戦後GHQが没収・廃棄して日本人に読めなくさせた書籍の中には、小説家・作家の著作が少なからずある。
江戸幕府が外交知識が乏しいままに安政年間に結んだ条約が不平等で屈辱的なものであったために、明治政府がそれを改正させようとしたことは教科書などにも書かれているのだが、なぜ「条約改正問題」で世論が盛り上がったについては、明治十九年(1886年)に起きたノルマントン号事件くらいしか書かれていない。しかし、この事件だけでわが国の世論が盛り上がったと考えるのは少し不自然である。菊池寛の『大衆明治史』にはこの点について、明治十年(1877年)にとんでもない事件が起きたことが書かれている。
西南戦役後、外務卿寺島宗則は条約改正に乗り出し、まず税権の改正について、米国との間に了解ができたが、英国公使の真っ向な反対を受け、せっかく調印した日米条約もフイになってしまった。
(菊池寛『大衆明治史』汎洋社 昭和17年刊 p.142-143)
この頃、たまたまわが税管吏が英人の阿片の密輸入を発見し、これを英国領事に引渡し、その処罰を求めたことがあるが、領事はこれに対して無罪を宣告したことがあった。もしこの時、政府にかの林則徐のような硬骨漢がいたら、あるいは第二の阿片戦争が起こったかも知れないが、この事件はうやむやの中に葬り去られたのである。しかし国論はそのままでは収まらず、囂々(ごうごう)として政府の処置を難じ、自由民権論者は、国会が開設されぬから、こんな屈辱的条約に甘んぜねばならぬのだと、攻撃してやまなかった。寺島も遂にこのために辞職のやむなきに至り、この頃から条約改正は、時の政府の命取りとなったのである。
イギリス商人ジョン・ハートレーが、輸入が禁止されている生アヘン20ポンド(約9.1kg)を密輸しようとして税関に見つかり、税関長はハートレーを訴えたのだが、領事裁判法廷ではイギリスの法令には違反していないので無罪とされてしまった。この事件は「ハートレー事件」と名付けられ、Wikipediaにも解説されているのだが、戦後出版された通史ではまず出てこない事件である。
ハートレーと言う男はその後も吸煙アヘン12斤を密輸したのだが、このような密輸が続けば、わが国でアヘン戦争のようなことが起きることもあり得たのである。この事件のほかにも明治十二年に中国大陸でコレラが流行し、わが国の検疫体制を無視してドイツ船が横浜入港を強行し、その年にわが国でコレラが大流行した事件もあった(ヘスペリア号事件)。この事件については、GHQ焚書の柴田俊三 著『日英外交裏面史』に書かれているので、興味のある方は覗いてみていただきたい。このように戦後の歴史叙述において、戦勝国に都合の悪い部分は大幅にカットされているのだが、こういう真実を知らなければリアリティのある真実の歴史を学べないと思う。
次に火野葦平著『海南島記』の一部を紹介したい。この本は昭和十四(1939年)年二月に著者が軍の報道員として海南島攻略に参加した十日間の記録で、写真や中国側の宣伝ビラなどの資料や島民の写真などが多数紹介されている。
日本軍が同年の二月十日に海南島に上陸すると、あちこちに抗日ポスターが貼られており、日本軍が支那兵から銃剣で胸板を突かれて涙を流している絵が描かれているポスターの上に日本軍の伝単(でんたん:戦時において敵国の民間人、兵士の戦意喪失を目的として配布されるビラ)を貼って行ったら島民が集まって来たという。
博愛路から裏た通りに入ると、沢山子供たちが集って来た。汚い親爺どもまで寄って来て、伝単やポスターをくれと言い出した。老人がしきりに引っ張って行くので、何処につれて行くのかと思うと、自分の家の壁を指さして、そこに貼れというのである。裏通りは軒並みのように日章旗が掲げられていた。その中に点々と報道部で渡した布製の旗があり、後は殆んど手製らしかった。これらの日章旗は、お手本があったせいか一様に手際が良い。私は今までの占領地域内に掲げられた日の丸を見て、何度も笑い出したことがあった。それは大きな布の中に豆粒くらいの赤印をつけたり、右角や左角に寄せつけたり、日の丸が四角だったり三角だったりしていたからである。…私達が裏通りを一周し、糊が無くなるまで貼って帰って来ると、報道部の前には大変な人だかりがたしていた。伝単を撒いたり、マッチをやったたり、旗をたやったりしたというのである。何時までも彼らは去らず、旗をくれという申込者が次から次に出てきた。
(火野葦平 著『海南島記』改造社 昭和14年刊 p.53~54)
支那の海南島の軍隊は中央から派遣されたのではなく、海南島人を強制徴発した兵が多かったらしく戦意は乏しかったという。また島民は、このように日本軍に敵意を示さなかった。翌日中野伍長は飛行機を低空飛行させて伝単を大量に撒いたことが書かれている。戦場での低空飛行は下から射撃を受ける危険があるために、普通は実施されることはないのだが、海南島ではその危険性はないと判断されたことになる。
もっとも海南島の奥地では日本軍の戦意を喪失させるために、共匪(国民政府時代に共産党指導のもとで活動したゲリラ)が日本人の投降を勧奨する伝単を撒いていたというだが、このような伝単は日本軍に対しては逆効果だったとある。前掲書で著者はこう述べている。
従来、共産党が唯一の基調とした左翼公式主義によるところの理論と宣伝方法は、一切、日本に対する限り誤謬である。帝国主義の名を大声し、あるいは、資本家と軍閥の走狗となる、というような呼びかけは、つまり日本国民をばらばらに分離背反させて、内訌を期待するような工作は、日本人に関する限り一切無駄である。ソヴィエト並びに支那においては、日本と戦端を開けば、必ず国内に動揺を来たし、軍隊の中に反戦運動が起こり革命が勃発するものと期待した。ところが、実際は事変とともに、日本国民は熱烈なる祖国愛に燃え、挙国一致して益々強固に国内は緊張しつつある。殊に、日本の兵隊に至っては、封建時代に武士道の精華といわれたサムライと何ら異なるところがない。これらのサムライに対して、左翼公式主義的な呼びかけは絶対に意義をなさない。日本の兵隊はただ殺してしまうより外に、最良の方法はない、という意味なのである。それからの放送には、日本の軍人と言う代わりに、サムライという言葉が使用されていたということである。私達は戦場で時折り、支那側からの日本の兵隊に対する伝単などを見、それを読むと、おかしく吹き出してしまわないではいられない。それから、日本の兵隊であったことが嬉しくなってくるのである。
(同上書 p.62~64)
明治四十年(1907)に生まれの火野葦平は「サムライに対して、左翼公式主義的な呼びかけは絶対に意義をなさない」と考えたが、実際には昭和初期以降は軍隊内部に共産主義者がかなり潜り込んでいたのである。旧ブログの記事だが良かったら、覗いていただきたい。
この頃にコミンテルン(国際共産主義運動の指導組織)が世界の赤化工作を行っていたことは、戦後の一般的な歴史書にはまず書かれていないが事実である。軍隊は特に赤化工作のターゲットにされていたことは、1928年の第六回コミンテルン大会の決議にも出ているし、わが国でも昭和初期の新聞記事で共産主義者が入隊していたことが確認できる。コミンテルンの戦略は列強同志を闘わせて疲弊させ、その後世界で共産革命を起こすことにあり、当然ながらわが国もその対象であった。わが国を開戦に向けさせた「ハル・ノート」の原案を書いたとされるハリー・ホワイトは、ソ連の暗号文書「ヴェノナ」が戦後の研究で解読されたことによって、コミンテルンのスパイであったことが明らかになっている。
戦前・戦中にもコミンテルンに注目した研究は存在したのだが、多くが焚書処分にあい、戦後はこの分野の研究はほとんどなされてこなかった。近年になって欧米中心に旧ソ連の暗号文書の解読とその研究が進められ、世界の主要国が第二次大戦に巻き込まれていった原因が旧ソ連・コミンテルンにあったことが裏付けられつつある。
GHQ焚書処分された作家の著作の一部は復刊され、電子書籍化されている。
GHQ焚書の中で作家の著作は78点で、URL記載のある本は『国立国会図書館デジタルコレクション』でネットで無料公開されている。
タイトル | 著者・編者 | 出版社 | 国立国会図書館デジタルコレクションURL | 出版年 | 復刊 |
北を征く | 桜井忠温 | 朝日新聞社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1029130 | 昭和10 | |
子供のための戦争の話 | 桜井忠温 | 一元社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1464871 | 昭和8 | |
銃剣は耕す | 桜井忠温 | 新潮社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1258865 | 昭和7 | |
銃後* | 桜井忠温 | 春陽堂 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1110557 | 昭和7 | Kindle版 |
常勝陸軍 | 桜井忠温 | 新日本社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1443092 | 昭和9 | |
昭和十七年軍隊日記 | 桜井忠温 | 春秋社松柏館 | |||
新戦場 | 桜井忠温 | 春秋社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1220820 | 昭和13 | |
征人 | 桜井忠温 | 主婦の友社 | |||
孫子 | 桜井忠温 | 成光館書店 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1456921 | 昭和16 | |
大乃木 | 桜井忠温 | 潮文閣 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1057903 | 昭和18 | |
戦はこれからだ | 桜井忠温 | 新潮社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1214753 | 昭和8 | |
戦ふ国 戦ふ人 | 桜井忠温 | 偕成社 | |||
肉弾* | 桜井忠温 ・画 | 英文新誌社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/904708 | 明39 | 2016中公文庫、 Kindle版あり |
肉弾*、銃後*、 銃剣は耕す* | 桜井忠温 | 潮文閣 | |||
肉弾 (独訳) | 桜井忠温 | 世界公論社 | |||
乃木大将 | 桜井忠温 | 偕成社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1719069 | 昭和18 | |
偉人二等兵 | 山中峯太郎 | 東洋堂 | |||
汪精衛: 新中国の大指導者 | 山中峯太郎 | 潮文閣 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1057935 | 昭和17 | |
草むす屍 | 山中峯太郎 | 春陽堂 | |||
皇兵 | 山中峯太郎 | 同盟出版社 | |||
聖戦一路 | 山中峯太郎 | 春陽堂書店 | |||
聖戦外草むす屍 | 山中峯太郎 | 八紘社杉山書店 | |||
狙日第五列 :
見えざるスパイ | 山中峯太郎 | 同盟出版社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1106572 | 昭和15 | |
大東亜維新の今後 | 山中峯太郎 | 二見書房 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1275931 | 昭和17 | |
大陸非常線 | 山中峯太郎 | 大日本雄弁会講談社 | |||
戦に次ぐもの | 山中峯太郎 | 春陽堂 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1717143 | 昭和13 | |
鉄か肉か | 山中峯太郎 | 誠文堂新光社 | |||
泥の担架 | 山中峯太郎 | 日本兵書出版 | |||
日本的人間 | 山中峯太郎 | 錦城出版社 | |||
日本を予言す | 山中峯太郎 | 偕成社 | |||
黎明日本の巨火 吉田松陰 | 山中峯太郎 | 潮文閣 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1036061 | 昭和17 | |
世界大戦物語 | 菊池寛 | 新日本社 | |||
大衆明治史. 下巻 | 菊池寛 | 汎洋社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1041878 | 昭和16 | Kindle版あり |
日清日露戦争物語
: 附・アジアの盟主日本 | 菊池寛 | 新日本社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1718008 | 昭和12 | |
日本英雄伝.
第4巻 さ~き | 菊池寛 監修 | 非凡閣 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1222327 | 昭和11 | |
明治海将伝 | 菊池寛 | 万里閣 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1463799 | 昭和15 | Kindle版あり |
航空対談 | 菊池寛 | 文芸春秋社 | |||
二千六百年史抄 | 菊池寛 | 同盟通信社 | Kindle版あり | ||
海南島記 | 火野葦平 | 改造社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1884675 | 昭和14 | |
戦友に憩う | 火野葦平 | 軍事思想普及会 | |||
南方要塞 | 火野葦平 | 小山書店 | |||
兵隊の地図 | 火野葦平 | 改造社 | |||
麦と兵隊 | 火野葦平 | 改造社 | Kindle版あり | ||
陸軍 | 火野葦平 | 朝日新聞社 | Kindle版あり | ||
海底戦記 | 山岡荘八 | 第一公論社 | 2008中公文庫 | ||
軍神杉本中佐 | 山岡荘八 | 大日本雄弁会講談社 | 2018産経広告社 | ||
空の艦長 | 山岡荘八 | 偕成社 | |||
太陽 鴉片戦争の巻 | 山岡荘八 | 春江堂 | |||
歌集新日本頌 | 佐々木信綱 | 八雲書林 | |||
軍歌選抄 | 佐々木信綱 | 中央公論社 | |||
傷痍軍人聖戦歌集 第一輯 | 佐々木信綱 伊藤嘉夫 | 人文書院 | |||
傷痍軍人聖戦歌集 第二輯 | 佐々木信綱 伊藤嘉夫 | 人文書院 | |||
戦影日記 | 尾崎士郎 | 小学館 | |||
文学部隊 | 尾崎士郎 | 新潮社 | |||
烽煙 | 尾崎士郎 | 生活社 | |||
亜細亜の旅人 | 林 房雄 | 金星堂 | |||
勤皇の心 | 林 房雄 | 創元社 | |||
戦争之横顔 | 林 房雄 | 春秋社 | |||
現状打開論 | 中里介山 | 隣人之友社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1023250 | 昭和12 | |
時事及政論 | 中里介山 | 隣人之友社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1442970 | 昭和8 | |
非常時局論 | 中里介山 | 隣人之友社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1463600 | 昭和12 | |
東亜解放 第一巻 第三号十月号 | 草野心平 編 | 東亜解放社 | |||
東亜解放五月革新号 | 草野心平 編 | 東亜解放社 | |||
神田日向 | 国府犀東 大仏次郎 田中純 | 九州風景協会 | |||
みくまり物語 | 大佛次郎 | 白林書房 | |||
文明一新論 | 保田与重郎 | 第一公論社 | |||
蒙疆 | 保田与重郎 | 生活社 | |||
武漢作戦 | 石川達三 | 中央公論社 | Kindle版あり | ||
戦争の文学 | 伊藤 整 | 全国書房 | |||
マレー蘭印紀行 | 金子光晴 | 山雅房 | |||
日本文化私観 | 坂口安吾 | 文体社 | Kindle版あり | ||
従軍五十日 | 岸田国士 | 創元社 | Kindle版あり | ||
戦線詩集 | 佐藤春夫 | 小学館 | |||
少年愛国詩集 | 西条八十 | 大日本雄弁会講談社 | |||
アジアに叫ぶ | 土井晩翠 | 博文館 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1112463 | 昭和18 | |
先遣隊 | 徳永 直 | 改造社 | |||
忠誠心とみやび | 蓮田善明 | 日本放送出版協会 | |||
大東亜戦争私感 | 武者小路実篤 | 河出書房 |
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ブログ活動10年目の節目に当たり、前ブログ(『しばやんの日々』)で書き溜めてきたテーマをもとに、2019年4月に初めての著書である『大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』を出版しています。
通説ではほとんど無視されていますが、キリスト教伝来以降ポルトガルやスペインがわが国を植民地にする意志を持っていたことは当時の記録を読めば明らかです。キリスト教が広められるとともに多くの寺や神社が破壊され、多くの日本人が海外に奴隷に売られ、長崎などの日本の領土がイエズス会などに奪われていったのですが、当時の為政者たちはいかにして西洋の侵略からわが国を守ろうとしたのかという視点で、鉄砲伝来から鎖国に至るまでの約100年の歴史をまとめた内容になっています。
読んで頂ければ通説が何を隠そうとしているのかがお分かりになると思います。興味のある方は是非ご一読ください。
無名の著者ゆえ一般の書店で店頭にはあまり置かれていませんが、お取り寄せは全国どこの店舗でも可能です。もちろんネットでも購入ができます。
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