「西の日光」と呼ばれていた奈良の大寺が明治初期に破壊されたこと~~内山永久寺の廃仏毀釈

廃仏毀釈・神仏分離

内山永久寺の破壊と文化財の流失

 前回、前々回の「歴史ノート」で興福寺の廃仏毀釈について書いたが、冒頭で東京美術学校(現東京芸術大学)の第五代校長を勤めた正木直彦(1862~1940)の講話などを抄録した『十三松堂閑話録』の「廃仏毀釈、西洋崇拝、国粋保存と其推移」という講話の一部を紹介した。正木はその講話の中で興福寺の廃仏毀釈について述べてたあと、内山永久寺の廃仏毀釈に言及している。この寺は永久年間(1113~1118年)に鳥羽天皇の勅願により興福寺大乗院第二世頼光が創建し、後に石上神宮(いそのかみじんぐう)の神宮寺として栄え、「太平記」には後醍醐天皇が一時この寺に身を隠したと伝えられていた。また大和国では東大寺・興福寺・法隆寺に次ぐ待遇を受けていて、その規模の大きさと伽藍の壮麗さから、江戸時代には「西の日光」とも呼ばれていた。そんな由緒ある大寺院が、明治初期の廃仏毀釈によって完全に破壊されてしまったのである。正木氏の文章をしばらく再び引用する。

 大和の一の宮布留石上明神の神宮寺内山の永久寺を廃止しようということになって役人が検分に行くと、寺の住僧が私は今日から仏門を去って神道になりまする。その証拠はこの通りと言いながら、薪割を以て本尊の文殊菩薩を頭から割ってしもうた。遉(さすが)に廃仏毀釈の人々も、この坊主の無慚な所業を悪みて坊主を放逐した。その迹(あと)は村人が寺に闖入(ちんにゅう)して衣料調度から畳建具まで取外し米塩醤豉までも奪い去ったが、仏像と仏画は誰も持って行き手がない。役所から町の庄屋中山平八郎を呼び出してお前は是を預かれと言う厳命、中山は迷惑の由を申し出て辞退をしたけれども許されず、ついに預賃年十五円を貰い預かることとなった。その後時勢が推し移り何時の間にやら預かった仏像や仏画が中山所有の姿になった。今藤田家に所有する藤原時代の仏像仏画の多くはこの中山の蔵から運んだものである。こんな有様であるから総べて古物は仏画でも何でも二束三文となった。金泥で書いた経文等も焼いた灰から、金を取るというような商売のおこったのも無理からぬことであった。

(正木直彦著『十三松堂閑話録』相模書房 昭和12年刊 p.115~116)
十三松堂閑話録 - Google Play
石上神宮 拝殿(国宝)

 「布留石上明神」というのは、内山永久寺から八百メートルほど北にある「石上神宮」のことで、昔は「石上社」「布留社」とも呼ばれていた。

『両部大経感得図(部分)』(国宝)

 また、藤田家というのは、明治期の関西財界の重鎮で藤田財閥の創立者の藤田伝三郎とその長男藤田平太郎、次男藤田徳次郎を指している。この三人が集めた美術品・骨董品の数はかなり売却されたようだが、それでも現在の藤田美術館には国宝九件、国の重要文化財五十三件を含む約二千件が所蔵されているのだそうだ。その中に『両部大経感得図』(国宝)という仏画があり、これはかつて内山永久寺が保有していたものである。

両部大経感得図 | 藤田美術館 | FUJITA MUSEUM
出雲建雄神社割拝殿(国宝) s_minaga氏撮影

 また、石上神宮摂社の出雲建雄神社割拝殿は現在国宝に指定されているが、もとは内山永久寺鎮守の住吉神社拝殿であった。

 また海を渡って今はボストン美術館所蔵となっている鎌倉時代の仏画『四天王像』は、国内にあれば間違いなく国宝指定だと言われている。下のリンクはボストン美術館の四天王像多聞天のページである。

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 国の重要文化財に指定されているものとしては、持国・多門天像、聖観音菩薩立像(東大寺ミュージアム)、四天王眷属立像(東京国立博物館他)、不動明王像及び八大童子像(世田谷山観音寺)、真言八祖行状図(出光美術館)、愛染明王坐像(東京国立博物館)があるのだが、わが国に残されているものだけでも、これだけ多くの国宝や重要文化財があるというのは驚きを禁じ得ない。もしこの内山永久寺が今もそのままの姿で残っていたとしたら、法隆寺や東大寺に匹敵する観光名所になっていたことは確実であろう。

内山永久寺はどんな寺だったのか

『和州内山永久寺図』

 内山永久寺については多くの記録や絵図が残されている。上の画像は江戸時代の享和年中から文化年中(1801-1818)に制作された『和州内山永久寺図』である。中央に描かれている池が大亀池で、境内には多数の堂宇が存在していたことがわかるのだが、明治初期に境内のすべての建物が破壊されてしまい、今は果樹園になってしまっている。

『大和名所図会』内山永久寺

 先程紹介した『大和名所図会』にはこの寺の絵図が二枚あり、上の画像は寺の中心部を描いた一枚目のものである。また同書には、この寺についてこう記述されている。

 鳥羽院の御願にして、開基釈亮慧(しゃくのりょうえ)、真言伝法の人なり。この地五鈷(ごこ:密教の法具の一つ)の形の山にして、中央に山峰あり。されば内山と号せり。永久年中の草創なれば、永久寺と名付けたり。宗旨は真言にして、本堂は阿弥陀仏を本尊とす。奥の院の不動明王は、日本三体のその一なり。観音堂・千体仏堂・二層塔・大師堂、真言堂には大日如来を安ず。額は鳥羽院の宸筆(しんぴつ)なり。鎮守の社は清瀧権現・岩上明神・長尾天神を勧請す。また元弘年中笠置城没落の時、後醍醐天皇しのびて入御したまう遺跡、本堂の乾(いぬい:北西方向)にあり。また大塔宮(だいとうのみや)*もこの内山に隠れ給う。そのほか諸堂魏々として、子院四十七坊ありとなん。宗派は醍醐金剛院の法流にして、当山派(真言宗系の修験道の一派)の法頭なり。

*大塔宮:後醍醐天皇の皇子の護良(もりなが)親王

(『大日本名所図会. 第1輯 第3編』大日本名所図会刊行会 大正8年刊 p.317~321)
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内山永久寺はなぜ廃寺になったのか

 慶応四年(=明治元年:1868年)三月十七日に神祇事務局より僧侶の復飾(俗人に戻ること)が命じられ、三月二十八日には神仏分離令が出されたことはこのブログで何度か書いたが、この寺も興福寺と同様に僧侶全員が還俗し、堂塔坊舎の打ち毀しが始められ、付近住民の建築材や燃料となり、仏像・仏具・経典・文書の類はほとんどが焼かれ、石垣、石段の石材も多くは運び出されて、数年のうちにすべてが破壊しつくされ境内は耕地に変貌したという。

 s_minagaさんのHPに、『改訂天理市史(本編・上巻)』の解説が引用されている。

 永久寺及び龍福寺*の僧侶は慶応四年八月復飾、布留社神宮寺の立場は廃止され、布留社の新神司(あるいは宮人)となり、神勤する。

(永久寺上乗院々主内山亮珍は神官の「社務」となる。)

 永久寺寺録は江戸期九百七十一石余が明治元年四百十二石余、明治二年三百十七石余、明治三年二百八十石と漸減し明治四年には二百五十石以下となり、それ以降三年は給付されたようである。

 明治七年三月永久寺は廃寺、堂塔伽藍・諸具は入札で売却、取り払われる

 約七町歩の境内地のうち、宅地(二町二反余)は旧僧侶の居住地として半額払下げ、畑(一町九反余)の内の私費開墾地は無償払下げ、鎮守の社地及び池は官有地、藪 (一反余)・山林(二反)・荒地(一町五反余)は入札で処分される。旧僧侶達は明治二十年までには何れも立ち去り、旧境内地一円は田畑に帰す

 明治三年八月に神祇官に提出された永久寺の交名は以下の通りである。

上乗院内山亮珍・亮慎、寶幢院成瀬真治、世尊院前田民夫、内光院槙島俊雄、唯心院水野忠雄、知足院中村健治、釈迦院三浦慶治、徳蔵院徳岡環、金壽院藤井堯雄、金剛院成瀬速見、西院永井浩、梅能木計尾、蓮華院牧野民治、惣持院木村栄治、宮崎勝江、威徳院芳木倉治、角院鈴木豊治、北艮治、佛性院松井勇治、福思院福岡廣悦、三浦萬治、蓮華院宮崎勝治、前田常夫、浄心院小野義雄、牧野喜幸(以上二十六名)

 明治二年布留社は神祇官直接支配となり、明治四年布留社は官幣大社となる。ところが官幣大社となるということは組織が変わるということである。布留社では復飾者の内山亮珍が他の復飾者の上に立ち社人を務めていたが、官幣社となると宮司は政府の任命するところとなる

 布留社初代宮司は今園国映であり、明治六年就任する。職員は国の制度で定められ、その後多くの復飾者は神職の座を追われたものと思われる。

*龍福寺(石上神宮の東、天理市滝本町にあった寺。明治初期に廃寺となる。)

(『改訂天理市史(本編・上巻)』昭和51年刊)
大和内山永久寺多宝塔

 内山永久寺の僧侶は全員が還俗して、多くは石上神宮(布留社)の神官となったためにこの寺は無住となり、寺領を没収されて早々と廃寺が決定し、建物は競売にかけられたが買い手がつかず、多くは取り壊されたという。

 上記URLの記事に、内山永久寺の僧侶全員が還俗したため廃寺となった経緯について、平成二十六年夏の文化財展で天理大学吉井敏幸教授が講演された内容が要約されている。

寺組織が上乗院をトップとした上意下達の組織であったため、上乗院の還俗神勤に全寺家が従い、反対する僧侶は皆無であった

僧侶は貴族的性格であり、国学や尊王倒幕に傾いていた。貴族的つまり世俗的打算もあり、王政復古・廃仏神道復古の時流にわれ先に乗ったのであろう。

地域性が欠如し、地域住民の信仰はほぼ皆無であった。寺院そのものが地域にとって無縁の存在であった。安産の神である生産神社(安産神社)ですら、貴族の安産の為 の存在であるから、神社は地域に信仰があれば通常存続が図られるはずであるが、神社ですら存続ができなかった。

 寺の運営の中心にいた人物が勤王派で、率先して還俗することを表明したことが大きかったという説は多分その通りだろうと思う。

内山永久寺の跡

 石上神宮から山の辺の道を南に八百メートルほど歩くと大きな池につきあたる。この池が内山永久寺の境内にあった大亀池である。

 この池に半島の様に突き出した場所があり、そこに「内山永久寺記念碑」が建てられている。

 大亀池のほとりに芭蕉の句碑がある。松尾芭蕉(1644~1694)が伊賀上野に住んでいて「宗房」と号していた頃に、たまたま春にこの地を訪れて満開の桜を詠んだ作品で、寛文十年(1670年)に刊行された『大和順礼』に収録されているという。

 「うち山や とざましらずの 花ざかり」

 この場所を訪れて見事に咲き誇る桜を観賞した若き日の芭蕉が、二百年後にこの歴史ある大寺院が日本人の手によって徹底的に破壊されることになるとは、思いもよらなかったことに違いない。

 どんなに古い時代に制作された貴重なものであったとしても、毀されたり燃やされたり、奪われたりすれば文化財は一瞬にしてその価値を失ってしまうことになる。今日残されている国宝や文化財は、数百年あるいは千年以上にわたり、先人達の努力によって価値を失うことなく守られて来たものばかりなのである。これからも、出来るだけ多くの文化財を、価値を減じることなく次の世代に残せるようにすることは、現在に生きる世代の責務なのだと思う。

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コメント

  1. Ouna より:

    こんにちは♪
    内山永久寺の破壊と文化財の流失を拝読いたしました。
    「西の日光」と呼ばれた由緒あるお寺でも、その地域の住民とは無縁であったがため、廃仏毀釈からお寺・仏像などの文化財を守ろうとする人々がいなかったことは残念ですね。
    いつもありがとうございます。

    • しばやん より:

      Ounaさん、読んで頂き、コメントまでいただいてありがとうございます。
      興福寺といい、内山永久寺といい、位の高い僧侶は率先して還俗して寺を捨てました。仏教者としての矜持を感じられないのは残念です。

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