『日露戦役の思ひ出』を読む~~日露戦争に関するGHQ焚書3

日清戦争・日露戦争

 かつて陸軍省の中に「つはもの編輯部」という部署があり、兵士や国民向けに、兵士の書いた文章などを集めた「つはもの叢書」というシリーズ本が昭和8年から12年までに14点が出版され、そのうち3点がGHQ焚書に指定されている。今回は『日露戦役の思ひ出』(GHQ焚書)という本の一部を紹介したい。これまでは日露戦争に出征した日本人の記録を中心に紹介してきたが、ロシア人に焦点を当ててみた。

国交断絶後の駐日ロシア公使・ローゼンの帰国に対する対応

 満韓に対する侵略の意図を隠さないロシアに対し、伊藤博文や桂首相はなんとか外交による解決を図ろうとしたが交渉は進展せず、明治三十七年(1904年)一月六日にはロシアから最後回答のようなものが届き、いよいよ開戦が避けられないような状況となった。
 ロシアは既に対日作戦計画を立案して裁可を得、旅順ドックの竣工と同時に日本に対して戦争を始めるとの情報が二月一日に入り、その翌日には、ロシアの極東艦隊が旅順を出港したという重大情報が入り、ことここに至って桂首相は元老らとも謀り、御前会議を奏請して開戦が決議され、二月六日に外務大臣小村寿太郎は当時のロシアのローゼン公使を外務省に呼び、国交断絶を言い渡し、同日、駐露公使栗野慎一郎は、ラムスドルフ外相に国交断絶を通知している。

ロマン・ローゼン

 外務省がローゼン公使に国交断絶を言い渡した時のことがこの書物に記されているのだが、ローゼンがわが国の対応に感激した記録がある。(文中の「男(だん)」は男爵、「子(し)」は子爵の意)

 国交断絶と同時に彼我の使臣は引き揚げた。在東京ロシア公使ローゼン男退京の際に於ける我が官民の態度は実に立派なもので、開戦とともに人心動揺せる折柄にもかかわらず、敵国使臣を遇するに飽くまで礼を尽くした。これを欧州大戦勃発の際に於ける欧州各国大公使撤退の状況に較べれば、実に雲泥の差であった。
 ローゼン公使自身の言葉を借りて、退京当時の光景を偲ぶこととする。

「吾等の出発は二月十一日午後十一時と定められた。この日午前予の年来の親友でしかも同僚たるベルギー公使ダヌタン男は、伊藤侯の使命を帯びて来訪し、候からの依頼であるとて『公職上親しく来たって別辞を述べ得ないことを遺憾とし、他日国交回復の暁、再会の日の速やかならんことを切望する』旨を伝えた。次いで旧友榎本子の来訪を受けた。子は病を郊外に養いつつあったが、存命中に最後の告別がしたいからとて、病を冒して来駕せられたのである。いよいよ当夜十一時になると、馬車数輌と護衛兵の一隊とが、我が公使館に来た。新橋駅および沿道には騎兵部隊堵列し、侮辱または迫害に対し、吾人を保護するためあらゆる警戒処置が講ぜられてあった

 プラットホームには外交団全部のほか、宮中の高官及び夫人が待受けておって、慇懃に別辞を述べた。
 特別列車は夜中に横浜に着いた。この地の警戒もまた東京と同様で、吾等は県庁差し回しの馬車で埠頭まで送られ、無事フランス船に搭乗した

 これ、仁侠なる日本が敵国代表者に対して致した送別の礼である。」

 なおここに特筆すべきは、畏くも、皇后陛下におかせられてはローゼン公使の帰国前日、公使夫人の許に女官を差し遣わされ、御懇篤なる令旨を賜い、御餞別として銀製花瓶一対を下賜せられたことである。夫人は国交断絶の後、なおかくの如き殊恩を拝し、感激措く能わず。涕泣して暫時は奉答の辞を述べることが出来なかったということである。 

陸軍省つはもの編輯部 編 『日露戦役の思ひ出 : 史談插話 つはもの叢書 6』つはもの発行所 昭和9年刊 p.5~7

 文中の「榎本子」は明治七年から十二年まで駐ロ特命全権公使を勤めたのち逓信大臣、外務大臣などを歴任した榎本武揚(子爵)で、ローゼンは榎本が公使であったころから別懇な間柄にあった。榎本は既に老体でかつ病に冒されていたのだが、病床を抜け出して、田舎からわざわざローゼンに会いに来たのである。

 ローゼン公使が「武士道日本の見送り」に感激した話は、彼自身が著した備忘録『外交四十年』に書かれていて、前回紹介した時事新報社 編『日露戦争を語る. 外交・財政の巻』(GHQ焚書)に、日露戦争に至る過程を記した部分が訳出されているが、こちらの文章の方がローゼン、および夫人の感激ぶりがよくわかる。

ロシア俘虜の処遇

 日露戦争におけるロシア軍の捕虜は七万九千三百六十人もいて、明治三十九年二月に全員の引き渡しを行ったという。それまでロシア軍の捕虜をどのように処遇したかが本書に記されている。

 ヘイグ条約や赤十字条約によって、これ等多数の俘虜の銘々票を作って一々ロシアに知らせ、宗教の自由や死者に対する礼遇などを厚くし、彼らの名誉と健康の保持に勤めたわが当局の苦心は実に一通りではなかった

 収容所は明治三十七年三月開設された松山を最初に、丸亀、姫路、福知山、名古屋等、戦局の進むにつれて全国にわたって二十九箇所を開設した。

 俘虜の中にはいろいろの言語を慣用する種族があって、最初はリトア語、コーカス語、フィンランド語、ヘブリュー語等まちまちで信書の検閲に非常に骨が折れたので、ロシア語、ポーランド語、フランス語、ドイツ語、英語等に制限することとした。

 俘虜将校中のある者は火に炙り出して読む手紙を出した。ある者は写真の台紙に秘密の文字を記しその上に写真を貼付したのを発見されて、いずれも大目玉をくった。

 俘虜の中に無筆の者が沢山あったので、郷国の家族たちに直接通信させるためと、抑留中の苦痛を軽減のために、教育のある俘虜を教師として文字無き者に文字を学ばせた。目に一丁字も無かった多数の俘虜は進んで勉強し、遂に自ら手紙を認(したた)めて本国の家族に通信するようになったので、その父兄たちは夢かとばかり驚喜して我が官憲の厚意を感謝してきたという。

 しかし俘虜将校中には随分情けないのがおった。鴨緑江の戦で沢山な俘虜を獲たが、ある夜一俘虜将校は寒さのあまり同じ俘虜兵卒の防寒外套を剥ぎとり自分一人安眠を貪った。そしてその兵卒は震えながら寒い一夜を過ごしたということである。

 また第四軍方面の一俘虜将校は「自分は将校であるから他の兵卒と同様の待遇を受けるのは心外である。それで食事の時は玉子とブランを付けてくれ」と申し出たので「日本軍は君たちに対し精神的の尊敬するが、給養は将校でも兵卒でも皆同様である。一旦日本軍の手に入った以上は君も日本軍の将校同様の取扱いで満足せねばならぬ」といってしかりとばしてやったら一言もなかった。(後の一項は故上原元帥による)

『日露戦役の思ひ出 : 史談插話』p.96~98

 日露戦争の俘虜の扱いについては、わが国はおかしなことはしなかったのだが、第二次大戦後にシベリアに抑留された日本人は約五十七万五千人に上り、厳寒環境下で満足な食事や休養は与えられず苛酷な労働が強要され、約五万八千人が死亡したと言われている。このソ連の行為は、武装解除後の日本兵の家庭への復帰を保証したポツダム宣言に反するものであった。

敵将クロパトキンの懺悔

 日露戦争開戦直前にロシア満州軍総司令官に任命されたクロパトキンは、日露戦争で連戦連敗し、奉天会戦に敗れてその責任を取らされ、降格処分されている。本書の最後に、クロパトキンが戦後に、ロシア軍の敗因について述べている部分が引用されているので紹介させて頂く。

アレクセイ・クロパトキン

 わが全ロシアの国民は、戦前に於いて開戦に不満であったが、戦争中も同様に不満であった。幾多の将校下士兵卒が、戦線に立っていても、国民は後援するどころか至極冷淡であった。それでも、平民中には多少従軍を志願したものもあるが、貴族、商人、学者など上流の子弟の輩は、極力これを避けていた。わが数万の学生中、医学生を除いては、従軍を志願したもの僅か数名に過ぎない。そこへ持って来て、革命党は軍隊の威信を傷つけようとして、盛んに宣伝をなし煽動をした。従って列車に投じ数日の行程を経て、満州の野に到着した兵士たちの中には、ここは何れの国の領土で、してまた自分たちは、何の目的のために、いずれの国と戦っているのか、それさえ知らぬものが多かった。国民は国民で、九千露里の異郷で戦い続けている同胞を放りぱなしにして少しも顧みなかった。これで日本に勝てる道理はない。(クロパトキン回想録より)

同上書 p.119~120

 クロパトキンは「革命党は軍隊の威信を傷つけようとして、盛んに宣伝をなし煽動をした。」と書いているが、旅順攻略戦で日本軍が勝利したのち、一九〇五年一月二十二日にロシア帝国の首都サンクトペテルブルクで、約六万人の労働者が皇帝に憲法制定会議の招集、労働者の権利保障、日露戦争の中止などを訴えて行進していたところ、軍隊が発砲して多数の死傷者を出している(血の日曜日事件)。その後反政府運動と暴動がロシア帝国全土に飛び火し、六月には戦艦ポチョムキンで水兵が士官を射殺する叛乱が起きるなど、全国で労働運動・革命運動が活発化し、多くの政治家・官僚らが暗殺され、帝政は危機的な状況に陥った(ロシア第一革命)が、一九〇七年六月にストルイピン首相就任後に革命家は弾圧され、西ヨーロッパに逃れていったという。
 奉天会戦や、日本海海戦はロシア第一革命が行われていた最中の戦いであり、兵士の中には将校の命令に従わない者がかなりいたのではないだろうか。

「つはもの叢書」のリスト

 「国立国会図書館デジタルコレクション」に「つはもの叢書」が14点登録されており、そのうち3点がGHQに焚書処分されている。タイトル欄で*印を付して太字表記した本はGHQ焚書である。

タイトル著者編者出版社国立国会図書館URL出版 
嗚呼六烈士 : 史実物語 
つはもの叢書5
陸軍省つはもの編輯部つはもの発行所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1109971昭和9
或る兵の手記
つはもの叢書7
陸軍省つはもの編輯部つはもの発行所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1110174昭和9
皇軍の精華 : 美談
つはもの叢書3
陸軍省つはもの編輯部つはもの発行所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1111138昭和8
支那事変恤兵佳話
つはもの叢書
陸軍省つはもの編輯部つはもの発行所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1111738昭和12
*支那事変戦争美談
つはもの叢書
陸軍省つわものつはもの発行https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1110726昭和12
笑倒兵 : 川柳漫画
つはもの叢書別冊
陸軍省つはもの編輯部つはもの発行所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1111365昭和8
血の叫び
つはもの叢書1
田中軍吉つはもの発行所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1137996昭和8
*日露戦役の思ひ出
つはもの叢書 6
陸軍省つはもの編輯部 編つはもの発行所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1110524昭和9
日本兵の詩
つはもの叢書10
陸軍省つはもの編輯部つはもの発行所デジタル化されているが
国立国会図書館限定公開
昭和9
兵営の横顔 : 異聞と秘話
つはもの叢書4
陸軍省つはもの編輯部つはもの発行所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1457925昭和9
兵士と母
つはもの叢書8
陸軍省つはもの編輯部つはもの発行所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1080578昭和9
無言の三十年 : 小林・向後両勇士物語
つはもの叢書12
陸軍省つはもの編輯部つはもの発行所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1110875昭和10
*名将片影
つはもの叢書 2
金子つはもの発行所国立国会図書館/図書館・個人送信限定昭和8
籠城物語
つはもの叢書11
陸軍省つはもの編輯部つはもの発行所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1111742昭和9
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