なぜ日本政府は安重根の凶行とすることで幕を引いたのか~~伊藤博文暗殺3

伊藤博文暗殺

室田義文の証言は何故葬り去られたのか

 前回まで二回に分けて伊藤博文暗殺事件について書いてきた。

 通説では犯人は安重根ということになっているが、安重根が拳銃を撃ったことは間違いないものの、室田義文の証言によれば、安重根の用いた銃の弾丸と、伊藤の体に残された銃の弾丸とは異なり、また伊藤の体に残された弾丸は、右肩を砕き右乳下に止まった一弾と、右肩関節を貫通して臍下に止まった一弾であったという。このことは、安重根が撃った五発の弾はいずれも伊藤には当たらず、伊藤は別の人物によって上方から狙撃され命中したものが致命傷になったことを意味している。

外交官時代の室田義文

 室田義文は詳細な証言記録を残したのだが公式書類から抜き取られて、前回紹介した若狭和朋氏の論文(「伊藤博文暗殺 安重根は犯人ではない」)の表現を借りると、わが国政府はこの事件を「安重根の凶行として幕にした」、ということになる。

 伊藤のすぐ後ろにいて、自らも被弾し、安重根が銃を構えているのを目撃した室田の証言内容は『室田義文翁譚』に書かれている内容に近いと考えられるのだが、かなり具体的で説得力があり、信ぴょう性が高いと思われるのだが、なぜこの彼の貴重な証言が葬り去られることになったのであろうか。

 この点について室田は次のように述べている。

 安重根が真犯人でないとすると、他の真犯人の逮捕をみるまでは、事件は永遠に片付かぬ。引いてはこのことが日露国交上に支障を来すようなことにもなろうやらも知れぬ。そんなことから、山本権兵衛が、それを明らかにすることに反対した。そして結局、この問題は義文の抗議にもかかわらず、わが官憲で口を閉じせしめた。由来三十年依然として謎のまま残されている。しかし、この事件が日韓を一層緊密に結び付け、翌明治四十三年の日韓併合への緒となったことは言うまでもない。

『室田義文翁譚』 p.280

 山本権兵衛は第一次桂内閣の海軍大臣である。室田は、真の犯人はロシア側にあると考えていたようだが、その点を追究することはロシアとの関係を悪化させることにつながるので、外交上の理由から、安重根を犯人とするロシアの主張を受け入れることで幕を引くことにしたと理解していた事になる。

何故伊藤博文はハルビンを訪問したのか

 真犯人を考える前に、何のために伊藤博文がハルビンを訪問したのかを先に考えることにしたい。

 伊藤はロシアのココフツォフ蔵相と面会するためにハルビンを訪れたのだが、当のココフツォフが自身が、何のために伊藤が自分に会いに来るのかがわかっていなかったという。

 伊藤公爵の面会申し込みは、…まったく不意打ちであったのである。で、私はそれを聞くと、いささか面食らった。

 日本政府は、皇帝が私を特に信任せられ、それによって、私が常に国政の枢機に参画しているということをしっていたため、私の今回の旅行の機会をとらえて、露国政府に対して、何事かを提議しようとしたのであろうか。…

 しかし、日本政府が露国政府に対して、いかなる提議をしようとしたのか、その秘密は伊藤公爵がハルビンに着くやいなや、遭難されたため、永遠に謎となってしまった

ココフツオフ著『伊藤公爵遭難の回想 : 伊藤公はなぜ余に会見を求めたか?』森本書院 昭和14年 p.7~8(国立国会図書館/図書館・個人送信限定)

 ココフツオフの著書には触れていないが、その当時日露の懸案事項は満州問題であり、駐日ロシア大使は、その問題が提議されるのではないかと本国に報告していたという。

 満州とは現在の中国東北部を指すが、当時の満州はどんな状況であったのか。

 日露両国は一九〇四年(明治三十七年)から翌年にかけて日露戦争を満洲の地で戦い、日本は戦勝国となり、南樺太割譲、ポーツマス条約で朝鮮半島における自国の優位の確保や、遼東半島の租借権と東清鉄道南部の経営権を獲得したのだが、満州についてはアメリカも清国もロシアも狙っていた地域であった。そして伊藤博文が暗殺されたハルビンは、清国の領土(満州)ではあったが十九世紀末から白系ロシア人が急激に増加していて、ハルビン駅はロシア東清鉄道付属地内であった。そしてロシアは、日露戦争で敗戦後も引き続き満州の権益拡大を狙っていたのである。

 前回記事で紹介した若狭論文「伊藤博文暗殺 安重根は犯人ではない」では伊藤のハルビン訪問の目的についてこう書かれている。

 満州はアメリカ、清国、ロシアがそれぞれ食指を動かしているのだから、最悪の場合、日本はこれら三国と敵対することになりかねないとの不安が伊藤の頭を支配していた。後に満州事変に始まる日本の悲劇は伊藤の不安が的中したものともいえる。

…こうした不安を抱いて、伊藤博文は満州に『最後の御奉公』に出かけていったのである。満州問題の根本的な解決の下準備の方途を探るべく伊藤は満州に出向いたのだ。…

 伊藤とコ蔵相の会見には、何か重要な目的があるものと推測するのは不自然ではない。清国政府はそのように考え、盛んに情報の収集・解析に努めていた。清国側には日露の接近により、将来、満州問題について清国にとって非常な不利益が生じるとの観測が支配的であった。

 そして、伊藤は凶弾に倒れるのである。安重根の『義挙』を愛国至誠の行動とすますのは安易に過ぎると言わざるを得ない。」『歴史通(2010/7号)』p.84

「伊藤博文暗殺 安重根は犯人ではない」『歴史通(2010/7号)』p.84

伊藤暗殺の真犯人はロシアではなかったか

 安重根が使用したブローニング拳銃はベルギーのFN社製のもので、拳銃の製造番号(二六二三三六)から、一九〇六年九月八日に「クンフト社」に販売されたものであることが解っているのだそうだが、この拳銃に関して若狭氏は興味深いことを書いておられる。

 大野芳*氏は次のような事実を指摘している。つまり第一次世界大戦の契機となったオーストリア皇太子夫妻暗殺に使われた拳銃が、同型の次のタイプだというのだ。次からは私の推測である。

 クンフト社ならば販売先はロシア陸軍である。皇太子夫妻を暗殺した犯人は『セルビアの民族主義の青年』だと、高校教科書は書く。

 だが、これは間違いである。犯人たちはセルビア陸軍の青年将校たちであり、レーニンの同志であった。世界大戦を共産主義革命の起点と考えたレーニンはセルビアの国王や閣僚たちをクーデターで殺し、セルビアを制圧していたのである。クーデターを起こした将校たちはレーニンから支給された武器で武装していたのである。
*大野芳:ノンフィクションライター。『伊藤博文暗殺事件』の中にその記述がある。

同上書 p.82

 若狭論文によると当時ウラジオストックには多数の韓国人が居住していて、ロシアの特務機関の影響下にあった「韓民団」という組織が存在していたので怪しいのはロシアだという事になるのだ。要するに若狭氏は、安重根は伊藤博文の真の暗殺者を隠すための存在にすぎず、真犯人はロシア側にいるという考え方であるが、クンフト社によってロシア陸軍に販売された拳銃が、どういう経緯でレーニンに渡ったかについては、この叙述ではよく解らない。

 確かにロシアには不審な点がいくつかある。伊藤公が暗殺された日について『室田義文翁譚』には、まず最初にロシア蔵相ココーフツォフが、伊藤らの乗っていた貴賓車に出向き、出迎えの挨拶のあと二十分程度の会話をし、そして伊藤らにこう述べて下車を促したという。

『時に閣下にお願いがございますが、此処に整列している軍隊は、閣下に敬意を表するため特に差し回されたものであります。特に閣下に、これ等の軍隊の指揮官としての御検閲を願われますならば、非常なる光栄に存じます。』…伊藤は…『平服で軍隊の検閲するのはいかがなものでしょう』と…一応辞退した。が、ココーフツォフが重ねて…伊藤に懇請し…
『よろしい、それでは。』
と言って伊藤は、ココーフツォフの先導により、貴賓車を出て、義文および古谷、中村、川上の随員を随え、プラットフォームに降り立った。

 ホームには軍隊の外に、露支両国の官憲、各団体代表、外国領事官などが待ち構えていたが、伊藤はそれらにいちいち挨拶をし、それがすむとココ―フツォフは部下を連れ、伊藤も随員を随え、相並んで儀仗兵*の前面を右翼から左翼に向かい歩武を進めていったのであった。 
*儀仗兵(ぎじょうへい): 元首・要人などの儀礼・警護を担当する軍隊の一種

『室田義文翁譚』p.268~270

 そして伊藤はロシア儀仗兵を検閲しているところで撃たれているのである。

 事件の日、伊藤をプラットフォームに連れ出したのはロシア蔵相ココーフツォフで、銃撃の時に伊藤のすぐそばにいながら、かすり傷ひとつ負っていない
 また、前述したとおり、事件の起きたハルビン駅はロシア東清鉄道付属地内であり、不審な人物をVIPに近づかせない義務はロシアにあったのだが、ロシア軍や警察が多数いた中で、ロシア兵の間から(股の下からという説もある)、拳銃を持った韓国人を伊藤らのすぐ近くにまで接近させて拳銃を発射させてしまった。そしてロシア軍や警察にも負傷者はいなかった

 さらに、ロシア国境裁判所は、安重根らは韓国人であるから、ロシアに裁判管轄権がないと決定した…。

 直感的にはロシアが関与していた可能性はかなり高そうなのだが、もしそうだとすると、ロシアが伊藤を暗殺する動機は何処にあったのか。若狭氏によると、ロシア皇帝にとって伊藤は許しがたい存在であったという。

 若狭論文のポイントを引用する。

 日露開戦の前には伊藤は日露協商を唱えて、日英同盟に反対の先頭に立っていた。日英同盟を主導したのは山縣有朋や桂太郎であり、日露協商を主導したのが伊藤や井上馨たちである。…

 しかし、…満州のロシア軍の態勢は整うばかりである。日本参謀本部の戦略は、ロシア軍の態勢が整う以前に決戦を臨むことであり、ロシア軍の態勢が整った後には日本には勝ち目はないという判断であった。…明治三十五年(1902年)一月三十日、日英同盟は条約として署名され…た。これはロシアにとっては完全な不意打ちであった

 ロシア皇帝の戦略では、あと二年後に日露は開戦すべきであった。ロシアにしてみれば態勢の整う前に戦いを日本から強いられたものであり、その『策略』の中心部にいたのが伊藤博文にほかならなかった――ロシアはそう見たのである。

『歴史通(2010/7号)』 p.88

 伊藤は日露開戦までは日露協商の立場から満韓交換論を提唱してロシアとの交渉にあたっていたが、山縣や桂は、仮に日露協商が成立しても長続きせず、ロシア側がこれを破棄することは確実で、戦争が避けられないのなら相手の準備が整わない内に早く手を打った方が良いと考えていた。

 一九〇二年の日英同盟で、わが国はイギリスを後ろ盾としてロシアに対抗する方針に転じ一九〇三年八月にわが国はロシアに満韓交換論を提示したがロシアはこれを拒否し、逆に朝鮮半島を南北に分け、南側を日本の勢力下に、北側を中立地帯として軍事目的での利用を禁ずるという提案を突きつけてきた。これは事実上ロシアの支配下に朝鮮半島が入ることを意味し、当時の日本としてはのめる提案ではなく、翌一九〇四年日本はロシアと国交を断絶。満韓交換論は完全に消滅し、日露戦争へと向かうことになる流れだ。

 ロシア海軍軍令部編纂『一九〇四・五年露日海戦史』という本には、当時のロシアの戦略が書かれていて、その内容はロシアは朝鮮を全面征服し、馬山浦を完全に根拠地にして、対馬、壱岐を基地化し、日本を完全に無力化する計画であったという。

 もし朝鮮半島と対馬・壱岐がロシアに占領され、そこからバルチック艦隊が日本海を最短距離で進んでわが国に攻撃をしかけてきたとすれば、日本連合艦隊が日露戦争に勝つことは厳しかったことは間違いなく、もしわが国が敗れていたら、明治時代に多くの領土がロシアに奪われたとしてもおかしくなかったと思う。

 だからロシアにとって、伊藤博文は日露協商・満韓交換論路線の裏切者であり、それにもかかわらず伊藤博文が、復讐心に燃えるロシアに出向いたことが結果として自らの寿命を縮める原因となってしまったことになる。

 とは言いながら、若狭氏はロシア政府や皇帝の意志が伊藤暗殺にあったと考えている訳ではなく、ロシアの暗殺史は日本人の発想の外にあると書いている。

 日露戦争にロシアの敗色が兆しはじめた時期に、ロシア各地にストライキや暴動が頻発した。明石元二郎やレーニンの同志たちの姿が見える。
 バクー油田、プチーロフ工場のストライキ、血の日曜日事件、戦艦ポチョムキンの反乱、怪僧ラスプーチンの暗殺、ゼネストの広がりとロシア国内は政治危機の様相を呈してきた。この混乱を背景にポーツマス条約は成立した。

『歴史通(2010/7号)』p.89

 若狭氏の論文は、伊藤博文暗殺の黒幕がロシアの「特務機関」なのか、レーニンに近いグループなのか、どちらとも読めるような書き方になっている。ひょっとするとレーニンは「特務機関」の中に、工作員を送り込んでいたのだろうか。

 若狭氏は、最後に「日本は事件を糾明するよりは、朝鮮青年を『犯人』として処刑することにロシアと『外交的に』同意した」とまとめているのだが、ロシア側の確かな資料が出てこない限りは真の犯人グループを特定することは難しいということなのだろう。

安重根を助命しようとした韓国の動き

 また二〇〇九年八月三〇日のソウル聯合ニュースは、伊藤博文暗殺の背後に高宗がいたと日本政府が判断していたことを伝えている。

 安重根・ハルピン学会共同代表を務めるソウル大学国史学科の李泰鎮(イ・テジン)名誉教授は二十九日、日本外務省の外交資料館所蔵資料から、伊藤博文暗殺翌年の一九一〇年一~三月に駐ウラジオストク日本総領事と韓国統監府が当時の小村寿太郎外相に送った報告書六件が見つかったと明らかにした。

 報告書は、京城(ソウル)からハルピンを経て一九一〇年一月二十七日にウラジオストクに到着した高宗の密使二人が、安重根を日本の法廷からロシア法廷に管轄権を移し救出しようとした状況を説明している。密使は三十代のソン・ソンチュンとチョ・ビョンハンで、ソン・ソンチュンは韓国官吏出身で日本語と英語に長け、日米を訪れた経験もあると記されている。

 三月二日付の報告書には、「排日の本元はもちろん韓国皇帝だという。(中略)昨年十月にハルピンで起きた凶変事件(安重根暗殺)も、宮廷が煙秋(ロシア沿海州・クラスキノ)の崔在亨(チェ・ジェヒョン。独立運動家)を扇動した」とあり、高宗が伊藤博文暗殺の背後にいたと指摘している。また、第二次日韓協約に反対するなど救国運動を行った政治家・李容翊(イ・ヨンイク)も「韓国皇帝の密使」だとし、当時、李容翊が持参した王の私費の残金七千円は、今も崔鳳俊(チェ・ボンジュン。独立運動家)の家に保管されていると記録されている。

二〇〇九年八月三〇日付 ソウル聯合ニュース(Waw! Koreaより)

 記事では他に二件の報告を掲載しているが、いずれも安重根の助命に関し、高宗が関与していたという内容である。しかし安重根の同志が高宗の名を使って助命させようと動いたものかもしれず、日本政府が高宗の関与を疑っていたかどうかは、この報告書だけで断じることは難しいと思う。

安重根

 話を安重根に戻そう。安重根が伊藤博文を暗殺しようとして拳銃の引き金を引いたことは間違いがない。

 彼が撃った弾丸は伊藤博文には当たっていなかったようだし、当たっていようがいまいが彼の行為は結果として日韓併合を早めたことになるのだが、どういうわけかお隣の国では、この人物を今も「義士」と呼び、国民的英雄扱いにしているようだ。

 しかし、普通に考えれば安重根は単なるテロリストか、あるいはロシアからの指令で動いただけの人物なのだが、このような人物を「偉人」として教育しているようでは、お隣の国に世界から尊敬されるような人材が育つとは思えない。

 伊藤博文の暗殺事件が起きる十八年前の明治二十四年(1891年)五月に、来日中のロシア帝国皇太子ニコライの通る沿道警備の現場において、巡査の津田三蔵が、ニコライをサーベルで斬りつけ負傷させた事件があった(大津事件)。

 若狭氏はわが国とお隣の国の教育スタンスの違いを的確に述べておられるので、最後に引用させていただくことにする。

児島惟謙

 わが国ではロシアの皇太子ニコライに斬りつけた大津事件の津田三蔵巡査は教室の偉人ではない。むしろ、本件に腰を抜かした政府の圧力に屈することなく『罪刑法定主義』を貫いた大審院長の児島惟謙の姿勢を学べと教えてきたのである。

『歴史通(2010/7号)』p.89
スポンサーリンク

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。よろしければ、この応援ボタンをクリックしていただくと、ランキングに反映されて大変励みになります。お手数をかけて申し訳ありません。
   ↓ ↓

にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

【ブログ内検索】
大手の検索サイトでは、このブログの記事の多くは検索順位が上がらないようにされているようです。過去記事を探す場合は、この検索ボックスにキーワードを入れて検索ください。

 前ブログ(『しばやんの日々』)で書き溜めてきたテーマをもとに、2019年の4月に初めての著書である『大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』を出版しました。長い間在庫を切らして皆様にご迷惑をおかけしましたが、このたび増刷が完了しました。

全国どこの書店でもお取り寄せが可能ですし、ネットでも購入ができます(\1,650)。
電子書籍はKindle、楽天Koboより購入が可能です(\1,155)。
またKindle Unlimited会員の方は、読み放題(無料)で読むことができます。

内容の詳細や書評などは次の記事をご参照ください。

コメント

タグ

GHQ検閲・GHQ焚書185 対外関係史81 地方史62 ロシア・ソ連57 イギリス40 中国・支那39 共産主義38 神戸大学 新聞記事文庫34 神社仏閣庭園旧跡巡り34 日露戦争33 軍事31 著者別31 反日・排日31 政治史29 京都府28 ユダヤ人27 神仏分離27 欧米の植民地統治26 コミンテルン・第三インターナショナル26 廃仏毀釈26 朝鮮半島25 外交史25 アメリカ24 テロ・暗殺22 対外戦争22 キリスト教関係史21 西尾幹二動画20 情報戦・宣伝戦20 菊池寛19 一揆・暴動・内乱17 満州16 豊臣秀吉16 ハリー・パークス16 支那事変15 GHQ焚書・50音別リスト15 海軍13 西郷隆盛12 東南アジア12 紅葉11 陸軍11 ルイス・フロイス11 アーネスト・サトウ11 分割統治・分断工作10 倭寇・八幡船10 大阪府10 ドイツ10 徳川慶喜10 不平士族10 戦争文化叢書10 ペリー9 奴隷9 奈良県9 和歌山県9 イエズス会9 岩倉具視9 フランス9 寺社破壊9 伊藤痴遊9 人種問題9 伊藤博文8 A級戦犯8 韓国併合8 インド8 ロシア革命8 オランダ8 ナチス8 小村寿太郎7 ジョン・ラッセル7 修験7 神仏習合7 神社合祀7 徳川斉昭7 文化史6 飢饉・食糧問題6 関東大震災6 木戸孝允6 大久保利通6 ジェイコブ・シフ6 兵庫開港6 永松浅造6 ロッシュ6 自然災害史6 情報収集6 大東亜戦争6 大隈重信5 滋賀県5 ウィッテ5 ジョン・ニール5 金子堅太郎5 長野朗5 奇兵隊5 隠れキリシタン5 アヘン5 財政・経済5 国際連盟5 山縣有朋5 紀州攻め5 高須芳次郎5 児玉源太郎5 スパイ・防諜4 旧会津藩士4 日本人町4 東郷平八郎4 井上馨4 武藤貞一4 阿部正弘4 小西行長4 山県信教4 日清戦争4 平田東助4 堀田正睦4 石川県4 南方熊楠4 高山右近4 乃木希典4 兵庫県4 フランシスコ・ザビエル4 水戸藩4 日独伊三国同盟4 フィリピン4 孝明天皇4 スペイン4 井伊直弼4 ナチス叢書4 西南戦争4 東京奠都4 満洲3 津波3 桜井忠温3 福井県3 張作霖3 プチャーチン3 生麦事件3 徳川家臣団3 藤木久志3 関東軍3 竹崎季長3 川路聖謨3 鹿児島県3 士族の没落3 勝海舟33 ファシズム3 日米和親条約3 平田篤胤3 王直3 ガスパル・コエリョ3 薩英戦争3 福永恭助3 フビライ3 山田長政3 シュペーラー極小期3 菅原道真3 中井権次一統3 安政五カ国条約33 朱印船貿易3 北海道開拓33 下関戦争3 三国干渉3 イザベラ・バード3 タウンゼント・ハリス3 高橋是清3 レーニン3 薩摩藩3 台湾3 柴五郎3 静岡県3 伴天連追放令3 松岡洋右3 廃藩置県3 義和団の乱3 プレス・コード3 文禄・慶長の役3 明石元二郎3 和宮降嫁3 満州事変3 織田信長3 ハリマン2 大火災2 坂本龍馬2 伊勢神宮2 富山県2 足利義満2 高知県2 火野葦平2 王政復古の大号令2 三重県2 仲小路彰2 尾崎秀實2 文明開化2 大江卓2 山本権兵衛2 南朝2 沖縄2 南京大虐殺?2 文永の役2 神道2 淡路島2 明治六年政変2 北条時宗2 徳島県2 懐良親王2 地政学2 土一揆2 第二次世界大戦2 大東亜2 弘安の役2 吉田松陰2 オールコック2 領土問題2 豊臣秀次2 板垣退助2 島津貴久2 島根県2 下剋上2 武田信玄2 大川周明2 島津久光2 日光東照宮2 鳥取県2 足利義政2 国際秘密力研究叢書2 大友宗麟2 安政の大獄2 応仁の乱2 徳富蘇峰2 水野正次2 オレンジ計画2 オルガンティノ2 安藤信正2 水戸学2 越前護法大一揆2 江藤新平2 ラス・ビハリ・ボース2 大政奉還2 野依秀市2 福沢諭吉2 シーボルト1 フェロノサ1 徴兵制1 熊本県1 版籍奉還1 福岡県1 陸奥宗光1 穴太衆1 宮崎県1 督戦隊1 重野安繹1 山中峯太郎1 鎖国1 藤原鎌足1 加藤清正1 転向1 岐阜県1 宮武外骨1 科学・技術1 五箇条の御誓文1 愛知県1 前原一誠11 伊藤若冲1 ハワイ1 武藤山治1 上杉謙信1 一進会1 大倉喜八郎1 北条氏康1 尾崎行雄1 スターリン1 桜田門外の変1 徳川家光1 浜田弥兵衛1 徳川家康1 長崎県1 日野富子1 北条早雲1 蔣介石1 大村純忠1 徳川昭武1 今井信郎1 鉄砲伝来1 イタリア1 岩倉遣外使節団1 スポーツ1 あじさい1 グラバー1 徳川光圀1 香川県1 佐賀県1 士族授産1 後藤象二郎1 神奈川県1 東京1 大内義隆1 財政・経済史1 広島県1 大村益次郎1 足利義持1