紅葉の季節に能勢の古社寺を訪ねて~~妙見堂、今養寺、真如寺等

大阪

 今年の二月に大病を患い病院で治療中心の生活が続いて、秋の紅葉季節のドライブ旅行も半ばあきらめていたのだが、検査数字が比較的良好なタイミングで好天に恵まれたので、十一月十五日に日帰りで能勢の古社寺を巡ってきた。

能勢妙見山の山頂の聖地:能勢妙見堂

 最初に訪れたのは能勢妙見山の山頂にある能勢妙見堂(大阪府豊能郡能勢町野間中661)。日蓮宗の寺院で正式名は「無漏山眞如寺境外仏堂能勢妙見山」といい、後に訪れる真如寺(野間町地黄)という寺の飛び地境内にある仏堂なのだが、本寺である真如寺よりもはるかに多くの参詣者が訪れている。

能勢妙見堂の鳥居

 上の画像は能勢妙見堂の境内入り口で、神仏習合時代の名残で鳥居が今も残されているのは面白い。

能勢順次公像

 この鳥居の右横に能勢頼次の銅像がある。能勢頼次は天正九年(1581年)にこの地に為落山城(いらくさんじょう)を築いたが、本能寺の変で明智光秀方についたために、秀吉に所領を没収されてしまう。その後頼次は三宅勘十郎と改名して岡山県の妙勝寺(みょうしょうじ)という日蓮宗の寺に身を隠していたが、関ケ原の戦い(1600年)で奮戦したことが認められ、徳川家康からかつての能勢氏の所領を与えられている。

 妙勝寺滞在中に日蓮宗に帰依し能勢氏再興を願っていた頼次は、それが実現したことで日蓮宗に感謝し、甲斐身延山の日乾上人(にっけんしょうにん)を招いて領内の真言宗寺院などを日蓮宗に改宗させ、この地に北辰妙見大菩薩を祀る能勢氏私有の仏堂として、妙見堂を開基した。

『摂津名所図会』能勢妙見尊

 寛政八年から十年(1796~1798年)に刊行された『摂津名所図会』には、当時は日蓮宗信徒のみならず他宗の信徒も、妙見堂に参詣して賑わっていたことが記されている。

 近年応験新なりとて、京師・大坂及び遠近の貴賤、常に詣して間断なく、厄難病苦に患(うれ)うるもの、ここに籠りて瀧に浴し、嶮路を終日(ひねもす)上下して、法華の題目を唱え、祈願の輩(ともがら)多し。あるいは他門の族(やから)は、百日法華とて、暫く改宗におよびここに詣(けい)す。領主能勢侯も日蓮宗なれば敬仰厚く、領地の村民もまた他門を置かず。当山の繁昌・詣人の賑わい、平生法莚(ほうえん:法会)の如し。

『摂津名所図会』摂津名所図会刊行会 昭和9年刊 p.324
能勢妙見堂に向かう参道の紅葉

 妙見山は紅葉名所で、ハイキングコースを歩けばブナの原生林やもみじ谷など、美しい場所がいろいろあるのだが、妙見堂への参道付近の紅葉は盛りを終えていた。

能勢妙見堂の山門

 上の画像は妙見堂の山門。屋根にある三つの紋章は、能勢氏の家紋である「切り竹矢筈十字紋」である。キリシタン大名として著名な高山右近は、本能寺の変のあと能勢郡三千石を加増され、この地域は一時期高山氏との所領になっていたことから、十字架をかたどった矢筈十字紋を家紋とする能勢氏はキリシタンではなかったかという説があるが、能勢氏と高山氏との関係を示す資料はないという。

 山頂付近に本殿や庫裏、絵馬堂など重要施設が集中している。朝早かったので参拝客はまだ少なかったが、毎日四回の御祈祷が本殿で行われるという。

能勢妙見堂 本殿

 上の画像は本殿で、内陣の御宮殿には開運の守護神である北辰妙見大菩薩が祀られている。普通、寺院には「本殿」や「御宮殿」などという名前は用いられないものだが、能勢の寺には神仏分離が徹底されていないところが魅力ではある。
 「北辰(ほくしん)」というのは北極星を意味する言葉だが、妙見山には星の王様がこの山に降りて来たとの言い伝えがあり、古くから北極星が祀られてきたという。「妙見菩薩」というのは「北極星」または「北斗七星」が神格化された菩薩で、平安時代にこの地の領主となった能勢氏によって厚く信仰されてきた歴史がある。

西日本最大のケヤキの木:野間の大ケヤキ

野間の大ケヤキ

 妙見山から国の天然記念物に指定されている野間の大ケヤキに向かう。幹回りは約14m、高さ30m、枝張り南北38m、東西42mというから大変な巨木で、西日本で最大のケヤキの木とされ、樹齢は千年以上と推定されている。

 案内板によると、この木を中心とする一画の地にはかつて「蟻無宮(ありなしのみや)」という神社の境内であったのだが、この木はそのご神木であったらしい。里人は春先に出る新芽の出具合でその年の豊凶を占ったと伝えられている。

 このブログで明治末期に多くの神社が整理された「神社合祀」のことを書いたが、「蟻無宮」のご祭神は明治四十五年(1912年)に近くの野間神社に合祀されている。その後地域の人々によりこの神木が守られてきた経緯にあるが、「神社合祀」が何のために行われたかについては、以下のリンクの記事を参考にしていただければ幸いである。

今養寺から野間神社、

今養寺

 野間の大ケヤキから北に進み、途中で西に進むと今養寺(こんようじ:能勢町野間西山167)という寺がある。大ケヤキからは1km程度で、車で数分で到着した。
 一般公開はされていないが、この寺には平安時代の木造大日如来坐像(国重文)、木造千手観音立像(大阪府文化財)、木造釈迦如来坐像(大阪府文化財)があるという。かつて大日如来座像が盗難に遭い、2017年に韓国人二人が逮捕されて寺に仏像が戻されたとのことだが、あまり名の知られていない寺が文化財を守るのには大変な苦労があるのだと思う。

今養寺境内の紅葉

 寺につながる道は細く、駐車場もないので近くの空き地に駐車させていただいて、200mほど歩いたのだが、素晴らしい紅葉を静かに楽しむことが出来た。こういう落ち着ける空間で時を過ごすのもいいものである。

野間神社

 今養寺から東方向に1kmほど進むと、野間神社(能勢町地黄399)がある。境内はそれほど広くないが「延喜式神名帳」にも名前の出ている由緒ある神社で、先ほど紹介させていただいた蟻無宮をはじめ領内の九社が明治の末期にこの神社に合祀されたという。古くは社号を「布留宮」「布留社」などと呼ばれていた。

清普寺 本堂と庫裏(大阪府指定有形文化財)

 野間神社から北方向に1kmほど進むと、能勢家の菩提寺である清普寺(せいふじ:能勢町地黄815)がある。この寺の本堂、庫裏、表門、鐘楼は大阪府指定有形文化財となっている。画像左の本堂は元和二年(1616年)の建設で、日蓮宗方丈型の本堂としては府内で最古のものだという。

清普寺の能勢家墓所

 境内に隣接する墓所には初代能勢頼次から代々の当主の墓が並んでいる。落葉の多い季節だが、美しく掃き清められていて、初代の能勢頼次公の墓には花が供えられていた。

真如寺 山門

 次の目的地は、清普寺から2kmほど東にある真如寺(しんにょじ:能勢町地黄606)。冒頭で紹介した能勢妙見堂の本寺である。この寺は能勢頼次が日蓮宗の総本山である甲斐(現山梨県)の身延山から日乾上人を招いて建立したもので、日蓮上人の分骨も行われ、「関西身延」とも呼ばれている。

真如寺 本堂

 上の画像は天明年間に再建された真如寺の本堂で、正面には「関西身延」の扁額が掲げられている。

真如寺の梵鐘(大阪府指定有形文化財)

 上の画像は真如寺の梵鐘で大阪府指定有形文化財なのだが、この鐘には元応元年(1319年)の銘があるという。
 もともとは山城国(現京都府長岡京市)の勝龍寺(しょうりゅうじ)という寺の鐘であったのだが、大坂の陣(1614~1615)の際に金属供出により徴発され、夏の陣が終わると淀川に捨てられたものを頼次が拾って持ち帰り、能勢の布留大明神(野間神社)に奉納した。その後神仏分離のため、明治二十三年(1890年)に当寺に移されたという経緯にある。

真如寺の境内

 真如寺の境内の中に鳥居があるのだが、このように神仏習合の時代の景観を残しているところが能勢の寺巡りの魅力でもある。有名な観光寺院があるわけではなく、小さな寺や神社がほとんどなのだが、どの寺社もきれいに掃き清められいて、昔ながらの風景が残されているところが良い。

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