毎年桜の咲く頃には地方の桜を見にいくのだが、あまり有名な桜の名所は観光客が多すぎるのでなるべく避けるようにしていて、静かに桜を楽しめそうな古い寺や神社を選んで旅程を立てるようにしている。今年は徳島の古刹を中心に訪ねて来た。
大日寺
徳島県には四国八十八ヶ所霊場のうち二十三ヶ所が存在しており、その中から桜が楽しめそうな寺をいくつか選んで巡ることにしたのだが、旅行中に「お遍路さん」を見て驚いたのは、歩き遍路の半分ぐらいが西洋人であったことだ。以前四国を訪れた時にはほとんどが日本人であったと思うのだが、数年前からの世界的な日本ブーム・巡礼ブームに乗って四国遍路の国際化が進んでいるようだ。
最初に訪れたのは大日寺(徳島県板野郡板野町黒谷字居内28)。弘仁六年(815年)に弘法大師が大日如来像を彫造し大日寺を開山したと言い伝えがある寺で、四国八十八ヶ所第四番の札所である。

本堂は慶安二年(1649年)の建立。本尊は室町時代制作の大日如来で、住職交代期にのみ公開される秘仏なのだが、平成の大修理が行われた際に本尊も修復され、例外的に九年前に御開帳されたという。

大師堂は文久三年(1863年)築。本尊は弘法大師。本堂から大師堂には回廊が繋がっている。

本堂から大師堂を繋ぐ回廊には、江戸時代中期に信者が奉納したという三十三体の西国霊場の観音菩薩像が安置されている。
地蔵寺
次に訪れたのは四国八十八ヶ所第五版札所の地蔵寺(徳島県板野郡板野町羅漢字林東5)。寺の開基は弘仁十二(821年)で、この寺も空海(弘法大師)が将軍地蔵菩薩を自ら彫像し本尊として開創したと伝えられている。またこの寺の本堂、不動堂、太子堂、経蔵、五百羅漢堂は何れも国の登録有形文化財である。

山門を入って行くと右には樹齢八百年を超えるといわれる「たらちね大銀杏」がある。

地蔵寺の本尊が将軍地蔵であることから源義経などの武将の信仰が厚かったと言われている。かつては伽藍の規模も大きく二十六の塔中寺院があり、阿波・讃岐・伊予の三国で三百余りの末寺があったのだが、天正十年(1582年)の長曾我部元親の兵火にて焼失し、江戸時代になって徳島藩主蜂須賀氏の庇護を受け、歴代住職や信者の尽力により再興されたという。

地蔵寺の本堂の裏に奥の院に続く道がある。上の画像が奥の院で五百羅漢堂とも言われる。釈迦堂を中心に大師堂と弥勒堂を対面してコ字形に配し、この間を回廊が繋がれている。

回廊には五百羅漢像が安置されている。五百羅漢とは釈迦に付き従った五百人の弟子のことで、阿羅漢とも呼ばれている。地蔵寺の五百羅漢は江戸時代後期に製作されたが、残念ながら大正時代の火災で半数以上が焼失してしまい、残された羅漢像が安置されている。
大山寺
次に訪れたのは四国別格二十霊場第一番の大山寺(徳島県板野郡上板町神宅大山14-2)。寺伝によると六世紀前後、武烈天皇・継体天皇の時代に西範僧都(せいはんぞうず)が開基した阿波国最初の仏法道場であるという。また寿永三年(1184年)に源義経一行が平家討伐の折に当寺で必勝祈願したと伝わっている。
大山寺の本堂、大師堂、回廊、鐘楼門はいずれも国登録有形文化財で、境内の枝垂銀杏、大杉が上板町の天然記念物である。また江戸時代後期の天保二年(1831年)に寺近くの経塚で発見された銅製の経筒が国の重要文化財に指定されている。

この寺では毎年一月第三日曜日に「力餅」と呼ばれる大鏡餅(86kg)を乗せた三方(合計169kg)を抱えて歩く距離を競う行事が行われている。この行事は四百年以上の歴史があるという。
安楽寺
次の訪問先は四国八十八ヶ所第六番札所の安楽寺(徳島県板野郡上板町字寺の西北8)。寺伝によれば弘仁六年(815年)に現在地よりおよそ二キロ離れた安楽寺谷に、空海(弘法大師)が堂宇を建立し薬師如来を刻んで本尊としたが、戦国時代に長宗我部元親の兵火により焼失し荒廃し、万治年間(1658年 – 1661年)に現在地に再建されたという。

山門は龍宮門形式で上層が鐘楼になっており、左右に仁王像が安置されている。

本堂の前に接続された前屋根は金剛宝拝殿で、欄間には空海の一代記が彫刻されており、屋根には鳳凰がある。本堂の本尊は薬師如来で、昭和三十七年に信者が奉納したものだという。

入母屋造茅葺の安楽寺方丈は江戸後期の建物で、内部の上段の間は藩主の座所であったそうだ。この建物は国の登録有形文化財である。

多宝塔の内部には京都の仏師・松本明慶師作の五智如来が祀られている。
また、この寺には宿坊があり、割安な価格で宿泊できるだけでなく、境内の大師堂前から湧出する温泉もある。四国八十八ヶ所霊場で宿坊を持つ寺は十ヶ所あるのだそうだが、そのうち温泉があるのは安楽寺のほかに五十八番仙遊寺、七十五番善通寺がある。

熊谷寺
次の訪問は四国八十八ヶ所第八番札所の熊谷寺(徳島県阿波市土成町土成字前田185)。この寺は桜の名所として有名で、観光客も多かった。駐車場の近くに多宝塔が見える。駐車場から150mほど南に四国霊場最大の山門(仁王門)が存在しているのだが、撮るのを忘れてしまった。この寺の仁王門、多宝塔、中門、太子堂、鐘楼はいずれも徳島県指定文化財である。

寺伝ではこの寺も空海(弘法大師)が創建し、千手観世音菩薩を刻んで本尊にしたとある。

画像は熊谷寺の中門。持国天と多聞天が両脇に立っている。

本堂は昭和二年(1927年)に本尊と共に焼失してしまい、その後本堂は昭和十五年から再建が開始されたが戦争により中断し、再建され新本尊が開眼されたのは昭和四十六年(1971年)のことだという。
切幡寺
最後に訪問したのが四国八十八箇所第十番札所の切幡寺(徳島県阿波市市場町切幡129)。この寺も空海(弘法大師)が開基したと言われており、天正年間に長曾我部元親の兵火で焼失した後再建され、明治四十二年に再び火災によって大塔以外を焼失した。

山門を抜けると駐車場があり。その右上の段に八大龍王堂、まっすぐ参道を進むと三百三十三段の石段が始まる。山上にも駐車場があるが道幅が狭い急坂でかつ駐車場スペースも狭いので、無理しないことにした。

階段を上りきると、正面奥に本堂がある。本堂には大塔の本尊であった大日如来が奉られ、奥殿には秘仏千手観音菩薩が奉られている。

大塔は、豊臣秀頼が父・秀吉の菩提を弔うために慶長十二年(1607年)に大阪住吉神社の神宮寺である新羅寺の西塔として建てられたものだが、明治初年の神仏分離により新羅寺が廃寺となったことを機にこの地に移築され、昭和五十年には国の重要文化財に指定されている。国内の二重塔の第二層は普通は円形であるのだが、方形という形で現存しているのはこの塔だけなのだそうだ。
桜の名所には数百本の桜が楽しめるところもあるのだが、桜の時期が過ぎれば観光価値が大幅に低下するようでは意味がない。古い寺や神社の多くは桜の木が多くなくてもそれなりに桜を楽しめて、境内だけでなく周囲のさまざまな樹木が季節の移り変わりとともに色を変え、いつ訪れてもそれなりに景色を楽しませてくれる。先人達が守り育てて来た美しい景観を、これからも大切にしていきたいものである。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。よろしければ、この応援ボタンをクリックしていただくと、ランキングに反映されて大変励みになります。お手数をかけて申し訳ありません。
↓ ↓


【ブログ内検索】
大手の検索サイトでは、このブログの記事の多くは検索順位が上がらないようにされているようです。過去記事を探す場合は、この検索ボックスにキーワードを入れて検索ください。
前ブログ(『しばやんの日々』)で書き溜めてきたテーマをもとに、2019年の4月に初めての著書である『大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』を出版しました。一時在庫を切らして皆様にご迷惑をおかけしましたが、第三刷が完了して在庫不足は解決しています。
全国どこの書店でもお取り寄せが可能ですし、ネットでも購入ができます(\1,650)。
電子書籍はKindle、楽天Koboより購入が可能です(\1,155)。
またKindle Unlimited会員の方は、読み放題(無料)で読むことができます。
内容の詳細や書評などは次の記事をご参照ください。


コメント