毎年紅葉の季節に地方の古刹などを観光するのだが、今年は兵庫県西脇市を訪ねてきた。(11/18訪問、撮影)
西林寺
最初に訪れたのは紅葉で知られる西林寺(西脇市坂本455)。高野山真言宗の寺院である。
寺伝によるとこの寺は白雉二年(651年)法道仙人開基の寺で、平安中期に恵心僧都源信が中興し、中世には塔頭二十一ヶ寺が存在したたというが、宝暦年間に火災で焼失し、隆真阿闍梨がその再興にあたり、現境内の基礎を造ったとされる。
法道仙人は六~七世紀に日本へ渡って来たと伝わるインドの仙人で、実在した人物かどうかは定かではないが、旧播磨国一帯の山岳などに、開山・開基として名を残している寺院が多数存在している。
西林寺の参道の左に広いあじさい園があり、約百種類のアジサイ数万株が栽培されていて、毎年六月頃には毎年約二万人の観光客が訪れるのだそうだが、参道の紅葉も有名である。
上の画像は本堂で、本尊は一木造の十一面観音立像で平安時代中期に制作されたものだという。兵庫県の重要文化財に指定されている。残念ながら、公開はされていない。
上の画像は唐子つばきで、推定樹齢は約二百年という。兵庫県指定天然記念物である。
旧来住家住宅
次の訪問先は旧来住家(きゅうきしけ)住宅(西脇市西脇394-1)。大正四年(1915)年に着工し、七年(1918年)に完成した豪邸で、平成14年(2002年)に国登録有形文化財に登録されている。入場料は無料だが、開館時間が10時(月曜休館)に注意が必要だ。
来住(きし)家は代々豪農豪商として栄えてきた家柄で、この住宅の施主である来住梅吉は西脇商業銀行の創始者である。
庭は、西本願寺の茶道師家を代々務める薮内家の宗匠による設計で、庭師今里捨之助による施工によるものだそうだ。
内部には今では容易に手に入らないような高価な用材が用いられ、釘を一本も用いずに、一流の大工によって施工されている。
上の画像は離れ座敷の床の間の横の欄間障子だが、松葉継ぎ模様となっている。
旧来住家住宅の近くに、西脇の特産品である播州織の製品が売っている「西脇情報未来館21」があった。播州織のカッターのオーダーもできるが、ストールやかっぽうぎやハンカチなど、播州織の製品が展示販売されている。Wikipediaによると、播州織は肌触りのよさと品質の高さからルイヴィトン、ダックス、バーバリなどの海外トップブランドの生地で使用されているのだそうだが、播州織の生産は、千九百八十五年のプラザ合意の後の急激な円高により致命的な大打撃を受け、その後国内回帰により生き残りを図るも、デフレの進行や安価な海外製品の流入により、全盛期の昭和六十二年(1987年)の8.8%まで落ち込んでしまっているという。この店で少し土産品を買った。
西仙寺
次に向かったのは西仙寺(西脇市西田町88)。この寺も 白雉二年(651年)法道仙人開基 による寺と伝えられている真言宗の寺である。
南北朝時代に播磨の豪族・赤松氏の帰依を受けて隆盛し、最盛期には多宝塔・開山堂など七十余宇を数えたが、永禄元年(1558年)七月、三木城主別所氏の兵火により本堂とわずかな堂宇だけが残されたという。その後元亀年間(1570~1573年)に赤松範頼が十余宇を復興し、江戸時代には姫路城主の本多家の帰依を受けていたのだが、明治に入って上地令により所領地が没収されて寺は荒廃し、金蔵院を残すのみとなったが、先ほど訪問した来住家本家出身の英遍上人が山内に住んで多くの子弟を育てて金蔵院を復興したと伝わっている。
上の画像は西仙寺の本堂(県指定文化財)で、大永三年(1523年)頃に建設されたと推定されている。元禄元年(1558年)の兵火の際には手前の大銀杏が水を吹いて本堂を火災から守ったと伝えられている。残念ながら内部の拝観はできない。
本堂の横に熊野権現社が建っているが、本堂と同時期の建設とかんがえられている。これも兵庫県指定文化財である。素晴らしい文化財を保有しながら、観光客が殆んど訪れない寺であることは寂しい限りである。
兵主神社
昼食のあと、次に向かったのは兵主(ひょうす)神社(西脇市黒田庄町岡372-2)
社伝によると、延暦三年(784年)に当時播磨掾(じょう:律令制下の四等官制において、国司の第三等官)の岡本修理大夫藤原知恒の創始になるといい、「延喜式」神名帳にも記載されている由緒ある神社である。かつて敷地内に神通寺という寺があり、明治初年の廃仏毀釈で廃寺となったが、この道路の反対側に、その鐘楼のみが残っている。
上の画像は桃山時代に建造された長床式の拝殿で、この時代の茅葺入母屋造りの様式を伝える建築物として、県指定文化財となっている。
天正十九年(1591年)八月二十七日造立の棟札があるが、建造資金は黒田官兵衛の寄進によるものと伝えられている。
荘巌寺
次に訪れたのは、荘厳寺(西脇市黒田庄町黒田1589)。
この寺も法道仙人開基と伝わる高野山真言宗の寺であるが、開基されたのは白雉三年(652年)とされている。かつては、朝光寺(加東市)、西光寺(廃寺)と権現信仰の修験道の寺として交流していた記録がある。
この寺のある黒田は播磨黒田氏の根拠地であった場所だが、有名な黒田官兵衛の出生地については、二説あり、通説では姫路生誕だが、『播磨古事』の記録によると「小寺官兵衛祐隆(孝隆)は、播磨国多可郡黒田村の産なり。その村名にちなんで、後に黒田氏に改めて、姫路城を相続して居城する」と記されており、この寺が所蔵する「荘厳寺本黒田家略系図」には、黒田氏は播磨守護・赤松氏の一族で、守護・赤松円心(則村)の弟・円光を祖とし、その息子七郎重光が黒田城主となり、黒田姓を名乗ったことが始まりとされ、官兵衛は八代城主・重隆の子として生まれ、小寺職隆の猶子となって姫路に移ったと記されているようだ。この記録は『播磨古事』の記述とも一致しており、官兵衛の西脇出生説の根拠となっている。寺には黒田官兵衛(如水)や正室・櫛橋光や、実父とされる黒田職隆など黒田一族の位牌が納められている。
石庭の右側の天狗山にかつて黒田城があったそうだ。
杉木立の中の苔むした参道は紅葉の名所でもあるのだが、見ごろは11月25日前後になるのだろうか。
本堂は慶長十六年(1611年)に建築され、鐘楼は慶安二年(1649年)に姫路城主本多政勝が寄進したのだそうだ。塔頭の法音院から鐘楼・本堂までは結構距離がある。この寺の本尊は十一面観音だそうだが、本堂の内部は公開されていない。
本堂のすぐ右に兵庫県の重要文化財に指定されている多宝塔がある。このあたりも紅葉の美しいスポットなのだが、今年のもみじは赤く色づく前に落葉している樹が多いのは残念だ。
慧日寺
最後に訪問した場所は、西脇市の隣町である兵庫県丹波市山南町にある慧日寺(えにちじ:丹波市山南町太田127-1)。 荘厳寺 からは10km程度で、17分程度でたどり着く。
今日訪問した他の寺院とそれほど条件は違わないのだが、この寺は丹波市観光協会が紅葉名所として売り出しているだけあって、観光客も平日にしては多く、観光バスのツアー客も来ていた。
丹波市はかなり前から「丹波市観光100選」というリストを作成しており、この寺は「丹波市もみじ10選」にリストアップされている。九年前に旧ブログで丹波市の紅葉名所を訪問したレポートをしたことがあるが、この寺は以前は「丹波もみじめぐり」の選に洩れていて未訪問であったので今回旅程に入れた。
慧日寺の開基は足利義満の管領細川頼之・頼元親子で、夢窓国師の兄弟弟子の特峯禅師が開創したと伝わる、臨済宗妙心寺派の寺院である。
天正三年(1575年)明智光秀の丹波攻めの兵火に遭い全山消失したが、寛永元年(1624年)より大愚禅師によって復興がはじまり、同十九年に京都妙心寺より別心禅師が入山して伽藍が完成するが、寛文七年(1667年)に火災に遭い焼失した。現在の仏殿、方丈・鐘楼などは元禄年間以降に再建されたものである。
上の画像は仏殿だが、元禄十五年(1702年)に再建されたものである。須弥壇上の釈迦如来坐像、普賢・文殊菩薩像は室町時代の作と伝えられている。
慧日寺は絹本着色仏光国師像など数点の絵画が県指定文化財になっているが、常時公開はしていないようだ。
中庭の紅葉だが、苔むした茅葺屋根と紅葉のコントラストが美しい。
庭園の紅葉だが、もう少し待てばもっと鮮やかになると思う。方丈の障子窓から方丈の座卓に写る紅葉の撮影を勧められたのだが、カメラを座卓に置いて撮影しようとしたので失敗してしまった。また次回チャレンジすることにしたい。
以上西脇市と隣の丹後市山南町の慧日寺の観光をしてきたが、西脇市と丹波市の観光への取り組み姿勢の違いが明らかである。せっかく素晴らしい文化財を保有する寺社がありながら、西脇市はただ寺社に観光客誘致を任せているという印象をうけた。どこの寺社も高齢化が進み日々の清掃が精一杯で、観光客は静かに境内の散策を楽しむことは出来るが、仏像を拝観することもできないず不満が残るだろう。市がもっと観光客誘致に力を入れれば、ボランティアを活用するなどして地域を活性化させることができるのではないか。
西脇市のホームページに紅葉三山めぐりの観光コースが出ているが、丹波市のようにのようにポスターを作って、近畿一円に名所と美しい画像をもっと広めることは出来ないものかと思う。
京都の紅葉も良いが、有名なところは観光客が多すぎて心静かに鑑賞できない。特に今年は、新型コロナ感染を気にする観光客が増えて、訪れる人の少ない田舎の寺社巡りを考えている人が少なくないと思うのだが、今こそ、田舎に観光客を誘致して地元の人々がもっと潤う仕組みを作ることが出来るのではないだろうか。美味しい昼食が取れて、田舎の農産物や特産物を、気軽に買える場所がもっとあって良いと思う。
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