志田延義著『アジア古典の復興』(GHQ焚書)を読む2

テーマ別焚書

ビルマに拡がった「み民われ」の心

『神戸大学新聞記事文庫』アジア諸国2期3-65

 昭和十八年の八月一日にビルマ国が独立を宣言した。同時にビルマ国はわが国と同盟を締結したのであるが、この日は言うまでもなくわが国は米英を相手に戦っている真最中であり、ビルマがわが国と同盟を結んだことは、共に米英と戦うことをビルマが決意したことを意味し、その日に米英に宣戦布告をしたことが報じられている。
 志田延義著『アジア古典の復興』にはビルマ国の独立について次のような記述がある。

 先づビルマに就いてみるに、日本国「ビルマ」国間同盟條約に、
  道義ニ基キ大東亜ニ於ケル共同ノ建設ヲ行イ 以テ世界全般ノ平和ニ貢献センコトヲ期シ
と揭げられてあるし、 ビルマ国独立に関する帝国政府の声明には、
  これ萬邦をして各々、その所を得しめ、 兆民をして悉くその堵に安んぜしむる肇国の
  大精神に基づき、東亜積年の禍根を芟除して新秩序の建設を期せんとする帝国の同慶
  措く能はざる所なり。
ということばがあった。

 これに対するビルマの独立宣言書には、「日本の実力および英雄的行爲ならびに日本の高邁なる目的が、」「ビルマ民衆」の「多年撓まざる闘争と犠牲の結果たる收穫を得」ることを可能ならしめたといい、
  日本の肇国の精神に合致する高邁なる主義を以て英国よりビルマを蘇生せしめたる日本は、
  ビルマの独立を承認することを約せり
と述べ、
  更にビルマは、独立国家として常にその建国精神を代表する道義の上に建設せらるるもの
  なることを宣言す。 この道義によってのみビルマを保存し、 ビルマを偉大ならしめ
  繁栄せしめ得るものなることを確信するものなり。
と宣言しているのである。 このように、 昭和十八年八月一日にその式典を行ったビルマの独立にも、私どもは皇国日本の道が大東亜にいきわたり、大東亜の民が楽しみを偕にし共栄のよろこびに生きるはらからの間がらにあることを、心の奧底から感じて立ち上がりつつあることを識るのである。
志田延義『アジア古典の復興』日本放送出版協会 昭和19年刊 p.48~50

 「肇国ちょうこく」という言葉は戦後はほとんど用いられなくなったが、人為的に「建国」するのではなく、祈りと統治の秩序を整える営みとでもいえばよいのだろうか。「肇国の精神」は初代神武天皇から続いており、前回記事で書いた「八紘為宇」の精神や、後述する「み民われ」の心に繋がるものがある。

 イギリスのビルマ統治が如何に酷いものであったかは、独立時にビルマの人々が詠っていた歌の歌詞を読めばおおよそ見当がつく。東京新聞が当時ビルマで作られた歌の歌詞の翻訳文を報じている。

『神戸大学新聞記事文庫』アジア諸国(2期3-79)

異端の英国百余年   我等が国土を不法もて蔽い
我等を飢餓に陷し   暴虐を尽くして敗走す
我等が家は焼かれ   財宝すべて毀たれ
ビルマ全土ただ灰燼を残すのみ

ああ、海洋の乾くとも  この正義の敵を赦すまじ
我等ビルマ人、日本指導のもと  勝利のため共に起ちて闘わん

異端者絶滅を決意し行動せん  残忍憐愍なし人法に背き
上ビルマ一帯に尊き老僧を虐殺し  聖院聖域を破壊して恥じず
人法に背くこの異端の徒を撃ちてし止まん
ビルマの英雄は生命捧げん死をば恐れず
『神戸大学新聞記事文庫』アジア諸国(2期3-79)

 この記事によると、当時のビルマでは同様な歌が十曲ほど存在していたという。
 イギリスから独立することは長年にわたるビルマ民衆の夢であった。その実現の為に多くのビルマ人の血が流れたのだが、日本の協力によってようやく独立できたことに人々は歓喜した。そして、日本人がビルマ人を同胞のように接してくれることを認識し、日本とともに力を合わせることに喜びを覚えるようになっていった。

 上の画像は『大東亜共栄圏写真大観』p.92に掲載されている写真だが「暑い戦線に冷たい水の饗応。ビルマ戦線では至る処でこうした美しい協力があった。」と書かれている。

 『アジア古典の復興』の著者志田延義は、万葉集の歌である「み民われ」の心が、ビルマを含む「大東亜」にあまねく拡がって行ったことを書いているが、現在の日本人でこの歌を知る人は少ないのではないか。
 『アジア古典の復興』にはこの万葉歌について、次のように記されている。

 御民みたみ吾れ生けるしるしあり 天地の栄ゆる時にあへらくおもえば
というのは、天平六年甲戌、即ち今から一千二百十年前、海の犬養の宿禰岡麿が詔に御応へ申し上げる歌として詠んだ歌であることは、『萬葉集』の卷第六に見えているところである。

 この今日から千二百年を隔てた萬葉人の自覚、萬葉人のよろこびが、そのまま今日の私どもの自覚、私どものよろこびを、これほどまでに適切な、ぬきさしのならないことばで表わしてあるものとしか思われないというのは、一体何によるものであらうか。これは申し上げるまでもなく、皇祖皇宗の御訓を今日の大御業に御体現あそばされる天皇陛下の大御稜威の然らしめたまうところであって、心の底からふつふつと湧き上がって止めることの出来ない聖代に生を享けた者の感激が、この「御民吾れ」の歌を詠んだ萬葉人の心と一つに通ひ合う一つの歴史に生き、同じ光栄に生きるからである。

 しかもこの境地は、これまでは主として日本の国民のものであったように思われるが、 今日はそれが地なる国、 地上の国の境を越えて、大東亜に遍く、 「はらから」 の心となって来つつあることを感ずる。 何か眼を開く一つの機会が与えられると、その心の内、心の奧に、このよろこびを見出だし、この感激に生きる日本人の心を識るようになるのである

 「み民われ生きる験あり…」は聖武天皇の詔に応えて天平六年に海犬養岡麻呂あまのいぬかいのおかまろが詠んだ歌で、『万葉集』巻六-九九六に収められているのだが、この歌を歌詞として作曲され文部省唱歌になっていたので、戦前・戦中の日本人に広く歌われていたようだ。 
 この歌は、栄えている御代に生まれ合わせたわが身は何と幸せなことかと、日本の国民であることの喜びを謳っているのだが、志田延義はこの喜びが日本人だけのものではなくなり、戦争が始まると「大東亜」の人々にも広く伝わっていったことを書いている。

天長節を祝福したジャワ島の民衆と華僑

 日本軍は昭和十七年(1942年)三月にオランダ領インドシナ(現在のインドネシア)を占領して長きにわたるオランダの圧政は幕を閉じ、以降終戦まではわが国の統治下となった。当時のインドネシア人はオランダ植民地からの解放者として日本軍を歓迎したという。
 志田延義の『アジア古典の復興』に、わが国の統治が始まった翌月の四月にジャワで行われた天長節(天皇誕生日)のことが書かれている。

 皇軍がジャワに上陸してこれを戡定してから、 はじめての天長節を迎えた時のことであるが、今日は日本の天皇陛下のお生まれになった御祝いの日である、その御祝いとして下さるのであるから、ありがたく戴いておけといって、目の見えない人々にまで紅白の餅の振舞いがあった
  日本の流儀であり習慣である紅白の餅の意味が何処までわかるか知れないその土地の住民で、しかも自分の手のひらにのせて貰った餅の紅いか白いかもわからなかったであろうと思われるこの目しいた人々が、この餅を戴いてその見えない目から、とめどのない溢れる涙を頬に伝わらせて泣いていたということである。オランダの支配の下に、冷たい扱いしか経験したことのなかったこれらの住民が、 その心に通うあたたかいものを感じ、大いなる慈愛の手に觸れて、それが自分らが遠い彼方にあるものに対するあこがれとしてしか考へることの出来なかった、心の奧に秘められた願いのかなったよろこびの涙であることを識るに至ったのである。
志田延義『アジア古典の復興』日本放送出版協会 昭和19年刊 p.51-52

『神戸大学新聞記事文庫』人種問題4-37

 当時の大阪毎日新聞に、この天長節を、原住民だけでなく華僑も大いに喜んだことが報じられている。華僑たちは祝福の準備を進め、二十九日の天長節当日にはバタビアの商店街は一斉に二割引きの奉仕を行い、バタビアの全華僑が繰り出して市中行進を行い、日本軍司令官邸前に集合して万歳三唱し、日本軍に献金運動を行う予定で大々的な準備を進めていたという。

フィリピン兵が見た米兵と日本兵の違い

 続けて著者はフィリピンの事例を書いている。それまでフィリピンはアメリカの統治下にあり、フィリピン兵は安い給与で粗悪な食事をあてがわれ、危険な最前線に出て戦わなければならなかった。一方、アメリカ兵は贅沢な食事が提供され、戦いが始まるとフィリピン兵の後にいて退却するばかりで、いよいよ危機が迫ると簡単に白旗を揚げてしまった。あるフィリピン兵は日本軍の俘虜となった際に、両軍のフィリピン人に対する接し方のあまりの違いに唖然とした。

 またフィリピンのルソン攻略において、敵のアメリカ軍は、次第にバターン半島からコレヒドールに追いつめられて、遂に降伏するに至ったが、 その間彼は、フィリピン人学生青年の兵を動員してこれを常に一番前に立てて皇軍の攻擊に曝し、 一方においては贅澤を極めたアメリカ兵の給与と比較にならない粗悪で薄い食事をあてがい、一方においてはフィリピン兵の後から謂わゆるが戦隊の役をしながら退却を続け、 遂にアメリカ兵の上に危機が迫るに及んで白旗を揭げたといえるのである。新聞にもこのアメリカ兵の俘虜のしゃあしゃあとした顔が見られたが、疲労困憊して俘虜となったフィリピン青年学生は、 身を以てアメリカ兵の如何なるものかを経験したのである。

 更にフィリピン青年学生兵のある者は俘虜になった自分らを監督する皇軍の兵が、何の屈託もなく自分らと一緒に寝るという、思いがけない、不思議な事実を発見したというのである。しかしこれも、アジヤ人を人とも思っていない、道義の念を何処かへ置き忘れてしまっている、全く比較の出来ないアメリカ兵のしうちや振舞いと比較したから不思議に思われたわけであって、皇軍の将兵の本来の面目からすれば、極めて自然な心で、フィリピン人がアジヤのはらからにかえる姿を、慈愛深く眺めることが出来たわけである。一度そのあやまちを改めて「みそぎはらえ」する心になれば、み民としてまつろうことが出来ることを信じ、わが国民道徳として「まが」にとりつかれた者も、 「直せば直る」ということを期待するのである。

 フィリピン青年が皇軍のこの心に觸れる一つの機会を、 その生死の境を通って得たのであって、此處に皇国日本の道義が、実は人類にとって本来求められるものの、現実の歴史として貫かれたものであることを識る道があり、この道義に生きる光栄、「み民われ」の自覚、感激を、日本人としての実行に表わし、身を以て行ずるところに、「み民われ」の心が中外に遍きことを得るのである。而して現にこの心が大東亜に普遍化せられつつあることを識るのである
同上書 p.52-24

 「み民われ」の「み民」とは、皇室・天皇に属する人民を敬意をこめて呼ぶ古語であり、この歌は、天皇中心の古代・近代の国家観・忠誠心を現わしていると解説する研究者がいるが、もっと素直に、「日本に生まれて良かった」「この時代に生まれて良かった」と感じる喜びを謡った讃歌と理解すべきではないだろうか。
 少なくともビルマやインドネシアやフィリピンの人々にとっては会ったこともない天皇に対する忠誠心があるはずがなく、強要したわけでもないだろう。日本の統治下になって日本人が彼らを一つ屋根の下にすむ家族のように接してくれることを素直に喜び、また日本の統治のやり方が人倫の真の道として人々に受け入れられ、かれらもその信頼にこたえようと努力することにより社会の秩序が自然に形成されて行き、日本の協力を得たことで普通の生活が出来ることになったことに感謝する人々が多かったといえば言い過ぎであろうか。

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