淡路島の古社寺と自凝島神社散策

兵庫

古代海人族と淡路島

 沼島の散策を終えて淡路島に向かう。沼島は古代において海人あま族の住んだ島と言われていることを書いたが、淡路島にも海人族が住んでいて漁業や製塩・航海等に従事していたという。
 現在の南あわじ市には「阿万あま」を含む地名が多いが、それらは海人族に由来するとされている。そして「国生み神話」は海人族によって伝承されてきたものが記紀の述べるような形で定着していったと考えられている。かつて南あわじ市は「三原郡」と呼ばれていたが『三原郡史』には海人族と国生み神話について次のように記されている。

 イザナギ・イザナミの二神による壮大な国生み物語の原型は、おそらく淡路島を中心に住み着いた海人族が語り伝えた「島生み」神話であったということは、松前健博士や岡田精司教授ら歴史学者や神話学者の研究で、昭和四十年代にほぼ定説となった。オノコロ島とは、もと神話的な「最古の岩」で実在の島ではなかったが、淡路の海人族によって特定の島がこれに当てられるようになった。『古事記』に淡路に関係深い仁徳天皇の御歌と伝えられる歌に、

おしてるや 難波の崎よ 出で立ちて わが国見れば 淡島 おのごろ島 あぢまさの島も見ゆ さけつ島見ゆ

と歌われている。これは難波に都をした帝王の国見の歌であろうが、四世紀末から五世紀の初めの難波朝時代にオノコロ島は淡路島か、淡路島付近の島だと考えられていた
三原郡史編纂委員会編『三原郡史』1979年刊 p.790

 『三原郡史』によると淡路の海人と大和朝廷との関係は、難波に都をおいた応仁・仁徳・履中・反正・允恭の王朝で極めて密接であったという。応神天皇五年八月の条に海人部あまべと山守部を定め、河内・難波を根拠とする王朝が五世紀前半に淡路の海人を海人部に組織して、交通・軍事や食料供給の任を課したそうだ。

 淡路島は古代から「御饌都国みけつくに」と呼ばれてきたが、その意味は天皇の食膳の料を奉っていた国であるということである。『万葉集』の巻六―九三三に山部赤人が淡路の海人を歌っている。

御食都国みけつくに 日の御調みつぎと 淡路の野島の海人の わたの底奥つ海石いくりに 鮑珠あわびだま さはにかずき出 船並めて 仕へまつるらし 貴し見れば
反歌
朝なぎかじの音聞ゆ御食つ国野島の海人あまの船にしあるらし

淡路島観光1 亀岡八幡神社

 沼島から土生港に戻って最初に訪れたのが亀岡八幡神社(南あわじ市阿万上町385)。現地の案内板には次のように記されていた。

 神功皇后三韓よりの帰途、武内宿祢をして応神天皇を奉じ瀬戸内海より鳴門を経て紀伊に向かわれし時、この阿万浦に於いて一夜船泊せしより、応仁仁徳両朝にこの地の海人再三難波へ鮮魚を献りたり。
 かかる事情によりて貞観二年(860)に社壇を浜の宮の地に築きて石清水八幡宮より分霊を勧請し阿万郷の氏神として奉祀せり。…

 かつては海に近い場所にあったのだが、元暦元年(1184年)八月の大風波で社殿が海水に沈んでしまったため岡の上に遷し、さらに貞永元年(1232年)に阿万兼友が現在地に社殿を築いたとある。
 『三原郡史』によると、沼島にある沼島八幡宮は沼島の梶原景時がこの神社の分霊を勧請して創立したと書かれていて、現地の案内板とは異なる。今回の旅行で巡った社寺の多くは案内板には貞観年間に創建されたと書かれているのだが、歴史学者からすれば確かな史料で確認できないことは史実とは認定できないのであろう。

 沼島八幡神社の祭りに繰り出されるだんじりは岸和田のだんじり祭りと同様な形状をしているのだが、亀岡八幡神社の春祭りで繰り出されるだんじりは全く形状が異なっている。

 淡路島のだんじりは「布団だんじり」や「舟だんじり」など地区によって形態が様々で、亀岡八幡神社は「布団だんじり」である。よく見ると刺繡が素晴らしく、淡路島が経済的に豊かであったことがよくわかる。また淡路人形浄瑠璃の発祥地にふさわしく、宮入の時に奉納されるだんじり唄「阿万節」も有名である。

 この神社の秋季大祭で毎年九月十五日に近い日曜日に拝殿で踊られる「阿万の風流大踊小踊」は室町時代末期から安土桃山時代頃には始まったとされる雨乞いの踊りで、国重要無形民俗文化財に指定されており、三年前にはユネスコ無形文化遺産に登録されている。

淡路島観光2 福良八幡神社

 次に向かったのは福良八幡神社(南あわじ市甲1331)。現地の案内板には、「貞観元年(西暦859年)清和天皇の勅願により、奈良大安寺の僧・行教が宇佐八幡宮の分霊を奉じて京都男山に勧請の途次に当福良に立ち寄って創祀されました」と、先ほどの亀岡八幡神社とよく似た時期に建てられたとことが記されている。

 この神社の鎮座については不明と書いている本が多いのだが古い神社であることは間違いなく、神社には鎌倉時代の中期から末期に制作された三体の木造男神像が残されている。残念ながら神像については公開されていない。

 貞応二年(1223年)に鶴島城主の福良義邦が社殿の大造営をなし神宮寺を建てたが、現存する本殿・幣殿は天正三年(1575年)に上棟された、淡路島で唯一の桃山時代建築物として兵庫県指定文化財となっている。

 十八世紀の末期から十九世紀の前期に刊行された『淡路名所図会』にこの神社が描かれている。解説には場所と境内が広いことと祭のことぐらいしか書かれていないのだが、絵はしっかり描かれている。

 毎年四月の第一日曜に執り行われる福良八幡の春祭りにも布団だんじりが登場する。

淡路島観光3 賀集八幡神社と護国寺

 福良で一泊し護国寺(南あわじ市賀集がしゅう八幡732)に向かう。二日目はあいにく一日中雨だった。護国寺は明治の神仏分離が行われるまでは賀集八幡神社の別当寺であった寺で、神社は道路を挟んで左側にある。

 護国寺のホームページには、この寺は「石清水八幡宮を創建した行教上人によって貞観年間(859~877年)に創建されたと伝えられています」と書かれている。ここも創建時期は福良八幡や亀岡八幡と同様な時期だと伝えせれている。
 本尊の木像大日如来坐像は平安時代後期の作で国の重要文化財に指定されている。本尊の御開帳は毎年一月一日~七日と毎月二十八日に決められているので、拝観予定の方は注意した方が良い。

 またこの寺は家内和合・安全、夫婦円満、良縁成就を授ける淡路島七福神霊場の一つで布袋尊ほていそんを御祀りしている。縁日は毎月五日だそうだ。

 庭園は江戸時代に作庭された池泉鑑賞式庭園で兵庫県の名勝に指定されている。

 本地堂は平成八年に再建され、賀集八幡神社の祭神である八幡神の本地仏・阿弥陀如来が祀られている。

 賀集八幡神社の由緒については現地の案内板にはやはり「貞観二年(860)御神託を受けた奈良大安寺の僧行教が京都石清水八幡宮の御分霊を奉じて淡路に来島、建立した」と書かれており、亀岡八幡神社の由緒と酷似している。『三原郡史』も神社の創建については触れておらず、暦応三年(1340年)に細川師氏が淡路の南朝方と戦うにあたり、賀集八幡宮の神前で戦勝を祈って大勝し淡路守護となった。以降細川氏はこの神社を篤く崇敬し庇護したという。

 本殿は寛永八年(1631年)に徳島藩主蜂須賀忠英はちすか ただてるの命により藩費で建立されたもので、別に建てられた拝殿とともに兵庫県の文化財に指定されている。

 この神社の春祭りは毎年四月の第二日曜日で、やはり布団だんじりが登場する。

淡路島観光4 自凝島おのころじま神社

 次の訪問地は自凝島神社(南あわじ市榎列えなみ幡多はた415)。大きな鳥居は平安神宮、厳島神社と並び「日本三大鳥居」の一つに数えられているという。神社のホームページによるとこの鳥居は昭和五十七年(1982年)三月に建てられて高さは二十一.七メートルだそうだ。

 拝殿などは比較的新しく何時頃建築されたかを調べようとしたのだが、現地の案内板にも、当社のホームページなどにも書かれておらず、時代に創建されたかはよくわからない。

『淡路国名所図絵巻之4』

 しかしながら『淡路国名所図絵』にこの神社が登場しているので、十八世紀には存在していたようだ。但し図会には拝殿や本殿らしきものが描かれておらず、参拝者は鶺鴒せきれい石を直接拝んでいたと思われる。鶺鴒石というのは、この石の上につがいの鶺鴒が止まり、夫婦の交わりを交わしている姿を見たイザナギとイザナミは、これによって夫婦の道を開き、国生みを成し遂げたという神話にもとづくものである。
 また、山川出版社の『兵庫県の歴史散歩上』には、この神社が平野に住む人々の信仰の中心であり、「一八六七(慶応三)年十一月二十四日の夜、この神社からおこった『ええじゃないか』の踊りは全島に波及し、だんじりとそれをかついだ民衆が島の各地からこの神社をさしてあつまり、ここに明治維新をむかえる幕はきっておとされた。」とあり、この地区に住む人々からこの神社が篤く崇敬されていたことは間違いないだろう。

 この神社の春祭りは毎年五月三日で、ここでも布団だんじりが登場する。

淡路島観光5 大和大国魂やまとおおくにたま神社

 次に訪れたのは大和大国魂神社(南あわじ市榎列上幡多857)で、『延喜式』式内大社で淡路国の二宮という高い社格の神社である。大和政権の淡路進出に伴って、奈良県天理市にある大和坐大国魂神社がここに分祀されたと言われているのだが、海人族との関係なども考えられ、創建についてはよくわかっていないようだ。
 平成七年の阪神大震災により鳥居が修復不能の損傷を受けたため、十年に氏子が協力して新しい鳥居を新たに建立したという。

 この神社の境内からは平安時代初期に鋳造された大和社古印が出土し県の文化財に指定されている。また、前述した賀集の護国寺に残されている元久二年(1205年)の古文書(『庁宣ちょうせん』)によると、毎年三月十日に行われた大和大国魂神社の桜会には舞楽が奉納されていたという。さらに室町時代には賀集八幡の伶人れいじん(雅楽を吹奏する人)によって当神社へ舞楽の奉納が行われていたことも記録されているそうだ。

 江戸時代には淡路国が徳島藩の知行地となったことで蜂須賀家も当神社を篤く信仰し、社殿も建立したが、明治元年の神仏分離令により観音堂、薬師堂等は外へ移築されてしまった。『淡路国名所図会』に神仏分離以前の大和大国魂神社の境内を描いた図会が残されている。

淡路島観光6 玉青館ぎょくせいかん

 最後に訪問したのは、旅館の方から勧められていた玉青館(南あわじ市松帆西路1137-1)。この玉青館のすぐ近くにある国清禅寺(南あわじ市西路689)の襖絵を南画家の直原玉青が描き、その絵を見た地元開業医の滝川弘が南画のすばらしさを知り、直原画伯の人柄に魅かれて、郷土に直原の作品を展示する美術館を建てて地域文化向上をはかりたいとして生まれたのがこの玉青館である。

 展示されているのは、南画家の直原玉青じきはら ぎょくせいの作品(1階、天井、2階の一部)と、近隣から出土した松帆銅鐸などの展示(2階)だが、直原玉青の作品はそれぞれが素晴らしく、久しぶりに絵画鑑賞で感動してしまった。スタッフの方の解説も分かりやすく説得力があり、近くに来られた方は是非立ち寄られることをお薦めしたい。残念ながら作品の写真撮影は禁じられているのでパンフレットの一部の画像しか紹介できないのだが、上の絵は一階に展示されている十二枚の連作のうちの八つめの作品である。
 滝川弘が感動したという国清禅寺の作品も観たいと思ったのだが、スタッフの方が寺に電話をされたところ、住職が不在の為鑑賞できなかった。
 淡路島にはよく来るので、また機会があれば国清禅寺も訪れたいと思う。沼島から淡路島までいろいろ巡ってきたが、二日目はあいにく雨になったものの、帰りに玉ねぎと魚の干物を買って大満足で旅行を締めくくることが出来た。

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