「地政学」は、地理的な環境が国家に与える政治的、軍事的、経済的影響を、巨視的な視点で研究する学問だが、戦前・戦中には多くの著作が出版されていたものの、戦後GHQにより、日本人の著作だけでなく外国人の著作までもが没収処分されている。さらには公職追放で多くの研究者が排除されてしまい、それ以降この分野の研究は、わが国では永い間タブーとされてきたようだ。
小牧實繁はわが国の「地政学」のパイオニア的人物で、彼の著作7点がGHQにより焚書処分されている。今回はその中から『地政学上より見たる大東亜』という著作の一部を紹介したい。
太平洋を環るアジア、アメリカ、オーストラリアなどのいわゆる環太平洋地域は、悠遠の古(いにしえ)より、アジア民族、その他白人ならざるいわゆる有色人種の生活空間として存在してきたのである。ヨーロッパ人の進寇以前、アメリカ大陸の主人公であったかのアメリカ・インディアンの如きも、実は古くアジアから渡って行ったアジア民族の同族であることは、既に欧米の学会においてすら承認せられているところであって、その或るものが、古く南米の太平洋沿岸に高いインカ文明の花を咲かせたことは、既に周知の如くである。そうして、太平洋の海は、民族の揺籃としてその島々に共通な海洋性文化を育み、そこに平和な、独立の楽園を現出せしめて来たのである。
しかるにこの平和の楽園は、近世以後ヨーロッパ人の侵略により、その秩序と平和とを攪乱せられることとなったのである。このヨーロッパ人の侵入を誘発したものが、日本の黄金と東印度モルッカ群島の香料とであったことは、諸君も既にご承知のことと思う。しかして日本は、御稜威のもと、よく彼らの侵略を撃退することを得たのであったが、東インドモルッカ群島はついに欧人劫掠の好餌となり、かくして太平洋が東西両方向より迫るヨーロッパ人の脚下に蹂躙せられることとなったのが、悲しくも口惜しい歴史の現実であったのである。
まずスペイン人は、アメリカから太平洋を越えてフィリッピン、モルッカ群島を侵し、ポルトガル人及びオランダ人は、インド洋から東インドおよび南シナ海に侵入してきたのである。スペインとポルトガルとは、その植民地政策の失敗と相互反噬の結果、間もなく衰退したが、これと入れ代わって、やがてイギリスが太平洋に立ち現れることとなったのである。十六世紀後半、スペイン船刧掠のために派遣せられたかのフランシス・ドレークは、太平洋に立ち現れた最初の英国人で、海賊国家の完全な代表者であったのである。
その後、数回にわたる有名なキャプテン・クックの探検により、つぶさに太平洋の形勢を偵察していたイギリスは、十八世紀以来、インド侵略の余勢を以て、俄然露骨な太平洋攻略に乗り出し、まずシンガポールを占領して太平洋の西の関門を扼することに成功し、さらに勢力を二分して、北は日本、支那の侵略に志し、南はオーストラリア、ニュージーランドの劫掠に歩を進め、世界の中心たる西太平洋を、自らの支配下におかんとするの態勢を整えるのである。
かくして一応、西太平洋の支配を完成するや、イギリスは十九世紀後半以後、さらに西南より東北に向かって洋中の要点占拠に驀進し始めたのである。それが、当時日本の覚醒と興隆を見てとり、また今後世界の中心が再び太平洋に戻るべきことを炯眼早くも看破して、いち早く有利な地政学的布陣を完成せんがためであったことはいうまでもない。即ち1853年ノーフォーク島、次いでフィージー島、ファンニング島、エリス島などの島々を占拠して、次第に勢力線を北上せしめ、これをカナダ太平洋岸と連絡せしめ、太平洋に一大円弧を描く包囲陣を構成せんとする遠大な意図の一端を実現せしめるのである。そうして第一次欧州大戦に際し、日本が太平洋の治安維持の大任を果たしたにもかかわらず、報いるに狡猾なる詐謀を以てし、赤道という地図上架空の一線によって、日本の活動を画然と赤道以北に限定したのみならず、自らは巧みにそれ以南のドイツ領を掠め去ったのである。
(小牧實繁『地政学上より見たる大東亜』日本放送出版協会 昭和17年刊 p.101~104)
著者は、イギリスのあとアメリカ、フランス、ロシアがアジアを侵攻してきたことの概略を述べている。環太平洋地域においては古来アジア民族が居住し豊かな文化を育んできていて、古い時代にはヨーロッパに対して文化的にも経済的にも優位にあったのだが、近世に入りこの地域はヨーロッパ人によって侵略され、歴史的伝統文化は破壊されて、海も分断されてしまったという真実が、戦後の歴史叙述からはすっかり消えてしまっているのである。しかしながら、このような真実を知らずして、近世以降のわが国の歴史を正しく理解することは出来ないのではないだろうか。
西尾幹二氏が動画『GHQ焚書図書開封』で、小牧氏の別の著書『大南方地政論』を2回にわたり解説しておられる。興味のある方は視聴いただけるとありがたい。
・ポルトガルの「海の鎖」と大英帝国をつくった海賊の話
・シンガポールに着眼したイギリスの地政学的先見の明
GHQ焚書リストの中から「地政学」に関する書籍を拾うと18点の著作があり、その内5点が「国立国会図書館デジタルコレクション」でネット公開されている。
タイトル | 著者・編者 | 出版社 | 国立国会図書館デジタルコレクションURL | 出版年 |
アウタルキーと地政治学 | ヨハンネス・シュトイエ | 科学主義工業社 | ||
欧州の現勢 戦局の展望と地政学 上 | 金生喜造 | 古今書院 | ||
国防地政論 | 江沢譲治 国松久弥 佐藤弘 | 巌松堂書店 | ||
国民地政学 | 岩田孝三 | 帝国書院 | ||
世界新秩序建設と地政学 | 小牧実繁 | 旺文社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1275970 | 昭和19 |
大東亜地政学 | カール・ハウス・ホーファー | 投資経済社 | ||
大東亜地政学と青年 | 金生喜造 | 潮文閣 | ||
大東亜地政学新論 | 小牧実繁 | 星野書店 | ||
大南方地政論 | 小牧実繁 室賀信夫 | 太平洋書館 | ||
地政学概説 | 吉村 正 | 広文堂書店 | ||
地政学上より見たる大東亜 | 小牧実繁 | 日本放送出版協会 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1272668 | 昭和17 |
地政学と東亜共栄圏の諸問題 | 国松久弥 | 開成館 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1459144 | 昭和19 |
地政学論集 | 日本地政学協会 編 | 帝国書院 | ||
地政論的新考日本史 | 前田虎一郎 | 二松堂 | ||
東亜地政学序説 | 米倉二郎 | 生活社 | ||
東南アジア地政治学 | クルト・ヴィールスビツキイ | 科学主義工業社 | ||
日本地政学覚書 | 小牧実繁 | 秋田屋 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1272716 | 昭和19 |
ハウスホーファーの 太平洋地政学解説 | 佐藤荘一郎 | 六興出版部 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1438943 | 昭和19 |
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