比叡山門前町として栄えた坂本と穴太衆

滋賀
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石垣施工の技術集団・穴太衆

 滋賀県大津市の比叡山山麓に寺や城郭などの石垣施工を行った穴太衆(あのうしゅう)と呼ばれる技術者集団がいて、織豊時代以降その高い技術が買われ、安土城、彦根城、金沢城の石垣をはじめ、多くの城郭の石垣建築に携わったとされ、今もその技術は大津市坂本にある株式会社粟田建設に受け継がれているという。同社のホームページWikipediaに書かれているが、滋賀県甲賀市岡南町から水口町にかけて県立自然公園を通る新名神高速道路工事で、自然環境との調和を考慮し穴生積が現代建築に適用可能がどうかを試す実験が行われたという。
 京都大学大学院によって穴太衆積石垣とコンクリートブロックによる擁壁とを並べて実作し、積荷装置により二百五十トンの土圧をかけて 擁壁の変位を測定する実験の結果は、穴太積石垣の勝利で終わったそうだ。コンクリートの擁壁は荷重二百トンの段階でコンクリートに亀裂が入り、荷重二百三十トンでコンクリート崩壊の恐れがあり実験中止となったが、穴太積の石垣は荷重二百五十トンにも耐え、この結果、この区間(高さ3.5m、長さ260m)の擁壁工事は穴太積で行われている。

 コンクリートの擁壁は耐荷力で石垣に劣るだけでなく、排水能力にも問題があり、水膨れにより変形して崩壊する怖れがあるという。穴太衆の石垣は石垣の奥には栗石層、その奥には小石が詰められており、石の隙間から随時排水がなされる工夫が施されていて、そのおかげで何百年もの風雪に堪え、形状を維持することができるのだそうだ。

 滋賀県大津市の坂本はかつて比叡山延暦寺の門前町として栄えた地域で、比叡山で修行積んだ僧侶たちが天台座主の許しを得て隠居した里坊(さとぼう)が並び、穴太衆が積んだ石垣が街路を形成している。その美しい町並みは重要伝統的建造物群保存地区として選定されているほか、平成十六年には歴史的風土保存地区にも指定されている。
 坂本の観光情報は「比叡山坂本サンポ」に詳しくでており、そのサイトの地図はこの地域を散策するのに便利である。

日吉大社の桜と山王祭

日吉大社 石鳥居 2021/3/30撮影

 上の画像は日吉大社の石鳥居から日吉馬場方面を撮影したものである。この参道は滋賀県の桜の名所だが、この参道にそって多くの石灯籠が並んでいる。以前このブログでも書いたが、明治初期に日吉大社で激しい廃仏毀釈が行われ、大量の文化財が破壊されてしまった。この時に神社境内の仏教的なものは放り出され、この石灯籠はしばらく乱雑に置かれていたそうだが、廃仏毀釈が収まった後に現在のように参道に整然と並べられるようになったのだそうだ。

 日吉大社には千二百年以上の歴史を有する山王祭というお祭りがある。大津観光協会の動画が四日間にわたる行事をコンパクトにまとめておられるが、毎年四月十二日の午の神事や十三日の宵宮落とし神事などはかなり勇壮なもので、是非見たいと思っているのだが、コロナ禍のため昨年に続いて今年も神輿行事が中止になってしまったようだ。早くコロナ禍が収束して、全国の様々な伝統行事が普通に行われるようになって欲しいものである。

山王祭 | 日吉大社

 日吉大社と日吉東照宮は旧ブログで書いたので今回はカットしたが、国宝や国の重要文化財が多数あるので、里坊の観光の前に拝観されることをお勧めしたい。

国指定名勝・旧竹林院庭園と旧白毫院庭園

穴太衆の石積み 2021/3/30撮影

 日吉馬場の両脇に石畳の歩道があり、その横に穴太積の石垣が続き、数多くの里坊が周囲に立ち並んでいる。かつては八十を超える里坊があったのだそうだが、そのうち五十四の里坊が現在残っているという。

旧竹林院の門 2021/3/30撮影

 上の画像は旧竹林院の門で、天正二十年(1592年)に比叡山延暦寺の隠居屋敷として建てられたが、明治時代に資産家の手に渡り、現在は大津市の所有となっている。現存の主屋は明治三十年に建てられたもので、一階だけでなく二階からも庭園を楽しむ事が出来る。

旧竹林院 主屋一階座卓のリフレクション (2021/3/30撮影) 新緑・紅葉期はもっと美しい

 春の桜も美しいが、新緑や秋の紅葉も美しく、座卓を使用したリフレクション撮影で美しい画像がネットで数多く紹介されている。

旧竹林院庭園 2021/3/30撮影

 約千坪の庭園は八王子山を借景とし、大宮側の水を引き込んだ回遊式庭園で、国の名勝に指定されている。上の画像の中央の山が八王子山で、山頂近くに日吉大社の牛尾宮と三宮が写っているのだが確認していただけるだろうか。

 日吉馬場を挟んで竹林院の反対側に芙蓉園がある。ここはかつて白毫院という里坊があったところで、ここの庭園は「旧白毫院庭園」と呼ばれ、ここも国の名勝に指定されている。明治初期に芙蓉園の所有となり料亭として営業しているが、坂本の重要伝統的建造物群保存地区内で庭園を眺めながら食事ができるのはここだけで、湯葉や湯豆腐がおいしいと評判の店である。コロナで座席数を絞っているので、予約した方が確実である。

本 館
旧白毫院庭園の洞窟 2021/3/30撮影

 食事のあとで、庭を散策したが穴太衆積の洞窟や石垣が残されている。案内板によると、この洞窟は寛永期(1643年)に白毫院の院主が、貧しい人々を飢饉から救うために、多くの飢人をやとって築かせたものだという。奥には石で作った穴室があり、三方の出入り口があり、その上は富士山を形どった築山となっている。

旧白毫院庭園 2021/3/30撮影

 この季節は残念ながら細い桜が一本咲いているだけで、アクセントになる花が乏しい印象があるが、新緑時や秋の紅葉時は美しい画像がネットで多数紹介されている。

滋賀院門跡と慈眼堂

 芙蓉園から日吉馬場を琵琶湖に向かって進み、途中で右に折れて滋賀院門跡に向かう。この寺はひときわ背の高い石垣と白壁に囲まれて、延暦寺の本坊らしい堂々とした外構えになっている。案内板には寺の由来をこう解説している。

元和元年(1615年)慈眼大師天海(1536~1642年)が、後陽成上皇より法勝寺(京都北白川に在り六勝寺の一つで歴代天皇ご授戒の寺として四箇戒場の一つでもあった)を下賜されこの地に移築されたもので、明暦元年(1655年)後水尾天皇より滋賀院の号と寺領一千石を賜り江戸時代の末までは天台座主であった法親王が代々住まっておられた寺である。
 外観は堂々たる穴太衆積みの石垣に白壁がつづいており滋賀院御殿といわれる名に恥じない威容を見せている。
 御殿については明治十一年(1878年)十一月の火災のためすべて灰となったが、現在の建物は山上より三塔それぞれ最高の建築を移築し、明治十三年五月に復旧したものである。」

滋賀院庭園 2021/3/30撮影

 上の画像は小堀遠州作と伝わる滋賀院庭園で、国の名勝に指定されている

 滋賀院から慈眼堂に向かう。慈眼堂は信長の比叡山焼き討ちのあとの延暦寺復興に尽力した天海(慈眼大師)の廟所である。天台宗務庁の建物から坂を登ると、たどり着く事が出来る。

慈眼堂 2021/3/30撮影

 現在の建物は三代将軍徳川家光が作らせたもので、国の重要文化財に指定されている。

十三体石仏 2021/3/30撮影

 慈眼堂に向かって左には、近世以降の天台座主らの廟所になっていて、数多くの石像五輪塔や宝篋印塔のほか、桓武天皇、、後陽成天王、後水尾天皇や、徳川家康、新田義貞、紫式部、和泉式部などの供養塔があり、六角義賢が亡き母の菩提を弔うために天文二十二年(1553年)に建立した四十八体の阿弥陀如来坐像の内十三体がこの地に移されている。(十三体石仏)

 坂本には他にも国の名勝に指定されている庭園を持つ里坊がある。雙厳院(通常非公開)、宝積院(通常非公開)、佛乗院(通常非公開)、蓮華院(通常非公開)、律院(通常非公開)、実蔵坊(通常非公開)、寿量院(通常非公開)と、いずれも普段は拝観できない寺ばかりであるのは残念なことである。毎年ゴールデンウィーク前後にいくつかの寺の特別公開が行われるのだが、今年は律院だけが4/29~5/5に公開されることが決定しているようだ。

これから開催される歴史イベント

薬樹院の桜と生源寺、公人屋敷

薬樹院の桜 2021/3/30撮影

 滋賀院門跡から日吉馬場に戻り琵琶湖方面に進むと日吉大社の石鳥居があり、左に折れて横小路に進むと薬樹院という寺がある。この寺の桜は「太閤桜」とも呼ばれ、素晴らしい枝ぶりで圧倒的な存在感があるのでカメラに収めておいた。この寺も非公開寺院なので、道路から鑑賞するしかないのだが、外からでも十分に満開の桜を楽しむ事が出来る。

生源寺 2021/3/30撮影

 日吉馬場に戻りさらに琵琶湖方面に進むと伝教大師誕生の地と伝わる生源寺がある。

公人屋敷 2021/3/30撮影

 さらに琵琶湖方面に進むと公人(くにん)屋敷がある。「公人」とは延暦寺の堂舎・僧坊に所属し、治安維持や年貢・諸役を収納する寺務を勤め、僧侶でありながら妻帯と名字帯刀が許されていた人々だそうだ。

 リーフレットにはこう解説されている。

 坂本は、徳川幕府から延暦寺に寺領として寄進されていた為、幕府や大名などの武家からの直接的な支配は受けなかった。その代わりに、延暦寺の三執行代(さんしぎょうだい)、八学頭代(はちがくとうだい)、滋賀院留守居(しがいんるすい)が寺領を支配し、そのもとで坂本町の行政全体を担う「大年寄」という役人が五人置かれた。さらに「大年寄」のもとに、町ごとに「四至内年寄」(しいしないとしより)とも言われる「年寄」が置かれ、これらの役職を公人が務めたのである

 比叡山に点在する延暦寺寺院や優雅な庭園を有する里坊などを経済的に支えたのは全国の大名から寄進された浄財であり、延暦寺の寺領であった上坂本、下坂本などの村々から年貢として納められた農作物であったのだが、これらを取り仕切り、延暦寺の諸行事が滞りなく行われるよう、当時の社会制度の安定に大きな役割を果たしていたのが公人たちでしたなのである。

 坂本には公人たちが住んでいた住居「公人屋敷」が数多く残されていたのだが、この旧岡本邸は昔の状態を良くとどめていることから、大津市の指定文化財となっている。

 岡本家は明治維新の神仏分離の際に延暦寺を離脱し、それ以来日吉大社の社家となったそうだが、この屋敷は岡本家が坂本地域の歴史的遺産の保存のために、平成十三年(2001年)に大津市に寄贈したものだという。

 大津市坂本はトリップアドバイザーやじゃらんのランキングは決して高くないのだが、歴史的風土が良く保存されていて見るところも多く、風景も素晴らしく、貴重な文化財や名勝が集中しており、もっと人気があってもおかしくない地域である。

西教寺 2021/3/30撮影

 里坊のある地域からは少し離れるが、近くには木造阿弥陀如来坐像、木造聖観音立像など多くの重要文化財を持ち明智光秀一族の墓のある西教寺(大津市坂本5-13)があるし、二十一もの国宝・国重要文化財を持ち、延暦寺の正倉院と呼ばれる聖衆来迎寺(通常非公開:大津市比叡辻2-4-17)がある。また、近江神宮や、三井寺、延暦寺など有名観光地へのアクセスも良く、坂本は観光地としてもっと高く評価されて良いと思う。

聖衆来迎寺(拝観予約が必要 8/16の虫干会で文化財鑑賞可能) 2021/3/30撮影

 坂本近辺に、これだけ魅力的な観光資源が集中しているのだから、特別公開でもよいから拝観できる寺院を増やして欲しいと思うのは私ばかりではないだろう。また、車で旅行する人にとっては、駐車場はもっと欲しいところであり、食事や買い物ができる場所がもう少しあった方が良いと思う。

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