和歌の浦
「和歌の浦」は和歌山市の南西部に位置する景勝地の総称で、二〇一一年に国指定の名勝に指定され、二〇一七年には「絶景の宝庫 和歌の浦」として日本遺産に認定されている。
住居表示で「和歌浦」は「わかうら」と読み、玉津島と片男波を結ぶ砂嘴とその周辺を指すのだが、「和歌の浦」は、さらに新和歌浦や雑賀崎周辺も含まれるという。この地域は古くからの景勝地であり、多くの和歌や記録が残されている。
『続日本紀』によると、神亀元年(724年)二月に即位された聖武天皇は、その年の十月に紀州に行幸された際に、次のような詔を出されたという。
山に登り海を眺めるのに、このあたりは最も良い。わざわざ遠出しなくても遊覧に充分である。それ故、弱の浜という名を改めて、明光浦とし、守戸を設けて、荒れたり穢れたりすることのないようにせよ。また春と秋の二回、官人を派遣して、玉津島の神と明光浦の霊に供物を供え祭らせるようにせよ
講談社学術文庫『続日本紀(上) 全現代語訳』p.264-265
この行幸に同行していた山部赤人は、この景観の魅力を万葉歌でこう伝えている。
若の浦に 潮満ち来れば
潟をなみ 葦辺をさして
鶴鳴き渡る
万葉集 巻六
平安中期以降に高野山、熊野の参詣が次第に盛んになると、この和歌の浦に来遊する人はさらに多くなっていった。

「和歌の浦」で最も著名な景勝地は玉津島で、昔は葦原だった内海の干潟に六つの小島(玉津島六山)が浮かんで、潮の干満で陸と続いたり離れたりしていたというのだが、現在は多くが陸地化して、妹背山一つを海上に残しているだけである。上の画像は安藤広重の『紀伊和歌浦』だが、中央に描かれている小さな島が妹背山である。
Googleマップによる近隣の航空写真を見ると玉津島六山がどのように並んでいたかがおおよそ見当がつく。
画面中央の海上に浮かぶ島が妹背山で、鹽竈神社のある山が鏡山。玉津島神社のある山が奠供山で、さらに北に雲蓋山と雑賀城跡のある妙見山、その北西に船頭山がある。
玉津島を詠んだ万葉歌を二つ紹介しよう。
玉津島 見れども飽かず いかにして
包み持ち行かむ 見ぬ人のため (藤原卿 万葉集 巻7・1222)
玉津島 磯の浦廻の 真砂にも
にほいて行かな 妹も触れけむ (柿本人麻呂 万葉集 巻9・1799)
和歌の浦は和歌の聖地とされ、玉津島は歌枕の地として知られるようになり、風光明媚な場所であるゆえに毎年多くの観光客が訪れてホテルや旅館が次々と建てられていったのだが、逆に開発が進んだことで従来の景勝地としての魅力の多くを失ってしまった。
昭和二十五年(1950年)には年間宿泊者三百五十万人を記録したそうだが、今はその面影はない。
観光客が少なくなって、平成二十年(2008年)六月にようやく和歌山県が和歌の浦を県指定文化財(名勝および史跡)に指定し、その二年後に国の名勝に指定されて、ようやく和歌の浦の景観が保全されることとなったのだが、このように対応が遅れた理由については後述することとする。
和歌の浦を調べているうちに実際に訪れたくなったので、先日に近くの名所を巡ってきた。
玉津島神社

最初に訪れたのが玉津島神社(和歌山市和歌浦中3-4-25)。
稚日女尊(わかひるめのみこと)、息長足姫(おきながたらしひめ)尊、衣通姫(そとおりひめ)尊の三柱に明光浦霊(あかのうらのみたま)を配祀し、古来玉津島明神と称されて、和歌の神として住吉明神、北野天満宮と並ぶ和歌三神の一柱として尊崇を受けてきた神社である。
社伝には「玉津島の神は『上つ世(かみつよ)』から鎮まり坐(ませ)る」とあるが、Wikipediaによると玉津島が描かれた最古の絵画は室町時代の観応二年(1351年)に成立した『慕帰絵詞(ぼきえことば)』で、巻七に描かれているのは絵馬が吊り下げられた松であるという。

国会図書館デジタルコレクションで確認すると、確かに絵馬だけが描かれていて社殿らしきものがなく、中央で僧侶が参拝しているところが面白い。

またWikipediaによると、室町時代中期から戦国時代に武将、歌人として活躍した東常縁は、当時の玉津島について、次のような記録を『東野州聞書』に残しているという。
玉津嶋には社一もなし。鳥居もなし。只満々たる海のはた(側)に古松一本横たはれり。是を玉津嶋の垂迹のしるしとするなり。然るを続拾遺の時、為氏卿洛中より御船を作らせて、玉津嶋に社壇を立つべき由存ぜられて参詣有り。即ち彼の所に社壇を建てらるる、其の夜あらき波風立ちて、一夜の中に沙中に埋れりと云々。それより後は本の如くにして古松許りなり。

玉津島神社に本格的な社殿が造営されたのは江戸初期のようである。
上の画像は玉津島神社の拝殿で、平成四年に修復されたという。中に神輿が保管されていて、奥には立派な本殿が建っている。

拝殿の左側に天然記念物の根上松が展示されている。大正十年に旧和歌山大学付近にあった枯死状態のものを移したのだそうだが、和歌山市内には紀ノ川が運んできた砂が砂丘を造り、そこに生えていた松の木の根元が雨風に流された結果、このように根が露出した松(根上松)が多く見られたという。

『紀伊名所図会』に根上松の絵が描かれているが、現在では吹上一丁目の和歌山大学教育学部附属小中学校内に根上松が残されており、県指定文化財、天然記念物とされている。和歌山市の文化財のサイトにその画像がでている。
玉津島神社の拝殿の右を進むと奠供山の頂上への登り口があり、玉津島神社の正面鳥居の東側には鏡山頂上への登り口がある。

画像は鏡山から妹背山方面を眺めたものだが、丁度干潮時で干潟が現れていた。
海禅院多宝塔と不老橋

三断橋を渡って妹背山に向かう。海禅院の観海閣は工事中のため中に入ることができなかったが、多宝塔(市指定文化財)は見ることが出来た。この多宝塔は紀州藩初代藩主徳川頼宣が母を偲んで明暦元年(1655年)に建立したものである。かつての海禅院は妹背山全体を境内としていた寺で、唐門や拝殿が存在していたのだが、明治以降は荒廃していき三断橋と多宝塔だけが昔のままに残されている。

妹背山から和歌の浦を撮ってみたが、画像の右に長く伸びている天然の砂嘴(松林)の反対側に片男波海水浴場がある。

上の画像は片男波方面に繋がる不老橋だが、一九七〇年代に浸食が進んでいた片男波海水浴場が人工海岸に改造され、不老橋に並行して車が渡れるあしべ橋が建設されている。当時地元では、あしべ橋の建設に根強い反対運動があったようだが、片男波の海水浴場に向かう車の渋滞解消が重要ということで押し切られたという。しかしながら、そのような観光開発が和歌の浦の歴史的景観やその情緒の多くを失わせてしまった。
その後温泉ブームが起きて、温泉のない和歌の浦は敬遠されるようになり、多くの旅館やホテルが廃業していった。多くの廃墟物件を抱えていた和歌の浦は「廃墟の聖地」と揶揄された時代があり、平成十七年(2005年)月にはこれらの廃墟物件の多くが軒並み撤去されたというが、まだまだ廃墟物件が残されていることがブログなどで紹介されている。宿泊した雑賀崎にも廃墟物件が残っていた。
紀州東照宮

玉津島神社から紀州東照宮(和歌山市和歌浦西2丁目1-20)に向かう。雑賀山の中腹にあり、楼門(国重文)まで行くのには「侍坂」と呼ばれる百八段の一直線の急な階段を直進するか、左手にある緩い階段を利用するかの選択になる。
この楼門を抜けると唐門(国重文)の奥に拝殿(国重文)と本殿(国重文)がある。

上の画像は唐門と拝殿で、その奥に本殿がある。
祭神は徳川家康と家康の十男で初代紀州藩主の徳川頼宣である。
「紀州の日光」と呼ばれているので、拝観を申し出て唐門を抜けて拝殿と本殿を外から見学したが、写真撮影禁止なので彫刻などを紹介できないのは残念だ。日光東照宮や滋賀の日吉東照宮では、内部にも入れて撮影もできたので、少し物足りなさを感じた。

『紀伊国名所図会』に江戸時代後期の紀州東照宮の絵が描かれている。かつては三重塔や本地堂、鐘楼などが存在したのだが、明治五年七月に神仏分離でいずれも取り壊されてしまったという。
毎年五月に挙行される「和歌祭」は紀州東照宮の例祭で四百年の歴史があるという。この祭りは和歌山県内の祭りとしては最大規模だと言われており、百八段の「侍坂」で神輿おろしが行われたあと、彩り豊かな渡御行列が和歌浦地区を練り歩くのだという。Youtubeで一昨年の和歌祭の動画が公開されている。
和歌浦天満宮
紀州東照宮から和歌浦天満宮(和歌山市和歌浦西2-1-24)に向かう。境内のしだれ梅がちょうど見頃を迎えていた。

画像は境内の梅と楼門に繋がる石段を撮影したものだが、この神社も左側に傾斜の緩い石段が用意されている。楼門は国の重要文化財で慶長十年(1605年)に再建されたものだという。

中門の奥に本殿(国重文)が建っている。この神社の主祭神はいうまでもなく学問の神様・菅原道真公で、沢山の合格祈願の絵馬が懸っている。

境内には末社の多賀神社本殿、天照皇大神宮、豊受大神宮本殿があり、いずれも国の重要文化財に指定されている。

楼門から眺める和歌の浦の景色も良い。遠くに見える砂浜は前述した片男波海水浴場だ。
楼門の案内板には、こう記されていた。
「天正十三年(1585)年四月に紀州を平定した豊臣秀吉は、吹上北側の岡山の地に城を築くことになりますが、その名を、築城の地である『岡山』に『和歌浦』を合成して『和歌山』城にしたとされ、和歌山という地名は、この時以来のものである。」
「和歌山城」は「和歌山」に在るからその名前があるのではなく、「和歌の浦」が近くにあるので、「岡山」という地名にある城を「和歌山城」と呼ぶようになり、それ以来「和歌山」が地名になったというのは面白い。
養翠園

紀伊東照宮から車で五分ほど走ると、国名勝に指定されている養翠園(和歌山市西浜1164)がある。
養翠園は紀州藩主の別邸として第二代藩主の徳川光貞が造営した西浜御殿を、第十代藩主徳川治宝公が文政二年(1819年)に隠居所として改修した池泉回遊式の大名庭園である。

入口を入って受付を済ませると「潮入りの池」という大きな池がある。左に天神山、右に章魚頭姿山を借景とし、山の姿を水面に映している。
養翠園は全国的にも珍しく海水を池に取り込んでおり、二か所ある水門で海水の量を調整しているのだそうだ。
地図で確認すると養翠園は海に隣接していることが分かるのだが、池の周囲には松ヶ枝堤と呼ばれるクロマツの並木が茂り、そんなに近いところに海があるとはとても思えない。
番所庭園から雑賀崎灯台
養翠園から番所庭園(和歌山市雑賀崎番所の鼻)に向かう。庭園は「番所の鼻」と呼ばれる岬に設けられている。

紀州藩は海防のために海岸線十数か所に遠見番所を設けたのだが、ここは和歌山城に最も近い番所として狼煙場としても重要視されていた。その後遠見番所は現在の雑賀崎灯台のある鷹ノ巣山に移され、この場所は「元番所」と呼ばれたという。

この岬は古くから風光明媚な場所として知られており、神亀十年(724年)に聖武天皇が和歌の浦に行幸された際に藤原卿が「雑賀の浦」の漁火を見て詠まれた歌が萬葉集第七巻に伝わっている。
紀の国の 雑賀の浦に 出で見れば
海女の燈火 波の間ゆ見ゆ

番所庭園から雑賀崎灯台に向かう。

灯台からの眺めは絶景で、遠くに淡路島や四国を見渡すことが出来る。目の前に見える島は左から双子島、中ノ島、大島と名づけられている。

雑賀崎灯台は夕陽展望の名所として知られているが、時間が早かったので夕焼けは宿泊した双子島荘の部屋から見ることにした。日没の時間はyakei.jpで知ることが出来る。

雑賀崎に来たらどうしても撮りたかった雑賀崎の街並み。斜面に家々が立ち並ぶ集落の景観がイタリアのアマルフィと似ているということで「日本のアマルフィ」と呼ばれている。画像は翌日に散歩して雑賀崎漁港で撮ったものだが、この集落に足を踏み入れると、家屋が密集していて道幅はかなり狭く、かつ坂道や階段の連続で、行き止まりが多くて迷路のようになっている。まっすぐな道は皆無で、先が見通せないので、予め地図を印刷しておくか、スマホの地図を参考にするのが良いと思う。
「和歌の聖地」和歌の浦の景観回復の取り組み

近世において和歌の浦は天橋立に比肩する景勝地とされていて、江戸時代の旅行案内書である『紀伊名所図会』には、たとえば玉津島神社には五十六もの和歌が紹介され、和歌の浦も百四十六もの和歌が紹介されている。このことから、和歌の浦は長きにわたり和歌の聖地として人々を惹き付けてきた景勝地であったことがわかる。
ところが、天橋立が昭和二十七年に国の特別名勝に指定された一方、和歌の浦の県名勝指定は平成二十年、国名勝指定は平成二十二年で、観光客が激減して多くのホテルが廃墟化した時期以降のことなのだ。
和歌の浦の名勝指定が大幅に遅れた理由は、戦後復興から高度成長期にかけて和歌浦湾奥部(東側)の干潟・自然海岸が埋め立てられ護岸が整備されて、観光・レジャー施設を誘致する計画が県・市の主導で進められたために、昔ながらの和歌の浦の景観や情緒が破壊されていたことが大きいようだ。
しかしながら、平成二十九年に「絶景の宝庫 和歌の浦」が日本遺産に認定され、景観再生の取り組みが行政主導で進んでおり、和歌の浦の自然環境も地元の人々の努力によって随分改善してきているようである。

一度失ってしまった原風景を取り戻すことは難しいが、紀州東照宮や和歌浦天満宮など周辺の歴史遺産は数多く残されており、傷んだ文化財は復元努力がなされている。時間はかかるかも知れないが、先人たちがその美しさに感動して歌に詠み込んだ景観を少しずつ取戻して、「和歌の聖地」とされてきた和歌の浦に興味を覚えて、多くの観光客が訪れるようになることを祈りたい。
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