昭和十六年(1941年)六月に、ドイツが独ソ不可侵条約を破ってソ連に侵攻すると、当時の近衛内閣では、四月に締結された日ソ中立条約を破棄してでも同盟国としてソ連と開戦すべきとする松岡洋右外務大臣と近衛文麿首相との間で閣内対立が起きている。近衛は松岡の「北進論」を退けて内閣を総辞職し、改めて第三次近衛内閣を組閣して南進論の立場を確認し、九月六日の御前会議でわが国は日独伊三国同盟よりも日ソ不可侵条約を優先することを正式に決定した。ところが、その直後に満州国境にいたソ連軍は一斉にヨーロッパに移動し始め、独ソ戦線に向かったのである。このことは、御前会議の決定がソ連に筒抜けになっていたことを意味した。
ドイツからの照会を受けてこの重大情報漏洩問題が追及され、ゾルゲと尾崎秀實が逮捕されている。尾崎は朝日新聞社入社後上海特派員となり、昭和二年頃から裏でコミンテルンの諜報活動に関与するようになったとされる。帰国後は政界・言論界に重要な地位を占めるようになっていき、近衛内閣成立後はその首相のブレーンとして働きながら、ソ連を守るために、わが国が北進論ではなく南進論を選択するように工作活動を行っていたのである。
GHQにより発禁処分にされた三田村武夫著『大東亜戦争とスターリンの謀略』に、尾崎の手記が引用されている。
私(尾崎)の立場から言えば、日本なりドイツなりが簡単に崩れ去って英米の全勝に終わるのは甚だ好ましくないのであります。(大体両陣営の抗戦は長期化するであろうとの見通しでありますが) 万一かかる場合になった時に英米の全勝に終らしめないためにも、日本は社会体制の転換を以て、ソ連、支那と結び、別な角度から英米に対抗する姿勢を採るべきであると考へました。此の意味に於て、日本は戦争の始めから、米英に抑圧せられつゝある南方諸民族の解放をスローガンとして進むことは大いに意味があると考えたのでありまして、私は従来とても南方民族の自己解放を「東亜新秩序」創設の絶対要件であるということをしきりに主張しておりましたのは、かゝる含みを籠めてのことであります。この点は日本の国粋的南進主義者の主張とも殆んど矛盾することなく主張されている点であります。
(三田村武夫著『大東亜戦争とスターリンの謀略』自由選書 p.227)
もしわが国が北進を選択していれば、ソ連は日独に挟撃されて息の根を止めていただろう。それはソ連にとって最悪の選択であった。
ソ連にとって望ましいのは、世界大戦で列強同志を戦わせて消耗させ、そのあとで革命を仕掛けて共産圏を拡大させる条件を整えることである。
そこで、今まで欧米諸国の植民地であった南方諸民族を日本が解放するという崇高なストーリーを描き、日本に欧米諸国と戦わせて欧米勢力を南方諸国から追い出させる。しかし日本は資源不足のためいずれ消耗戦に耐えられずに敗北する。そして南方諸民族は再び西欧諸国の再植民地化を選択しないようにすれば、いよいよ世界を共産主義化するチャンスが生まれることになる。
「大東亜共栄圏」「東亜諸民族の解放」「八紘一宇」という崇高な理想を掲げたスローガンは「国粋的南進主義者」が作ったものであるのかもしれないが、ソ連のスパイであった尾崎のグループが、日本軍をソ連と戦わせず、南進に導き英米と戦わせて疲弊させたのち全世界で革命を起こすために、何度も主張していたことを知るべきである。尾崎の手記については次の記事を参考にしていただきたい。
日中戦争については、戦後の教科書などでは日中戦争については表面的なことしか書かれていないが、戦前・戦中の書籍には蒋介石を背後からいろんな国が支援していたことが明記されていてこの戦争の本質がよくわかる。今回は、GHQ焚書の中から安達謙蔵 著『北進図南』という本の一節を紹介したい。安達謙蔵は逓信大臣や内務大臣を歴任したのち昭和七年(1932年)に中野正剛らとともに国民同盟を結党しその党首となった政治家で、引用したのは昭和十四年五月にラジオで放送されたもので、文中の「日支事変」は今でいう「日中戦争」のことである。
…今ここに蒋介石を背後より援助している第三国、なかんづく英国の態度につき率直公平なる意見を述べてみたいと思います。
まず英国はこの日支事変について、いかにその対策を考慮しているだろうかということを、即ち彼の心事を忖度してみますると、彼の胸中には、
「支那は阿片戦争以来百年間、わが勢力を扶植したる一種の植民地同様の地方であるが、近年日本が頻りに台頭して、この地方に発展することは、英国衰亡の基となるものにして、日本一歩進めば英国一歩退かねばならぬ。一歩一歩また一歩の退却は寔(まこと)に憂うべき形勢であるが、この事変がもしも日本の希望通りに解決せば、それこそ英国は支那より従来の勢力の三分の二か四分の三は退却し失墜せねばならぬ。実に由々しき一大事である。ただ、この際一縷の望みとするところは、日本はいかに戦争で大勝利を博しても、財政経済の持久の力は脆弱である。開戦後一ヶ年か二ヶ年も経過すれば必ずへたばるだろう。その結果は世界戦争のドイツの二の舞を演ずるに相違ないから、その時こそは日本を抑える機会が到来するのである。また一方には仏国はいうまでもなくソ連をもできるだけ煽動して蒋介石を援助せしめ、而して米国には三拝九拝して対日感情の悪化に努め、以て日本牽制の一大勢力を形ち作らねばならんと。」
以上が英国の思惑でありまして、その日本観は全然誤りでおりまするけれども、米国勧誘政策は目的を達して米国を動かして彼の思う壺に嵌(はま)らしめたようであります。右様の次第でありますから、この際にあたりまして、わが国において現状維持の旧思想によりて、英国と従来の親善関係が継続せられて、時局問題が解決し得らるると思うは全く時代遅れの甚だしきもので、余りにお人好しだと思われます。
…<中略>…
然るに戦局が長期戦に入るにしたがい、東亜新秩序の建設ということが、各方面に頻りに唱導せられ…さる三月四日…平沼総理大臣が…マイクを通じて演説放送ことに国際放送をもされた。その趣旨は私どもの主張と全然一致し双手を挙げて賛成するところでありましたが、…英米人らは彼の放送を聞いて成るほど御もっともと感服したかどうか。私は感服どころか却ってイヤな感情、むしろ恐怖の念をもってこれを聴いたではなかろうかと思います。何となれば東亜の新秩序建設ということは東亜における旧秩序を破壊するということになる。すなわち英米仏既存の勢力を破壊しさるという意味に誤解せらるるからであります。
(安達謙蔵 著『北進図南』春潮社 昭和十五年刊 p.53~56)
下記のリストは、GHQ焚書のリストの中から、「北進」「南進」をタイトルに含む書籍である。全部で29点あるが、そのうち19点が「国立国会図書館デジタルコレクション」でネット公開されている。
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ブログ活動10年目の節目に当たり、前ブログ(『しばやんの日々』)で書き溜めてきたテーマをもとに、2019年4月に初めての著書である『大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』を出版しています。
通説ではほとんど無視されていますが、キリスト教伝来以降ポルトガルやスペインがわが国を植民地にする意志を持っていたことは当時の記録を読めば明らかです。キリスト教が広められるとともに多くの寺や神社が破壊され、多くの日本人が海外に奴隷に売られ、長崎などの日本の領土がイエズス会などに奪われていったのですが、当時の為政者たちはいかにして西洋の侵略からわが国を守ろうとしたのかという視点で、鉄砲伝来から鎖国に至るまでの約100年の歴史をまとめた内容になっています。
読んで頂ければ通説が何を隠そうとしているのかがお分かりになると思います。興味のある方は是非ご一読ください。
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