満州民族の故地・満州の人口の九割が漢民族となった経緯

満州事変、満州国関連

 前回記事で、満州は満州族の故地で漢民族はかつてわずかしか居住していなかったのだが、清末以降に大量の漢民族が満州に移り住むようになって、一九三八年頃には満州の人口の九割が漢民族となったことを書いた。今回はこの点についてもう少し詳しく書くことと致したい。

満州で漢民族の人口が大幅に増加した主因

 長野朗(ながのあきら)の作品は今までこのブログで何度か採り上げさせていただいたが、彼の『満州の過去と将来:満洲問題叢書. 第5巻 』(GHQ焚書)には次のように解説されている。わが国が満州に巨額の投資を行っている最中にこのような問題が進行していたのである。

 清朝になってその故郷の漢人の為に占められることを虞(おそ)れ、封禁の令を下して漢人が従来住んでいた遼東の地からさらに北進することを禁じた。しかるにロシア勢力の東漸は支那をしてこれに備えるため辺境移民の必要を感ぜしめたが、それは大したものではなかった。しかるに清末から今日までの間に急速に漢民族が満州に殺到し、約三十年間前の日清戦争頃には人口五六百万といわれたのが、今日では三千万人近くとなったが、それには二つの主因がある。

 一つは外部的のものであって、ロシアの東清鉄道の敷設、続いて日本の満州鉄道経営及び産業開発である。その端を開いた東清鉄道の敷設は、短時日の間に長大なる線路の工事を終わったため、これに要した支那人苦力の数は莫大に上がり、満州に散在しているものはもちろん、労力過剰の山東省方面から労働者が入り込んだが、鉄道建設が終わった後にも、その大部分は鉄道建設からさらに奥地に居住定着して開墾に従事し、同郷親戚がこれに加わって今日の如き繁栄を来たすに至った。かくて従来南満に限られていた漢人の居住地が、鉄道の開通により初めて北満の地に広がるに至った。これは満州民族史上の一大変革である。一方東清鉄道の完成に近づくとともにウィッテは満州にロシア人の移民を計画したが、清国はロシアが満州に六十万人の移民を行わんとしているとの報に驚き、ロシアの機先を制せんとし、漢人の北満移住を策し、一九〇一年十二月には古来封禁の地である北満に隣接する蒙地(モンゴルの土地)十三万五千清里を植民地として開放すべき論文を発表し、一九〇七年北京政府は爾後五ヶ年間に二百万人の移民を黒竜江省に送るべき計画を立てた。即ちロシアの鉄道敷設の外にその移民計画もまた漢人の北満進出を促した。

 一つは内部的原因であって、清朝の勢威衰うるや、その封禁の制は実行されず、禁を破って漢人の奥地に進出するもの多く、満人の土地所有者も利を得るために秘かに支那人を招いて小作させ漢人を誘致するに至った。清朝も後には自ら封禁の令を弛(ゆる)くしたが、民国革命により満人の統治は破れ、漢人の天下となっては自由に満州に居住し得るに至り、漢人の居住は一層促進され、加えるに近年支那の戦乱、土匪*、天災により人民の満州に避難し来たるもの一層多くなり、今日の如き状態となった…。漢人の満州大移動と共に政治、経済の実験もその手に帰し、満州を確実に支那の一部分化せんとしつつある。
*土匪:土地に住み着き武器を用いて集落などを襲い掠奪等を繰り返す集団

長野朗『満州の過去と将来:満洲問題叢書. 第5巻 』支那問題研究所 昭和6年刊 p.118~120

 満州族は古来遊牧の民であり、彼らの故地である満州は人口密度は極めて低く、耕作可能な未開拓地がかなり残されていたのである。そこにわが国が権利を取得してインフラ整備をし農民や企業を誘致すると、治安が良くなった満州にどんどん漢民族が家族ぐるみで移って来た。漢民族が三千万人で満州人口の九割を占めていたということは、他民族は合計してもたかだか三百万人程度ということになるのだが、人口については諸説があり、正確な数字はよくわからない。しかしそこまで漢民族の割合が多くなると、満洲では圧倒的少数派の満州族は事実上漢民族に同化されていき、満州族による統治は困難となり、満州は漢民族のものとなっていかざるを得ないだろう。

満州における漢民族の人口増加を助長したもの

 よくそんな状態になるまで清国政府がよく放置していたものだとも思えるのだが、弱体化した清国は、その勢いを止める力がなかった。長野朗は『満州の野に展開された民族戦:満州問題叢書第二巻』で、満州における漢民族の人口増加を助長した要因として二点を挙げている。

一、日露両国の南北満州における諸施設が増進されるに従い、漢人の満州移住はいよいよ促進された。東支南満両鉄道の従業員だけでもその数少なからず、満鉄が創業以来昭和五年までに支那人従業員に支払った俸給だけで約三億万円に達し、日本人俸給の大部も支那人の手に落ちているし、更に進んでは鉱山の採掘、工場の設置により、多くの支那人労働者が使用され、また交通網の発達につれて、支那人の開墾は進捗し、その生産品は日本その他の諸国人の力により海外に輸出されるため農業の発達を促し、これに付随して商業も興って来た。さらにもう一つ日露、殊に日本が満州の漢民族発展に大なる貢献を成したことは満州の治安維持である。満州に唯一の安住地を見出した漢人は、支那本部の乱を避けて続々ここに移住するに至った日本は漢人のため護衛の役割を努め、巨額の財を投じて漢人を富ましめ、自らほとんど得るところなかったのである。

二、満州における鉄道敷設は漢人の発展を助けたことが決して少なくない。鉄道の延びる所、漢人の移住開墾はこれに伴って起こって来た。漢人の移住発展が如何に速やかであるかは敷設中の鉄道沿線を見ればわかる。吉長線が敷設されて十年余。その沿線はほとんど開墾され尽くして余すところなく、停車場の中にも下九台、樺皮甸子の如き農産物の大集積場が出来、各停車場の前にも相当の店が設けてある。次いで吉林から吉敦線で敦化に向かうと、この鉄道は昭和三年の暮れに出来たばかりだが、停車場は野中の一軒家の如く立っているにもかかわらず、沿線には至る所に新しい土製の家が見られ、あるいは構築中の家もあり、家の周囲は荒れ地を拓いて開墾が行われつつある。かくて鉄道の通ずる所、彼らの移住は時を移さず行われるものである。彼らの発展力の旺盛なことは驚くべきもので、四洮線終点の洮南の如き、日露戦争当時には人口数百の寒村であったが、今では人口数万の大都市となっている。…

長野朗『満州の野に展開された民族戦:満州問題叢書第二巻』支那問題研究所 昭和6年 p.21~23

 鉄道敷設によって沿線各地がどんどん開墾されていき、かつて小さな集落であったところが大きな町となり都市となっていったのだが、そのことがさらなる鉄道網の発達を促して、さらなる漢民族の移住を呼び込むようになっていったのである。

漢民族の満州移住が激増した理由

 わが国ももちろん邦人の満州移住を推進していたのではあるが、漢民族の満州移住が一九二五年から一九三〇年頃に劇的に増加した原因については、支那の治安悪化がポイントとなる。前掲書に長野は次のように解説している。

一、兵禍 山東は南北勢力の要路に当たっているために、北方軍閥の争覇戦から国民革命軍の北伐、続いて反蒋戦とほとんど連年兵禍に悩まされ、たえず大軍が駐在しているために人民に対する苛斂誅求が甚だしく、年一回の地租を年三四回も徴収し、また軍費の調達を申し付けられるために農民はその収益を挙げて租税に応じるも足らないが、払わなければ危害を加えられるので人民は難を避けて他に移住する。また絶えず戦場となっているため、交戦地帯では穀物を取られ、牛馬車両を徴発され、衣類夜具を取られ、耕種衣食の途を失し、燃料の徴発により全村の樹木ことごとく伐採されたところあり。また軍隊が人民の財物を捜し回り、家屋の墻(かき)や床を破壊するため住居を失い、村落は全く荒廃し、家畜は掠奪され田畑は荒廃するに至る。それに若者は人夫に強徴され、あるいは兵卒として強制徴募され、更に甚だしきは殺人及び婦女の凌辱を伴うに至るため、難を避けて安住の地を満州に求めるのも当然である。

二、土匪(どひ)* 山東は昔から土匪の本場であって、大小の土匪は至る所に割拠し、十数年来土匪の跳梁は益々甚だしくなったが、最近の戦禍により生活の途を失ったものは土匪に堕するもの少なからず、加うるに戦争の結果は多くの潰兵を生じ、彼らは武器を持って土匪の群に投ずるため、土匪の中には機関銃大砲を持っているものもあり、大土匪団は数千の衆を擁して横行し、山東全省土匪のいない所はないまでになり、最も甚だしいのは南部及び四省境界の曹州方面。黄河北岸地方及び済南の西部で、済南付近及び東部はやや軽い有様である。こうして土匪が近年著しくその団体の大きさと活動地域を拡大したため、以前は金持だけを襲うていたのだが、少し金のある連中は安全な都市に逃れ去ったため、今では一般農民が苦しめられ、牛馬食料品まで奪われるので、農民は全く生活の途を失い、壮者は土匪になる者も少なくないが、家族のあるものは土匪にもなれず、皆東三省**に逃れ去る。中には婦女小児を城内の安全な所に移し、年壮の男子だけをまず移住するのもある。
*土匪:徒党を組んで掠奪・殺人を繰り返す盗賊集団。「匪賊」とも言う。
**東三省: 清代におかれた黒竜江省・吉林省・奉天省(今の遼寧省)の三省。満州族の故地で「満州国」領土の中心部分

同上書 p.24~26

 長野は他にも天災(水害やイナゴによる害)軍閥の紙幣乱造による生活必需品の騰貴を挙げているが、二つ目の要因である「土匪」は「匪賊」とも言い「徒党を組んで掠奪・殺人を繰り返す盗賊集団」を意味するが、中国を語る上で無視できない存在でありながら戦後の歴史書にはほとんど書かれていないと思うので補足させていただく。
 Wikipediaによると山東省、河南省、江蘇省、安徽省は特に土匪が多かったことで有名だが、その他の地方でも匪賊が跋扈して大きな犠牲者が出ていた。匪賊の中には、一団をなして共産軍の指揮下に入り、共産党のスローガンを叫んで乱暴狼藉を繰り返した「共匪」や、支那兵や軍閥の兵士が銃器を持ち出して悪事を繰り返した「兵匪」もいた。また満州では馬に乗った集団が悪事を繰り返したので「馬賊」と呼ばれていた。

昭和6年5月14日『大阪時事新報』 神戸大学新聞記事文庫 犯罪,刑務所および免囚保護4-146

 神戸大学新聞記事文庫で「匪賊」で検索すると820件、「土匪」で623件、「馬賊」で555件もの記事がヒットするのだが、これだけ報じられていたのであるから、戦前の日本人は支那の匪賊の問題を良く理解していたものと思われる。上の画像は『大阪時事新報』の昭和6年5月14日付けの記事で、共匪によって江西省湖南省人民が二十五万人も虐殺されていることが国民会議席上で報告されたと報じている。当時、清国はこのような暴虐行為を取り締まることができなかったために、日本軍によってある程度治安が保たれている満州国に移って行く支那人が急増したのは当然であったと思われる。

満州国の民族政策

満州国国旗

 では、満州国はどのような民族政策を採っていたのであろうか。上の画像は満州国の国旗で、左上の五色の横縞模様は、同国の民族政策である五属協和を意味している。五属とは日本、朝鮮、満洲、蒙古、支那の五民族を指し、これ等の民族が協調して暮らせる「王道楽土」建設を目指したのが満州国である。

満州国のチラシ (名古屋市博物館蔵 栗田コレクション)

「五族協和」という理念に反対するものは殆んどいないと思うのだが、特定の民族の移民が増えすぎて国内で圧倒的な割合になった場合に、どのようなことが起こりうるかについて当初から考えが甘かったと思われる。

恐るべき章炳麟の対満政策

章炳麟

 満州に支那人民が大量に移民したのは、支那の治安が酷かったことや、天災が重なったことが理由だとして説明されるのだが、もしかすると、支那が匪賊を用いて意図的に治安を悪化させ、大量の支那人を移住するように工作したのかもしれない。長野朗の『満州読本』には次のように解説されている。

 支那当代随一の学者である章炳麟(しょうへいりん)は、彼の対満政策として、千五百万の漢人を満州に移住する計画を立てた。彼はこれだけの支那人が移住すれば、満洲がロシアに取られても、日本の支配下に入っても、結局支那の地位は実質的に動かないと見たのである。ところが実際は彼の考えた二倍の人口が満州に移住した。それは結局ロシアと日本が漢人の大発展を誘致したのである。

 ロシアの東支鉄道の敷設は、短日月に長大な線路工事を終わったため、これに要する支那人苦力の数は莫大にのぼり、これが山東方面から入り込んだが、工事が終わっても帰らずに沿線に土着し、それに同郷親戚が加わってだんだん増えて来た。満鉄の開通当時には、駅に汽車が着くと、汽車の窓に駆け寄って、乗客の弁当の食い残しや、一二文の銭を貰っていた連中が、立派な家を持ち、富豪になったものもある。また南北満州が鉄道で通じるようになったから、南満から北満に出かけるものも増えた。それに日本が南満鉄道を得てから、日本やロシアが鉄道沿線に鉱山や工場を経営するようになって、支那人の入満者は次第に多くなった。そのうちに鉄道の支線が出来たりして、支那人は盛んに各沿線に移住した

長野朗『満州読本』建設社 昭和11年刊 p..21~22

 Wikipediaによると章炳麟は「辛亥革命を思想面で支えたことから、孫文・黄興と並ぶ「革命三尊」の一人として尊崇される」と解説されているが、彼は満州族が建国した清国を滅亡させることに貢献しただけでなく、満州国で漢人が多数派を占める為に様々な工作を考えていたのではないだろうか。結果として、章炳麟が計画していた数字の倍近い漢民族が満州に移住したことになるのだが、この結果をどう考えればいいのだろうか。匪賊(共匪、兵匪等を含む)が各地で起こした掠奪や虐殺事件の一部は漢人の満州移住を促すために仕掛けられたのではないかとも思うのだが、そんなことでもしなければ三千万人もの漢民族が満州に向かうことは考えにくい。
 ロシアとわが国は満州に莫大な資金を投じたのだが、その利益の恩恵に浴したのは、結局のところ投資もせずに大量の人民を送り込んだ支那であったということは記憶に留めておくべきである。

 もしかして、章炳麟の対満政策と同様なことが、今のわが国で仕掛けられている可能性はないのだろうか。東京や大阪で急激に中国人の居住者が増えていると聞くが、「外国人に魅力のある制度で『選ばれる国』へ」というような甘い考え方で外国人の移民を許容していけば、いずれわが国の多くの地域が実質的に乗っ取られてしまうことにならないか。
 政府は実質的な移民解禁を急いでいるように見えるのだが、既存政党も財界もマスコミも、政府の移民政策についてまともな議論や問題提起をせず、国民に充分な情報を与えないまま、外国人に参政権まで認めようとしている動きがあることが気になっている。せめて特定国の移民が各都道府県(あるいは各市町村)で一定の割合を超えないことや、強制退去となる条件などのルールは厳しく決めておくべきであろうし、その前に日本人の生活を豊かにさせるための施策など政府としてやるべきことがまだまだあるだろう。
 今の政治家や財界やマスコミは過去の歴史をしっかりと学んで欲しい。そして、チベットやウイグルと同様の事がわが国に起こらないことを願いたい。

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コメント

  1. 井頭山人(魯鈍斎) より:

    しばやん様
     お書きの様に日本は確実の崩壊の一途をたどって居ます。血と文化の異なる移民という物は、国内に騒乱のタネを蒔くことです。小生の見るところ政府・行政は、もう外国人反日勢力に乗っ取られてゐます。特に、自公政権の管と岸田に成ってからの売国奴ぶりは誰の眼にも驚くばかりです。あと、50年後に日本は日本では無く成ってゐるど想像します。日本は3000年の歴史と18000年の縄文時代の先祖を持つ世界最古の文明です。これが白人たちに滅ぼされて消滅するのは人類史上悲しむべき結果です。日本文明の危機に一般人が気が付いた時はすでに崩壊は始まっており多分手遅れでしょう。静かなる侵略の進行です。今の若い連中にこんな事が解るだろうか?呆けた連中が大半です。新聞テレビが画策した、日本の崩壊が成就したのちには、新聞テレビはどの様に生き残るのだろうか?何れ始末される事となる。まだ眠って居る者が大半です。
    しばやんや小生の如きは、一万人に一人も居ない。我々に何ができるのか?、すでに埼玉辺りでは、民族衝突が起きているとか。我々は形としては選挙的方法しかないが、其の選挙でさえ不正が行われていると謂う。

    • しばやん より:

      目覚めた人はそれなりにいると思うのですが、バラバラでは力がありません。有権者が繋がることが必要です。
      参政党以外の既存政党は与党も野党もつまるところはグローバリストの手駒で、どちらに転んでも彼らには痛くも痒くもありません。
      参政党も分断工作に引っかかってしまったのは残念ですが、いずれ反グローバリストでいろんなメンバーがつながっていくことを期待しています。
      いずれにせよ、真の愛国者を糾合して誰かが日本のトランプにならなければならないのですが、既存政党にも愛国者は少なからずいます。彼らが反グローバリズムでまとまれば、応援します。
      ワクチンの件はいつまでも真実を封印することは出来ないでしょう。年内には相当多くの国民が真実を知ることでしょう。
      そうなればマスコミはいずれ視聴者の支持を失い、広告媒体としての価値を失っていくことと私も思います。

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