永松浅造の著作のなかで、海軍機関学校を志望する少年のために書かれた『舞鶴:海軍機関学校物語』という本がGHQ焚書のリストに挙がっている。
戦前戦中には陸海軍の将校を養成する学校がいくつか存在したのだが、第二次世界大戦の敗戦で軍隊は解体され、軍のエリートを要請する学校も解体されてしまった。戦前・戦中に制作された映画の中に、たまにこれらの学校生活の一コマが出てくる作品もあるが、戦後はこのような情報を得ることが難しくなっている。永松のこの著書には、舞鶴にあった海軍機関学校の教育内容や、生徒の日々の生活の様子が詳しく記されている。
海軍機関学校はどんな学校か
戦後生まれの世代には、海軍兵学校と海軍機関学校の違いがよくわからないのだが、この本の冒頭に、国民学校五年生の牧君が海軍の軍人を志望している中学三年の鈴木君に、海軍機関学校と海軍兵学校の違いを訊ねる場面で、鈴木君が答えるところから引用させていただく。
「兵学校も機関学校も、海軍将校を養成する学校だが、だいたい兵学校出身の将校は砲術、水雷、通信、航海、運用などの方面をうけもち、機関学校出身の将校は機関、電気、工作などの方面を担当して、部下を指揮しながら戦争をするものだよ」
「海軍将校を養成する学校は、この二校だけですか」
「海軍主計将校を養成する海軍経理学校があるよ。この三つの学校が、海軍士官の温床――つまり揺籃ともいうべきものだな。なお海軍機関学校は『海機』と略してよばれることがあるんだ」
永松浅造 著『舞鶴 : 海軍機関学校物語』啓明出版社 昭和19年刊 p.5
海軍機関学校は京都府舞鶴市にあり、入学志願できるのは満十六歳から満二十歳の男子で、全国五十一ヶ所の試験場で身体検査と学術試験が行われた。身体検査で不合格であれば、学術試験を受験できないし、学術試験の特定科目の成績が不良だと、以後実施される科目の受験が停止されるというきびしいものであったという。
学術試験の科目は、数学、英語、国語、漢文、作文、日本歴史、物理、化学で、天下の秀才が集まってくるので簡単に合格できるものではないが、試験に合格した者には口頭試験が行われて採用者が決定し、毎年十二月一日に入校式が行われた。
生徒は入校の日から海軍兵籍に編入され、身分は「准士官」の下位、一等下士官の上位に入れられる。「准士官」とは「兵曹長、飛行兵曹長、整備兵曹長、機関兵曹長、工作兵曹長、衛生兵曹長、主計兵曹長、技術兵曹長の総称」で、その准士官は一等下士官から選抜されるのだという。
修業年限は三年で、軍事学や数学、物理学、化学、心理学、論理学、歴史、地理、国語、漢文、語学などを学び、卒業すると海軍少尉候補生となり、卒業と同時に練習艦に乗組を命じられ内地航海や外国航海に出ていたが、戦争が始まったために、いきなり戦闘配置につき、自ら軍艦を運転し、砲弾や魚雷を打ち込むこととなる。
海軍機関学校生徒の朝
永松は、舞鶴の海軍機関学校を訪ねて取材を行い、教頭から本学の教育方針の説明を受け、副官から行内の施設の案内を受けている。その部分は省略して、生徒の一日を取材し記録している部分を紹介したい。この日永松はO大尉との約束により、午前四時半に機関学校を訪れている。
「もう間もなく、『総員起こし五分前』のラッパが鳴ります。午前五時の起床ですから」
大尉は、腕時計をのぞきながら言われた。この学校では、夏季は夜の九時半にねて、朝の五時半におき、八時間の睡眠をとることになっているが、酷暑のころは三十分だけ繰り上げている。
『海軍の五分間前』という言葉があるが、これは起床にかぎらず、訓練のはじまる前にも、授業のはじまる前にも、また食事のときでも、就寝のときでも必ずこの『五分前』のラッパが鳴る。これは学校に限ったことではなく、軍艦でも兵営でも行われる。五分間の用意と準備の余裕があれば、どんなことでもまごつかず実行できるという信念によるものだ。
一般の人が、事にあたる前に、五分間でも、一日でも、あるいは一年でも、三年でも、この『五分前』の心がけを持ったならば、恐らく物事にかけて失敗とか、後悔というような、自分の心のゆるみから起きる悲劇は起こらないだろう。間もなく私たちは、第一生徒間の二階にある寝室に行った。生徒たちはまだすやすやと眠っている。蚊帳をとおして見えるその寝顔の美しさ、一切の邪念をふきとった高潔そのものである。…中略…
やがて「総員起こし五分前」のラッパの音が…校内に響きわたった。
もうこの時刻になると、寝室から、かなりはなれた階下の便所にいったり、便所から帰ってきたりする生徒もあった。だが、校内のすみずみには、まだどこか覚めきらぬ眠たさがただよっていた。
午前五時、勇ましい起床ラッパが鳴った。
校内の空気は、休火山が爆発したように、一瞬にして大変化をおこした。
各生徒館から、ごうごうとした音が起こった。生徒たちは素早く寝床をはね起きて、寝具の片付けや、作業服に着かえるなど、目まぐるしい忙しさだ。
夏のこととて、寝台の上には一人一人に小さな蚊帳がつってあるが、生徒たちは床を離れると同時にこの蚊帳をたたみ、それから掛布団の毛布、敷布、寝まきなどをたたんで、寝台の後部にかさね、その上に枕をおく。まったく眼にとまらぬ早業で次々に整理されていく。
だが、この騒ぎの中から、声一つ聞こえない。誰もかれも、ただ黙々として動いている。
寝室の入口にちかいところに、下級生らしい生徒がいたが、さすがにそのボタンをとめ、バンドを締める指先は、せきたつ心をうつしてかすかにふるえている。ぎゅっとバンドを締めおわると、右の手でバンと一つそのバンドの上から腹をたたいて、すぐに室外へ駆け出した。もうそのころは、半数以上の生徒が室を出て、階下の洗面所へ駆けつけていた。五分間をすぎた頃にはもう室内には誰もいない。早いものは三分間以内で室外へ飛びだすのだ。
同上書 p.163~167
そんなに早く片づけたのでは、多少取りみだしたところもあるかと思われるかもしれぬが、その実どの寝室も、まるで型から押し出したように、きちんと整理されている。
洗面のときに水をじゃぶじゃぶ使うことは許されず、石鹸も用いない。わずかな水で口を漱ぎ、歯を磨き、顔を洗って上半身の冷水摩擦をする。使う水は「大型の水筒一杯ぐらい」だという。戦場では真水の補給は困難であり、かねて水を大切に使うことを叩き込まれていたのだ。
洗面を終えると、生徒たちは校庭に出て宮城を遥拝し、つつじが丘の神明社に参拝する。それから総員号令がかかり、十分間の総員体操が始まった。永松によると、体操が始まったのは五時十五分だったという。
体操が終わると生徒たちは生徒館に戻り、室内清掃に取り掛かる。それが終わると、六時に朝食となる。
神聖な授業
朝食が終わると、自習の時間となる。それから授業となるのだが、授業が始まる前に校庭に整列する。
やがて授業整列のラッパが鳴った。
各学年ごとに校庭に整列した。事業服(または作業服という)に軍帽をかぶって左の腕下にズック製の鞄をかかえて整列するのだ。…中略…
部長(級長のようなもの)の号令で、各学年はそれぞれの教室に向かった。一つの学年全員が同一の教室に行くのではなく、そのうちから各班に分かれて、たとえば甲班は哲学概論、乙班は機関実験室、丙班は電気実験室、丁班は船舶推進論というように、その時間に割り当てられた各班の教室に向かった。…中略…教室は、一定の時間が来なければ開かないし、授業が終わればぴたっと扉が閉ざされ、定員分隊の人々が掃除をするほかは、誰も出入りをゆるされない。それほど教室は神聖なものとされている。
この神聖な教室で、身をもってその訓育にあたる教官の熱意と、魂をもって学ぶ生徒や学生の呼吸とがぴったりと合って、世界に冠絶した海機魂がつちかわれていくのだ。その一例をあげれば「歴史、地理」の教育では、一般の学校のように歴史と地理を別々に教えるのではなく、歴史と地理は不可分の関係があるものとして、国家民族の興亡と、文化発達の歴史を説き、ことにわが国家発展の由来と、世界にたぐいのないわが国体の尊厳なゆえんを明らかにし、以て国民精神――すなわち大和魂の由ってくるところを知らせ、おのづから尊皇愛国の志操と信念を確立するように、教官がたが一生懸命に努力されるのである。
同上書 p.180~182
中学時代では、歴史も地理も、たいてい試験を目標としておおくその暗記に苦労してきた生徒たちも、この学校ではその大局をつかんで、なにゆえに、ある国家民族は亡び、またある国家民族は興隆したかという理由を会得するにつとめ、これをわが国に比べていよいよ我が国体のありがたいこと、そうしてわが国をますます盛強にするには、この尊厳無比な国体の中につちかわれた大和魂を発揮し、一死もって君国に報いんとする決意を固くするのである。
生徒たちは。教官の舌端火を吐くような熱意をもって語る国家民族の興亡史の講義をきくとき、拳を握り、まなじりを決し、かたづを飲んで、一言半句も聴きもらすまいとつとめる。
こうしてあらゆる歴史と地理は、一つとなって頭の中に咀嚼され、他の学科と連絡を保って、偉大なる志操となり、確固たる信念となるのだ。
私の中学高校で学んだ歴史は平板で中身が乏しく、ただ暗記に苦労した思い出しかないのだが、こんな中身の濃い歴史の授業が受けられることは羨ましい限りである。
GHQに焚書処分された永松浅造の著作リスト
以下がGHQ焚書処分された永松浅造の著作である。
タイトル | 著者 | 出版社 | 国会図書館デジタルコレクションURL | 出版年 |
印度独立と日本 | 永松浅造 | 大理書房 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1042563 | 昭和17 |
エチオピア皇帝とムッソリーニ | 永松浅造 | 森田書房 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1099478 | 昭和10 |
海軍機関学校物語 舞鶴 | 永松浅造 | 啓明出版社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1439704 | 昭和19 |
海軍航空隊 | 永松浅造 | 東水社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1460389 | 昭和17 |
くろがねの父 | 永松浅造 | 東水社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1460208 | 昭和17 |
軍神西住戦車長 | 永松浅造 | 東海出版社 | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和19 |
激発する大和魂 | 永松浅造 | 立誠社 | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和18 |
皇国海戦史 : 海ゆかば | 永松浅造 | 大果書房 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1460406 | 昭和17 |
陣頭精神 | 永松浅造 | 輝文堂書房 | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和18 |
壮烈海国魂 | 永松浅造 | 忠文館書店 | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和17 |
祖国の魂 | 永松浅造 | 鮎書房 | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和18 |
満州建国誌 | 永松浅造 | 学友館 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1270064 | 昭和17 |
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