日韓共栄を目指した一進会はなぜ解散させられたのか

韓国併合への道

日露戦争時多くの韓国人が親日に傾いた

 前回の「歴史ノート」で、李氏朝鮮は両班という特権階級が平民を搾取し、官吏たちも腐敗していたことを書いたが、それまで両班に搾取されていた平民や知識人たちの多くは、わが国が日露戦争で勝利をつづけたことから次第に日本に好意を寄せるようになったという。

 日露戦争初期に朝鮮北部を訪れたカナダ人の新聞記者F.A.マッケンジーはこう述べている。

 (日本軍の)北方へ進撃中の部隊は、厳格な規律を保ち、住民をも丁寧に取り扱った。徴発した食糧にも公正な代価を支払い、運搬人として軍役に動員した数千人の労務者に対しても、おうようにしかも敏速に補償を行って彼らを驚かせた日本の賃金支払い率が非常に高かったので、日本が物質的に労働市場に影響を与えるという程であった。林権助*氏は、韓国皇帝を安心させるようできるだけのことをし、日本は韓国の利益と強化のほかは何も望まない、という約束を繰り返し与えた。また、時を移さず、伊藤公が天皇の勅使としてソウルに派遣され、各国の駐在公使以上に力強く友誼と協力宣言を繰り返し再確認したのであった。
*林権助:明治・大正期の外交官。日露戦争中に日韓議定書を韓国と調印し、続いて第一次日韓協約、第二次日韓協約を締結し、韓国は日本の保護下に置かれることとなった。

 これらすべてが、韓国民の心に影響を与えずにはおかなかった。北部の住民たちは、ロシア人に好意を持っていなかった。ロシア人には規律と自制が欠けていたからである。彼らはとくに、しばしば起こるロシア軍兵士と韓国女性との衝突によって不和を来した。私は、戦争の初期に、主として北部地方をずっと旅行したが、その最初の数週間の間、私はどこでも、韓国の国民からは日本軍に対する友好的話題ばかりを聴かされた。労務者や農民達も友好的であった。彼らは、日本が自国の地方官僚どもの圧政をただしてくれるようにと望んでいたからである。また、上流階級の人びとの大部分、とくになにほどか外国の教育をうけたような人たちは、日本の約束を信じ、かつ従来の経験から推して、自国の遠大な改革の実施は外国の援助なしには遂行しがたいと確信しており、そのため日本に心を寄せていた

F.A.マッケンジー『朝鮮の悲劇』東洋文庫p.107~108
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 日露戦争が始まった一九〇四年の秋に李容九(りようきゅう)は、アジアが団結して欧米帝国主義の侵略を阻止すべきであり、さらに日本と韓国が軍事同盟を結ぶことがロシアに対抗し韓国の富国強兵を図る方法であると主張し、一進会を設立してその会長となっている

李容九(Wikipediaより)

 その頃の韓国政府のスタンスはわが国に非協力的であったために、わが国が満州に兵を送り込むために計画した鉄道建設が遅れていたのだが、一進会が京城から新義州までの鉄道建設に立ち上がり、北進隊を組織して日本軍に協力したという。

日韓併合までに完成した路線

 中村粲(あきら)著『大東亜戦争への道』には次のように解説されている。

 ちなみに、京義鉄道敷設工事に参加した一進会員は、黄海道、平安南道、平安北道を合わせて十五万人に上った。また北鮮から満州へ軍需品をチゲ(荷物を背負う道具)で運搬するのに動員された会員は十一万五千人で、この鉄道建設隊と輸送隊を合わせると、百万会員のうち二十六、七万人が動員されたことになる。そして鉄道工事の費用は領収雇金二万六千四百十円、会員自費金額十二万二千七百四円という数字が残っており、大部分が会員の自弁であったことを窺わせる。

 戦争の危険、事故や病気、多大の出費、加えて反日的朝鮮官民による迫害など、様々の艱難辛苦を冒して日本軍に協力した一進会の捨身の行動は、自国と東亜の復興をこの一戦に賭ける深い信念と憂情あってこそ、はじめて可能だったのである。

中村粲『大東亜戦争への道p.124

 朝鮮人は祖先崇拝の民族で儒教的土葬を行っていたために各地に墓地が点在していた。このような国で鉄道建設や道路建設を推進することは、技術的問題よりも社会的問題が大きかったという。用地の買収は、朝鮮の人々の祖先崇拝と風水信仰とのはてしない戦いであったのだが、わが国は短期間で義州—ソウル―釜山をつなぐ路線を完成させている。

 一進会については「日本が朝鮮侵略のために作った御用団体」などと書かれることが多いのだが、もしそれが事実であったならば、各地で建設妨害のある中で、会員の自弁で鉄道建設の為に働いたりはしないであろう。しかしながら、わが国が建設工事を順調に進めることができたのは、一進会の会員でなくとも親日的な韓国民が少なくなかったと理解するしかないだろう

ハーグ密使事件と韓国軍隊の解散

 わが国は日露戦争中の一九〇四年に締結した第一次日韓協定締結により、韓国の財政外交に関与する立場となり、翌一九〇五年には米国は韓国における日本の支配権を確認し、日本は米国のフィリピンに於ける支配権を確認している(桂・タフト協定)。その後わが国は日露戦争に勝利し、その講和条約であるポーツマス条約により、韓国に対する優越権をロシアから承認され、また韓国とは第二次日韓協約を結び、これにより韓国の外交権がほぼ日本に接収されることとなり、事実上韓国は日本の保護国となった

 ところが、一九〇七年(明治四十年)六月にオランダのハーグで開催された万国平和会議に、韓国皇帝(高宗)の親書を携えた密使が派遣されて、この協約が無効であることを主張したのだが、韓国に外交権のないことを理由に出席が拒否される事件(ハーグ密使事件)が起きた。この高宗の背信行為に怒った韓国統監の伊藤博文はこの事件の責任を追及し、七月に高宗を退位させ、韓国統監の権限強化をうたった第三次日韓協約を締結している。この協約により、韓国政府は外交権だけでなく内政権も日本に接収され、八月には韓国軍隊も解散させられることとなる

「義兵」による反日活動

 しかしながら、韓国軍隊が解散された以降、「義兵運動」と呼ばれる反日活動が激しくなっていったのである。

後期の義兵(Wikipediaより)

 中村粲の前掲書にはこう記されている。

 解散した軍隊が義兵に合流し、ここに義兵運動は武器と組織を得て、各地で激しい反日抗争を展開するに至った。…中略…

 一九〇七年から日韓併合翌年の一九一一年までの間に、我軍と交戦した義兵は十四万人を超え、交戦回数も二千八百五十回、死亡した義兵は一万四千名以上にのぼる。…中略…+

 だが民衆のエネルギーだけでは、国家の近代化や独立が達成できるものではない。民衆のエネルギーは、正しい時期に、有力な指導者を得て、正しい方向に健全な形で結集されるのでなければ、決して民族独立の原動力にはなりえないのである。

同上書 p.127~128

 「義兵」といっても組織化されたものではなかったようだ。F.A.マッケンジーは自ら「義兵」と接触して取材した時のことを前掲の『朝鮮の悲劇』に記している。

 私は、義兵の組織について、いろいろ彼に尋ねてみた。彼らはいったいどのように組織されているのか?彼が私に語ったところから察すると、彼らはじっさいなんら組織されてはいないということが明らかであった。ばらばらの各一群のいくつかが、きわめてルーズなつながりで一緒になっていたのである。各地の富裕な者が基金を提供し、それを、彼が、一人二人と散開している義兵にこっそりと渡し、彼らがそれぞれ自分のまわりに味方を集めるのであった。

 彼は、自分たちの前途が必ずしも明るいものでないことを認めた。「われわれは死ぬほかないでしょう。結構、それでいい、日本の奴隷としていきるよりは、自由な人間として生きる方がよっぽどいい。」彼はそう言った。

『朝鮮の悲劇』p.202

 「義兵運動」の資金源は明確には書かれていないが、旧支配層から出ていたことはおおよそ見当がつく。武器は朝鮮軍の旧式のもののほかに中国製の銃があったことが前掲書に記されているが、外国の関与があったことも考えられる。しかしながら、彼らはただわが国に対して抵抗しただけで、彼らの目指す理想の国家像のようなものはなかったようだ。

日韓共栄を目指した「一進会」

 一方、一進会は日韓両国民の対等な地位に基づく日韓共栄を目指していた。一進会は一九〇九年に伊藤博文がハルビン駅で暗殺された後、『韓日合邦を要求する声明書』を提出しているのだが、Wikipediaにそのポイントとなる部分の翻訳が出ている。

 日本は日清戦争で莫大な費用と多数の人命を費やし韓国を独立させてくれた。また日露戦争では日本の損害は甲午の二十倍を出しながらも、韓国がロシアの口に飲み込まれる肉になるのを助け、東洋全体の平和を維持した。韓国はこれに感謝もせず、あちこちの国にすがり、外交権が奪われ、保護条約に至ったのは、我々が招いたのである。第三次日韓協約(丁未条約)、ハーグ密使事件も我々が招いたのである。今後どのような危険が訪れるかも分からないが、これも我々が招いたことである。我が国の皇帝陛下と日本天皇陛下に懇願し、朝鮮人も日本人と同じ一等国民の待遇を享受して、政府と社会を発展させようではないか

『韓日合邦を要求する声明書』(Wikipediaより)
一進会によってソウルに建立された日本を奉迎する門(1907年)

 このように一進会は日本に協力することで韓国の近代化を推進しようとし、日韓が対等の立場で合邦することを求めたのだが、当時の総理大臣であった李完用はこの上奏文を大韓帝国第二代皇帝の純宗にも上げずに握り潰したという。

 また、この声明に対して大韓協会、西北学会などがただちに反対を表明し、伊藤博文の後を継いだ朝鮮統監の曽禰荒助は、両派の衝突が起って治安が乱れることを懸念し、一進会の集会・演説を禁止して活動を弾圧した。

 一方、日本政府は二国間の国力の差を考慮すると、対等の合邦はわが国民の理解を得ることは難しいとの判断から一進会の請願を拒否し、その後わが国が韓国を飲み込む形で併合することとなる。

 日韓併合は明治四十三年(1910年)のことだが、韓国統監府は親日派・非親日派の政治団体の対立による治安の混乱を収拾するため、朝鮮の全ての政治結社を禁止し解散させている。一進会もこの時に解散を命じられたのだが、元会員の間には失望が広がり、その後三・一運動*に身を投じる者も少なからずいたという。
*三・一運動:日本統治時代の一九一九年の朝鮮で発生した日本からの独立運動。以前このブログで書いたが、当時の報道ではこの運動は米人宣教師が使嗾したと書かれている。

なぜ韓国の民衆に反日運動が広がって行ったのか

 わが国は、朝鮮半島を貧しくさせてきた身分制度を廃止し、この国の近代化のために多大な犠牲を払ってきたのだが、日露戦争後に旧支配層だけでなく一般の民衆レベルにまで反日運動が拡がって行ったことについては、おそらく日本側にも原因があるのだろう。F.A.マッケンジーは前掲書にこう解説している。

 上流階級の人びとの大部分、とくになにほどかの外国の教育をうけたような人たちは、日本の約束を信じ、かつ従来の経験から推して、自国の遠大な改革の実施は、外国の援助なしには遂行しがたいと確信しており、そのために心を寄せていた。
 ところが、戦勝につぐ戦勝がつづくにつれて、日本軍の態度はしだいに懇切さを減じて行った。日本軍についてやって来た日本人商人どもはかなりの数にのぼり、彼らには軍隊のような自制心はさっぱり見られなかった。彼らは、剣を手にして歩き回り、欲するままに徴発し、気の向くままに行動した。その後日本軍は労務者の賃金率を引き下げた。それで韓国人労務者は、これまでの好賃金の状態からひきはなされて、普通の労賃の半額で苦労しなければならないようにしいられるようになった。軍隊自身もまた、しだいに、韓国民に対して横柄な態度をとるようになってきた。北方の住民たちにとっては、自分がロシア人と交際があると疑われることは、ただちに死を意味した。

『韓国の悲劇』p.107~108

 一九〇九年の伊藤博文暗殺事件のことはいずれこのブログでも書く予定だが、伊藤の体内に残っていたのはフランス製騎馬銃の弾丸で、犯人とされた安重根が保持していた拳銃のものではなかったという。安重根が使用した拳銃はロシア陸軍に納入されていたベルギーのクンフト社製のもので、普通に考えると暗殺の真犯人はロシア側にいる可能性が高い。

 当時のウラジオストックには多くの韓国人が住んでおり、ロシアの特務機関の影響下にある「韓民団」という組織に参加している者がいて、安重根はその一人であったこともわかっている。

 このように韓国の反日運動は外国勢力を抜きには語れないはずなのだが、どの国がどういう意図でこの国の反日運動に関与したかについては、戦後の歴史叙述では完全にタブーにされてしまっている。

 わが国の朝鮮半島統治の歴史については、このようなタブーを打ち破って世界史的視野で考えないことには、いくら議論をしても真実に辿りつくことは難しいと思うのだが、このような視点から史実に基づいて朝鮮半島の歴史が広く議論される日が来ることを祈りたい。

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