フランシスコ・ザビエルに、日本行きを決意させた日本人

キリスト教布教とその影響

ザビエルが初めて出会った日本人

 天文十八年(1549年)にフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸して、日本に初めてキリスト教を伝えたことは良く知られているが、日本で布教活動を始めるにはまず日本語をある程度理解できることと、日本に関する情報を事前にできるだけ収集しておくことが必要であったことは言うまでもない。

 岩波文庫の『聖フランシスコ・デ・ザビエル書翰抄』を読むと、ザビエルの日本行きを決断させた日本人がいたことがわかる。ザビエルが日本に布教を開始する以前にキリスト教徒になった日本人がいたのである。その名をヤジロウという。

聖フランシスコ・ザビエル像 ( 神戸市立博物館蔵 )

 1548年1月20日に ザビエル がローマのイエズス会友に書き送った書翰にザビエルとヤジロウとの出会いの場面が、こう記されている。(岩波文庫では「アンヘロ」と記されているが、本によっては「ヤジロウ」とも「アンジロウ」とも書かれており、ここでは「ヤジロウ」で表記を統一させていただく。)

 私がまだマラッカに居るとき、ポルトガルの信頼すべき商人達が、私に重大な報知をもたらした。それは大きな島々のことで、東方に発見されてから未だ日も浅く、名を日本諸島と呼ぶのだという。商人達の意見によると、この島国は、インドの如何なる国々よりも、遥かにキリスト教を受け入れる見込みがあるという。何故かと言えば、日本人は学ぶことの非常に好きな国民であって、これはインドの不信者に見ることのできないものだという。この商人達に、付き添われて、ヤジロウと呼ぶ一人の日本人が来ていた。その故郷に居るとき、ポルトガル人から私の話を聞いて、わざわざここまで来たのである。…彼はかなりのポルトガル語を話すので、私たちは互いに了解することが出来た

(岩波文庫『聖フランシスコ・デ・ザビエル書翰抄(上)』p.265)

 ヤジロウは若い頃に罪を犯し、たまたま日本に来航していたポルトガル船に乗ってマラッカに逃れ、その船の船長の勧めにより、その罪を告白するためにザビエルを訪ねに来たのである。

 ヤジロウは知識欲が旺盛で多くの質問をし、どんどん吸収して進歩が速かった。そこでザビエルはヤジロウにこう問いかけたという。

 私はヤジロウに向かって、もし私が彼とともに日本へ往ったら、日本人は、果たして信者になるであろうかどうかを尋ねてみた。彼の答える所によると、日本人は直ぐに信者になることはないであろうけれども、まず初めに多数の質問をするだろう。それから私の答えと、私にどれ程の智慧があるかを研究する。そして何より私の生活が、私の教えるところと一致しているかどうかを検討するであろう。つまり討論において、私が、彼らの質問に満足な答えを与えるとともに、私の生活ぶりに非難する点がないというこの二つのことに及第すれば、恐らくこんな試験期が半年ほど続いて後、国王をはじめ、武士も思慮ある凡ての人達も、キリストへの信仰を表明するようになるであろうという。ヤジロウの言葉によると、日本人は、理性のみに導かれる国民だという

(同上書 p.267)

群を抜いていたヤジロウの優秀さ

 ザビエルの導きでインドのゴアに送られたヤジロウは1548年5月に日本人として初めて洗礼を受け、「パウロ」の霊名(クリスチャン・ネーム)を授かっている。ゴアの学院ではヤジロウのほか二人の日本人が学んでいたという。

ルイス・フロイス像(「旅する長崎学」より)

 ヤジロウについて、ルイス・フロイスもこう記している。

 ヤジロウは、はなはだ有能であって、聞いた人がすべて理解できる程度まで、すでにポルトガル語を話した。そして教わったことすべてに対して理解力を示し、信仰に関して聞いたことすべてを彼の日本文字で書き留めようと努力した。そこでコスメ・デ・トルレス師は彼に二度、聖マテオ福音書を説明したが、コスメ・デ・トルレス師が書簡で報じているところによれば、彼は二度目には、第一章から終章まですべて記憶したということである。かくて彼は同所にいた六ヵ月間、ポルトガル語の読み書きを学習することに専念し、その点で学院中、彼に優る者はほとんどないまでに著しく上達したし、他方、彼は自ら模範を示して人々を大いに感化した。

(中公文庫『完訳フロイス日本史6』p.25)

 こんなに優秀な日本人がいればザビエルも心強かったに違いない。コスメ・デ・トルレス師も一緒に日本行くことを決めた。日本に関する情報はゴアの日本人から聞き取って、ザビエルはいよいよ4月に日本に向かうことを決意したのである。1549年1月12日付の書翰に、ザビエルはこう記している。

 日本はキリストのために、よく獲得することができるという大きな希望が、われらの主なる神に於いて、私に満ちている。日本へ往けば、第一に国王のいるところへ行き、次に諸大学を訪ねるつもりである。我が主キリストが、私を助けて下さるという大きな希望を持っている。

(岩波文庫『聖フランシスコ・デ・ザビエル書翰抄(上)』p.311~312)

 当時の船は木造の帆船であり、悪天候や大波で岩礁に激突する危険や、海賊から襲撃を受ける危険が小さくないことを覚悟しなければならない。

 今日まで、私が遭遇してきた如何なる危険にも増して、はるかに大なる苦難が私たちを待っていることが、たとい確実にわかったとしても、それでも私は往くのだ。何となれば、我等の主なる神が、あの東方の国において、聖なる信仰に赫々たる勝利を与えて下さることを、信じ切っているからである

(同上書 p.312~313)

 ザビエルがここまで日本行きの成果に期待していたのは、ヤジロウの存在が大きかったことが言うまでもないだろう。

ザビエルの鹿児島上陸とヤジロウの活躍

 ザビエルは1549年の4月にインドのゴアを出発しているが、当時は日本まで乗せてくれるようなポルトガル船は存在せず、マラッカ(現マレーシア南西部)からはシナのジャンク船に乗り込んでいる。同行したのはコスメ・デ・トルレス師とジョアン・フェルナンデス修道士、パウロ(ヤジロウ)と日本人二名(ジョアン、アントニオ)、その他二名(マラバール人、シナ人)の合計七名であったという。

 航海の途中では大嵐と高波に遭遇し、横揺れのためシナ人の従僕が頭に重傷を負ったが、長い航海の末、八月十五日に七人はなんとか無事に鹿児島に到着している。鹿児島はヤジロウ(パウロ)の故郷であった

ヤジロウ像(鹿児島ザビエル公園:ken’s銅像探索日誌より)

 ザビエル書翰を読み進んでいくと、ヤジロウがキリスト教の布教活動に活躍したことがよくわかる。書翰ではヤジロウは「パウロ」と記されている。

 私達はここに来て、聖信パウロの国で―彼は私達にとって本当に良い友である――町奉行を始め、…多くの民衆からも、非常に歓迎されている。人々がことごとく物珍しそうにポルトガルから来た司祭を知ろうとする。パウロがキリスト者になったことについては、誰も変に思う者がないばかりではなく、むしろ尊敬をすら払っている。彼の一家の者も知人たちも、彼が日本人の全く知らないインドへ往って、さまざまなことを見聞して来たのを、大いに喜びあっている。

 この地方の領主も、彼を引見して祝辞を賜い、殊の外に面目を施さしめた。領主は興を起こして、ポルトガル人の生活様式や、勢力のことを彼に訊ねた。彼は詳細に答えたので、領主は大いに満足した

(岩波文庫『聖フランシスコ・デ・ザビエル書翰抄(下)p.41~42)

 私達は、土地の人々、特に日本人なるパウロの親族から、非常に歓迎された。このパウロの親族は、我等の主なる神の思召しにより、真理を認め、さらに百人位が、私たちの鹿児島滞在中に、信者になった。日本人は、神の教えを未だ嘗て聞いたこともなく、全然知らなかったので、喜んで聴いた。

(同上書 p.94~95)

 私達は、パウロの故郷に居る間、信者には信仰教義を教えると同時に、言葉を習い、教義の多数の項目を、日本語に翻訳することを以て、その任務としていた。翻訳は、何よりも、世界創造の教義から始めなければならぬ。但し、それを簡潔にして、日本人にとって、最も重要な事柄だけを説明すべきである。

(同上書 p.101)
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 このように、ヤジロウはザビエルらが日本での布教活動を始めるに際して不可欠な任務である教義書の翻訳においても活躍していたのである。

なぜザビエルは鹿児島を去ったのか

 このようにザビエルらは薩摩国の島津貴久に謁見し宣教の許可を得、すべり出しは順調で二年以内にキリスト教をこの地で広めるので準備をしてほしいとまで、ゴアのイエズス会の仲間に書翰をだしていたのだが、その後の布教の結果は芳しくなかった。

 1552年1月の書翰にザビエルは次のように書いている。

 私達は一年以上もこの地方にいた。…坊さんはこの領主に迫り、若し領民が神の教に服することを許されるならば。領主は神社仏閣や、それに所属する土地や山林を、みな失うようになるだろうと言った。何故かと言えば、神の教は、彼らの教とは正反対であるし、領民が信者となると古来から祖師に捧げられてきた尊敬が、消失するからだという。こうして遂に坊さんは、領主の説得に成功し、その領内に於て、キリスト教に帰依する者は、死罪に処すという規定を作らせた。また領主は、その通りに、誰も信者になってはならぬと命令した

(同上書 p.100~101)

 このように領主の島津貴久は仏僧の助言を聞き入れて、キリスト教の布教を喜ばなくなったという。

島津貴久像(尚古集成館蔵)

 島津貴久がなぜキリスト教の布教に非協力になったかについては、ザビエルは僧侶に邪魔されたことをその理由にしているのだが、そもそも島津貴久がザビエルとヤジロウを歓迎し、布教を認めたのには、貿易上の利益が得られる期待があってのことだろう。しかしながら、ポルトガル商人は鹿児島には向かわず別の港で取引を始めたのである。

 GHQ焚書処分を受けた『海とその先駆者』によると、次のように解説されている。

 (ザビエルの)来訪は、領主島津を喜ばせ、まずヤジロウを呼んで、かずかずの珍談をきき、彼によってザビエルと会見して、キリシタンの伝道を許した。それもポルトガルとの貿易によって利益を得ようとすることが大きな目的であった。だが、この年はポルトガル船は多く平戸へ碇泊したばかりでなく、領主松浦隆信に鉄砲を贈ったことは、いたく島津を激怒せしめた。そのため、島津はかえってキリシタンを圧迫するようになった。ザビエルは、ポルトガル船とキリシタンの無関係なことを極力説明したけれども、それは遂に島津に理解せられなかった。そこでやむなくザビエルは平戸に移ることになった。

(竹内尉 著『海とその先駆者』p.276~277昭和18年刊)
国立国会図書館デジタルコレクション

 ザビエルが鹿児島で布教を開始した数か月後にポルトガル船が長崎の平戸港に入り、領主の松浦隆信はポルトガル人を歓待し、即日布教の許可を与え、イエズス会はこの地で多くの信者を得たという。

その後のヤジロウ

 ザビエルらは新たな布教地を求めて平戸に向かったが、ヤジロウはこの土地の者であり卓抜した信者であったので、引き続き鹿児島に残ることになったという。しかし僧侶らによる迫害は激しく、彼はザビエルと別れたのち六か月程度で故郷を去ることになる。

 ルイス・フロイスの『日本史』に、ヤジロウに関する記録がわずかだけ残されている。

 かの薩摩国は非常に山地が多く、したがって、もともと貧困で食料品の補給を他国に頼っており、この困窮を免れるために、そこで人々は多年にわたり八幡(ばはん)と称せられるある種の職業に従事している。すなわち人々はシナの沿岸とか諸地域へ強盗や掠奪を働きに出向くのである。その目的で、大きくはないが能力に応じて多数の船を用意している。したがって目下のところ、パウロは貧困に駆り立てられたためか、あるいは彼の同郷の者が彼の地から携え帰った良い収穫とか財宝に心を動かされたためか判らぬが、これらの海賊の一船でシナに渡航したものと思われる。そして聞くところによれば、そこで殺されたらしい。おそらく彼は死に先立って自らの罪を後悔し、立派に死んだのであろう。だがそれは不確かなことであるし、私たちは彼の最期について以上の情報以外のことは何も知っていない。

(『完訳フロイス日本史6』p.61~62)

領主たちはキリスト教を仏教の別派と考えた

 島津氏や松浦氏、また他の領主たちが、簡単にキリスト教の布教を許したのは、この宗教が仏教の別派だと考えていた点にあるようだ。ヤジロウがどのような言葉でキリスト教の教義を日本人に理解させようとしたかについて、ヒントとなる文章が『日本基督教史』の解説に出ている。

 初めキリスト教のわが国に伝えらるるや、その宣教師はみなインドを経て来朝したので、これを仏教の別派と思惟し、これをキリシタン仏法と唱え、その神を天主如来と称し、また宣教師で仏教の服装を纏っていた人もあったので、仏門の者と同じく之を僧とした。鹿児島の仏僧らも同様の考えをもって宣教師を観察し、これと交際し喜んでその所説を聴いていたが、その教義を研究するにしたがい、これが仏法の別派にあらざることを悟ったのみならず、ザビエルの伝えるところの新宗教は絶対的の排他主義であるのを発見して、漸く不安の念を生じ、その不品行を指摘攻撃さらるるに至って恐怖し、猛然起って反抗するに至った。

(山本秀煌 著『日本基督教史. 上巻』p.58~59 大正14年刊)
国立国会図書館デジタルコレクション

 このような誤解があったことは、天文二十一年(1552年)八月に大友宗麟の弟・大内義長が出した教会創建の許可状においても読み取ることが出来る。

 徳富蘇峰の『近世日本国民史』にその原文が引用されているが、読み下すと次のようになる。

 周防の国吉敷郡山口県大道寺の事、西域より来朝の僧、仏法紹隆のため、かの寺家を創建すべきの由、請望の旨に任せ、裁許せしむるところの状、くだんの如し

徳富蘇峰『 近世日本国民史. 第2 織田氏時代 中篇 』p.212 昭和9年刊
国立国会図書館デジタルコレクション

 このように理解されていたのは、ヤジロウによるキリスト教の教義書の翻訳に、仏教で用いていた言葉の多くが使われていたからではないだろうか。そのために、領主たちはキリスト教を仏教の一派と解釈して安易に布教の許可を出したと考えるのであるが、領主が一神教であるキリスト教の布教を認めたことが、仏教を含め他宗教のすべてを捨てたこととみなされて、のちに寺社や仏像などの破壊を、宣教師らから求められることになるのである。

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 通説ではほとんど無視されていますが、キリスト教伝来以降ポルトガルやスペインがわが国を植民地にする意志を持っていたことは当時の記録を読めば明らかです。キリスト教が広められるとともに多くの寺や神社が破壊され、多くの日本人が海外に奴隷に売られ、長崎などの日本の領土がイエズス会などに奪われていったのですが、当時の為政者たちはいかにして西洋の侵略からわが国を守ろうとしたのかという視点で、鉄砲伝来から鎖国に至るまでの約100年の歴史をまとめた内容になっています。
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