東南アジアと日本人『南洋物語』(GHQ焚書)を読む3

柴田賢一倭寇朱印船貿易と東南アジアの日本人

「八幡船」とは

 前回まで二回にわたり柴田賢一の『南洋物語』を前編の一部を紹介させていただいたが、この本の後編では日本民族と南洋との関わりについて書かれている。いきなり「八幡船ばはんせん」という聞きなれない言葉が登場するのだが、室町時代から江戸時代初期にかけて朝鮮や中国沿岸に出没した武装船について、戦前・戦中では「倭寇」という言葉のほかに「八幡船」がよく用いられていた。
 戦後の歴史教科書などでは「倭寇」という用語が主に使われて海賊船であったとのニュアンスで描かれることが大半だが、本書では以下のように記されており、戦後の教科書やマスコミの解説などとはかなり異なる。

 日本と南洋との関係は極めて古く、 神代時代から往来があったものとされているが、 圧倒的な勢いで、日本人が南へ南へと進出したのは、戦国時代の末から徳川時代の初めである。実にこの時代、日本民族は海国民である真面目を発揮し、万里の波濤を渺たる小舟に乗って押しわたり、南洋各地に日本町を建設して一大発展を遂げ、海国日本のために万丈の気を吐いていたのであるが、この日本人の海外進出にさきがけするのが、よく倭寇の名で呼ばれている八幡船の活躍である。では、八幡船はいつ頃から活躍を開始したのであらうか。その起源は明白ではないが、元寇以前からもう存在していたといのが定説となっている。だが、八幡船が活溌に動きはじめたのは元寇の役以後のことである。

 八幡船の大きさは、普通五百石積こくつみ、七十トンぐらいの大きさで、船中には「八幡大菩薩」の旗をなびかせていた。八幡船の名がある所以だ。七十トンと言えば、川蒸汽にも等しい小舟である。これに乗って、日本を取卷く荒浪を自由自在に乗り廻して遠く支那に、南洋に押渡ったのであるから彼等の勇敢さのほどは知られよう。

 八幡船が最初に現れたのは朝鮮である。しかし、次第に戈先を南方に転じて、朝鮮から遼東に移り、遼東から山東に入り、山東から江蘇、浙江に移り、浙江から揚子江に驥足をのばし、更に南下して南洋一帯をその活動範囲とした。

 元に代って支那の支配者となった明は、海禁と言って一種の鎖国政策をとり「私貿易」を厳禁した。だが、当時すでに日本に送られる支那の貿易品には生活必需品が可成り多数ふくまれていたので、日本はだまって支那の「海禁」に応じるわけには行かなかった。当然の結果として、わが国の「私貿易」は盛んとなった。八幡船は、実にこの「私貿易船」の別名にほかならない。

 だから、八幡船を海賊船みたように思い込んでいるのは間違いである。 その目的はどこまでも貿易だったわけである。一般に誤解を招いているが、その責任はむしろ八幡船隊よりも支那側にあった。利益を見ることに抜け目のない支那の奸商たちは、日本人をあざむき、遠路わざわざ日本から運んで行った貨物を詐取して代価を支払わないことがしばしばあった。日本人がその不法なことを詰問して代価の支払いを要求すれば、奸商達は、日本人が合法的な貿易を営んでいないことを奇貨とし、士地の官吏や、豪族などと結託し、武力によって日本人を駆逐しようとした。勢い日本人は万止むを得ず武力によって対抗せざるを得なかった。 八幡船はいつでも、 いわゆる「和戦両様」の準備を整えていたのである。
 彼等に海賊の名を冠して、徒らにこれを異端者扱いする風が深くわが国民の頭ににじみ込んでいるのは遺憾千万と言わねばならない。彼等こそは、日本貿易界の先頭に立って、勇敢に海外へ押わたって行った「海の子」だったのである。私達はあらためた眼で八幡船の活躍を見直さなければならない。
(柴田賢一『南洋物語』日本青年館 昭和16年刊 p.147-149)

 八幡船による侵攻回数は明の世宗の時代(1521-1566年)に急増するのだが、この時期の侵攻を「後期倭寇」と呼んでいる。上のグラフを見ればわかるのだが「後期倭寇」は朝鮮半島沿岸ではなく明国の沿岸で起きている。また「後期倭寇」には支那人が関与するが多く、のちには支那人が日本人を装って自国の沿岸を襲っていた記録が残されている。

 八幡船の活動は、単に日本人だけの活躍ではなく、支那人と連絡し、これを案内役として、活躍した場合も少くなく、また日支人が一体となって侵入した場合も多かった。
 安徽の人で汪直(おうちょく)の如きはその最も高名なる者だ。彼は「海禁」を破って日本やシャムと貿易を行なって巨富を積み、日本の事情にも通じて私貿易の徒とも親交があった。肥前平戸の豪族松浦氏はこれを迎えて平戸に居らしめ、貴賓の礼をもって遇したという。彼は明の嘉靖三十四年に、数十種の私貿易の徒を糾合して支那に侵入し、揚子江岸を大規模に攻略した。嘉江では明の総督兵部尚書の張継の本隊と会戦し死者千九百人にも及んだという。

 日支合弁の八幡船隊ばかりでなく、後には支那人が日本人をよそおって八幡大菩薩の大旗をかかげて、自国の沿岸をかすめる者が多數でてきた。これと言うのも、わが日本人が非常に勇敢だったからで、これを支那人が巧みに利用したのである。
 室町時代の中期頃には、盛んに支那沿岸に出没していた八幡船隊も、元亀、天正以後になると活動範囲を拡大して、南西へ前進、広東省、安南、フイリツピン、マレイ半島など南洋一帯に思い切り活動した。
(同上書 p.150-151)

『 倭寇図巻 』 ( 東京大学史料編纂所所蔵 )

 一五四三年八月に種子島の西村の浦に大きな外国船が漂着し、その中に漢字を理解できる五峯(ごほう)という人物がいたので筆談をし、その船に乗っていた商人から鉄砲と言う火器を、領主の種子島時尭(ときたか)が二挺購入した話が有名だが、この「五峯」は後期倭寇の頭目であった王直の号であり、鉄砲伝来に王直が関与したとする説が有力である。王直は明の海禁政策を逃れ、一五四〇年には日本の五島列島に来住し、その後松浦隆信に招かれて一五四二年に平戸に移っていたので、彼の乗っていた船が嵐のあと種子島に漂着することは充分にあり得る話である。
 アジア各地で古くから盛んに行われていた民間の貿易取引の取扱品目は生糸・絹、陶磁など生活必需品が多かったのだが、明国は海を官が独占し、沿岸の人々の富を抑えて朝貢させて国の秩序を整えようとした。しかしながら当時はスペインやポルトガルが南洋で制海権を争っていた時代であり、その流れに逆行するような明の海禁政策に従っていては、王直らがこれまで苦労して開拓して来た市場と利権を失うことになってしまう。また王直は数百艘の船を保有しており、その船と船荷を守るために兵力と武器を保有していたのであるから、明国が海上で取り締まることは難しかった。彼らが明の海禁政策に従わなかったのは、以上の背景を考える理由があろう。

日本人町

 天正十五年(1587年)に秀吉が伴天連追放令を出し、翌天正十六年(1588年)に海賊停止令を出して武装した海賊行為・私的な海上武力・警固料の徴収を禁じたが、秀吉の外交政策は「禁教勤商」でキリスト教を禁じたものの外国人との貿易は奨励した。
 文禄元年(1592年)には九隻の船に自由貿易を認めたことが、江戸時代後期に編纂された『長崎実録大成』に出ているようだ。しかしながら、この時に秀吉が出したという海外渡航朱印状の現物は確認されておらず、秀吉側の当時の記録にも残されていないことから、私貿易を禁止し海外渡航免許としての朱印状を発行したのは家康からだとするのが今では定説となっている。とはいえ、秀吉の頃から日本船の東南アジア方面の進出が盛んになっていき、江戸時代に入ると多くの日本人が海外に移住した。 
 当時の主な輸入品は、繭、生糸、絹、絨緞、薬剤などで、輸出していたのは銅、銅器、漆器、傘、扇子などであったという。

朱印船(末次船、寛永年間)Wikipediaより

…日本人は南へ南へと進出した。渺たる小舟に身を託して、波荒き台湾海峡を、南支那海を乗り越えて、ルソンへ、タイへ、バタニーへ、ジャガタラ(今日のバタヴィア)へ、安南へ東カンボジアへと突進して定住し、南方の主だった都市には「日本町」なる植民街を形成し、集団的な生活を営んだ。白人と言わず、土人と言わず、日本人と見れば、そのすぐれた商才と、大胆さと武勇とに驚きおそれた。それ故、日本政府が、世界の形勢に目ざめ、勇躍して南方へ進出する日本民族を指導していたならば、台湾は日清戦争の結果をまつまでもなく日本の領土と化していたであらうし、その他の諸地方にも深く日本民族は根を下ろしていたに相違ないのだ。…中略…

 文献には明らかでないが、足利時代あるいはそれ以前から、日本とフィリピンとの間には交渉があった。白人の探検史には、フエルヂナンド・デ・マゼランこそフィリピンの発見者であると記しているが、何ぞ知らん、日本人はマゼランの来航より遙か以前にフィリピンへ渡航しているのである。殊に天正年間から慶長の末期へかけては、日本人の渡航する者相つぎ、三千人以上の日本人が存在し、日本町を営んでいた。中には純然たる商人もあったが、半商半海賊の快傑も少くなかったし、日本を追放されたキリスト教徒も多く、中には高山右近、内藤如安のように一国一城の主もいた。彼等は日本の内地にいるのと少しも変わらぬ風俗をし、悍馬にまたがり、大刀に反を打たせ、マニラの町も狹しと横行濶歩したのである。
(同上書 p.168-170)

 当時のフィリピンはスペインの統治下にあったのだが、マニラにおける日本人の数はスペイン人と同程度いて、スペイン人は勇敢な日本人が増加することを怖れて一六〇九年に日本人の多数をマニラから排除しようとしたことがあった。その時はマニラの日本人が結束して起ちあがり物情騒然となったが、スペイン人は日本人の武勇の前には戦っても勝ち目がないことを悟り、聖職者が調停に入って平和的解決を見たという。
 その後、徳川幕府の伴天連追放令によって高山右近と内藤如安がともにルソン島のマニラに追放されたのだが、Wikipediaによると、マニラでは総督をはじめ聖職者やマニラ市民が一行を熱烈に歓迎したと記されている。
 日本人町が形成されたのは、フィリピンのマニラのほかにタイのアユタヤ、カンボジアのプノンペン、ベトナムのフェフォなとがあるが、スマトラ島やセレベス島など南洋の島々にも多くの日本人が住んでいたという。

南洋で白人勢力と戦った日本人

山田長政 (1630年頃) Wikipediaより

 以前このブログで、元和七年(1621)にシャム(タイ国)の山田長政は、日本人傭兵部隊を率いてスペイン艦隊の二度にわたるアユタヤ侵攻を退けその功績で国王の信任を得たことを書いたが、当時は日本の武器が大量に入手が出来て軍を統率できる力があれば、スペイン艦隊による攻撃を打ち破ることが可能であったことを知るべきである。ノエル・ペリンの『鉄砲を捨てた日本人』(中公文庫)によると、「二百年ぐらい日本は世界有数の鉄砲輸出国であり、日本製の武器は東南アジア一帯で使われ(p.39)」ていて、「十六世紀末の日本は間違いなく世界最大の鉄砲保有国であった(p.63~64)」とある。スペインやポルトガルがわが国を侵略できなかったのは、武力に関してはわが国の方が優位にあったことが最大の理由である 。

 戦後の学校教育や、マスコミの解説などでこの時代の日本人の勇敢さについて知る機会は殆んど無きに等しいのだが、日本人がオランダ艦隊やを撃退したことや、イギリス艦隊と戦ったことが記録されている。

 慶長十一年(西紀一六〇六年)にオランダ人コリネリス・マテリエフが、十一隻から成る艦隊を率いてインドに来り、ポルトガルの植民地マラッカ(海峽植民地にあり、マラッカ海峽にのぞむ古い貿易港)を攻撃したとき、すでにこの町には多数の日本人がいて、率先してオランダ艦隊と戦いこれを撃退している。

 日本人の武力は白人達もこれを充分みとめていたので、どうかして味方に引入れようと、種々いい条件によって日本人を誘ったのだ。元和五年(西紀一六一九年)にマルチン・ブリンク、サー・トーマス・デールの率いるイギリス艦隊がジャバのジャガクラへ(現在のバタヴィヤ)を攻撃したとき、日本人はオランダ軍に味方し、イギリス艦隊をひどくなやましている。さらにまた当時香料貿易の中心地帯であたモルッカ群島にも、隈なく日本人が住んでいた。

 その証拠は有名なアンボイナ事件だ。アンボイナというのはモルッカ群島の一小島で香料の産地として知られていたところであるが、 元和九年 (西紀一六二三年) 当時ボルトガルを圧し、勁敵であるイギリスを押えて、 南洋一帯の制覇に全精力を傾けていたオランダが英、葡(ポルトガル)両国人の同島における勢力を根こそぎにしようとした事件で、邦人三十余名がその巻添えを食って虐殺されたのである。英、蘭両国兵の間が極度に緊張しているとき、不用意にも一日本人が、オランダの守備兵に、
「オランダの守備兵は何人くらい居るか」
と、訊いたので、オランダ人は、これを日本人が英国軍に内通しようとしたスパイ行為であるとして、 これによっても、この方面に少なからぬ日本人が住んでいたことが分かると思う。
(同上書 p.204-206)

 菊池寛の『海外に雄飛した人々』(昭和16年刊)という書物に、英国人の「バラード中将」が、次のような発言をしていることが紹介されている。

 ヨーロッパ諸国民の立場から言えば、徳川幕府が三百年間日本人の海外発展を禁じてしまったのは、もつけの幸いであるというべきである。もし、日本が、秀吉の征韓後の経験にかんがみ、盛んに大艦や巨船を建造し、ヨーロッパ諸国と交通接触していたならば、スペイン・ポルトガル・オランダなどの植民地は、あげて皆日本のものとなっていたであろう。否、インドをイギリスが支配することも出来なかったかもしれない。
(菊池寛『海外に雄飛した人々』新潮社 昭和16年刊 p.120)

 「バラード中将」はイギリス海軍の司令官であったジョージ・アレクサンダー・バラードだと思われる。彼は退役後、軍事史家として活躍し数冊の研究書を残しているが、このような経歴の人物が、当時の日本人は非常に勇敢であり、江戸幕府がその気になればこの時期に東南アジアから白人勢力を排除できたということを述べていることは注目して良いだろう。
 江戸幕府が鎖国令を出したことによって、これまで勇敢な商人たちが数世紀をかけて開拓して来た南洋の商圏が失われてしまったのだが、バラードの言う通り、江戸幕府がその気になれば、南洋から白人勢力を排除するくらいのことはできたのかもしれないが、そんなことをしていればいずれわが国は西洋列強との戦いに巻き込まれて、国力を削がれることになっていたのではないだろうか。 


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