修学院離宮を訪ねて

京都

1.修学院離宮等の参観手続き

ずいぶん昔の事だが、修学院離宮や桂離宮などを参観するには、往復はがきを書いて、抽選結果が届くまで待つしかなかった。今では宮内庁のホームページからネットで簡単に申し込めるようになっており、随分便利になっている。

宮内庁 オンライン参観受付システム 参観希望場所の選択

上記URLの画面から参観希望場所「修学院離宮」を選択し、次に参観希望月を選択する。そうすると、どの日のどの時間帯が空いているかが一目瞭然である。

あとは開いている時間帯の中からから参観したい日時を選択し、参観希望の代表者の名前や住所、メールアドレス、年齢、性別、参観者数、同行者情報などの入力を完了すると、問題がなければ1~3日程度で参観許可通知がメールで届くのでそれを印刷しておく。

修学院離宮の場合は、1日5回の案内があり、1回当たりの定員は50名なのだが、毎日昼の13:30、15:00スタートのコマは各35名の当日枠を設定しているので、早く受付終了となる可能性が高い。大勢で行く予定を立てる場合は、午前中のコマの方が取りやすいと思われる。

参観当日は、参観代表者の許可通知と本人確認資料(免許証など)の呈示が求められる。参観許可通知の印刷環境がない場合は、そのメールに記載されている参観許可番号が必要となる。

昔ながらの往復はがきによる申し込みも可能である。詳しくは宮内庁のホームページで確認願いたい。

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案内開始20分前から受付が始まり、チェックが終わると、案内が始まるまで参観者休所で案内ビデオを視聴しながら待つことになる。

修学院離宮はかなり広く、アップダウンのある苑路を約3km、職員に詳しく案内していただきながら歩くことになる。所要時間は1時間15分程度で、写真撮影は自由にできる。

2.アクセスについて

車で行く場合は、修学院離宮には駐車場がないことに注意が必要である。

離宮入口から100m程のところに「りっきゅうさんパーキング」という名の10台程度駐車できる民間の駐車場があるが、空いているかどうかは運次第で、そこが満車の場合は、どの駐車場も結構離れているので、どこを選んでも10~15分程度を歩く覚悟が必要となる。

私は早めに到着して「りっきゅうさんパーキング」に駐車できたが、私が駐車したのが最後の一台分であったので、少し遅れれば、別の駐車場を探すのに苦労するところであった。

公共交通機関で行く場合は、京都駅から、あるいは四条河原町から京都市営バス(5番:銀閣寺・岩倉行き)に乗って修学院離宮道で下車して坂道を15分程度歩くことになる。

バスの渋滞による遅延を避けたい場合は、市営地下鉄烏丸線・国際会館行きに乗り松ヶ崎で下車して、徒歩約27分で到着するか、タクシーを拾うという選択もある。

3.修学院離宮の歴史

修学院離宮は明暦元年から二年(1655~1656年)にかけて、後水尾上皇によって造営工事が起こされ、万治二年(1659年)頃に完成した山荘である。

庭の造営は江戸幕府が担ったのであるが、後水尾上皇みずからが造園を指図したことが記録に残されている。

江戸中期に摂政関白太政大臣であった近衛家熙(いえひろ)*の言行を、その侍医であった山科道安が記した日記である『槐記(かいき)』の享保十九年二月二十四日の記録によると、近衛家熙は修学院離宮の庭を見てこう述べたという。

*近衛家熙の母は後水尾天皇皇女常子内親王

「あれこそ御亭を始め、御庭の一草一木に至るまで、悉く後水尾様の御製なりと仰せられる。」

国立国会図書館デジタルコレクション

上皇は雛形を作り、草木を始め捨て石、踏み石に至る迄、それぞれ土にて形を作り、それを所々に置いて見て、格好の良いように工夫をしたとあり、庭づくりに上皇の強い関与があったことが記されている。

後水尾上皇は延宝八年(1680年)に85歳で崩御され、しばらく御幸が途絶えて山荘が荒れていったというが、文政七年(1824)に、十一代将軍徳川家斉の援助により大規模な修理がなされ、現在の建物の大半はこの時期に修復されたものである。

修学院離宮は上・中・下の三つの離宮(御茶屋)からなり、上離宮背後の山、借景となる山林、それぞれの離宮を繋ぐ松並木とその両側に広がる田畑で構成され、総面積は54万5千㎡を超える雄大なものである。

4.下離宮

最初に訪れるのは山麓の下離宮である。

庭園を鑑賞しながら苑路を進むと、後水尾上皇が御幸した際の御座所であった壽月観(じゅげつかん)がある。

壽月観は文政年間に再興されたものだが、一の間に掛かる「壽月観」と書かれた扁額は後水尾上皇の宸筆だそうだ。

一の間は十五畳で三畳の上段が設けられ、襖絵は岸駒(がんく)による虎渓三笑*(こけいさんしょう)の絵が描かれているという。

*虎渓三笑: 中国の東晋の高僧の慧遠は、廬山の寺にこもって、虎渓よりも外に出ないと誓っていたが、詩人の陶潜と道士の陸修静を見送るときに話に夢中になり、虎の吠える声で虎渓を超えてしまった事に気づき、三人で大笑いしたという故事。

下離宮の東門を出ると視界が大きく開けて、比叡山から東山、北山の山並みが一望できる。遠くに写っている山が比叡山である。

5.中離宮

中離宮は創建当時にはなかったものであるが、後水尾上皇の第八皇女光子(てるこ)内親王のために建てられた山荘が、上皇崩御の後に光子内親王が落飾得度してこれを林丘寺(りんきゅうじ)となされ、明治十八年になって楽只軒と客殿、切手御門(現南門)等を林丘寺から引き継いだものである。

林丘寺は中離宮に隣接して今もあるが、一般には公開されていない寺院である。

客殿の一の間の飾り棚は、ケヤキの棚板を少しずつ変化させて霞たなびくように見えることから霞棚と呼ばれ、桂離宮の桂棚、醍醐三宝院書院の醍醐棚とともに天下の三棚と称されているそうだ。

6.上離宮

上離宮の御成門を入ると急な石段が続き、頂上に隣雲亭があり、振り向けば眼下に浴龍池と、その奥に洛北の山々が見渡せる。

左には京都市内の街並みが広がり、西山の峰々が望まれる。画像の右奥の山は愛宕山である。

隣雲亭から浴龍池に向かう。上の画像は浴龍池に二つの中島を結ぶ千歳橋である。

楓橋を渡ると中島の頂上に窮邃亭(きゅうすいてい)がある。この建物は文政年間に修復はされているものの、創建当時の建物で現存する唯一のものである。

「窮邃」の扁額は、後水尾上皇の御宸筆である。

浴龍池は御船遊びをなされた場所であり、島々を廻りながら管弦や詩歌の会などが催されたという。

浴龍池の西側から土橋と千歳橋を撮ったものだが、このあたりの紅葉を是非観たいものである。

上中下の三つの離宮は松並木でつながっているが、昭和三十九年(1964年)に修学院離宮全体の景観保持のために周囲の八万㎡に及ぶ水田や畑を買い上げて付属農地とし、農地は従来の持ち主に継続して耕作をお願いしているのだそうだ。

文化財は建物と庭だけが残れば良いものではないことは言うまでもない。伝統的な景観を守るためには、その周囲の景観も保全することが不可欠なのだが、それには国や地方公共団体の関与が不可欠である。

修学院離宮に限らず、他の国宝や文化財指定の建物の周囲も、歴史的景観が台無しになる前に、何らかの対策をとっていただきたいものである。

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