神戸大学附属図書館の『新聞記事文庫』には戦前・戦中の新聞記事が多数収録されているのだが、戦後GHQは過去の新聞記事については検閲することはなかったので、われわれの先人達が当時の世界情勢をどのように理解していたかを知る上で参考になる貴重な記事が満載である。
ユダヤ問題について
戦後の新聞が「ユダヤ」について書く場合は、ナチスドイツに迫害されたことぐらいなのだが、戦前はユダヤ人が世界史上の多くの戦争等に関わって来たことについて世界で研究されていて、わが国にも「ユダヤ問題」について多くの研究者が存在していた。戦前は主要紙だけでなく地方紙でもこの問題について特集が組まれていたし、解説本も数多く出版されていたのだが、書物の多くは戦後GHQによって焚書処分され、以降ユダヤ問題について話題にすることはほとんどなくなってしまった。今日ではこの問題を採り上げても「陰謀論」のレッテルを貼られてしまうことが大半なのだが、戦前・戦中の日本人の多くは、ユダヤ問題に踏み込まずして世界の情勢を正しく理解できないとした研究者が世界中にいたことは確かである。

満州日日新聞の連載記事『ユダヤ問題を衝く』は、昭和十六年に上海のホテルで行われたユダヤ人問題研究者座談会の内容を五回に分けて報じたものだが、当時上海は「ユダヤ秘密力の東洋侵攻作戦基地」と認識されていて、満洲の諸問題の背後にはユダヤ勢力が動いていると考えられていたのである。この連載記事は座談会における研究者の発言内容が書き起こされていて読みやすいので、ポイントとなる部分を一部紹介させていただく。
最初に紹介したいのは、この座談会の冒頭における長谷川泰造の発言である。長谷川は当時満鉄の上海事務所嘱託であったユダヤ問題研究者で、「国立国会図書館デジタルコレクション」に著書が三点収められているのが確認できるが、いずれもユダヤ問題に関するもので、内二点(『ユダヤの対日謀略』、『ソ連の要路を占めるユダヤ人の極東政策』)がGHQによって焚書処分されている。
満洲日日新聞の記事では座談会冒頭で長谷川が述べたユダヤ問題概観について以下のようにまとめられている。
長谷川 ユダヤ問題に付て私共が最も重点を置かなくてはならないところはユダヤ人の世界征服の野望ということだろうと思う。この世界征服の野望は非常に古い歴史を有っておるのでありまして、旧約聖書、イザヤ書辺りにもユダヤ人の世界征服ということがちゃんと出ておる。更に溯ればモーゼの時代にユダヤ人は世界を征服するというようなことを文書に記しておった。ユダヤ問題が出て来るのは茲からだろうと私は考える。
若しユダヤ人がローマ帝国に亡されなかったならば、或はユダヤ人は世界を征服するというような考えを起さなかったかも知れない。或はユダヤ人がローマに亡されておったにしても各地に四散したユダヤ人が、その行先の国々で同化するということをやっておったならば、矢張りユダヤ問題は起らなかったかも知れない。
然し現在においては我々の目前にユダヤ問題は現れており、世界征服即ち国際主義がそのユダヤ問題である。それに対抗するのは国家主義である。もっと具体的にいえば、国際主義というのはユダヤ主義である。国家主義というのは日本主義である。日本主義とそれからユダヤ主義の対立が現在のユダヤ問題であると、そういう風に私は見ております。併し彼らは武力を持っておるわけでない。何んに依って世界を征服するかというと金力と宣伝力を以て世界を征服しようとしておる。我々がユダヤ人を防御する上においても、この金力と宣伝力との線に沿うて防御しなければならないのではないかと、そう思うのであります。
国を持たず武力を持たないユダヤ人が金力と宣伝力で世界を征服しようとしているという意味は、異民族の有力国家同士が対立して相戦うように工作することを何度も繰り返して世界を疲弊させていき、最後にユダヤ人が全世界を支配する地位に就くという戦略なのだが、実際にロシア革命や第一次世界大戦、第二次世界大戦など多くの革命や戦争、要人の暗殺などにユダヤ人が関与して来た事例が多数存在する。
ユダヤ教について
なぜ彼らはそのような考え方を持つに至ったかを知るためには、彼らの宗教とその迫害の歴史を知る必要がある。続けて長谷川はユダヤ教について述べている。
次いでユダヤ教でありますが、ユダヤ人は世界到る処で或は何時如何なる時にでも排斥されておるのでありますが、それはユダヤ教がそうさせている。ユダヤ教のことを唯一言で申しますればユダヤ教は排他的宗教であるということになる。
その主祭神はエホバの神様でありますが、エホバの神様はこれは排他的の神である、偏狭の神であり、復讐の神であり、怒の神であり、天地創造の神様とは全然異る神様でありまして、旧約聖書の中でも創世記第一章では天地創造の神様に付て書かれてありますが、第二章からユダヤの神様のエホバが出て来る。この旧約聖書ではこれを天地創造の神様とユダヤ教のエホバ神様とを混合しておるのでありますが、この点我々はユダヤ問題を研究する時には非常に注意しなければならないところではないかと思う。
一寸創世記の天地創造の点について一つ申上げたいと思うのですが、これの第一章においては、神様は言葉で天地万物を拵えられておるのであります、ところが第二章に参りますと、いままで神様が拵えてそうして神様が御覧になって甚だ宜かりきというものを、これを全部否定しておる。言葉即ち神様の御心で拵えられたものを第二章に至っては全然否定しておる。第二章ではエホバの神が天地創造をやり、例えば人間を造る時には土の塵を混凝て人間を造ってその中に神様が気息を吹入れた。それがアダムであります。そのアダムの肋骨の一つを取ってそれで造ったのがイヴである、すっかり唯物史観になって来ておる。ユダヤ問題はこの辺から出発するのではないかとそう思うのであります。
而も旧約聖書、新約聖書が何時も一緒に編纂せられておるのでありますが、これは聖書会社が大体にユダヤ人の息のかかった出版社なんでありますから、そこから出る聖書は旧約と新約聖書を一緒にして出版しておる。若し一緒にしないというような場合でも詩篇だけは一緒にしておる。この点も非常に注意を要するところであります。新約聖書の中にはエホバという言葉は一つもないのであります。このユダヤ教に付て有名なユダヤの或る少壮天才学者が申しましたがキリスト教はユダヤ教から出たが、ユダヤ教の良いところを全部持って行ってしまった。残ったユダヤ教というものは非常に悪い宗教になってしまったということを彼の著書の中に書いておる。これを見ましてもユダヤ教とそれからキリスト教の区別、そういうようなものが判っきりお分りになるのではないかとそう思われる。
そこで司会が、ユダヤ教には選民思想があるが、神道では選民ではなく神の子孫という考えであることに触れ、続けて長谷川はユダヤ教と神道の違いについて次のように述べている。
長谷川 ユダヤ教と日本の神道を考えて見ると、ユダヤ教より日本の神道の方が問題なく上ではないか。神道の方では私共は惟神の道ということを申します、神そのものと同じ、その儘の道を行くことが惟神の道である。これを見てもユダヤ人は神に選ばれた民に過ぎないのであるけれども、我々自身は神様と同じ性質を有っておる。
我々が若し前線に行って戦死をしたという時には靖国神社に祀られる、その儘で我々が死んだならば神様である。その外に偉人として神様に祀られた人も沢山ある。我々はその儘で神性を備えておる。そこが我々のユダヤ人と違うところではないかと思う。
「惟神の道」は古代から用いられている大和言葉で、人間が本来あるべき自然の生き方や誠の道をいうのだが、ユダヤ教にはこのような考え方はなく、異教徒に対しては極めて排他的な宗教である。
ユダヤの世界征服政策

ユダヤ人は強烈なユダヤ教によって作られた世界征服の野望に燃え、実際に世界を混乱させ戦争に巻き込むことを繰り返してきたことから、多くの国からユダヤ人排斥を受けて来た歴史があるのだが、彼らは決して世界征服をあきらめることはなかった。ではこの当時のユダヤ人がどのようなやり方で異教徒たちの国家の弱体化を図っていたかについて、上海税務専門学校教授の浜野末太郎が以下のように述べている。
浜野 昔から色々ユダヤ人が採り来った政策を歴史的に申上げると長いものになるが、最近一番人口に膾炙しておるのはユダヤの三S政策であります。これはスクリーン、スポーツ、セックスの三つで、スクリーンはアメリカ映画の九割迄がユダヤ人の資本で、名優というのはユダヤ人かユダヤ人と結婚しておる者でなければなれないというような状態で、しかもそのアメリカの映画が全世界を風靡しておる位ですから、映画界におけるユダヤの勢力が如何に大きなものであるかということが分る。
その具体的の例は日本でも見られたのですが「ロスチャイルド家」という映画がある。あれを日本で観たが、完全なユダヤの宣伝物であるということが窺えた。字幕の中に出て来る一番大きなものが、ロスチャイルド家は成る程金を作ったが、ユダヤ人というものは平和のためには巨額の金を使うが、戦争のためには一文の金も使うものではない。戦争又は破壌のために一文の金も使うものではないというようなことを言ってあるが、これは完全なユダヤの宣伝で彼等は宣伝に依って、また戦争に依って金を作った。金を作るために戦争を起しておる。第一次世界大戦は勿論今度の第二次世界大戦においても、先ずイギリスをけしかけて、それが旨く行かなかったので最近はアメリにおいてユダヤの活動が行われておるというようなことである。それであるのに斯うした映画を見せて、ユダヤ人は平和のためには金を使うが、戦争のためには金を使わないと彼等に都合の好い宣伝を先ず映画にしておる。それからスポーツですが、これは我々が考えておるスポーツ、日本人の考えておる武道精神とか、柔、剣道に現われた精神とは違って、彼等の所謂スボーツは寧ろ身体を過度の運動の結果悪くさせてしまう。故にスポーツが何を目的にするか、ユダヤ人が考えておるのはスボーツは選手権を争わす事で、選手を作るということは身体を極度に過労させるために却って運動選手が結核にかかり弱い者になってしまう、病気を持ったりなんか色々の病気を起すというようなことになるので、これはユダヤ式スポーツに依る世界堕落の現れだ。
それからもう一つはセックスですが、これは一番一般の人に愬える、殊に青年男女に対してアッピールする。それは映画の方面と言わず総べての方面に或は劇の上に男女の関係を腐敗堕落さす。そうして若い男や女の気を惹き付けるようなことをやって、そうして国民性とか或は国民の道徳というようなものを破壊して行く。先程長谷川さんが言われた通り国際主義を以て国家主義に対抗し、国家主義を破壊するのがユダヤの目的の一つであるのです。同様にセックスという点から他国民を堕落させるという事が一番容易なことである。
このスポーツ、スクリーン、セックスの三S政策が、ユダヤ人の全世界に拡がっておる通信網、宣伝網を通じて活躍しておる。それがまあ最近現れておるユダヤの政策で、そうしてそれがためには一番喰込み易い方面から喰込んで行く。
第一には金、世界の金を――金権を掌握し、第二には宣伝力を現に握りつつある。その握りつつある具体的の例は――今日世界で通信社と言われるアメリカのU・P、A・P、イギリスのロイターそれからフランスのアヴァスというようなものが皆これはユダヤの資本で、そうして幹部がユダヤ人に依って占められておるのでありますから、これ等の通信社を通じて出される通信といものがユダヤ人に有利でなかったならば必ずそれが訂正されるか、或はユダヤに不利な……ユダヤ以外の民族に対して有利である場合はそれを歪曲して出すというようなことが行われておるのでありまして、それがためには所謂デッチ上げた記事を出す。
新聞の記事内容が信頼できなくなって随分前に新聞購読をやめてしまったのだが、一昔前は取材に基づいて読み応えある記事が書かれていたし、戦前・戦中の新聞は世界情勢や国内問題に関する記事では、今読んでも参考になる記事が少なくなく、当時においては新聞各社が独自取材して書かれた記事などには、ユダヤの影響力は余り及んでいなかったようである。
新聞記事がある程度広告主や為政者の意向に沿う傾向があることは昔も今も同じだと思うのだが、今の新聞社の購読事業は利益はほとんどないか赤字であり、広告が減少しては経営が成り立たなくなっている。そのために読者の求める記事を書く事よりも、広告主やその株主の意向に従う事が重要になっているのではないかと思うことが近年では特に多くなっている。新聞の広告主の多くは大企業であり、その株主のかなりの割合は外資なのだが、どこかから圧力がかかっているのか、広告主に忖度しているのか理由は定かではないが、マスコミが本来国民に知らせるべき重要な問題や内容を読者に充分に伝えていないことが多すぎる。こんな状況では、外国勢力がわが国の世論を誘導することは容易ではないかと思うのだが、その危機感を持たない国民が私の同世代に多いのは嘆かわしい限りである。
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