リットン調査団は満州でトラブル続きだった

満州事変から国際連盟脱退

 前回の「歴史ノート」で、「リットン報告書」の内容はどのようなものであったかについて書いたのだが、調査団が決して公平中立的な立場で情報収集していなかったことは、当時の新聞にもしっかりと報じられている。戦前の日本人なら誰しも憤慨したであろう重要な事実が、戦後の歴史叙述の中では採り上げられることがほとんどない。
 今回は当時の新聞記事や論調を読みながら、戦前の日本人がリットン調査団についてどのような印象を抱いたかを考察することと致したい。

満州国の治安を心配していた調査団

張学良

 前回記事で、リットン調査団が三月に北平を訪れた際に張学良が設定した歓迎の宴に招かれて出席したことを書いた。中立的な立場で調査をすることが求められる調査団が、張学良の接待などを受けるべきでないことはいうまでもない。その後調査団が満州に向かおうとすると、満州国が調査団メンバーの一人でありかつて張学良の手下で働いていた顧維鈞(こいきん)の入国を拒否している。その点については前回に書いたので繰り返さない。
 満州事変で関東軍により張学良の軍閥が満州から駆逐されて、満州各地で張学良派の人物を追放し新国家を建設しようとする運動が起ちあがって満州国が生まれ、これまで住民を悩ませてきた匪賊らが退治されて治安がようやく安定したのだが、調査団は真逆の情報を張学良らからかなり吹き込まれていたのか、満州国の治安が相当悪いことを恐れていたのである。

「神戸大学新聞記事文庫」外交115-73

 上の画像は、昭和七年(1931年)四月十六日付の大阪毎日新聞だが、調査団が日本軍に対し全満州での身辺保護を要請したことを報じている。

 顧維鈞の入満問題は日本、満洲国ならびに委員一行の間にデリケートな葛藤の種となり、リットン卿一行は満洲国政府をもって日本政府の出店なりとし「満洲の至るところで委員一行に安全保護を与うるは日本側の全責任において可能なり」とまで極言し、日本側は十二月十日の決議成立当時と今日の満洲とは全然異なり、満洲国政府がすでに事実上独立した関係上、新政府は必ずしも日本政府の意思通りに動かず、顧の入満拒絶のごときは明らかにその証左であると駁し、その間支那側の誇張的提訴も作用して今やリットン委員長一行の日本側に対する心境は漸次悪化を示すに至った

「神戸大学新聞記事文庫」外交115-73

 満州国は独立国なので日本軍の保護を求めることは筋違いなのだが、支那で相当誤った情報を吹き込まれたのであろう。当時から支那では満州国は「偽国家」で日本の「傀儡国家」であると宣伝されていて、今のわが国の歴史叙述では、当時の支那のプロパガンダとあまり変わらない内容で満州国とわが国を論じることが一般的となっている。

満州国を裏切った馬占山との会見を満州国に要求した調査団

 リットン卿は強引に顧維鈞を同行させたのだが、一行に満州に到着してからも様々な問題が起こっている。

「神戸大学新聞記事文庫」外交116-22

 上の画像は五月十八日付の大阪朝日新聞だが、調査団が満州国に入り、新政府に対し突如馬占山(ばせんざん)との会見を強要したことを伝えている。馬占山は馬賊出身の大物であり、張学良が満州を支配していた頃は黒竜江省を任されていて、満州事変では最後まで関東軍に抵抗した。満州国が成立した三月一日に黒竜江省長となったが、四月一日に満州国に反旗を翻し、以降ゲリラ戦や宣伝戦を繰り返し行っていた人物である。

馬占山 Wikipediaより

 満州国の要職に就いたにもかかわらず、すぐに国を裏切ってゲリラ戦を繰り返している馬占山との会見を調査団から強く要求され、満州国政府が拒否したことは極めて当然のことだと思う。

リットン卿も英国も、満州国を張学良に委任統治させようという張学良の要求を呑む考えであった

 上の新聞記事ではその問題とは別に、張学良がリットン卿にとんでもない要求をしていたことも同時に伝えている。

 某方面に達した確報によれば、委員長リットン卿は北平において張学良より「満洲問題の永久的、平和的解決策として満洲を委任統治地域となし学良を委員長とし、日、支、英、米、仏その他の各国より委員を選出してこれを統治せしめられたし」との要求を受け、リットン卿が大体これに同意せる事実が判明した。よって調査団の馬占山との会見要求はリットン卿がいよいよ学良の要求通りの解決案を作成して連盟に提出せんとする下心の表現と見られている。

「神戸大学新聞記事文庫」外交116-22

 この情報はガセネタではなかったようだ。五月二十九日付の大阪毎日新聞には、ランプソン英国公使とリットン卿が会見した記事が出ている。

「神戸大学新聞記事文庫」外交116-48

 ランプスン英国公使と連盟調査委員リットン卿との大連における会見は、果然満洲問題に新しい爆弾を投じた。その会見で両氏は、満洲を連盟の支配下に置き張学良を委員長とする日支両国委員によって構成さる新政権の手に委ねるという案を作成した。…中略…満洲国の基礎固まるにつれ嘆きの張学良が先般リットン卿の北平到着後猛烈に運動し更に英公使が実現運動を講じたものである。…中略…張学良はさらに右のごとき日本および満洲国を無視せる案の達成の日を望み、全能力をこれに傾注して満洲国領土に多額の金を注ぎ込み義勇軍を送りつつある。

「神戸大学新聞記事文庫」外交116-48

 独立したばかりの満州国政府を全く無視し、満州統治を張学良に委任する案は満州国もわが国も吞めるはずがないだろう。しかしそれを実現させるために、張学良は義勇軍を送り込み、満州国の治安悪化を図ろうとした。

満州国が調査団に発した警告と調査団の対応

 一方調査団が満州国に馬占山との会見を要求して以降、馬賊(匪賊)の活動が活発化しするようになったことから、満州国政府は調査団に次のような警告を発している。

「神戸大学新聞記事文庫」外交116-31

 近来ハルビン郊外鉄道沿線一帯に匪賊猖獗せるは、貴団が馬占山と会見せんとの意向なるに刺戟されし結果なり。貴下が馬占山と会見を欲する態度は、五月六日附余に照会されし文書の精神に全然違反しおるは明白なり。余は茲に貴団が顧維鈞と張学良との策謀に動かされ不安なる現下の情勢を省みずその主張を固執するにおいては、当国としてはその治安維持のため相当の処置を講ずることあるべきを警告せざるを得ず。余は茲に貴下が余に致されし文書を想起し、貴下の注意を喚起せんと欲す。

「神戸大学新聞記事文庫」外交116-31

 この警告で調査団の態度が急変し、調査団は奉天に帰還することが決定し、六月四日に調査団は満州国を離れたという。調査団は馬占山との会見については断念したとの談話も出ていた。

「神戸大学新聞記事文庫」外交116-88

 また、満州国を裏切りゲリラ活動を繰り返していた馬占山は、関東軍に追撃されて満州国から逃亡したのだが、満州国の発表によるとそれまで彼を動かしていたのは張学良であったという。六月十日の大阪毎日新聞に満州国が公式発表した内容を伝えている。

馬は満洲国軍政総長、黒竜江省長の軍職を与えられたが学良のあやつる糸にたぐられて治安維持の責に任ぜず、混乱せる部下の統制がつかずにいた。…中略…
一方北平の学良は、彼が動揺せるに乗じ食わすに利をもってし、彼をして新国家に対しひそかに反逆せしめ満洲国攪乱の手先に利用した。…そのころ黒竜江省各地には新国家に服しない軍隊が跋扈していた。彼は新国家をあざむく手段としてこれ等軍隊を懐柔することを口実として四月三日未明、闇に乗じてチチハル城を脱出し嫩江伝いに自動車で大黒河に走った。…中略…
ブラゴエ支那領事、黒河駐在旧万福麟軍と手を組み、彼の周囲にあって新国家建設の枢機に参与した多数の秘書策士とともに新国家に関するデマを作り上げ、一たび失った支那民衆の人気回復を策し、ついに虚電を張学良および連盟調査員に送り一大ショックを与えた。しかし天は彼に与せず最近には海倫からハルビンにまで軍を率いて押し迫らんとしたが折から匪賊討伐中の日本軍の猛撃に遭いほうほうの体で通北北方まで逃げのびた。

「神戸大学新聞記事文庫」外交116-88

 馬占山がすぐに満州国に反旗を翻した背景には張学良がいたのだが、馬は張学良の命に従い、満州国の撹乱を始めている。調査団が満州国滞在中に治安悪化させることにより、調査団に「満州国の治安は良くない」との印象を持たせるためである
 また調査団は満州を去る前に馬占山との会見を断念したとの談話を出していたのだが、実際には密使としてアメリカとドイツの新聞記者を満州に派遣して馬占山との会見を行わせ、その情報を連盟に送らせていたのである。

 ニューヨーク・タイムスのスチル記者とアルゲマイネ・ツアイツングのリンド記者は連盟調査委員の密命を受けて馬占山と会見し、会見記や彼らが国連に送った電報の詳細は不明だが、アルゲマイネ・ツアイツング紙のラル特派員により、リンド記者が送った電報の大要が六月十七日の大阪毎日新聞に報じられている。

馬は弾薬尽きれば槍や刀をもってもあくまで戦うと断言した。連盟委員には両当事者を公平に扱うことを期待する。連盟が満洲問題を解決できぬ時は支那は連盟を脱退せず、公式の宣戦なしに反日戦争をつづけるだろう

「神戸大学新聞記事文庫」外交-116-114

調査書の起草地は張学良の意向通りに決定

 その後、報告書をどこで起草するかについては、わが国の希望が全く無視されて、わが国が最も嫌がる場所が内定してしまった。

「神戸大学新聞記事文庫」外交116-67

 上の画像は六月三日の神戸新聞の記事だが、文中の北平は現在の北京である。満州事変で満州から追放された張学良はずっと北平にいたのだが、調査団は張学良の要望通りに北平で起草することを決定したことを伝えている。

【奉天二日発連合】調査団の最終報告書起草地には日本側は大連星ヶ浦乃至青島を主張しつつあるに拘らず、如何なる理由によるものか調査団はこれに耳をかさず張学の要求通り北平に根拠をおき、北戴河を名目上の起草地とし実質上の起草地は北平と決定するに至った。…中略…日本の主張を知りぬいておりながら調査団が張学良の要求を容れておる事実は不可解至極で、その間に何等か特殊の曰くあるに非ずやと相当突込んだ憶測が行われている。

「神戸大学新聞記事文庫」外交116-67

「リットン報告書」に対する世界の新聞論調

 調査団のメンバーが報告書を完成させて国際連盟に送ったのは九月四日で、公表されたのは十月二日だというが、一部の内容がリークされていたのか、九月の段階で報告書の内容を批判する記事がいくつかでている。
 前回記事で書いた通り、報告書には重要な部分で事実誤認がいくつかあり、結論としては支那側に有利な内容となっていたが、当時のわが国の新聞を見ていくと「リットン報告書」に批判的な外国紙が少なからず存在することが分かる。世界の世論は決してわが国に厳しいわけではなかったようである。

「神戸大学新聞記事文庫」外交118-43

 最初に見つかったのが、九月十一日付の大阪時事新報で、ドイツの地方紙が報告書を批難したことを伝えている。

…ベルリン各紙は何れも批評を差控えているがローカル・アンツアイガー紙のみはかかる中間□結論を非難しリットン報告書を「弥縫的報告書」と断じ「両当事国何れもの立場を容認するような結論を得ようという企図は失敗だ」と述べている

「神戸大学新聞記事文庫」外交118-43
「神戸大学新聞記事文庫」外交118-45

 同日に神戸又新日報が、英国の保守誌サタデーシヴューが満州問題を日本に好意的に論じていることを報じている。

 国際連盟が何を云いリットン調査団が何を報告しようとも、日本の満洲における権益は確乎不抜である。支那のそれは山に湧いた霧の如くで、満洲国は支那のものでなく支那のものだった事もない。支那が満洲との境界に長城を築いて満洲人の入冠を防いだ事実は明に之れを物語っている。…中略…
 今や支那の政治家達は、これまで全く支那のものでなかった土地を取戻そうと企てている。斯の如く鬼面の狂言に過ぎない無理押しにより日本の桔据経営の果実を掴み取りしようとしているのである。

「神戸大学新聞記事文庫」外交118-45

 そしてわが国は、政府として九月十五日に満州国の独立を承認して国連にゆさぶりをかけたのだが、そうすることによってしばらく沈黙を守っていた海外の論調が活発化した。

「神戸大学新聞記事文庫」外交118-86

 アメリカは基本的に反日であり、日本の勢力が満州で拡大することを阻止する観点から満州国の承認には反対であったが、フランスはわが国に対して随分好意的であった。文中の「エリオ氏」は当時の仏首相である。

 また仏国の政界、財界、言論界の有力者はことごとく親日論者であり、エリオ氏が日本の利益を害するごとき政策に走ることを許さぬ、現下の仏国民の九分九厘までが熱心な親日論者だ。
 しかしてその主張の重要な点は極東の平和秩序の維持は日本に任せるが最も賢明であり日本がその役割を引受けていることを感謝すべきである。またロシアの世界革命運動を防止する重大な要素は日本だ。すべての文明国はジュネーヴでもっと日本の利益を擁護せよというにあり、右のごとき挙国一致の輿論が厳存する以上仏国の親日政策は動かない。

「神戸大学新聞記事文庫」外交118-86

 また英国は大勢は親日であったのだが、反日国のアメリカなど諸外国や国内の政党などとの関係から、この問題に関しては積極的には動けないと書いている。

 英国は日本の満洲国承認に対しては直接に意思表示をせずリットン報告を待って連盟を通じて円満解決をはかる下心である。…中略…
 大勢はとうとうとして親日傾向に傾いている。日英両国が仲違いになることは英国の東洋における厖大なる利権を考えれば容易ならぬ大事件である。だから実業界の巨頭連に親日論者が多い。しかも上下を通じて親日論の第一人者は皇帝陛下であらせられるともれ承る。

「神戸大学新聞記事文庫」外交118-86

 また英紙の二十二日のモーニング・ポスト紙の論評はかなり我が国に好意的である。

「神戸大学新聞記事文庫」外交118-135

 満洲国建設の可否は満洲全土において秩序安寧を建設保持し善政を布き得るや否やにある。昨年十月初から本年二月末までの間満洲での匪賊襲撃は非常な多数に達している事実にかんがみるとき、もし日本の力でこれらの匪賊を平定し公安を確立しまた門戸開放を厳守することを得るにおいては満洲国の出現はただに日本のみならず全世界の利益である。

「神戸大学新聞記事文庫」外交118-135

 フランスの有力紙もリットン報告書に批判的だ。

「神戸大学新聞記事文庫」外交120-21

ラ・リベルテ紙 今回公表されたリットン報告は日支紛争を解決しそうもなく、既に地に委した連盟の権威を高めるものでもない
ジュルナール紙 リットン委員会が前後数箇月に亘り日支紛争現地を踏査し、慎重審議の結果審かなる報告を作製した努力は多としなければならぬが、報告書が満洲の特殊性を承認し単なる権利回復の不可能なる所以を力説し事実上満洲国建設の不可避なるを容認しつつあるも、一方に於て満洲の現状を変革せんとしているのは明白な矛盾と云わなければならぬ。

「神戸大学新聞記事文庫」外交120-21

再び張学良が動く

 このような世界の論調を見て張学良が動き出したことを神戸又新日報が伝えている。

「神戸大学新聞記事文庫」外交118-167

天津三十日発電通——北平にある学良の側近者よりの確報によれば、十一月中旬開かれるリットン報告書審議の理事会に出席し各国間に猛運動をなさしむべく派遣された顔慶恵は、二十七日学良宛左の如き電報を寄せ義勇軍を使嗾し満洲における日本の立場を不利ならしむべしと勧説して来た
「連盟総会の開会は目前に迫り諸般の形勢はわが方に有利に展開しているが、連盟としては日本に対して極端なる強硬態度をもって臨むことは不可能であるから、貴下は北支那将領および民衆と一致協力して満洲の擾乱に一層力を注ぎ、満洲が日本の称しているが如く治安の保たれていないことを事実の上に示されて連盟の空気をより一層わが方に有利に努力せらるるよう切望す

「神戸大学新聞記事文庫」外交118-167

 満州から追い出されて収入が激減した張学良らは満州を支配する地位に戻ることを本気で考えていた。そのためには調査団が満州国の治安について良好と判断されては極めて不都合であり、そのために張学良の兵を送り込んで騒擾を仕掛け、満州国が日本が主張しているように決して治安が守られているわけではないことを世界各国に認識させようとしたと解釈できる。そして中華民国は、張学良と国際連盟を利用することによって、日本が巨額の投資をしてインフラを整えた満州を手に入れるために有利なポジションを獲得しようと動いていたのではなかったか。
 当時の日本人はこのような新聞記事を読んで、張学良と中華民国が仕掛けた工作にかかってしまったリットン調査団に相当腹を立てていたに違いないと考えている。次回はわが国の動きを中心に書くことにしたい。

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