世界遺産の高野参詣道を行く~~慈尊院、丹生都比売神社

和歌山

高野山町石道

 今から約千二百年前に弘法大師・空海が開山した真言密教の聖地である高野山は、標高千メートル級の八つの峰々に囲まれた山上盆地を指す。高野山の子院数は江戸時代の初めには千八百以上あったというが、その後江戸幕府が寺院数を削減し、天保三年(1832年)には八百十二院との記録が残り、今でも百十七の寺が立ち並ぶ宗教都市である。

https://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/130300/nanakuchi_d/fil/kouyananakuti.jpg

 高野山は古くから多くの参詣者で賑わったのだが、高野山に行くには七つの参詣道があり、これらはまとめて国の史跡に指定されていて、高野山の寺院群とともにユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」を構成する資産として登録されている

 参詣道の中で最もよく使われたのが、九度山町にある慈尊院からスタートする町石道(ちょういしみち)である。「町石」というのは、慈尊院から一町(約109m)ごとに建てられた、高さ約三メートルの石柱で、慈尊院から高野山上の壇上伽藍の根本大塔までの道中に百八十基、大塔から奥の院・弘法大師御廟までに三十六基置かれているのだという。平安時代の頃は木製の卒塔婆であったのだが、鎌倉時代に石造の町石に変えられたと伝えられている。

 高野山に一度でも参詣すれば、すべての罪が道中において消えるとする信仰が生まれ、藤原道長、藤原頼通、白河上皇、鳥羽上皇、後白河法皇、後鳥羽上皇など多くの権力者が参詣したことから、高野山への参詣が次第に盛んになっていったという。

 上の図は天保九年(1838年)九月に出版された『紀伊国名所図会』第三編 巻之四の「法皇高野山詣」だが、皇族であろうが貴族であろうが庶民であろうが、身分の差に関係なく誰もが徒歩で聖地「高野山」を目指したのである。この図に描かれている卒塔婆のような石柱が「町石」である。

国立国会図書館デジタルコレクション

 江戸時代には『紀伊国名所図会』だけでなく各地の名所図会が出版されている。一部は復刊されて、『国立国会図書館デジタルコレクション』でネット公開されている。このブログで、公開されている書籍のURLリストを作成しているので、良かったら覗いてみて頂きたい。

高野参詣の玄関口:慈尊院と丹生官省符神社

 最初に訪ねたのは慈尊院(和歌山県伊都郡九度山町慈尊院832)。

 上の図は『紀伊国名所図会』に描かれている慈尊院で、昔はこの寺が高野山の正式な登山口であった。随分多くの建物が描かれているが、昔は神仏習合で、石段の上の丹生官省符(にうかんしょうぶ)神社と一体であった。

 慈尊院のリーフレットには、この寺の由来についてこう記されている。

 弘仁七年(816年)に弘法大師(お大師さま)が高野山をお開きになった際、庶務をつかさどる政所として、玄関口であるこの地に慈尊院を建てられました。そんな息子を一目見たいと母公(玉依御前/82歳)が香川県より参られたのですが、山上より女人禁制とされていたため高野山に上がることができませんでした。

 母公の身を心配されたお大師さまは、この寺に留まらせ、高野山より月に九度、訪ねられたことから九度山という町の名になったと伝えられています。

 承和二年(835年)二月五日に母公は八十三歳でこの世を去りました。お大師様は母公のためにお墓(弥勒堂)を建て弥勒菩薩を安置しました。

 時代とともに弥勒菩薩が母公の化身であると崇められ、高野山に上がれない女性の信仰を深め、本堂前には女性の象徴である乳房を作り絵馬にして奉納すると願い事が叶うといわれています。

慈尊院 弥勒堂

この建物が弥勒堂(本堂:国重文)で、鎌倉時代に建築されたものだという。本尊は平安時代初期に制作された木造弥勒仏座像(国宝)で、二十一年に一度御開帳されるとのことである。寛平四年(892年)の墨書が残っており、光背も台座も当初のまま残されているという。国宝の仏像は同寺のHPに画像が出ている。

ご本尊木造弥勒仏坐像(国宝) | 慈尊院
和歌山県にある弘法大師空海 母公のお寺「慈尊院(じそんいん)」公式サイト | 子宝成就・安産祈願 | 世界遺産・女人高野の寺「慈尊院」へのお問合せは Tel : 0736-54-2214
慈尊院 多宝塔

 上の画像は慈尊院のシンボルの多宝塔。寛永元年に再建されたもので和歌山県の指定文化財である。平成二十四年(2012年)に解体修理が竣工し、朱色が今も色鮮やかである。

 境内の南に丹生官省符神社に繋がる石段があり、その途中に町石道の最初の町石が建っている。

百八十町石

「百八十町」と彫られているのが今も確認できる。高野山の根本大塔までは約二十キロメートルで、その間に百八十本の町石が建てられていて、高野山に近づくにつれ町石の数字が1つずつ少なくなっていくという。

丹生官省符神社の鳥居と拝殿

 石段を登ると丹生官省符神社の鳥居と社殿が見える。

 『紀伊国名所図会』には多くの建物が描かれているのだが、明治維新後の神仏分離により、本地堂や大黒堂など仏教的な施設が取り壊されてしまっている

 この神社は空海が慈尊院を開いた時に創建され、当時は丹生高野明神社(にうこうやみょうじんしゃ)という社名であったが、その後丹生七社大明神(にうしちしゃだいみょうじん)、丹生神社と名前が変わり現在の丹生官省符神社と呼ばれるようになったのは昭和二十一年(1946年)のことだそうだ。官省符荘とは、太政官と民部省から認可された荘園という意味で、この地域は国の干渉を受けない不入の特権と、国へ税金を納めることがいらない不輸祖の特権を持っていたという。

 上の画像は『紀伊国名所図会』に出ている官省符祭の絵だが、毎年九月の末に昔はかなり盛大に祭りが行われていたようだ。本文には「神輿を舁くもの数十人、石壇を下ること空中を飛ぶがごとし。渡御の行列美々しく、見るもの驚歎せざるはなし」とあるが、少子高齢化の進む地域でこのような伝統行事を続けることは苦労のあることだろう。

国立国会図書館デジタルコレクション

 この神社の本殿三棟は室町時代末期に再建されたもので、国の重要文化財に指定されているのだが、残念ながら改修工事のために建物を見ることはできなかった。二年後に行われる二十年に一度の正遷宮に向けて、檜皮葺の屋根が葺き替えられるのだそうだ。同社のホームページに美しい本殿三棟の写真が掲載されている。

世界遺産登録 丹生官省符神社公式ページ
世界遺産登録丹生官省符神社・弘法大師創建の社・高野山町石道登山口鎮座・神仏霊場11番

 社務所の近くから高野山を見渡すことができる。むかし高野山を参詣する人々は、この神社で高野山を遥拝して道中の無事を祈ったことであろう。この神社の境内を出たところが高野山の参詣道である町石道の起点となる。確認しなかったので恐縮だが、この神社の境内を出てすぐに百七十九町石があるのだそうだ。

丹生都比売(にうつひめ)神社と明治初期の神仏分離

 次に向かったのは紀ノ國一之宮の丹生都比売神社(和歌山県伊都郡かつらぎ町天野230)。慈尊院からは車で20分程度かかる。

 この神社の創建時期は今から千七百年以上前と伝えられており、天照大御神の御妹神である丹生都比売大神が神代に紀ノ川流域の三谷に降臨し、紀州・大和を巡られ農耕を広め、後にこの天野の地に鎮座されたとしている。また、丹生都比売大神の御子である高野御子大神は、密教の根本道場の地を求めていた空海の前に、黒と白の犬を連れた狩人に化身して現れ高野山へと導き、空海が高野山を開山したと伝わっている。

 高野山の開創後、丹生都比売神と高野御子神は「丹生両所」「丹生高野神」として高野山の鎮守となり、高野山の荘園には神霊が勧請されて各地に丹生神社が建てられたそうだ。そのため、当社境内にも多くの仏教施設が建てられ、後世には修験道の拠点にもなったという。

 ご祭神は、丹生都比売大神(にうつひめのおおかみ)、高野御子大神(たかのみこのおおかみ)、大食津比売大神(おおげつひめのおおかみ)、市杵島比売大神(いちきしまひめのおおかみ)の四柱で、これら四神は「四所明神」と総称されていたという。

 上の画像は『紀伊国名所図会』に描かれた丹生都比売神社だが、この神社はかつて「天野社」あるいは「天野四所明神」と呼ばれていた。この絵をよく見ると、多宝塔、護摩堂、不動堂など多くの仏教的施設が描かれていることがわかる。先ほどの丹生官省符神社と同様に、明治初期の神仏分離によりこの神社の仏教的施設はすべて撤去されてしまったのである。

 神仏習合時代にはどのような風景であったのか興味深いところだが、神社のHPの「ご由緒」に神仏習合であった時代の境内をコンピューターグラフィックスで再現した動画が貼り付けられている。

ご由緒 | 丹生都比売神社

 神仏分離に詳しいminagaさんのサイトに、明治五年(1872年)に出された「丹生都比売神社の神仏分離につき達」の一部が引用されている。

「是月、伊都郡天野村丹生都比売神社ノ両部混祭ヲ改正シ、・・・・・

 其祀ル所ノ仏像ヲ悉ク之ヲ廃シ、・・・・其摂祀スル所ノ山王堂ヲ日枝神社ト改称シ、其他仏観規画ニ係ル祀殿、十二社王子ニ社・百二十蕃神一社、荒神社一社、堂御影堂、不動堂、塔多宝塔、経蔵等数宇ヲ毀撤シ、以テ社境ヲ一新セリ、・・・・ 」

 minagaさんによると、境内の仏像の多くは高野山に運ばれ、堂塔は競売にかけられたが、、売れなかった堂宇は取り壊され木炭にされてしまったという。

紀伊天野社多宝塔
丹生都比売神社 かがみ池と輪橋

 上の画像は第二駐車場から見たかがみ池と輪橋だが、この神社は隠れた紅葉の名所らしく、ネットで画像検索すると素晴らしい写真を多数見ることができる。

丹生都比売神社 鳥居と楼門

 輪橋を渡り終えたあたりから楼門(国重文)を撮ったが、朱塗りの柱や鳥居が美しい。楼門は平成五年の修理の際に明応八年(1499年)の墨書が発見され、同年に再建されたことが判明したという。

丹生都比売神社 本殿

 四つの社殿が建ち並ぶ本殿もまた国の重要文化財に指定されている。

 貴重なのは建物ばかりではなく、所蔵品もまた素晴らしい。宝物館のようなものがなく、一般には公開されていないが、国宝の銀銅蛭巻太刀拵ほか、当社の社宝や当社由来の貴重品はHPで写真が公開されている。明治初期の神仏分離で金剛峯寺に引取られた仏画もこのリンクで見ることができるのだが、仏像や経典などはどこに行ったのだろうか。

ご神宝 | 丹生都比売神社

 いつの時代もどこの国でも、勝者は勝者にとって都合の良い歴史を描き、都合の悪い真実を封印してしまう。明治初期の宗教政策はわが国の貴重な文化財の多くを破壊し、海外に流出させてしまったのだが、なぜこのようなことが起こったかについては旧ブログに何度か書いてきた。このブログでもいずれ詳しく書くことに致したい。

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 ブログ活動10年目の節目に当たり、前ブログ(『しばやんの日々』)で書き溜めてきたテーマをもとに、2019年4月に初めての著書である『大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』を出版しています。
 通説ではほとんど無視されていますが、キリスト教伝来以降ポルトガルやスペインがわが国を植民地にする意志を持っていたことは当時の記録を読めば明らかです。キリスト教が広められるとともに多くの寺や神社が破壊され、多くの日本人が海外に奴隷に売られ、長崎などの日本の領土がイエズス会などに奪われていったのですが、当時の為政者たちはいかにして西洋の侵略からわが国を守ろうとしたのかという視点で、鉄砲伝来から鎖国に至るまでの約100年の歴史をまとめた内容になっています。
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内容の詳細や書評などは次の記事をご参照ください。

コメント

  1. 西村康裕 より:

    凄いですね。愕きました。
    ブログだと動画も添付出来るし、擬似観光巡りと知見増進になります。
    国内旅行記みたいです。

    絵文字を判断するプロセスを入れたのは、それだけ妨害あるということかな

    • しばやん より:

      西村様、コメントいただきありがとうございます。
      昔は紙の本に優る物はないと考えていましたが、今はブログの方がより多くの情報をコンパクトに伝えることができると考えるようになりました。動画だけだと、詳しい情報を伝えることは難しいですね。
      絵文字を入れるのは、ほとんどのブログでスパム対策として取り入れていると思います。

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