

 更に元和から寛永*八、九年頃には、邦人は最も多くタイ国に在留し、それ以後は大分凋落を見た。
 これらの邦人は、メナム河の本流に臨める当時の王都アユタヤの城外に、日本街を建設した。この日本街は恐らく慶長の末頃には成立されたものと思われ、彼らは日本人頭領を選任し、その統制下におかれた。…<中略>…
 日本人町の人口は、慶長*の末頃には、少なくとも三、四百人には達し、寛永年中、日本街の極盛時代には戸数は数百軒、人口は八千を算したと言われている。暹羅国風土軍記には「元和*年中より寛永の末に至るまで大阪落の諸浪人、或いは関ヶ原または天草落人ども売人となりて、多く暹羅国へ渡り逗留す。もし海賊強盗あれば、武勇を以て追い払うゆえに暹羅国王もこれを調法に思い、地を貸して日本人を一部に置き、日本人と号し、海辺に数百件の町家あり。永くとどまる者は妻妾ありて子を設く。ゆえに今この時に至って住居する人数八千余人ありしとかや」と伝えている。
*慶長(1596~1615年)、元和(1615~1624年)、寛永(1624~1645年)

(日本タイ協会 編『タイ国通史』興亜日本社 昭和17年刊 p.109~112)

 山田長政の活躍についてはこの本の第十節に詳しく書かれているが、山田長政については、研究書や、児童向けの伝記がでていたのだがGHQによって焚書処分され、戦後の日本人に読めないようにされている。以前このブログで山田長政とアユタヤの日本人町のことについてレポートしたが、、当時日本にいたイエズス会宣教師ルイス・フロイスが、伴天連通報令が出た天正十五年(1587年)の段階で、日本人奴隷がシャムに売られていたことを秀吉が認識していたことを記録しており、日本人が最初にシャムに渡ったのはそれ以前ということになる。

 このシャムに、19世紀以降大量の支那人が入り込んだのだが、その後彼らは経済の主導権を奪っていったという。宮原武雄 著『泰国風物詩』にはタイの環境に適応した支那人が描かれている。

 タイの国民は元来天恵豊饒の天地に生まれた関係上、生活は極めて安楽なので怠惰癖が強く、勤勉生活を厭う念が高く、加えるに宗教国としてだれでも僧侶になれば民衆が捧げる托鉢で一生過ごせるという環境にあるので、全く働く気持ちにならないのであるる従ってかかる天地こそ、本国で絶えざる天災や内乱で苦しんでいる支那人にとっては、願ってもない楽土なのである。
 さればこそ、彼らはわずかな船賃によって豚の如く甲板に詰め込まれ、裸一貫でタイに渡来してきたのである。そしてあるいは店員にあるいは苦力となって、絶えざる努力と忍耐と才能で、苦闘十数年漸く今日の地歩を勝ち得たのである。殊に生活力の旺盛な華僑は進んでタイ人と結婚している。タイの習慣として、女の親はその娘の嫁入の費用として、必ず財産を息子と同様二分して与えてあるので、華僑はこれを目当てに結婚する

 こういう状態で盤谷(バンコク)には支那系タイ人が多く、そして支那語もタイ語も話せる混血華僑即ち「ルッチン」が相当数いる。現在タイに在留する華僑の数は約三百万と称せられ、全人口の五分の一を占めている
 したがってその地歩たるや動かしえないものがあり、ありとあらゆる職業にわたり、都市はおろか奥地にまで散在している。そして恐ろしいほど非経済的なタイ人は、すべての経済的活動を華僑に奪われている。例えば地方における農民は米の植え付け季に至るも種籾さえ買えず、漸く華僑より種籾を借入米の収穫期には無法外な高利を付して彼らに支払うのである。そして残った籾もまた米の仲買人たる華僑によって二束三文に買い集められ、磐谷にある華僑の精米業者に送られるのである。タイの諺に精米所の吐く煙は骨身を焼く煙だと言われているが、その上日用雑貨から質屋まで華僑が経営し、農民はその種々な方法で搾取せられ、一生かかってもうだつの上がらない惨めな奴隷的生活に置かれている。誠に華僑はタイの無言の支配者である

(宮原武雄 著『泰国風物詩』岡倉書房 昭和17年刊 p.74~76)

 さすがにタイ国も支那人を放置すると、自国の中に別の国ができることになると考え、華僑を警戒するようになっていった。しかし、移民流入を止めることは容易なことではなかったのである。

 タイ政府は、1930年までは入国税15銖(しゅ:1銖は150銭)であったものを、今では一躍200銖にまで引き上げている。これによって華僑が甲板客として汕頭あたりから来るだけでも15銖の運賃がかかるうえ、200銖の入国税を払っては到底タイにわたることは出来ず、一時ぐっと減ったので、タイ政府はこれで一安心と考えていたところ、間もなくこれら移民の供給地に移民ブローカーという珍妙な商売が生まれ、女房か娘かを抵当に月賦償還の方法で渡タイ資金を貸したため、再び華僑が渡来し始め、せっかく考えたタイ政府の妙案も効果なくなったので、今度は矛先を変え、華僑の学校に一日四時間以上の隊伍を教授すべしと規定を設け、さらに移民流入の防止策に出たのである。そして一方において国民党支部を圧迫し、専念孫文の慰霊祭が行われた時、景観が式場に臨検して解散を命じたり、飾り付けてあった孫文の写真を撤去させてしまった事件もある。
 殊に支那事変以来重刑政府はこの機会に華僑内における民族意識を昂揚し、ひいては自己の政治資金の献納を充実せしめんと企図し、華僑に対し絶えず日本に不利なる抗日デマを盛んに宣伝し、更に多数のテロ団を送った。そして親日的華僑に対するテロ行為が続出した結果、タイ政府はこれによって日本との政治的紛争を恐れるとともに、この機会に華僑の勢力を駆逐せんと考えたのである。

 そこでまず第一着手として昨夏これら排日の根源地たる華僑経営の中華日報を始めとし、抗日漢字新聞九紙の閉鎖を断行し、残る一社に対しては排日的文字が一語でもある場合は、容赦なく発禁を命ずるとの条件を付したのであった。
 次いで華僑の二大銀行たる廣東及び華僑の両銀行に対して弾圧の手を下し、同行総裁の王泰義、副総裁の孫清喜を検挙し、また国民党支部を襲い梁偉成その他を検挙、更に約三十校にわたる抗日学校の一斉閉鎖などを行ったのである。
 政府はまたこの機会に磐谷の街を支那的性格から一変させるため、漢字看板の一掃を考え、漢字使用の看板には大きさ五百平方糎(c㎡)毎に1銖の税金を課したため、華僑は恐慌を来たし、殆ど全部が看板を下ろし、或いは塗りつぶす等の悲喜劇を起こしている。… 

(同上書 p.77~79)

 わが国の政治家や官僚や財界人の中に、移民を推進しようとする動きがあるが、反日思想を広められて国の分裂を仕掛けられた場合にどう対処するつもりなのか。武力ではなく、大量の人口を移民させ、定住させることで領土を拡大してきた、某国の歴史を知るべきである。

 GHQが焚書処分した書籍のリストの内、本のタイトルが「泰」「タイ」「暹羅」「シャム」「山田長政」を含むものは21点あり、そのうち7点が「国立国会図書館デジタルコレクション」でネット公開されている。

タイトル著者・編者出版社国立国会図書館デジタルコレクションURL出版年
新たなるタイ宮原武雄図書研究社
印度支那、仏印、タイ、
ビルマ、英領マレー
室賀信夫 白揚社
現地に視るタイ国華僑岡本 暠 編南洋協会
タイ王国松井政平アルス
泰国資源経済論吉田栄太郎三笘書房
タイ国通史日本タイ協会 編興亜日本社https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1042521昭和17
泰国と日本文化柳沢健 不二書房https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123979昭和18
泰国農村経済論明石二郎 関義彦中央公論社
タイ国の交通現勢宮原武雄国際交通文化協会
泰国風物詩 宮原武雄 岡倉書房https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1272924昭和17
泰国、仏印と日本人福中又次婦女界社
泰ビルマ、印度東恩納寛惇大日本雄弁会講談社
泰、仏印飛びある記金田信儀善隣社
たいわたな(泰国寿永)磯部美知 慶文堂書店https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1438872昭和18
日泰関係と山田長政中田千畝日本外政協会
日本と泰国との関係内田銀蔵 創元社https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1440243昭和16
満州、暹羅、上海の旅三島昌子三島謹子
山田長政 : 南の英雄千葉省三 講談社https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1169388昭和17
山田長政 : 南進日本の先駆者池田宣政三省堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1719937昭和16
山田長政南進先駆者沢田 謙潮文閣
友邦シャムを訪ふ戸波親平アグネス工学者
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