GHQに焚書処分された、丸本彰造 著『食糧戦争』(昭和19年刊)を読む

GHQ焚書

第一次世界大戦は食糧戦争でもあった

 戦争は軍事力がいくら優位にあっても、食糧が不足しては戦えないということは当たり前のことなのだが、わが国では、戦後になってからは特に、食糧自給の重要性が軽視されるようになり、外国から安く輸入すべきだという主張が長きにわたり幅を利かせてきた。そのために、今や我が国の食糧自給率はカロリーベースで4割を下回る水準となってしまっており、穀物自給率については3割を大きく下回り主要先進国のなかで突出して低い状態が続いていて、そのことに警鐘を鳴らすようなマスコミは皆無といって良い。

 戦前、戦中においては、食糧を自給できるようにすることの重要性について述べた著作が少なからず存在したのだが、戦後になってGHQはこのような本のいくつかを焚書処分している。今回は、当時陸軍主計少将であった丸本彰造が著した『食糧戦争』新大衆社 昭和19年刊という本の一部を紹介することといたしたい。

 序文にて著者は、次のように述べている。ちなみに、文中の「前欧州大戦」は「第一次世界大戦」、「今次大戦」は「第二次世界大戦」と読み替えてよい。

 私は、前欧州大戦は食糧に始まり、食糧に終わった戦争だと観察している。つまり、苛烈なる食糧戦争である。「食糧は戦争の勝敗を決する」「最後は食糧だ」これは交戦各国が前大戦から身にしみて獲得せる貴き教訓であるが、今次大戦に於いては双方ともこのことをモットーとして「食糧の確保」ということには万全を期している

 食糧は、戦力国力の源泉であって、兵器弾薬に優るとも劣らぬ重要なる国防要素である。何故ならば、その需給の適否と国民栄養の良否とは、直接戦局に重大なる影響を及ぼすものだからである。

 由来わが国は食糧の豊かな国である。しかも今日、皇軍将兵の勇敢奮闘により南方の豊富なる食糧は、次第にわが共栄経済圏内に編入されつつあり、前途まことに洋々たるものがある。然りといって、我々国民はいたずらに楽観すべきではない。大東亜戦争最後の勝利を確保するまでは、民需食糧の輸入は控え、一隻でも多くの船を軍用に充て、極力国内で産する食糧だけで、生活を維持するようにしなければならぬのである。

丸本彰造 著『食糧戦争』新大衆社 昭和19年刊 p.1~2

 第一次世界大戦は食糧が勝敗を決したことを述べているのだが、具体的にはどの国が食糧問題に苦しんだのか。

第一次大戦で食糧難に苦しんだ国々

 同書の第一章において、ドイツについて著者は次のように述べている。

 ドイツ軍は武力戦には勝ち続けておったが、三年目に入ってから、労力不足、資材不足のために、食糧の生産が著しく減少し、これに加えて外国からの供給は杜絶し、せっかく武力戦には勝利を占めながらも、食糧のために遂に敗れてしまったのである。当時、米国の如き物資豊かな国でも、国民はよく食物の節約を計り、幼少年に至るまで一切米一粒も残さず ―― 食べる訓練をつけていた。(米国は、この大戦後から民心弛緩して、極端に享楽的風潮に支配され始めたのである)かくの如く長期戦には食糧問題は絶対に看過すべきではない。…中略…

 ドイツの食糧は平時一割強を輸入していたが、開戦とともに食糧封鎖を受け、将来の食糧困難を予想して、平時は一人当たりの平均食糧消費量は三千六百カロリーであったのを、開戦とともに二千八百カロリーに減じ、二ヶ年これを持続したのである。しかし、一般の食糧生産の減収甚だしく、殊に国民主要食糧である馬鈴薯の如きは半作以下という大凶作に遭い、種々なる方策を講じたが非常なる困難に立ち至り、第三年の夏から二千カロリーとなり、段々減らして一千五百カロリー以下、所によっては千二百~千百カロリーとなり、平時食糧の半減乃至三分の一という配給量になってしまった

 陸軍でも第一線の糧食定量は三千六百カロリーであったが、第四年の夏には二千二百カロリーに減じたような次第で、出征軍人の八百万人も銃後五千八百万人の国民もひとしく ―― 食糧の困難を深刻に嘗めたのである。

 この間、ドイツは国民の愛国心に訴え、法律の力を以てし、団体の活動、科学の力をかり、発明考案により官民必死の努力を以て、生産、消費、配給にあらゆる方策を取ったのである。しかしその欠乏はいよいよ甚だしく、一九一八年の冬は燃料欠乏で、火のないストーブを抱え、パンもなく馬鈴薯も食べないでキャベツを食べつつ震えながら暮らしたのであった。…中略…

 ドイツの食糧困難の結果は、当然過度の栄養不良を来たし、飢饉のため死亡したるものが七十六万人の多きに及び、また一般に死亡率を高めたのである。特に、老人病弱者の死亡が多くなり、子供の栄養について極力牛乳の配給に努めることにしたが、しかし大なる影響を受け、発育不良、体位は著しく低下をみた。

 かくの如き食糧の欠乏は、国民一般の気力体力を衰えしめ、戦争遂行の精神力を失わしめ、遂に敗戦するの止むなきに至ったのである。

同上書 p.19~21

 ドイツでは第一次大戦中に、平時に食することがなかった馬や犬や兎などのほかに、動物園で飼っていた象をも食用に供したのだそうだが、それでも多くの餓死者が出てしまった。食糧問題で苦労したのはドイツだけでなく、イギリスもひどかったようだ。
 イギリスの食糧難については、中外商業新報政治部 編『烈強の臨戦態勢 : 経済力より見たる抗戦力』(昭和16年刊)にさらに詳しく記されているが、イギリスでは「英本国の食糧自給率は35~38%といわれている」とあり、特に小麦については毎年75~80%を輸入していて、開戦時の備蓄は半年程度しかなかったとある。そんな状況下であったにもかかわらず対独戦を開始したことから、食糧問題で相当苦しむことになったことは言うまでもない。
 食糧価格が高騰し、世界の多くの国々が食糧問題で苦労した経験から、第二次世界大戦に参戦した欧米主要国は、食糧生産と備蓄に万全を期すべく準備を怠らなかった。

昔も今も食糧問題に無関心な日本

 ではわが国ではどうであったのだろうか。農林水産省は戦前・戦中の食糧自給に関する詳しい統計資料をネット公開しておらず、「国立国会図書館デジタルコレクション」で探してみると、昭和21年版の『ダイヤモンド重要産業統計』に、「主要食糧需給表(単位米換算千石)」(昭和10~20年[推定値])が出ていることがわかった。 

『ダイヤモンド重要産業統計』主要食糧需給表(単位米換算千石)

 米の国内生産は年度により変動があるが、概ね60百万石(1石=約180リットル)で、わが国が統治していた諸国からの「移入」が、昭和10~14年は12百万石程度、昭和15~20年は激減して4百万石程度となり、その穴埋めを他国からの「輸入」で埋めようとしていたことが読み取れる。しかしながら、太平洋戦争の戦況が厳しくなるにつれ外国からの米輸入が難しくなり、麦や雑穀、いもなどの「代替食糧」の生産が急激に増加し、昭和19年は米換算で11百万石、20年は推定で14百万石となっている。
 一方で米の需要は、昭和10~14年は71~80百万石程度で、戦前におけるわが国本土の食糧海外依存度は12~19%程度。戦況が比較的優勢であった16~17年は20%を超えたが、18年には9.3%、19年は10%、20年の推定は5.9%と大幅に低下し、一方で米以外の「代替食糧」の割合が急増している。昭和18年といえば、2月に日本軍がガダルカナル島から撤収し連合国軍が反攻に転じた節目となった年だが、この年以降わが国が食糧問題でかなり苦しんだことは、統計数字から読み取ることができる。

 第一次世界大戦におけるドイツの事例を考えれば、戦前の早い段階から食糧の安全保障対策が実施されてしかるべきであったと思うのだが、当時のわが国においては充分な対策が取られていなかったようだ。前掲の『食糧戦争』で著者は次のように述べている。

 食糧は、日常生活の根元をなすものである。しかるに従来わが国民は――あまりにも食糧問題に対して無関心でありすぎたと思う。これは食糧に恵まれていたからであろう

 私は支那事変勃発の当初から、この事変は長期化するのではないかという予測を抱いており、常に
「栄冠は気力、体力、資源の問題なり」
ということを叫んできたのである。

 戦争が長期化すれば、食糧の不足問題が起こるのは判りきっているから、私は ―― 玄米食運動、玉葱黍(トウモロコシ)運動、閑地利用運動などを起こし、その奨励に努め、極力楽観説を否定して今日に及んだのである

 しかるに前述した如く、大東亜戦争は今や決戦の段階に入り、米が足らぬの、外米は不味いとか、混食をせよと言っても第一、材料がないではないか等と、―― 不平や愚痴を並べて余裕のないところまで来ているのである。…中略…

 食糧知識の欠如から、米なら米を唯一の食品と心得、栄養上の無智は白米を常用し折角の栄養物を無駄にするのみならず、不合理なる砂搗米を愛用する等、白米に対するいたずらな執着心を去り得ずして、国民体位の低下を招いていたのである。

 また、海外において米の出来ぬような土地に住まっても無理にこれを食おうとする。例えば、満州の山奥で白い御飯で刺身を食い、畳の上で寝なければ承知せぬなどという日本人も現れるような始末であって、ややもするとその土地に産するものを食し、その土地の生活様式に従うという順応性を欠いて非常に高い生活を営むようになる。かくては必然、経済生活において極めて不利な立場に立つのであるから、到底他民族と競争しえず、自然自ら退却の余儀なきに至るというわけである

 これでは、将来大東亜諸地域に発展活躍などといっても、言うべくして行われざる机上の空論となり終わるであろう。

『食糧戦争』p.22~27

 米と言っても、日本の米(ジャポニカ種)と、タイ米(インディカ種)、東南アジア島嶼部の米(ジャバニカ種)とは味も食感も大きく異なるのだが、海を渡っても日本の米を精米して食べることにこだわった日本人が少なからずいたことは、上記の『ダイヤモンド重要産業統計』に、日本の米がわが国に統治していた国々に「移出」されていた数字を見れば見当がつく。
 なぜわが国は、戦前・戦中においてすら食糧問題に関して無防備に近い状態が長く続いたのか。連合国あるいはソ連共産主義による情報工作が行われていたのかもしれないが、著者によると、当時のわが国の論調は以下のようなものであったという。

 「大東亜の南方圏に食糧が豊富だから、その食糧を取って来れば、日本ではそう心配しなくてもよかろう」
 というような ―― 緒戦の大戦果に酔ったような観念が台頭して来たことがある。けれどもそれは非常なる誤りであって、戦争の様相がいよいよ苛烈となる今日にあっては、かかる観念は当然払拭されねばならない。

 とかく食糧問題は、あたかものど元過ぎれば熱さを忘れるというたとえの如く、苦しいときは農村だとか食糧問題だとか騒ぐけれども、南方共栄圏の開発が始まると、すぐあそこの物を持って来ればいいじゃないかと言う。また、今年は豊作だと言うと、農村施設とか農業生産計画が打破せられるようなことがある。これが非常によくないと思うのである。

 南方のみでない。朝鮮でも満州でも中支でもあるいは北支でも、南方に食糧が沢山あるというとすぐ、それをこちらへ持って来るという風なことを妄想する。それが非常に国を誤る考えなのである

 最近、敵のゲリラ戦に対して食糧というものが、その地域地域によって充実しなければならぬという認識が、大分強くなってきたのは幸いである。

 現に南方の各地共栄圏に至っても、常に米英はわが方の隙を狙っているのである。八紘一宇が実現して、世界が一つの御稜風の下に統一されない以上は、南方の一環から常に安全に物資が得られるものだと安心することは到底出来ない。ゲリラ戦でいつ何時敵の飛行機や、潜水艦でやられるかも知れぬから、やはり内地は内地で自給し、朝鮮は朝鮮で自給し、台湾は台湾で自給し、フィリピンはフィリピンという風にして、各地各地で出来るだけ自給し得る態勢を整えて置くことが、それぞれの民族をして各々その所を得せしめ、生成発展せしむる所以であると信ずる

同上書 p.41~42

 食糧は武器弾薬と同じく重要な国防要素であり、食糧が戦争の勝敗を決するという主張は、昭和十八年頃から次第に受け入れられるようになっていくのだが、日本人はよほど切羽詰まらないと本気で抜本的な対策を講じようとしないところがあり、その欠点は今のわが国においても同様である。

GHQはなぜこの『食糧戦争』を焚書処分にしたのか

 ではなぜGHQはこの『食糧戦争』を焚書処分にしたのであろうか。

 GHQは、わが国が二度と米国に対抗できるような強国にさせないために、多くの分野で様々な仕掛けを施しているのだが、今回紹介させていただいた『食糧戦争』に記されている内容はおそらくアメリカがその後わが国に実施しようとしたこととバッティングしたに違いないのだ。

 『松岡正剛の千夜千冊』の1541夜に速水健郎著『ラーメンと愛国』という本の一部が紹介されていて、終戦直後の食糧事情について次のように記されている。 

 戦後日本の食糧事情の悪化に対して、アメリカから二つの支援がやってきた。ひとつはアメリカの農家の小麦過剰による価格の暴落をふせぐため、政府や陸軍が大量の小麦を日本にもたらした。1946年には34万トン、50年には157万トン。ガリオア資金による日本供与も7割が食糧になった。アメリカが学校給食用の小麦を無償提供したのは、慈悲のためではない。日本政府が小麦を輸入する取り決めに応じたからだった。
 もうひとつは日系ジャーナリスト浅野七之助が組織した日本難民救済会の活動だ。これをきっかけにつくられたララ物資による救助に、ミルク・缶詰類とともに小麦がしこたま積み込まれた。ララ援助は1946年から52年まで継続された。こちらは慈善性が高い。
 さらに1954年にはアイゼンハワー時代のアメリカで余剰農産物処理法が施行された。日本・イタリア・ユーゴスラヴィア・トルコ・パキスタン・韓国・台湾に余剰物資がまわされ、各国がこれを購入することになった。アジア各地を回ったゴードン・ボールズをリーダーとした調査団は、とくに日本にこそ余剰農産物をもちこむべきだと結論付けた。この場合も小麦は日本が引き受けた余剰物資の半分に達していた。
 こうして日本の学校給食はパンになり、主食をごはんからパンにするという方針が日米のあいだで進行していったのである。トースターもやたらに売れた。ここにはアメリカの「粉食奨励」という戦略的シナリオがあったらしい。なにやらTPP後の日本を暗示するような話である。

『松岡正剛の千夜千冊』の1541夜 速水健郎著『ラーメンと愛国』

 私の小学校時代の学校給食は毎日脱脂粉乳とパンとおかずで、ごはんが出ることはほとんどなかった。昭和33年には「米を食うとバカになる」と主張する本(『頭脳 才能をひきだす処方箋』)がベストセラーとなったりして日本人の米の生産量・消費量は年々低下し、一方で小麦の輸入が拡大してわが国の食糧自給率は悪化していくばかりであった。

 要するにアメリカは、わが国を自国の余剰小麦等の処分場と定め、それによりわが国の農業を弱体化させて食糧自給率を低下させ、軍事力だけでなく食糧をも、わが国をアメリカに依存させようとしたということではないだろうか。そのためにアメリカに首根っこを押さえられて、わが国が従わざるを得ない状態が長く続き、今の岸田政権に至ってはほとんどアメリカの言いなりだ。

 保守の論客の多くは、憲法第九条を改正して自衛隊を軍隊と明記し、普通の国と同様に自分の国は自分で守るべきだとの主張をしているが、国民の食糧の大半を外国からの輸入に依存するようでは国が守れないことは明らかである。食糧問題の重要性について国防観点から議論を深めていく必要があるのだが、国会などで真剣に議論される日はいつ訪れるのだろう。

 もし台湾有事が起きた場合に、わが国は充分な食糧が確保可能なのか。
 戦争に巻き込まれなかったとしても、もし世界的な大飢饉が起きれば、どの国も自国民の食糧確保を最優先することとなる。その結果、主要穀物等の価格は暴騰し、庶民には必要な食糧が簡単に手に入らなくなることは目に見えている。
 政府はこれまでの食糧政策を改めて、主要食糧について自給率を100%に近づける施策に転換しなければならないと思う。

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