支那とユダヤ人 満州日日新聞社『ユダヤ問題を衝く』3

ユダヤ人問題関連

支那とユダヤ人の歴史

『神戸大学新聞記事文庫』人種問題3-49

 ユダヤ問題研究者の座談会は支那におけるユダヤ人の話題に移っていく。支那とユダヤとの関係史を紐解くと、紀元前三世紀にユダヤ人が渡って来たことが記録に残されているという。上海税務専門学校教授でユダヤ問題研究家の浜野末太郎氏が支那におけるユダヤ人との関係史を簡潔に述べている。

本社 そうなると、フリー・メーソンはユダヤの世界攻略の別働隊になって来る。結局蒋介石はユダヤに利用されておるということになり、支那事変を解く鍵もユダヤ問題でなくてはならなくなる。一体彼等が支那―東洋に乗込んで来たのは何時頃からですか。

浜野 歴史的のあれから言うと西暦前三世紀頃支那にユダヤ人が来たことが書いてあるのですが、その後ずっと後になって河南省開封にユダヤ人が建てたシナゴーグ(教会)が約三百年位続いて、全く他の支那人とは結婚しないでユダヤ人だけの血族結婚をして、ユダヤのセツルメント(居住地)を作ったと云う歴史が残っておる

今でも開封に行くと、その当時の石碑が残っていて、ユダヤ人の慣習を保持している。例えば割礼をやるとか、その他のユダヤ人の習慣を守っておるために、あそこで藍帽回子と言われ、異教徒ということは知らないでおるが、当時のユダヤ人が最近まで残っておるという事実がある。
これと今日発展しておる我々が今日言うユダヤ人とは大分変ってはおるのですが、歴史の上ではそういうユダヤ人が古く支那に来たという事実が残っておる。

そうしてその後に来たユダヤ人が今の印度から来たサッスンの如きも、インドに持っておる三十億の資本の三分の二を支那に移したというのが近世の歴史のユダヤ史である。

更に別の意味において今度のヨーロッパ大戦でユダヤの避難民あれが今日楊樹浦(ようじゅほ:上海市楊浦区の一地域名)に入っておる

今日支那におけるユダヤ人は三つに区別しておる、開封に来たもの、それから印度から移って来たサッスンのような今日の既成財閥となっておるユダヤ人、更にドイツを逐われた最も多数の三万以上の避難民、こう三つに区別してよいと思う…
『神戸大学新聞記事文庫』人種問題3-49

 Wikipediaによると、十七世紀初めにキリスト教布教のため中国に渡ったイエズス会宣教師のマテオ・リッチは、開封出身のユダヤ人に出会い、その後イエズス会士が調査の為に開封を訪れると、彼らのコミュニティには禮拜寺と呼ばれるシナゴーグ(教会・集会所)が存在し、豊富な宗教文書を有していたという。しかしながら一八六〇年代にシナゴーグが破壊され、以後コミュニティは消滅していったようだ。今でも開封市にはユダ人の子孫であると主張する者が五百から千人ほど存在するが、ユダヤ的な習慣を実行している者は四、五十人程度だという。
 次に上海の租界で強力な経済力を持っていたサッスーン財閥(ユダヤ系)と結びついて中国経済を牛耳っていた浙江財閥に話題が移る。浜崎氏は以下のように解説している。

浜崎 …浙江財閥は既ちサッスンの資本への恊力に依って動いておるのだということを言われておる位でして、サッスン銀行と国民政府というような関係が極めて密接なものになっておるわけです。そのサッスン銀行とそれからイギリス系の対支輸出商社組合というものが更に支那の重慶銀行の中国農民銀行、中国銀行に関係を結び、それが間接に香港上海バンク或はバンコックのイングランド銀行というものに結び付いて、その別働隊として働いておるのが支那政府の重慶側中国建設委員会となって、今日の政権の財閥方面を掌握していた事実から見ても、今日の支那事変というものがユダヤ人と最も密接な関係にあるということは見逃すことは出来ない。…中略…

突き詰めて行くとやはりフリー・メーソンが、更にその奥にユダヤというものが動いておる。サッスンが何時もニューヨークに行き、インドに行って言っておることを聞くと、日本の問題について最も深い関心を持って、それに種々な批判を加えておるということも、やはり彼等が如何に日支事変というものに大きな関心を持っておるかということが分ると思う、それがまあ……現代になってのユダヤ人の上海における暗躍と云うか、動きですね。

 当時のわが国に対し風当たりが強かった背景を突き詰めていくと、ユダヤ人の動きがあることを指摘する知識人は当時数多く存在したのだが、戦後は「ユダヤ人問題」を話題にするだけで「陰謀論」のレッテルを貼られ続けて、いつの間にか誰もこの話題をしなくなってしまった。少なくとも、戦前戦中では、このように論じられていたことを知らなければ、わが国が第二次世界大戦に巻き込まれた歴史を正しく理解することは出来ないと思う。

日本とドイツを標的にしたユダヤ人

 世界の統一支配を狙うというユダヤには軍隊が存在しないので自らは戦えない。そんな彼らが世界支配するためには、情報戦・宣伝戦などで工作活動をして世界の国々の対立を煽り、大きな戦争に何度も巻き込んで疲弊させることしか方法がない。しかしながら、このような工作を行っても効果が乏しい国が存在した。国民が一致団結して戦おうとする国では分断工作が効きにくいのだ。

本社 日本が満洲国を盛立てて行くということはイギリスとかアメリカとかユダヤ系の国家にとっては非常な癪の種なのですネ

浜野 ユダヤ人の国際主義がこれと対立的の国家主義及び国家思想を破壊するということになると、今日一番国家思想の強いのは日本とドイツなので、ドイツを逐われたユダヤ人がドイツに対して最も含むところあると同時に、日独伊軍事同盟からしても将来ユダヤの国際主義を樹立するのに一番邪魔になるのは日本ですから。
彼等は日本国民を堕落させ、日本を国家主義から国際主義に移すということに最も目標を置いておるところだと思う。

 最近になって欧米で「反グローバリズム」の政党が勢力を急拡大し、わが国でも同様の動きが生じているが、戦前・戦中の言い方をすれば「反ユダヤ」的な動きが全世界で拡大しているが、わが国では一歩も二歩も世界の動きから遅れていると言えばよいのだろうか。

 わが国とドイツは「日独伊三国同盟」における同盟国であったのだが、同盟が締結されるかなり前からユダヤに近い人材を支那に送り込んでいた事実がある。

本社 フリー・メーソンの一員として蒋介石の、重慶政府の対ユダヤ政策で、何か表面に現われたものはないですか、支那事変なんかと関係があって

浜野 重慶政府はユダヤのことは呑み込んでいても一つも外に出さないのではないか

長谷川 事変前には外国の顧問というようなものが、前の国民政府の中に三百人位入っており、その三百人の連中が活躍しておった。これは今から考えて見るとユダヤ人ならざるドイツ人その他の国民なんかがおったのですが、これなどもユダヤ的色彩のかなり濃厚なものが多かったのではないか

 長谷川氏はここで具体名を挙げていないが、蒋介石はドイツから軍事顧問を招聘していた。以前このブログで書いたが、五代目のドイツ人の軍事顧問団長のファルケンハウゼン中将は、蒋介石に繰り返し対日戦を主張し、盧溝橋事件(1937/7)から南京陥落(1937/12)、黄河決壊事件(1938/6)などは、この人物が顧問団長であった時代に起きている。ドイツからは帰還命令が出ていたのだがファルケンハウゼンらはそれを拒否している。ファルケンハウゼンが蒋介石に別れを告げたのは六月二十七日だが、帰還命令を拒否して残ったメンバーがその後の中国軍の指南役となったことは容易に想像できる。
 ファルケンハウゼンが帰国した後、一九四〇年に日独伊三国同盟が締結されわが国はドイツの同盟国となったのだが、驚くべきことにファルケンハウゼンはヒトラーの暗殺計画に参加したことを付け加えておくが、このような史実は戦後のわが国ではタブーにされている。詳しくは次の記事を参考にしていただきたい。

イギリス権益に巣喰うユダヤ財閥の力

 次に司会は上海におけるユダヤの経済力について満洲国上海総領事館の今島凡骨氏に発言を求めている。

今島 在支経済を支配しているイギリスの経済力はこれを構成する民族資本的見地から見れば大体ユダヤ系資本とスコットランド系、つまり、純イギリス系資本とに二大別出来る。前者は主として香港上海銀行の傘下にサッスーン財閥を中核とするセファルジム派ユダヤの大コンツェルンで、後者は麦加利有利の二銀行を中心とする恰和、太古の両財閥である。

 然しこれが決定的経済力を有するものは、素より前者で、イギリス在支権益約四十億元(事変前の調査)と称される三分の二は、挙げて前者の投資に掛っていると云う事実に依っても瞭かである。

 今ユダヤ財閥の中核サッスーン財閥の関係企業を瞥見すれば、一方香港において香港上海銀行に資本参加すると共に他方上海においてはE・D・サッスーン洋行が「テビット・サッスーン」洋行を組織し、これを通じて中国建設銀公司、揚子江銀公司と連携し、一方又中国農民銀行に出資して浙江財閥と包合し、更にその他の各企業においても支那土着資本と殆ど反間的に連繋している。

 而して上海における金融関係を見るにE・D・サッスーン銀行を中心に、中国国際投資信託、アーノルド信託及び揚子江銀公司と関係して上海における信託を左右し、不動産方面に在っては華懋洋行、中央地産及び□広地産を擁して首位を占め、貿易部門に在ってはアーノルド洋行が中心となって恰和洋行につぐ勢力を有している。 而して上海における公共事業に至ってはサッスーンの関係なきもの絶無と云う実情である。

 このように、支那におけるイギリスの権益の大半はユダヤ系資本が絡んでいて、特に上海に於いては金融、不動産、貿易および公共事業などでユダヤ系資本が圧倒的な存在感を有していた。

ドイツから大量のユダヤ難民が上海に流入

 ナチス・ドイツのユダヤ人を迫害したことは有名だが、そのために三万以上のユダヤ避難民が上海に殺到した。なぜ大量の避難民たちが上海に向かったのだろうか。浜野氏は次のように解説している。

浜野 このユダヤの難民が最近ドイツを追放せられて来たかということで、一番彼等に有利なのは、ドイツ、オーストリー等における支那の総領事がユダヤ人の支那行に対して容易に査証を与えたことです。
それは蒋介石政府の財政救護のために、本国政府から在外公館の経費支弁にも窮しておるので、手数料さえ出せば収入第一主義で査証を与えて呉れる。即ち一人当り五千マルクの手数料で査証が取れるいうので手続の面倒な国へ行くよりも支那へ多数のユダヤ人が来るようになった。
第二の理由として彼等の民族性からいって米国に行くには生活費が高いし、渡航条件が困難である、といってフィリッピンやミンダナオに植民地を作るということは彼等の民族性からいって困難で結局支那へ来ることになった。
第三の理由は支那においては他の諸国におけるような差別待遇とか迫害を受けないので、上海が彼等に取っては楽園であるという点でありましてこの点についてはセシル・ローズという人が書いた「ユダヤ民族小史」に全亜細亜においてユダヤ居住地域として不便のないのは支那とインドであると書いてあります。…中略…

ユダヤ人から言いますと、上海というとこは、最も望ましいところであり、殊にユダヤ人の往くところは必ず大都会であった。彼等の目標とするところはアメリカでもニューヨーク、シカゴというような都会であり、上海はユダヤ人に取っては適切な国際都市であるということが此処に来だした理由であると思う。 

 彼らは装飾品など手廻り品は持っていたが所持金は少なく、上陸早々生活に困窮し、救済委員会で収容所を建設し、難民救済の為にビクター・サッスーン卿が巨額の寄付をして難民救済に当たったという。しかし彼らの収容者は日本軍の占領地域にかなり近い場所が多かったようだ。ユダヤ人は国家主義を破壊し国家思想をぶち毀すことを目的にしておる国際主義の思想の持主であり、陰謀のやり手であるユダヤ人が日本に一番近い、而も皇軍の占領地区に彼等が永住するということは非常に危険なことであるのだが、実際に多くのユダヤ避難民が集中したことで様々な問題が発生していた。

 それが旅行者とか或いは一時的の見物視察者というような意味であるならば問題ないが、此処を永住の地として一船で九百人も殖え今日では三万何千となり、支那における外国人として日本に次いで第二の多数を占めたということは最も警戒しなければならぬことではないかそれも普通我々が考えている第三国人でなくして、ユダヤ人というものの民族性、彼等の性質を知る時において、これは最も油断のならぬものであります
 ナチスの人の話でありますが、上海に来ておるユダヤ人はこれはドイツにおいても最も性質の悪い犯罪的素質を持った者が多いのだということを言っております。これは楊樹浦行のバスの中に多く掏摸(スリ)があったとか、最近犯罪が頻繁に行われるというようなことも楊樹浦における難民ユダヤの素質からいって当然なことだと思う。

 それからもう一つこれは先程の宣伝の問題に繋り話は一寸横道に外れますが―当地の英字新聞はドイツを追われた難民ユダヤが犯罪をした時には決してユダヤ人が悪いことをしたと発表しない、ドイツの移民が掏摸をしたとか何とか必ずドイツ移民という字を使用して、恰もドイツ人が悪いことをしたような印象を与えておるのですが、一度び何かユダヤ人が善い事をしたというような場合にはジュー、ユダヤ人という字を使っておる。如何に宣伝というものに気をつけておるかということが分る、悪い事をした時には決してユダヤ人ということを言わない、Jという字が附いておるのはパスポートだけですが、それをユダヤ人とせずにドイツ移民というように悪名を宣伝の一つとして使っておることもやはり我々記憶に止めて置く必要がある

 斯ういうようなユダヤ人が今日三万人以上も楊樹浦に巣喰っておる、そうして彼等が何をやるか、恐らく彼等のやることは決して労働はしないのですから先ずカフェーを開店するとか、或は音楽家になる或は洋服の生地を売って歩くとか、ぶらぶらして何か仕事にありつこうとしておる、手足を労せずして金を儲けることを考える

 ユダヤ人は手足を動かさないで儲けることを考える民族であり、上海では特に犯罪的素質を持ったものが多く入り込んでいて、さまざまな犯罪が頻繁に起こるようになったという。またユダヤ人が支配していたメディアは、ユダヤ人が起こした犯罪はユダヤ人を犯人とは報道せず、ドイツ人が悪いことをしたような報道をしていたという。今のわが国のマスコミも同様な問題が起きているように思う。

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