江華島事件と李氏朝鮮の開国

朝鮮半島情勢と日清戦争
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わが国の国防と朝鮮半島

 最初に菊池寛の名著『大衆明治史』(GHQ焚書)に、わが国にとって朝鮮半島がどのような存在であったかを述べている文章を紹介したい。

朝鮮半島と日本列島 白地図

 朝鮮半島はその地形上、日本列島に対して短刀を擬したような恰好をしている。もし、この地が支那やロシアに占領されたとしたら、その時の日本はどうであろう。脇腹に匕首(あいくち)を当てられたようなもので、たえずその生存を脅威されるであろう

 朝鮮問題が明治史のほとんど全部を通じて、終始重大問題を孕んだのは、実にこの日本国家の生存という根本に触れたためであって、日清戦争も日露戦争も、全く朝鮮問題を中心として惹起されたのである

菊池寛 著『大衆明治史』汎洋社 昭和17年刊 p.155

 この地政学上の問題は明治時代だけでなくわが国のいろんな時代の安全保障について絡んでくる話であるのだが、わが国の幕末から明治初期にかけて、李氏朝鮮の実権は国王(高宗)の父・大院君によって握られており、内には武断政治を布き、外には排外鎖国主義を固執していた

沿岸部を攻撃するフランス海軍 Wikipediaより

 例えばこんな事件があった。
 1866年にキリスト教徒が大量に虐殺され九人のフランス人宣教師が処刑されたことから、フランスの極東艦隊が八百名程度の要員で首都・漢城に向かい江華島中心部を占領したのの、朝鮮軍の頑強な抵抗に遭い、首都封鎖・包囲に失敗し敗走した事件があった (丙寅洋擾:へいいんようじょう)。

 また同年に米国商船のシャーマン号が襲撃され、乗組員全員が虐殺される事件があったことから、1871年に米国は同事件への謝罪と米韓の通商を求めてアジア艦隊の朝鮮派遣を命じている。米軍は二日で江華島の草芝鎮、徳津鎮、広城鎮を制圧(辛未洋擾:しんみようじょう)し、朝鮮国に通商を要求したが、大院君が強硬に開国を拒絶したために実現せず、朝鮮国はその後も鎖国を継続したのである。

陥落直後の広城鎮内 Wikipediaより

 上の画像は米軍が広城鎮を鎮圧した直後の写真だが、倒れた朝鮮兵の画像を見れば近代的兵器を持つ外国軍と戦えるような装備とは程遠い状態で戦ったと思われる。この戦いで朝鮮軍は二百四十名以上の戦死者を出したが、米軍の戦死者は三名だけであったという。

砲艦外交で朝鮮国を開国させようとした明治政府

 この国に自国を守れるだけの力があれば明治政府はそれほど深刻に考えなかったのだろうが、この国はあまりにも国力が乏しく、もしロシアなどの欧米列強が攻め入ったら簡単に滅ぼされてしまい、わが国の独立が脅かされることになりかねない。

 明治政府は朝鮮国をなんとか開国させようと使節を送ったのだが、侮辱されて追い返される始末であった。

 明治六年(1873年)六月十二日の会議で朝鮮問題が議論され、西郷隆盛は武力を用いるのではなく誠意を以てこの国と交渉すべきであるとし、遣韓大使は自分にして欲しいと主張して、八月十七日の閣議で西郷を遣韓大使とする案で決着したのだが、岩倉、大久保らの帰朝後に開かれた十月十四日の閣議で、岩倉らは「現状は国力涵養第一」と強く主張して、西郷を特使として派遣する決定を覆してしまったのである。これを不満として、西郷、板垣、副島、後藤、江藤の諸参議が辞表を提出して下野し、官僚・軍人の約六百人が職を辞した(明治六年の政変)ことは、以前このブログで書いたので繰り返さない。

 とはいえ、この政変によって朝鮮問題が解決したわけではなく、小康状態になったわけでもなかった。この国は相変わらずわが国を軽蔑し、清国に頼ろうとしていた。清国もまた朝鮮に対し宗主国の態度で臨み、これを属国視することが続いていたのである。

 ところが、1873年に閔妃一派による宮中クーデターが成功して高宗の親政が宣言され、大院君は追放されたとの情報があり、政府は明治八年(1875年)二月に、朝鮮国を開国させようと森山茂を派遣したのだが、再び大院君一派が勢力を挽回したために交渉が困難となり、森山は局面打開のために、外務卿の寺島宗則に宛てて軍艦を派遣して近海の測量の名目で朝鮮を威嚇したいと上申したのである。寺島はこれに賛成したが、明治六年に征韓論を覆した政府の決定と矛盾するため、極秘で戦艦を出動させたという。

 当時参議に再任されていた板垣退助は、このことを知って激怒し、太政大臣の三條實美に次のように語ったという。

 聞くが如くんば、政府は近日軍艦を朝鮮に派して之を威圧せんとするものの如し。もし果たして事実なりとせば、政府の行動は矛盾せりと言わざるべからず。そもそも明治六年余の朝を退くや、政府は内政を整理して、然る後に外国のことに及ぼす方針なりを聞けり。然るに今や軍艦を派し、示威運動を為して、以て我が要求を達せんとす
 もし韓廷にして我の要求を聴かずんば、我は戦わざるべからず。思うに政府にして韓国と戦うの意あらば可なり。然れども戦意無くして、この児戯の事を為す。恐らくは累を国家に及ぼさん。…

宇田友猪, 和田三郎 共編『自由党史. 上』五車楼 明治43年刊 p.212

 三條は板垣に対し、今回の軍艦出動は定期の練習航海で、特に意味のあるものではないと釈明したのだが、九月には板垣の心配していた通りのことが起こり、板垣は十月二十七日に再び辞表を提出している。

江華島事件

 出動を命じられた軍艦雲揚(うんよう)は五月二十五日に予告なしに釜山に入港し、六月十四日に軍艦第二丁卯と発砲演習を実施した後、単独で東海岸を北上し永興湾に停泊のあと長崎に戻り第一回の測量兼示威運動の任務を完了した。その後、海軍省の命を受けて九月に再び朝鮮半島に向かった際に、江華島沖で朝鮮軍からの砲撃を受けることとなる(江華島事件)。

永宗城を攻撃する雲揚の兵士ら(想像図) Wikipediaより

 GHQ焚書である中島武著『明治の海軍物語』にはこの事件について次のように記されている。

 明治八年九月二十日朝鮮西岸仁川(じんせん)のやや北なる江華島沖に錨を入れたのは、わが軍艦雲揚であった。やがて同艦より短艇を卸し、艦長海軍少佐井上良馨(いのうえ よしか)がこれに乗って島に向かって漕いで行った。
 雲揚艦は朝鮮沿岸の航路を調査すべき命を受け、その西海岸を測量して満州の牛荘(にゅうちゃん)に赴く途上であったが、飲料水が欠乏したので、これを江華島に求めんとするのであった。

 ところが短艇が島に近づいた時に、その守備兵が突然我に向かって発砲した。井上艦長は直ちに本艦に引き返して応戦し、二十一日には江華島の南、仁川のすぐ前にある永宗島(えいしゅうとう)を陥れ、韓兵三十余人を斃し、大砲三十八門を分捕りして引き上げた。この戦闘における我が兵の戦死者はただ一名であった。

 かくのごとき事件が起こったので、雲揚艦は牛荘行を中止して長崎に寄港し、同月二十八日電報を以て、この事変を政府に報告した。

中島武 著『明治の海軍物語』三友社 昭和13年刊 p.49

 明治政府が朝鮮国に対し武力挑発したことについて、西郷隆盛が政府を厳しく非難している文章が大正十二年に刊行された『西郷隆盛文書』(明治八年(1875)十月八日付、篠原冬一郎宛て書簡)に収められている。

 …全く交際これなく人事尽し難き国と同様の戦端を開き候議、誠に遺憾千万に御座候。(中略)
一向[ひたすら]彼[朝鮮]を蔑視し、発砲いたし候故(ゆえ)応砲に及び候と申すものにては、是迄(これまで)の交誼上実に天理において恥ずべきの所為に御座候

『西郷隆盛文書』日本史籍協会 大正12年 p.111~112

 西郷は、明治政府が朝鮮国に行ったことは、日本に武力で開国を迫ったペリーと同じやり口であり「天理において恥ずべき所為」だと書いているのである。

 先程も書いた通り、明治六年政変で岩倉や大久保らは「現状は国力涵養第一」と主張して、西郷を朝鮮国に特使として派遣する決定を覆して、西郷や板垣が下野する原因を作ったのだが、その数カ月後には台湾に出兵し、さらに翌年には朝鮮国に軍艦を派遣して武力衝突を起こしたことに、西郷が激怒したことは当然のことだと思う。

清国に日本の方針を伝えた森有礼

森有礼 1871年 Wikipediaより

 江華島事件を機に、政府は朝鮮国に対して強硬方針をとるべきことを決定したのだが、清国に駐箚公使として赴任の途についた森有礼に、いまも朝鮮国を属国と見做してるこの国に対して、この事件に対するわが国の方針を伝えさせるとともに、朝鮮国に対する清国の権限の及ぶ範囲について質問させている。冒頭で紹介した『大衆明治史』(GHQ焚書)にはこう記されている。

 日本の対韓策は、まず清国のこの不合理なる優越感を是正して、朝鮮を独立国として認めて行こうとする点に、その第一歩を踏み出したわけである。

 外務大輔森有礼は、明治八年十二月に保定に於いて李鴻章と、朝鮮属邦問題について論戦しているのである。この時李は五十六歳、森は三十歳の弱齢。森を多少子ども扱いにした気味はあったがきかん気の森は容易に屈していない。
「朝鮮はインドと同じくアジアの一国で、清国の属国とは言えない」
と主張して止まなかった。

 李鴻章は
「朝鮮は清国の正朔を奉じている国である。これは明らかに属国ではないか」

 森は尚も、
「属国と言われるならば、その実を証拠として見せていただきたい。清国は韓国から租税を徴収することが出来ますか。また韓国の内政に干渉する権利を持っていますか」

と、得意の国際法の知識を振りかざして、詰めよるのであった。

 朝鮮が清国に頼ったのは、ただ清国が強大で、その侵伐から免れるために、貢物を出し、正朔を奉じたまでで、朝鮮にすれば、言わば一つの外交手段に過ぎない。清国がこれをもって属国なりと称するのは随意だが、日本がそのまま認めなければならぬという義理はないわけである。

『大衆明治史』p.156~157

 若き森有礼がこの時に李鴻章と論戦した記録の全文が、『大日本外交文書. 第9巻』に収録されている。森の発言の一部を紹介したい。

 閣下(李鴻章)はわが国の砲船が公法上所禁の近海に進入せりと言う。請う、これを思え。
 それ公法はこれを遵守するの国に用うべく、朝鮮の如き公法の何たるを知らず、却ってこれを厭悪するの国に用うべからず。彼仁愛の道を守らず、余国の人民を入れず、偶々外来の船あれば妄(みだ)りに之を発砲し、剰(あまつさ)え沿海の測量を許さず。これが為に諸国船舶のうち殊に朝鮮海上を往来する隣国の船舶、往々沈没の災に罹(かか)る者少なからず。故に隣国の一たるわが国の船人に対し、かかる不仁の事をなさしむるを得ざるなり

外務省調査部 編『大日本外交文書. 第9巻』日本国際協会 p.174

 今の政治家や外交官に、大国の大物政治家相手にこれだけの論戦が出来る人物が出てくることを望みたい。

朝鮮国の開国

 また政府は、朝鮮国に派遣する特命全権弁理大臣を参議黒田清隆、副使を元老院議官井上馨とすることを決定し、同国に対しわが国に対する従来の無礼と江華島事件を詰問の上、条約締結まで持ち込むこととした。

黒田清隆 Wikipediaより

 黒田、井上は明治九年(1876年)一月六日に近衛兵、鎮台兵を率いて軍艦四隻で品川を出航し、十八日に釜山に到着したのだが、黒田らはどのような交渉をして、この国を開国させたのであろうか。『明治の海軍物語』(GHQ焚書)にはこう記されている。

 黒田の一行は二月十日江華府に到着、翌日より朝鮮官吏と会して談判を開き、わが国に対する従来の無礼と江華島事件を詰問し、これに対する謝罪と将来の国交を要求したが、彼は言辞を左右に託してこれに応じなかったので、同月二十二日に至り、
四日の間に確答がなければ、断然帰国する。」
と告げて軍艦に引き返した。

 朝鮮政府は大いに驚き、急に態度を変えて、修好条規十二ヶ条を結び、同月二十六日これに調印したうえ、謝罪書も提出した。いわゆる江華条約であって、朝鮮が独立自首の国家たることを明記し、なお二十六ヶ月の後には、同国内において釜山の他に新たに二貿易港を開くこと、及び日本の航海者は朝鮮近海を測量し得ることなど約した。

 黒田の一行は同月二十八日帰途に就き、三月五日東京に帰着復命した。その結果、八月二十四日には修好条規付録十一条、貿易章程十一条も議定され、維新以来の朝鮮問題も漸く解決し、明治十三年四月には京城にわが公使館を設け、同年五月には元山津(げんさんしん)を、明治十六年一月には仁川港を開いて貿易港としたのであった。

『明治の海軍物語』 p.51

 明治政府が朝鮮国と締結した日朝修好通商条規の第一款には「朝鮮国ハ自主ノ邦ニシテ、日本国ト平等ノ権ヲ保有セリ」と明記されているのだが、その後もこの国は独立国だという気力も実力もなく、清国は相変わらずその宗主権を主張して隷属国扱いを続けたのである。一方わが国は朝鮮国に対する影響力を強めようとしたのだが、日本と清国の対立は次第に深まっていくのであった。

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